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【完結】私の髪を切った継母が、父を殺して消えました~“灰かぶりの少女”と“鼠”の新聞記者は、悪しき継母の過去を追う~  作者: 夏灯みかん
【第四章】"王子様"の舞踏会

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19. “王子様”に見初められる

 クロエの働いていた《銀月の大広間》の近くにある診療所の医師は、私の顔を見て少し驚いた。


「クロエ・シモンズ夫人について聞きたい?」


「継娘のエラです」


「……ああ」


 医師はすぐに表情を曇らせた。


「ニュースは聞いています。私に何の用事ですか?」


「この薬について知りたくて」


 私は瓶を見せた。医師は確認すると、頷いた。


「奥様に出していた、眠るための薬です」


「いつ頃から?」


「結婚して間もなくです」


「……そんな前から?」


「ええ」


 胸がざわついた。


「眠れないと?」


「そう聞いていました」


「ずっと?」


「時期によって良し悪しはありましたが、長く不眠に悩んでいたようです」


 七年間。私がクロエを嫌っていた七年間。

 私が毎日、悔しくて泣きながらベッドに入っていた間、クロエも毎晩、眠れなかったのだろうか。


「理由は?」


「それは話してくれませんでした。ただ……」


 医師は少し迷った。


「ずいぶん神経を張りつめている方だとは思いました。眠れない夜だけでなく、悪い夢を見て目を覚ますこともある、と」


「悪い夢……」


「薬は処分してください」


 私は「はい」と頷いて、診療所を去った。


 その夜は眠れなかった。

 リジーはすやすやと寝息を立てている。


 薬瓶を鞄から出し、机の上に置いて見つめた。


 瓶の向こうに、クロエがいるような気がした。

 七年間――あの屋敷でクロエはどんなふうに夜を過ごしていたのだろうか。


「……あなたは、何を考えていたの?」


 問いかけてみても答えはない。


 私は長いこと薬瓶を見つめていた。そして。

 ほんの一度だけ、クロエがどうしてこれに頼ったのか知りたいと思った。

 私は薬を口にした。


 ――目を開けると、朝だった。


「……」


 しばらく、自分がどこにいるのかわからなかった。


 使用人部屋。横のベッドではリジーがまだ眠っている。


 窓から朝の光が差し込んでいた。夢を見た記憶がなかった。

 ただ、夜が丸ごとなくなったようだった。


「……あなたは、毎日これで、眠ってたの?」


 クロエは――夢すら見たくなかったのだろうか。

 そう考えた途端、胸が重くなった。

 アスターには言わないことにした。

 言えば、間違いなく怒るから。

 私はお守りのように、クロエの薬を鞄に入れた。


 ◇◇◇


 慈善催事の日。私は朝から鏡の前に座っていた。

 グレイ家で着ている作業着。


 派手なドレスではない。孤児院の手伝いに行くのだから、その方が自然だ。


 ただ――今日は髪を隠さない。

 いつも仕事では邪魔にならないようまとめている金髪を、背中へ流した。

 クロエの化粧品を使う。

 鏡の中の自分が、少しずつ変わっていく。


 白粉。薄い紅。眉。


「……こんな感じだった?」


 クロエの化粧を毎朝見ていた。

 手順も覚えていた。

 でも、同じにはならない。

 私はクロエではない。

 鏡の中には、金髪の十五歳の少女がいた。


 絵本の王子様みたいだったお父様に似た華やかな顔。

 ――それを今日は利用する。


「エラ!」


 部屋へ入ってきたリジーが目を丸くした。


「なにそれ! どこ行くの!?」


「孤児院の催事のお手伝いよ。アスターに誘われて」


「その顔で?」


「変?」


「逆! すっごく綺麗!」


「……ありがとう」


 以前なら、そう言われれば嬉しかった。

 今日は、自分がうまくできるかどうか、少し怖かった。


 ◇◇◇


 孤児院前の広場は、大勢の人で賑わっていた。

 簡単な舞台が作られ、孤児院の子どもたちが歌や踊りを披露する。


 周囲には菓子や飲み物を売る露店や寄付を募る箱が並び、新聞社の記者たちも来ている。そして広場の正面には、来賓席があった。


