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【完結】私の髪を切った継母が、父を殺して消えました~“灰かぶりの少女”と“鼠”の新聞記者は、悪しき継母の過去を追う~  作者: 夏灯みかん
【第四章】"王子様"の舞踏会

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24.”王子様”と踊る

 ヴァレンティン公爵邸の大広間は、息を呑むほど華やかだった。

 高い天井に吊り下げられた大きなシャンデリアが、眩い光を放っている。

 その光を反射する磨き上げられた床。

 壁には金色の装飾が施され、楽団の奏でる音楽が広間いっぱいに響いている。

 着飾った男女が楽しそうに笑い、給仕が銀の盆にグラスを載せて人々の間を行き交っていた。


 私は広間の入り口で、ほんの少しだけ立ち止まった。


 ――ずっと、こんな場所に来てみたかった。


 子どもの頃にお母様が読んでくれた物語には、よく舞踏会が出てきた。

 美しいドレスを着た少女が、大きな屋敷へ招かれる。

 そこで誰よりも素敵な男性と出会って、見初められる。

 私もいつか、そんなふうになりたいと思っていた。

 長い金髪を綺麗に結って、お母様の宝石をつけて、みんなが振り返るようなドレスを着て。

 そして、誰かに選ばれる。


 ――そんな日が来ればいいと、何度も夢見た。


 今……私は、その夢見た光景の中にいる。

 けれど着ているのはお父様を殺して消えたクロエのドレス。

 それを自分で自分の身体に合わせて縫い直し、お母様の首飾りを身につけている。

 長い金髪も、本当は自分で切った髪を編み込んだ付け毛だ。外せば、男の子のような短髪になる。

 

 私は王子様に見初められるためではなく、お父様が私を売った証拠を公爵から取り戻すためにここに来ている。


 覚悟を決め、広間へ足を踏み入れると、いくつもの視線がこちらへ向いた。


「……あの綺麗な娘は誰だ?」

「シモンズ伯爵の――」

「新聞に載っていた」


 囁き声が耳に入るけれど、私は聞こえないふりをして歩いた。


 以前なら、こうして人に見られることが、ただ嬉しかったかもしれない。

 でも今は、自分へ向けられる視線を一つずつ意識する。

 誰が私を見ているのか。どういう意味で見ているのか。

 それを考えるようになった。

 

