18.公爵に近づく
お父様が、お母様を殺したのかもしれない。
そう考えるようになってから、私は以前ほどシモンズ伯爵家の名前に執着しなくなった。
お父様の名誉を守りたいとも、もう思わない。
それよりも――お父様が何をしたのか。何をしようとしたのか。
クロエはそれにどう関わっていたのか。
全部を明らかにしたかった。
「記事にしてほしいの」
休日、私はアスターの机の前で言った。
「何を?」
「お父様が私をヴァレンティン公爵に渡そうとしていたこと」
アスターの表情が変わった。
「それから、クロエが私を公爵から隠そうとしていた可能性も」
「……書きたいのは俺も同じだよ」
「じゃあ……」
「書いて」と私が口から出す前に、アスターは私を真剣な表情で見つめた。
「――確実な証拠がない」
私は視線を落とした。
「叔母様がお父様の持っていた公爵からの書簡を燃やしてしまったから……」
「それもある。――帳簿の記録と君の証言だけじゃ弱い。公爵本人が否定すれば終わりだ」
「でも、お父様と公爵が手紙のやりとりをしていたなら――」
私は少し身を乗り出した。
「公爵のところには、お父様の手紙が残っているかもしれない」
アスターが黙った。
私は自分の閃きに、顔を上げた。
「――そうよ。公爵のところには、お父様が送った手紙――私を引き渡す話が書かれていたものがあるんじゃなくって?」
「……何を考えてる?」
「公爵が持っているなら、それを手に入れれば……」
アスターが私の手を掴んだ。
「やめろ」
いつもの軽い調子ではなかった。
「ヴァレンティン公爵に近づくのは危険だ」
「……でも、証拠があれば、記事を書いてくれるんでしょう?」
「――俺だって記事を書きたいよ。けれど、君を公爵に近づけさせるなんて、そんなことをさせられるわけがないだろう」
私はアスターを見据えた。
「……じゃあ、一人でやるわ」
――お父様が私を売ろうとしていたこと。
クロエがたぶん、それに気づいて、私を公爵から遠ざけようとしていたこと。
それだけは、クロエが捕まる前に、世間に知らしめたかった。
それが、私がクロエに対して、唯一、返せること――
「エラ」
名前を呼んだアスターを私は見つめた。
私は自分がクロエに“与えられた”とはっきり感じていることがわかった。
だって、今、私がグレイ家に自分の居場所があると思えるのは、クロエのおかげなんですもの。――暖炉掃除、料理、縫物、帳簿、買い物――クロエに身につけさせられた力で、今私は生活している。
悔しいけれど、それは事実だ。
クロエにしてもらってばっかりなんて、悔しい。
私だって、あなたにできることがあるって、思われたい。
「――止めても、やるわ」
そう呟くと、アスターは額に手を当てた。
「君、最初に会った頃よりずっと面倒になったな」
「……クロエに育てられたから」
クロエは本当に面倒な人だ。
もっと私に優しくして、仲良くしてくれたってよかったんだ。
お父様を勝手に殺して、いなくなる前に、何か言ってくれればよかった。
私だって、もう子どもじゃない。
「そういうところまで似なくていいんだよ」
アスターは笑わなかった。
「……本気なんだな」
「うん」
アスターは私を見つめて聞いた。
「……公爵邸へ忍び込むとか言わないよな?」
「――いきなりそんなことはしないわ」
「“いきなり”って言った?」
「まず、公爵に私を見つけてもらう」
アスターの眉が寄った。
「どういう意味だ?」
「ヴァレンティン公爵が好きなのは、十四、十五歳くらいの金髪の美しい少女でしょう?」
私は自分の髪に触れた。今は背中まで伸びて、編んでまとめている。
「私は十五歳。髪は金色――それに、お父様に似ていて、人目を惹くわ」
それは今となっては、あまり嬉しくない事実だったけれど。
お父様は華やかな目鼻立ちのとても美しい人だった。
お父様の言った、『お前は俺に似てよかった』という言葉が蘇る。
私の外見は”色男”と呼ばれたお父様に似て、華やかだ。
――利用できるなら、利用する。
「私を見たら、公爵は興味を持つんじゃない?」
「……」
「お父様から私を渡す話までされていたなら、なおさら」
アスターはしばらく黙っていた。
「君が一人で勝手に行くくらいなら」
「付き合ってくれる?」
「……付き合うしかないだろう」
「ありがとう」
「嬉しそうに言うな」
アスターは顔を歪めた。
「俺の見ていないところで勝手にやるのだけは、絶対にやめてくれ」
◇◇◇
数日後、アスターが、一枚の紙を持ってグレイ家へやって来た。
私が休みの日にアスターがグレイ家へ来るのは、いつものことになっていたので、ヘレン奥様はそのままアスターを玄関に通してくれた。
公爵に近づく話は、奥様たちには聞かれるわけにはいかない。
――きっと、心配してくれるだろうから。
私はアスターと屋敷を出たところの路地で小さな声で話した。
「ヴァレンティン公爵の予定だ」
アスターは私にチラシを渡した。
サーカスのような、楽しそうな絵が描かれている。
「来週、王都東部の孤児院で慈善催事がある。公爵は長年そこに寄付していて、来賓として顔を出すらしい」
「孤児院……」
「俺がいたところだよ」
顔を上げる。
「アスターの?」
「ああ。俺自身は赤ん坊の頃に養父母へ引き取られたから、何も覚えてないけどな」
「ヴァレンティン公爵が、そこに寄付を?」
「皮肉だろ」
アスターが笑った。
「身寄りのない少女を“保護”してる男が、孤児院の慈善家でもある」
私は頷いた。
「……行くわ」
「だろうな」
「どうすれば参加できる?」
「孤児院の子どもたちが歌や踊りを披露する催しで、準備を手伝う人間を募集してる。王都新報も取材に入る」
「じゃあ、私はそこに手伝いとして行くわ」
アスターは私を頭から足元まで見た。
「その使用人服で?」
「まさか」
私は少し考えた。
「準備があるわ」
次の休み、私はシモンズ伯爵邸へ戻った。
家を出て以来、初めてだった。
事件の捜査が続いているため、屋敷はまだ正式に売却されていない。
警察の許可を取り、自分の私物を回収するという名目で中へ入った。
玄関扉を開けると、しん、としていた。
あんなに広いと思っていた屋敷が、人がいなくなると妙に小さく感じた。
――ここで、お母様と暮らした。
クロエと暮らした。お父様とも。
私は二階へ上がった。
自分の部屋ではなく、クロエの部屋へ向かう。
扉を開けると、化粧台も衣装箪笥もそのままだった。
逃亡する直前、クロエはほとんど何も持ち出していない。
衣装箪笥を開ける。
深い青。黒。紫。
クロエらしい、落ち着いた色のドレスが並んでいる。
「……借りるわね」
誰もいない部屋で呟く。
公爵から正式に招かれたときのために、一着を選んだ。
――私には少し大きい。
でも、縫い直せば着られる。――裁縫はクロエに教わった。
化粧台の引き出しも開けた。
口紅。白粉。眉墨。香水。
クロエが毎朝使っていたもの。その奥に、小さな薬瓶があった。
「……?」
ラベルを見る。知らない名前だった。
けれど、処方した医師の名と診療所の住所が残っている。
私は薬瓶を鞄へ入れた。
クロエは何の薬を飲んでいたのだろう。




