22.舞踏会の支度
切った髪は捨てなかった。長さを揃えて束ね、少しずつ編んでいく。
夜会では、以前と同じ長い髪に見せる必要がある。
ヴァレンティン公爵が見つけたのは、長い金髪のエラ・シモンズなのだから。
その姿で公爵邸へ入る。
――そして、逃げるときには、それを外せばいい。
「……なるほどね」
試しに編んだ髪を自分の短い髪へ馴染ませ、ピンで留めていく。
鏡を見ると、見た目には、ほとんどわからない。
長い金髪の少女が鏡の中にいた。
クロエの深い青色のドレス。お母様の青い宝石。
長い金髪で着飾った私は、伯爵令嬢という肩書に相応しく見えた。
でも。
編んだ髪を外せば、短い髪の私になる。
鏡を見ながら、不思議な気持ちになった。
以前なら、着飾った令嬢の姿が自分の姿だと思っていた。
長い金髪。綺麗なドレス。胸元で光る宝石。
――今は違う。
それは、必要だから身につけるもので、脱ぐこともできるもの。
外すこともできる。
――私自身ではない。
「……私は、私」
そう、鏡の中の自分に呟いた。
掃除を終え、どきどきしながら階段を降りた。
切って編んだ髪の毛は、短い髪に馴染ませてある。
「今日もご苦労様」
ヘレン奥様が私を見た。
「エラが屋根裏掃除してるから、下の掃除が大変だよー!」
リジーが私の肩をたたく。
心臓がどきんと鳴ったけれど、二人とも私の髪には気づいていないようだった。
◇◇◇
アスターとは、しばらく会えなくなっていた。
ヘレン奥様は私が夜会へ行く気を捨てていないと疑っているらしく、休みの日もなるべく屋敷から出さないようにしている。
アスターが訪ねてきても、『エラは屋根裏の掃除が忙しいので』と追い返されるようになった。
「アスターにどうやって連絡しようかしら……」
夜会に行くには、アスターの協力がいる。
屋根裏の窓を開けながら呟く。
そのとき、ふと下を見て気づいた。
窓の下は、屋敷の裏側にある細い路地だった。
表通りからは見えにくい。
「……」
その日の夜、私はリジーに頼んだ。
「お願いがあるんだけど」
「何?」
「アスターに会ったら伝えてほしいの」
リジーの目が輝いた。
「何て?」
「明日の午後、グレイ家の裏の路地に来てって」
「裏の路地?」
「屋根裏の窓から、見えるから。顔だけでも見たいって」
リジーはにやにやした。
「……お熱いこと」
私は苦笑した。――リジーは完全に勘違いしている。
けれど、その方が都合がいいかもしれない。
「頼めるかしら?」
「わかった! いいよ! 好きな人の顔くらい、見たいよね」
リジーを巻き込むのは良心の呵責があったけれど、窓の下に呼んでもらうだけだ。
「ごめんなさい」と心の中で詫びた。
◇◇◇
翌日の午後、屋根裏の窓から下を覗くと、路地の壁に寄りかかって、こちらを見ているアスターがいた。
「アスター」
手を振ると、アスターも手を動かした。
何か口を動かしているみたいだけれど、声は聞こえない。
私は糸に手紙をつけると、窓から下へ降ろした。
『ドレスはあるわ。髪の毛を切ったの。逃げるときは、長い毛を外して短くするつもり』
そう書いた紙を受け取ったアスターは、何か返事を糸先につけた。
私はそれを引き上げた。
『俺の方は馬車を確保できた。付き人の衣装も用意した。君が逃げるときの着替えを用意しよう。――どうやって、屋根裏から出る気だ?』
私は返事を書いた。
『屋根裏掃除は夕方までだから、夕方にこの窓から外へ出たいわ。縄梯子か何か、用意できる?』
アスターは遠目にもわかるほど大きなため息をついて、返事をくれた。
『なんとかする』
私はアスターに手を振った。
◇◇◇
夜会当日――屋根裏の掃除は、ほとんど終わっていた。
床は見違えるほど綺麗になった。
箱も整理した。窓も磨いた。
……ヘレン奥様に見せても、文句はないはずだ。
私は夜会の装いと化粧道具を袋に入れて、背中に背負った。
窓から外を見ると、裏道にアスターがいた。
私は窓から、糸を垂らした。
アスターがそこに何かを結びつける。
引っ張ると、縄梯子の端が結び付けられていた。
私はそれを窓枠に結び付けると、窓から身を乗り出した。
縄梯子を使って、路地裏に降りる。
ギシギシと縄が音を立て、心臓が激しく鳴る。
奥様が屋根裏の様子を見に来るまで、もうしばらくあるはず。
それまでに街にまぎれてしまえば、夜会に行ける。
――もう少しで、地面!
「行きましょう、アスター!」
私は地面に降りると、アスターの腕を引っ張った。
路地を走って、街を駆け抜けた。
アスターが間借りしているという、新聞社の裏の借家へ行く。
「――俺は外にいるから」
アスターは気を遣って、外にいてくれた。
背中の荷物からクロエのドレスと化粧品、お母様の宝石を出し、身支度をする。
最後に、クロエが履いていたヒールの高い靴を履けば完成だ。
「どうかしら?」
扉を開けると、アスターは何度も瞬きした。
「――見違えたな。おとぎ話のお姫様じゃないか」
「上手ね」
そう言うと、アスターはにっと笑って部屋に入った。
「――じゃあ、“鼠”も化けるよ。壁の方を向いててくれ」
アスターがシャツを持ち上げたので、私は慌てて壁際を向いた。
「いいよ」と言われて振り返ると、アスターも付き人らしい上質な背広に着替えていた。
「あなたも見違えたわ」
そう言うと、アスターは私の手を引いた。
「じゃあ、行こうか」
アスターの借家の近くに、馬車が停まっていた。
「――実家から、借りた」
そういえば、アスターの実家は、商売をやっていると言っていた。
馬車を使うこともあるのだろう。
「それじゃあ、行こうか」
アスターは馬車の扉を開けると、私に手を差し出した。