 私は背筋を伸ばした。

 アスターは付き人として、少し離れた場所にいる。

 目が合うと、ほんの少し頷いた。


 大丈夫よ。


 そう伝えるように、私も小さく頷き返した――そのとき。


 広間の空気が少し変わった。人々が道を空ける。

 ロベルト・ヴァレンティン公爵がこちらへ歩いてきていた。

 華やかな衣装をまとい、胸元には勲章がいくつも光っている。


 明日、六十五歳の誕生日を迎える男。

 彼が近づけば、人々は笑顔を作り、頭を下げた。

 公爵はまっすぐ私の前まで来た。


「来てくれたんだね」


「お招きいただき、ありがとうございます」


 私はスカートをつまんで頭を下げた。

 公爵は満足そうに私を見つめた。


「随分と大人びたドレスだ。先日の姿も可愛らしかったが、今夜はまるで別人だね」


「ありがとうございます」


 その目が、私の顔から髪へ移る。


「やはり、美しい金髪だ」


 ぞわりと背筋が冷える。私は笑顔を崩さなかった。


「――父譲りです」


「そうか」


 公爵は頷いた。


「――顔もジャックによく似ている。お父上のことは、残念だったね。ジャックは私の若い頃のような立派な貴族だった」


 皮肉ではなく、本気で言っているのだろうか。

 財産を使い果たし、私の誕生日にお母様を殺したかもしれなくて、私をあなたに売ろうとしたお父様が“立派な貴族だった”なんて。


「ジャックは、それは華やかな男だったね……」


 公爵は懐かしむように笑った。


「君は父親のいいところだけを受け継いだらしい」


 私は胸の内で息を止めた。

 いいところ――外見だけなら、そうなのかもしれない。


「ありがとうございます」


 私は呆れを通して可笑しくなってしまい、笑顔になった。

 ――ちょうどいいわ。

 今夜は笑わなければならないのだから。公爵の警戒を解くために。


 そのとき、楽団の曲が変わった。

 広間の中央へ、男女が少しずつ集まっていく。

 公爵が私へ右手を差し出した。


「一曲、踊っていただけるかな」


 私は公爵の手を取った。


「喜んで」


 ◇◇◇


 音楽に合わせて、広間の中央へ出る。公爵の手が私の腰へ添えられた。

 私は反射的に身体を固くした。


「緊張しているのかな?」


「少しだけ」


「舞踏会は初めてかい?」


「はい。――継母に社交場へ行くなと言われておりましたので」


「それは可哀想だったな」


 公爵は優しく笑う。


「君のような娘を社交界から遠ざけておくなんて、もったいない」


 ステップを踏む。

 私は子どもの頃にお母様に習った動きを思い出しながら、公爵に合わせた。

 身体は覚えていた。


「上手だ」


 公爵の目がまた私の髪へ向いた。


「それにしても、本当に綺麗な金髪だ」


「……ありがとうございます」


「切ったりしない方がいい」


 足が一瞬、止まりそうになった。


 私はすぐに動きを戻した。


「そうですか?」


「ああ。この長さがいい」


 公爵は私の髪を舐めるように見つめながら言った。


「若い娘の長い金髪ほど、美しいものはない」


 私は微笑んだ。

 ――どれだけ、金髪が好きなのよ。

 胸の奥では、別の声がした。


『髪なんて、また伸びるわ』


 クロエ……十歳の私の髪を切った人。

 あのときは、どうしてこんなひどいことをするのだろうと思った。

 今なら、よくわかる。

 この男のこの視線から、私を隠したかったのだ。


「君はいくつになった?」


「十五歳です」


「十五か」


 公爵の目が細くなった。


「一番美しい年頃だね。――今にも開こうとする、蕾のような」


 その言葉に、ぞっとした。

 私のことを見ているのに――私を見ていない。


 私が何を考えているのか。何が好きなのか。何をしてきたのか。


 そんなことには興味がない。


 十五歳。金髪。美しい顔。伯爵家の娘。

 公爵が見ているのは、それだけだ。


 まるで品物を値踏みするみたいに。


「どうした?」


「……何でもありません」


「疲れたかな」


「いいえ」


 私は微笑む。それが気に入ったのか、公爵も満足そうに笑う。


「君はもっと、自分が恵まれていることを知るべきだ」


「恵まれている?」


「その顔と髪だよ」


 公爵は当然のように言った。


「女性にとって、美しいというのは大きな財産だ」


「……そうでしょうか」


「もちろん」


 ステップを踏みながら、公爵は続ける。


「美しければ、人に愛される。守ってもらえる。苦労をせずに生きていける」


 昔の私は――きっと、そう思っていた。

 誰かに見つけてもらえれば――その人が私を幸せにしてくれる。

 だから、髪を切られたとき、あんなに泣いた。

 自分の大切なものを奪われたと思った。


 でも――今の私は知っている。

 髪が短くても、生きていけるし、髪はまた伸びる。


 ドレスがなくても。爵位がなくても。

 私は掃除もできるし、縫い物もできる。帳簿だって読める。

 自分の手で働いて、お金をもらえる。


「……そうですね」


 私は笑顔のまま答えた。


「私は、とても恵まれていたのだと思います」


 ――クロエが私に教えてくれていたから。

 だからお父様が財産を残してくれなくても、やっていけている。

 あなたがいてくれて、私は恵まれていた。


「そうだろう?」


 公爵は、自分に同意されたと思ったらしい。


 私は何も言わなかった。

 私が恵まれていたのは――綺麗な髪をもらったからだけじゃない。

 愛してくれた母がいて、そして。

 生きるための術を、嫌というほど叩き込んでくれた人がいた。


 曲が終わった。私は公爵から一歩離れた。


「ありがとうございました」


「こちらこそ」


 公爵は私の手を離さなかった。指先を軽く握られる。


「今夜は、ゆっくり楽しんでいくといい」


「ありがとうございます」


「それから」


 公爵が少し声を落とした。


「あとで、少し話をしよう」


 心臓が強く鳴った。


「……私と?」


「ああ」


 公爵は微笑んだ。


「君のお父上のことも含めてね」


 私は顔には出さなかった。


 でも。胸の奥で、何かが跳ねた。


 お父様――やっぱり。

 公爵は、何かを持っている。


「父のことを?」


「ああ。ジャックとは長い付き合いだったからね」


「……ぜひ、お聞きしたいです」


「では、あとで迎えを寄越そう」


 そう言うと、公爵はようやく私の手を離した。

 別の客から声をかけられ、そのまま人々の輪の中へ戻っていく。

 私はその背中を見送った。


「エラ」


 すぐ近くから、小さな声がした。アスターだった。


「大丈夫か?」


「ええ」


「顔、固いぞ」


「笑いすぎて疲れたの」


「何を言われた?」


「……髪が綺麗だって。十五歳は一番美しい年頃だって。”今にも開こうとする、蕾のような”ですって」


 アスターの顔が露骨に歪んだ。


「気持ち悪いな」


「でしょう?」


 思わず、本当の笑いが漏れた。少しだけ肩の力が抜けた。


「それから」


 声を低くする。


「あとで、お父様のことを話してくれるって」


 アスターの表情が変わった。


「向こうから?」


「うん」


「……好都合ではあるけど」


「警戒してる?」


「当然だ」


 アスターは広間の向こうにいる公爵を見た。


「俺も近くにはいるようにする。――”鼠”だからな。壁の隙間から見てるよ」


 私は少し笑った。


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