「いた」


 アスターが小さく呟いた。

 見なくてもわかった。人々の視線が集まっている。


 ロベルト・ヴァレンティン公爵。

 彫りの深い顔立ちに若い頃は“花の王子”と呼ばれた名残はあるものの、今は太って、頬もたるんでいる。

 それでも華やかな服を着て、堂々と椅子に座っている姿には、長く権力の中心にいた人間特有の威圧感があった。


「……大丈夫か?」


 アスターが聞く。


「大丈夫」


「無理なら帰るぞ」


「帰らない」


 私は子どもたちの衣装を整えたり、飲み物を運んだりしながら、少しずつ来賓席へ近づいた。


 視線を感じた。

 公爵が、私を見ている。


 背筋が冷たくなる。

 それでも、私は顔を上げた。


 そして――公爵に向かって微笑んだ。


 ほんの一瞬。


 すぐに目を逸らす。


「……気づいた」


 近くにいたアスターが小さく言った。


「わかる?」


「露骨なくらい、エラを見てるから」


「あと一押しかしら」

 

 私は顎に手を置いて考えてから、アスターを見た。


「アスター、私がシモンズ伯爵の娘だと、公爵にわかるようにして」


「――それは……」


 口ごもったアスターを見つめる。


「……自分から、名乗って近づいてもいいけれど。露骨すぎるから……」


 アスターは頭を掻いてから、「わかった」と両手を挙げた。

 彼は少し離れたところに行くと、別の記者へ声をかけた。


「そういえば、あの子知ってます?」


「誰だ?」


「あそこで手伝ってる金髪の子。シモンズ伯爵の娘ですよ」


「えっ?」


 声が少し大きかった。周囲の人間も振り返る。


「例の?」


「そう。“継母に暖炉掃除を仕込まれた令嬢”」


「新聞に出てた子か!」


 私は聞こえないふりをした。


 ――でも。


 来賓席の公爵が、こちらを見た。


 今度ははっきりと。


 ――催しが終わりに近づいた頃。


「君」


 後ろから声をかけられた。


 振り返る。ヴァレンティン公爵が立っていた。


 近くで見ると、思った以上に大きい。

 六十四歳という年齢のわりに背筋は伸びている。

 指には大きな宝石の指輪がいくつも光っていた。


「私でしょうか?」


 私は頭を下げる。


「君が、シモンズ伯爵の娘か」


「……はい。エラ・シモンズと申します」


「顔を上げてくれ」


 言われたとおりにする。

 公爵の目が、私の顔を見た。


 髪を舐めるように見つめられ、胸の奥がぞっとした。

 それでも微笑むと、公爵も笑った。


「ジャックによく似ている」


「父をご存じだったんですか?」


「ああ。長い付き合いだった」


 やっぱり。


「新聞で読んだよ。今は使用人として働いているそうだね」


「はい」


「大変だろう」


 公爵の声は優しかった。


「困っているなら」


 公爵が微笑んだ。


「私が助けてあげよう」


 昔の私なら。その言葉を夢のように聞いたかもしれない。


 けれど今は。


 意味が違って聞こえた。


 助ける。保護する。後援する。

 アスターの取材帳に並んでいた言葉。

 その言葉のあとに、何人の少女が公爵邸から消えたのだろう。

 ――もしかしたら、クロエもその中にいた?


 私は胸の前で手を組んだ。

 少し不安そうに。

 十五歳の、父を亡くして困窮した少女らしく。


「……私を、助けてくださるのですか?」


 公爵の目が細くなった。


「ああ」


 満足そうな笑顔だった。


「もちろんだ」


 私は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


「近いうちに連絡をしよう」


 そう言って、公爵は去っていった。

 その背中が十分離れてから、私は息を吐いた。


「エラ」


 いつの間にかアスターが横にいた。


「……うまくいったわ」


 アスターは頭を抱えて呻いた。


「……全然嬉しくない」


「私も」


 公爵の姿を見る。

 馬車へ向かう途中で、何度かこちらを振り返っていた。

 私は微笑まなかった。

 もうその必要はない。


 あとは、招待を待つだけだ。



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