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【完結】私の髪を切った継母が、父を殺して消えました~“灰かぶりの少女”と“鼠”の新聞記者は、悪しき継母の過去を追う~  作者: 夏灯みかん
【第二章】"悪しき継母"の謎

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10. 金髪を切られた日

 外へ出ると、風が冷たかった。

 私は歩きながら、自分の髪を握った。


 お父様譲りの金色の髪。

 お母様の髪は茶色だった。

 お母様が『お父様そっくりの綺麗な髪ね』と梳(と)かしてくれたこの髪は、私の自慢だった。


 ――だから、クロエに短く切られたときに、すごく悲しかった。

 お父様に『綺麗だな』と言われたとき、嬉しかった。

 お父様がようやく私を見てくれたと思った。

 ……私は、やっぱり、お父様の娘だって。


 でも――お父様は……あの人は何を見ていたの?


 娘? それとも――

 ……公爵への見返り?


「……」


 吐き気がして、涙がにじんだ。


 グレイ家へ戻るころには、日はもう傾いていた。

 玄関の扉を開ける。


 明るい家。磨かれた床。

 ――いつも通りの匂い。

 少しだけ、息ができるようになった。


「エラ。お帰りなさい。叔母様の家はどうだった?」


 私を迎えてくれたヘレン奥様は、私の顔を覗き込んで目を見開いた。

 私は慌てて俯いて顔を隠した。

 涙はぬぐったつもりだったけれど、きっとひどい顔をしていただろう。


「……特に、問題ございませんでした……」


 そう言うと、夫人は少し黙ってから、リジーを呼んだ。


「リジー。少し休んでお茶にしましょうか。準備をお願いできる? 昨日、お土産でもらったお菓子があるでしょう。あれをみんなで食べない?」


「はい!」


 リジーは元気よく返事をして、それから私に小声で話しかけた。


「とっても美味しそうな焼き菓子よ。……私のぶんもエラが食べていいよ」


「え?」


 顔を上げると、リジーは私の頭をぽんぽんとたたいた。


「……ダイエット中だから」


「そう言うなら……本当にあなたの分……全部食べるわよ」


 リジーは「え」という顔をした。


「さすがお嬢様育ち……遠慮がない……。そこは、『ありがとう、半分こね』とか……」


「くれるって言うなら、食べるわよ」


 私はにっと笑ってリジーを見つめた。


 ……ここには、私の居場所がある。


 私は自分の手を見た。

 暖炉を掃除できる。

 洗濯もできる。服も縫える。帳簿も読める。

 ――今は、自分でお金を稼いでいる。


 私がそうできるように教え込んだのは――クロエだった。


 そして、お父様は……私を金の代わりに、老公爵へ渡そうとしていた。


 私はぎゅっと拳を握った。

 それでもまだ、お父様を信じたい気持ちが、胸のどこかに残っていた。


 だからこそ。


 知りたいと思った。

 父が、本当はどんな人だったのか。

 クロエはどうして、父を殺して逃げているのか。

 もう、目を逸らしたままではいられなかった。


 ◇◇◇


 ――その夜、仕事を終えて部屋へ戻ると、私は衣装箱の奥から日記帳を取り出した。


 お母様がくれた大切な日記帳。

 何度も読み返したせいで、表紙の角は少し擦れている。


 ベッドに腰掛け、膝の上で頁をめくった。


 ――八歳。


 お母様が亡くなった。

 そのあと、クロエが屋敷へ来た。


 ――九歳。

 使用人が減った。

 家庭教師がいなくなり、クロエが勉強を見るようになった。


 ――十歳。

 私は、暖炉掃除や洗濯までやらされるようになった。


 そして――。


 指が止まった。


『冬。クロエに髪を切られた。肩より上まで短くされた。ひどい。せっかく伸ばしていたのに。お母様も、この髪が綺麗だと言ってくれていたのに』


 当時の自分の文字が、今にも泣き出しそうな勢いで並んでいた。


 あの日のことは、今でも覚えている。


 ◇◇◇


『座りなさい』


 クロエに呼ばれて、私は化粧台の前の椅子に座った。


「……何?」


『あんたの髪を切るわ』


「え?」


 鏡越しにクロエを見る。


 黒い髪を高く結い上げたクロエの手には、大きな鋏があった。


「嫌!」


 私はすぐに椅子から立ち上がった。


「切らない! せっかく伸ばしたのに!」


『座りなさい』


「嫌よ!」


 私は髪を両手で抱え込んだ。

 その頃の髪は、背中の真ん中くらいまで伸びていた。

 お母様が毎朝梳かしてくれた髪。


『お父様そっくりの綺麗な金髪ね』


 そう言って、お母様が何度も褒めてくれた私の髪。


 それを、切るなんて。

 ――そう思った。


『邪魔でしょう』


「邪魔じゃない!」


『手入れにも時間がかかるわ』


「自分でやる!」


『まだ十歳のくせに』


「できるわ!」


 私は泣きながら抵抗した。


 けれど、クロエは聞かなかった。

 マーサに椅子へ座らされ、クロエが私の髪をまとめる。

 耳元で、ざくり、と鋏の音がした。


 床に金色の髪が落ちた。


「やだ……!」


 涙が溢れた。


 けれど、クロエは手を止めない。


 ざくり。ざくり。ざくり。

 大切に伸ばしていた髪が、どんどん短くなっていく。


