21.継母のドレス
ヴァレンティン公爵の夜会まで、あと二週間だ。
翌朝から、私はヘレン奥様に言われたとおり、屋根裏の掃除を始めた。
「二週間では終わらないわよ」
屋根裏へ続く階段の前で、奥様は腕を組んだ。
「古い家具も布も箱もたくさんあるから、ひとつずつ整理して。埃もひどいでしょうから、無理に一気にやらなくていいわ」
「はい」
「夜会の日まで、しっかり働いてもらいますからね」
「わかりました」
私は素直に頷いた。奥様は少し疑うように私を見た。
「……本当にわかっている?」
「……もちろんです」
私は少ししょげたように俯いた。すると奥様は余計に怪しそうな顔をした。
「あなたがそんなに素直だと、不安になるけれど。――しっかりやる子だものね。屋根裏が綺麗になるのを期待しているわ」
私は本当にこの屋根裏掃除を嫌だとは思っていなかった。
むしろ――好都合だと思った。
グレイ家の屋根裏は、想像以上に広かった。
使わなくなった椅子。壊れた小さな机。古い絨毯。
季節外れの布類。独立した子どもたちが昔使っていたという玩具や本まである。
窓を開けると、埃が陽の光の中を舞った。
「……これは確かに二週間はかかるわね……」
私は袖をまくった。まず、物を種類ごとに分ける。
捨てた方がよいもの。修理すれば使えるもの。寄付に出せそうなもの。
布類は埃を払い、洗えるものは下へ持っていく。
家具は壁際へ寄せ、床を掃く。雑巾をかける。窓も磨く。
『最初から全部やろうとしないの』
頭の中にクロエの声がした。
『場所を区切りなさい。今日はここまでって決めるのよ』
「……わかってるわよ」
誰もいない屋根裏で独り言で答えた。
午前中はきちんと掃除をする。昼食を挟んで、午後も決めた範囲までは仕事を進める。
夜会までに、言われた通り屋根裏はピカピカにする。
そして――誰も見に来ない時間になると、私は一番奥に置いた古い木箱を開けた。
中に入っているのは、この前伯爵邸から持ち出したクロエのドレスだった。
深い青色。光の加減で、黒にも見える。
クロエが夜会へ出るときに何度か着ていたものだ。
「……あなたには似合ってたけど」
持ち上げて、自分の身体に当てる。
「私には大きいのよね」
クロエは私より背が高い。身体つきも違う。
何より、このままでは十五歳の私には少し派手だった。
――でも。
新しいドレスを用意するお金はない。
グレイ夫妻に頼めるはずもない。
それなら――直せばいい。
私は針箱を取り出した。
……これもクロエに教わった。
『服が破れたくらいで捨てるんじゃないの』
『でも、使用人が直してくれるでしょう?』
『その使用人がいなくなったら?』
いつもの質問。あの頃の私は、うんざりしていた。
今は――
「私が使用人になったわ」
苦笑する。
人にお世話をしてもらえる立場じゃなくなった。
伯爵家の屋敷も、使用人も、全部なくなった。
けれど――針の使い方だけは、私の手に残っている。
◇◇◇
それから数日間。
掃除をしながら、少しずつドレスを直した。
腰まわりを詰め、袖を私の腕に合わせる。
胸元は開きすぎないよう形を変える。裾は歩きやすい長さへ調整する。
一度縫って、着て、鏡を見る。
違えばほどいて、また縫う。
「……もう少し」
針を入れる。
昔、クロエに縫い目を見せるたびに、
『曲がってるじゃない』
『やり直ししなさい』
『ここ、雑ね』
と何度言われたかわからない。
あのときは腹が立った。今でも、思い出すと少し腹が立つ。
「……あなた、褒めるってこと知らなかったの?」
呼びかけても返事はない。それでも、手は動いた。
最後に、アイリスお母様から受け継いだ宝石箱を開いた。
――全部は持っていかない。
その中から、ドレスに合わせて小さな青い石のついた首飾りをひとつだけ選んだ。
お母様がよく使っていたものだ。
鏡の前で首につける。
深い青のドレスの上で、小さな宝石が光った。
クロエのドレス。クロエから教わった裁縫。お母様が残してくれた宝石。
鏡の中の自分を見つめる。
二人からもらったものを身につけると、私は今までより少しだけ、自分の姿を好きになれた。
お母様は死んでしまった。
――けれど、クロエは、まだどこかで生きているはずだ。
あの人はすぐに死ぬような人ではない。
あなたは“悪しき継母”なんかじゃなかった。
それを私が証明する。
――もし、証拠をつかんで。記事にして、話題になったら。
クロエは私に姿を見せてくれるだろうか。
褒めてくれる? それとも、怒るかしら。
せっかく公爵から隠してあげていたのに、自分から近づくなんて馬鹿なことをして! って。
そうね。きっとクロエは「馬鹿だ」と怒るでしょう。
そのときは、言えるかしら。
あなたの娘だから馬鹿なのよ、って。
◇◇◇
問題は、夜会のあとだ。
私は完成したドレスを見つめて考え込んだ。
証拠をどうにか見つけて、持ち出せたとして。
公爵に見つかればどうなるだろう。誤魔化せるだろうか。
私は鏡の前で髪を下ろした。
お父様譲りの華やかな金の髪は、背中まで伸びている。
十歳の冬――クロエに切られた髪。
『嫌!』
泣いて抵抗した。
『お母様が綺麗だって言ってくれたのに!』
『髪なんて、また伸びるわ』
クロエはそう言った。
私はずっと、その言葉が嫌いだった。
大切なものを勝手に奪っておいて。
簡単に言わないで――そう思っていた。
私は屋根裏の鏡の前に座った。
鋏を手に取る。
自分の髪をひと房掴んだ。
「……」
少しだけ手が震えた。
今なら。クロエがあのとき何をしようとしたのか、わかる。
私を醜くしたかったんじゃない。
見つけられないようにしたかった。
それでも。
あのとき嫌だった気持ちまで、なくなるわけではない。
「……勝手に切るのは、やっぱりひどいわよ」
小さく呟いて、そして鋏を動かした。
しゃきん。
金色の髪が、手の中に残った。
もう一度。
しゃきん。
床へ落ちる。
さらに整える。
――最後に鋏を置いた。
鏡の中には、短髪の少女がいた。
十歳の頃とは違う。――泣いていない。
私は自分で選んだ。短くなった髪を指で触れ、呟いた。
「……髪なんて、また伸びるわ」




