17. 母を殺したのは誰?
その記事が出て数日後。
私宛に、警察から手紙が届いた。
差出人は、トマスという警部だった。
アスターと共に指定された場所へ行くと、四十代くらいの男性が待っていた。
「エラ・シモンズさんですね」
「はい」
「トマスです」
警察署で会った人ではなかった。
「記事を読みました」
「……ありがとうございます」
「あなたは、父親にとって不利なことでも調べるつもりなんですね」
私は少し考えた。
「本当のことなら」
トマス警部は頷いた。
「なら、少し話しておきたいことがあります」
声を低くする。
「現在、捜査はクロエ夫人がアイリス夫人と伯爵、二人を殺害した可能性を中心に進めています」
「……はい」
「ですが、私は少し引っかかっています」
「何が?」
「七年前のワインです」
私は身を乗り出した。
「配達所へ持ち込んだのは、おそらくクロエ夫人です。そこは私も同意します」
そこで警部は一呼吸黙った。
「……でも、クロエ夫人が自分で用意したとは限らない」
私は瞬いた。
「どういうことです?」
「例えば」
トマス警部は静かに言った。
「伯爵自身が、クロエ夫人に発送を頼んだとしたら?」
「……お父様が?」
「当時、二人には関係があった。伯爵が妻への贈り物だと言ってワインを渡せば、発送くらい頼めるでしょう」
頭の中で、何かが動いた。
「でも、そのワインには毒が」
「最初から入っていたとは限りません」
「え?」
「伯爵も同じワインを飲んでいますよね」
「……はい」
「それなのに、倒れたのはアイリス夫人だけだった」
息を止める。
「では……」
「食卓で、アイリス夫人のグラスにだけ何かを入れた可能性もあります」
私は両手を握った。
「それなら、なぜお父様は」
「そこなんです」
トマス警部は続けた。
「なぜ匿名の贈り物だったのに、伯爵はその日に限って帰宅していたのか」
「……」
「なぜ自分からワインを開けようと言ったのか」
「……」
「なぜ妻が不可解な死を遂げたあと、医師に病死扱いを求めたのか」
胸が苦しくなった。
「ただし、全部まだ推測です」
トマス警部ははっきり言った。
「証拠が必要です」
「証拠……」
「伯爵とワインを結びつけるものがあればいい」
その言葉を聞いて、私はあるものを思い出した。
――帳簿。
◇◇◇
屋敷へ戻ると、私はすぐに荷物箱を開けた。
エリザ叔母様から渡された、シモンズ家の帳簿。
『日付を追いなさい』
『金額だけ見るんじゃない。誰に払ってるかを見るの』
クロエの声を思い出す。
頁をめくる。――七年前。
お母様が死んだ月。私の誕生月。
「……あった」
指が止まった。
お母様の誕生日――ではない。
私の誕生日の数日前。
お父様が酒商からワインを一本購入していた。
銘柄。店の名前。
私は何度も見返した。
「同じだ……」
あの夜、食卓に置かれていた瓶。
子どもだった私でも覚えている。
お母様が『ずいぶん高そうなものね』と笑っていたから。
そして購入先は――トマス警部が教えてくれた、配達所の記録に残っていた販売元と同じだった。
私はすぐに警察へ知らせた。
◇◇◇
「これは重要です」
帳簿を確認したトマス警部は言った。
私は向かいの椅子で手を握りしめた。
「これで、お父様がお母様に毒を飲ませたと証明できますか?」
「いいえ」
すぐに否定された。
「これだけで、伯爵が毒を入れた証明にはなりません」
「……そうですか」
「ですが」
トマス警部は帳簿を指した。
「“クロエ夫人が自分でワインを買い、毒を入れて送りつけた”という前提は崩れます」
顔を上げる。
「伯爵自身が購入している。しかも、事件の数日前に」
「じゃあ」
「伯爵が買ったワインを、クロエ夫人がただ発送した可能性が出てきます」
胸の奥が少し熱くなった。
「これでクロエは」
「まだです」
トマス警部は首を振った。
「本人の証言が必要です。誰に頼まれて発送したのか。中身について何を知っていたのか」
「……」
「クロエ夫人本人が、伯爵に頼まれたと証言すれば、アイリス夫人殺害については捜査をかなり見直せます」
でも――クロエは、まだ見つからない。
◇◇◇
その夜、私はベッドに入っても眠れなかった。
目を閉じると、八歳の誕生日が浮かぶ。
お父様が買ったワイン。クロエが発送したかもしれないワイン。
それを飲んで死んだお母様。
同じワインを飲んでも、何ともなかったお父様。
そして――『妻は病気で死んだことにしてくれ』
リンク医師に、そう言ったお父様。
――もし、トマス警部の考えが正しいなら。
お父様は最初から、クロエを利用した。
自分でワインを買って。クロエに発送させて。
お母様を殺した。――そして、そのあと。
頭の中に、お父様の声が浮かんだ。
『お前が送ったワインで、妻は死んだ』
そんなことをクロエに言ったかもしれない。
『お前も共犯だ』
「……」
布団の中で拳を握る。まだ想像だ。
何の証拠もない。
――でも。クロエはどう思っただろう。
自分が頼まれて送ったものが、人を殺すために使われたと知ったら。
それも。その人を殺した理由が、自分と結婚するためだったと知ったら。
私はずっと――クロエがお母様を奪ったと思っていた。
お母様が死んだから、クロエが来た。
だから、クロエが嫌いだった。
でも――もし、本当にお母様を奪ったのがお父様だったなら。
しかも、その罪までクロエに背負わせたのなら。
「……お父様」
幼い頃、頭を撫でてくれた手。
菓子を買ってきてくれた笑顔。
膝の上に座らせてもらった記憶。
優しいお父様。
その姿が、少しずつ、音を立てて崩れていく。
そして――
新しい疑問が浮かんだ。
クロエは、どうして私に優しくしなかったのだろう。
私を守った。生きる術を教えた。サロンの女主人に私の話をしていた。
ぬいぐるみまで買っていた。
それなのに。
一度も、母親のようには接してこなかった。
――お母様が死んだことと、私がいること。
クロエにとって、その二つは、どう繋がっていたのだろう。
「クロエ、どこにいるのよ」
私は宙を見つめて、呟いた。