『……髪なんて、また伸びるわ』


 クロエは鋏を置いて、呟いた。


「嫌い!」


 私は鏡の中のクロエを睨みつけた。


「クロエなんて、大嫌い!」


『そう』


 クロエの表情は変わらなかった。

 切り終えた髪は、顎くらいまでしかなかった。

 私は声を上げて泣いた。


 ◇◇◇


 頁の文字を指でなぞる。


 十歳。


 私はずっと、クロエが私の髪を妬んで、わざと切ったのだと思っていた。

 自分の真っ黒な髪とは違う、お父様譲りの金髪。

 お母様が褒めてくれた髪。

 ……だから、わざと台無しにしたのだと。


「……でも」


 私は顔を上げた。


 ヴァレンティン公爵が好むのは、若い金髪の少女。

 十四、十五歳ほどの娘。

 ……今の私と、同じくらい。

 でも、公爵がお父様と付き合い始めたのは、もっと前だったのかもしれない。

 借金を肩代わりし始めたのが一年前でも、それ以前から社交上の付き合いがあった可能性はある。


 私はさらに頁をめくった。


 ――十一歳。


『今年も舞踏会には行かせてもらえなかった。クロエは、まだ早いと言った。音楽会も駄目。お父様のお客様が来ても、私は部屋から出るなと言われた』


 ――十二歳。

『クロエにまた怒られた。お父様のお客様が来ていたから、挨拶をしようとしただけなのに。屋根裏から出るなと言われた』


 ――十三歳。

『お父様が知り合いの家へ連れていってくれると言ったのに、クロエが断った。私のことを人前に出したくないんだと思う』


 ――十四歳。


『お父様が、久しぶりに私を褒めてくれた。ずいぶん美人になったな、と言われた。髪も伸びた。お父様が髪飾りを買ってくれた。嬉しい』


 私は息を止めた。


 その次……


『クロエに髪飾りを取り上げられた。必要ない、と言われた。お父様はもっと外へ出た方がいいと言っているのに、クロエは駄目だと言う。やっぱり私が綺麗になるのが嫌なんだ』


 文字を追う手が震えた。


 この頃から、お父様が私の容姿を褒めるようになった。

 外へ出そうとするようになった。

 そしてクロエは以前より厳しく私を屋敷の奥へ押し込めた。


 父の客の前へ出るな。

 一人で外へ行くな。

 屋根裏の部屋には内側から鍵をかけろ。

 髪飾りは必要ない。

 私はずっと、クロエが私の成長を妬んでいるのだと思っていた。


 でも――もし、逆だったら?


 私はゆっくりと自分の髪に触れた。

 十歳のとき、短く切られた金髪。

 十四歳になり、ようやく肩より下まで伸びた頃、お父様が急に私を褒め始めた。


 そして今、私は知っている。

 ヴァレンティン公爵は、若い金髪の少女を好む。


「……クロエ」


 声が震えた。

 あの人は、私を醜くしたかったんじゃない。

 目立たなくしたかった?


 私を人前に出したくなかったのではなく――。

 誰かに見つけられないようにしていた?


 ……そこまで考えた瞬間、背筋が寒くなった。


 ヴァレンティン公爵。


 六十五歳の大貴族。

 お父様の借金を肩代わりしていた男。

 十四、十五歳ほどの金髪の少女を好むという男。

 そして、その公爵へ私を渡そうとしていたお父様。


 クロエは――。


「公爵のことを、知っていた……?」


 私は日記を閉じた。


 知らなければ、こんなことをするだろうか。

 金髪を切る。

 社交の場へ出さない。

 父の客から遠ざける。

 屋根裏の一番奥へ部屋を移し、内側から鍵をかけられるようにする。


 そのすべてが、同じ方向を向いているように思えた。


 私は立ち上がった。


 部屋の小さな鏡に、自分の姿が映っている。

 伸びてきた金色の髪。

 昔の私は、この髪が自慢だった。

 長く伸ばして、綺麗なドレスを着て、舞踏会へ行きたかった。

 王子様のような人に見初められることだって、夢見たことがある。


 でも。


 あのままいけば、私を待っていたのは、王子様ではなかった。

 六十五歳の公爵だった。

 そして、その“王子様”から私を隠していたのは――。


「……”悪い継母(ステップモンスター)”」


 新聞の見出しに書かれた、クロエの呼び名を自分で口にして、胸が苦しくなった。


 ずっとそう思っていた。

 お母様の場所を奪った女。

 私を使用人のように働かせ、髪を切り、社交界から遠ざけた女。


 でも、その一つ一つに別の意味があったのだとしたら。


 悪い継母だと思っていた人が、私を守っていたのだとしたら。

 では、どうして。

 どうしてクロエは、ヴァレンティン公爵がどんな男なのか知っていたのだろう。


 私はもう一度、日記を開いた。


 クロエについて、最近知った事実を書き並べる。


 高級娼婦。

 社交界でも名の知られた女。

 貴族や富裕層を相手にしていた。


 そこまで考えて、手が止まった。


「……まさか」


 ヴァレンティン公爵も、クロエの客だった?


 まだ、何の証拠もない。

 ただの想像だ。

 それでも、一度浮かんだ疑問は消えなかった。


 私は日記を閉じ、胸に抱えた。


 クロエのことを、もっと調べなければならない。

 あの人がどこで育ち、誰と知り合い、どうしてお父様と結婚したのか。

 そして――なぜ、私を守ろうとしたのか。


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