15. 全部をやったの?
クロエの働いていた高級娼館《銀月の大広間》を訪れてから、私は休日になるたびにアスターとクロエのことを調べるようになった。
アスターは人の家の事情にずかずか踏み込んでくるし、何でも記事の材料にしようとする様子には少し苛立ちを覚えたけれど、面白そうな話が出るとすぐに目を輝かせる様子は年上なのに親しみがもてた。
――私が最後に、そんなふうに目を輝かせたのはいつだったろうか。
お母様が死んでから、クロエを睨むことに必死で、その目つきが顔に貼りついてしまった気がする。
――クロエはどう?
クロエはいつも、憂鬱そうな顔をしていた。
休日に出かけるための服を着ながら、もしかしたら、と想像する。
私はクロエに服の相談をする。週末に出かけるのにどんな服がいいかって。
クロエは笑って、私に服を選んでくれるのだ。
……そんな時間を、もしかしたら私とクロエが過ごせる可能性もあったのだろうか。
その日の聞き込みへ向かう途中、私はそのことをアスターに話した。
「今日……家を出る時にそんな想像をしたの」
「……エラは、そうしたかったと思うのか?」
「――そうね。そんなふうに過ごせていたら、よかったかも」
気がつけば、私はアスターの前でいちいち言葉を選ばなくなっていた。
「ねえ、エラ! 今日もあの記者の人と出かけてたの!?」
グレイ家に戻ると、リジーがはしゃいだように聞いてくるようになった。
「……出かけるといっても、調べものよ」
そう言うと、リジーは「羨ましい」と言った。
それから、「彼って、あの“切り裂き”リックと似ているわよね」
私は顔をしかめた。
「――それって、あの連続殺人の犯人でしょう。似ているわけ……」
そう思って、ふと、私は以前調べたアスターの記事を思い出した。
切り裂き魔の事件について、アスターはたくさんの記事を書いていた。
その犯人とされる男・リックの顔写真を思い出す。
――確かに、似ている気がした。
けれど。
「……不謹慎よ」
そう咎めると、リジーはうな垂れて詫びた。
「そうだよね。ごめん。……うちのママ、リックのファンだったからさ、つい」
舞台俳優をしていた“切り裂き”リックは、端役ばかりだった頃にはほとんど名も知られていなかった。ところが殺人犯として顔写真が新聞に載るや、その端正な容姿に騒ぐ女性が現れ、追っかけまでできたことでも有名だ。
「人って、本当に不謹慎」
私は呟いた。クロエのことだって、みんな、「悪しき継母」としか思っていない。
そこで、私はふとリックに関する記事の記載を思い出した。
『華やかな容姿で“花の王子”と呼ばれたヴァレンティン公爵を思わせる甘いマスクで、娼婦たちを誘い出したのだろうか』
……ヴァレンティン公爵。
その名前がまたつきまとっていることに吐き気を覚えた。
――そんなある日。
私は、エリザ叔母様と一緒に警察署へ呼ばれた。
◇◇◇
「アイリス・シモンズ夫人の死について、改めて調べました」
向かいに座った警察は、机の上の書類へ目を落とした。
私は膝の上で手を組んだ。
叔母様が横に座っている。
「七年前、アイリス夫人は急病による死亡とされています。当時の診療記録と、今回のジャック・シモンズ伯爵の死亡時の症状を照らし合わせました」
警察は一度言葉を切った。
「その結果、アイリス夫人も、伯爵と同種の毒によって死亡した可能性が非常に高いと判断しています」
「……毒?」
声がうまく出なかった。
お母様が――病気ではなく、毒で死んだ。
頭では理解できても、胸の中へ落ちてこなかった。
隣で叔母様が小さく息を呑んだ。
「……そんな」
「まだ断定ではありません。当時、詳しい検査は行われていませんから。ただ、記録に残っている症状が非常によく似ています」
私は唇を噛んだ。
「では……クロエが、お母様も殺したと?」
警察は私を見た。
「現在、その可能性も含めて捜査しています」
「どうして?」
「七年前、アイリス夫人が倒れた夜、シモンズ家には花とワインが届けられていますね」
覚えている。私の八歳の誕生日だった。
「その荷物について、当時の配達所の記録と関係者を調べました。発送されたのは、《銀月の大広間》に近い配達所です」
心臓が跳ねた。
「荷物を持ち込んだ人物について、当時働いていた者が覚えていました。若い女性。黒い髪で、非常に目立つ美人だったそうです」
「……」
「年齢と特徴から考えると、クロエ夫人だった可能性があります」
私は首を振った。
「でも……」
「クロエ夫人は、その後まもなく伯爵と結婚しています。そして七年後、伯爵自身も同じような毒で死亡し、クロエ夫人は姿を消した」
警察の言葉は淡々としていた。
だから余計に、筋書きが出来上がっているように聞こえた。
クロエがお母様を殺した。
そのあとお父様の妻になった。
そして今度は、お父様も殺した。
――”悪しき継母”。
最初にアスターが書いた記事と同じだ。
「違います」
私は言った。
警察が顔を上げる。
「クロエには、お母様を殺してまでお父様と結婚する理由がありません」
「理由がない?」
「当時、クロエにはお父様以外にも客がいました」
叔母様が横で私を見た。私は続ける。
「ある地方貴族から、愛人として迎えるための屋敷まで用意してもらえる話があったそうです。クロエ自身も、その話を受けて王都を離れるつもりだったと聞きました」
「その貴族とは?」
「……」
口を閉じる。
ルチアン辺境伯。名前は知っている。
でも、《銀月の大広間》で聞いた客の話を、私の判断で警察へ出していいのかわからなかった。
「誰です?」
「サロンの女主人から聞いた話です」
「名前は?」
「……必要なら、女主人に直接確認してください」
警察は少し眉をひそめた。
「わかりました。確認しましょう。――でも、その話だけでは、クロエ夫人の嫌疑を外す材料にはなりません」
私は膝の上で拳を握った。
わかっている。
――私が知ったことは、まだ一つ一つが小さい。
それでも、クロエが全部やったことにされていくのが、どうしても嫌だった。
◇◇◇
警察署を出ると、叔母様は深く息を吐いた。
「エラ」
「はい」
「もう、警察に任せなさい」
私は足を止めた。
「これ以上、あなたが父親や家の醜聞を掘り返す必要はないでしょう」
以前なら――そう言われれば、頷いたかもしれない。
お父様は亡くなった。
伯爵家もなくなった。
だったら、もう終わったことにすればいい。
でも。
「叔母様は、私を引き取れませんでした」
叔母様の顔が曇った。
「エラ、それは――」
「お父様は、私をヴァレンティン公爵へ渡そうとしていました」
「……」
「私は今、使用人として働いています」
私は叔母様を見た。
「でも、掃除も洗濯も裁縫も、帳簿も、買い物もできます。仕事をして、お給金をもらって、自分で暮らせています」
それを教えたのは。
「……あの家で、私がこの先どうやって生きていくのかまで考えていたのは、クロエだけだったのかもしれません」
「だからといって」
叔母様の声が少し強くなった。
「人を殺していいことにはならないわ」
「わかっています」
私はすぐに答えた。
「クロエがお父様を殺したなら、その罪は消えません」
胸が少し痛んだ。それでも、続ける。
「だから、本当にしたことだけで裁かれてほしいんです」
叔母様は何も言わなかった。
「していないことまで、クロエの罪にしてほしくない」
叔母様はしばらく私を見ていた。
それから、疲れたように目を伏せた。
「……あなた、変わったわね」
「そうですか?」
「ええ」
叔母様はそれ以上言わなかった。




