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月影のスナイパー ~報われぬ愛を、君に幸福に捧ぐ~  作者: 最後に残った形


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第2章 第3話:鏡面因果の迷路と、影のハッカー


 地下迷宮『奈落のあぎと』。

 王都の遥か地下深くに突如として口を開けたその大穴は、ただの洞窟ではなかった。壁面全体が、鈍い不気味な光を放つ漆黒の結晶体で覆われており、侵入した生命体の精神をジワジワと削る、悍ましい魔力の波動が満ち満ちている。


「ここが……レイハルト様を呑み込んだ迷宮」


 深いフードの奥から、セリアは手にした聖印の明かりで周囲を照らしながら、警戒混じりの声を漏らした。

「元聖女セリアが救出に向かう」という報に、王都の防衛本部は狂喜乱舞し、数万の民衆が彼女に祈りを捧げて送り出してくれた。だが、今彼女のすぐ隣を歩いているのは、立派な聖騎士たちではない。泥臭い斥候の衣服に身を包み、感覚を失ったはずの右腕を静かに揺らす青年――エイルだった。


「気をつけて、セリア。ここから先は、ただの物理的な空間じゃない。世界のシステムそのものが捩じ曲げられている」


 エイルは右手首に巻かれた焦げた緋色のリボンを、左の指先でそっとなぞった。

 彼の体内には、セリアの愛の祈りによって目覚めた、全く新しい『聖なる影の魔力』が脈打っている。全盛期のような三千ヤードの超長距離狙撃はまだできない。だが、その代わりに彼の指先に宿ったのは、空間のバグを見抜き、敵の術式そのものを裏から書き換えるという、異次元の「解体能力」だった。


 二人が迷宮の第二層へと足を踏み入れた、その瞬間だった。


 ゴゴゴゴゴ……! と、不快な地鳴りと共に、周囲の景色が一変した。

 漆黒の結晶体だった壁面が、まるで磨き上げられた巨大な鏡のように滑らかな輝きを帯び始め、幾重にも重なる「鏡の迷路」へと変貌したのだ。鏡の中には、無数のエイルとセリアの姿が歪んで映し出されている。


「な……、これ、空間が無限に繋がっているわ!? どっちを向いても、自分の姿しか見えない……!」

「これこそが、レイハルトの精神をへし折った最初の罠――『鏡面因果の迷路』だ」


 エイルは冷徹なスナイパーの瞳で、無数に広がる鏡の壁を凝視した。


「この迷路は、侵入者が放った攻撃の『威力』と『因果』を100%吸収し、そのまま正面から反射する術式が組まれている。レイハルトがあの真っ直ぐな光の聖剣を全力で振り下ろした瞬間、この鏡のシステムは、その聖剣の威力を完全にコピーして、レイハルト自身へと叩き返したんだ。あいつは、自分の強さそのものにハメられて負けたのさ」


「なんて悪趣味な罠……! だったら、私たちが攻撃を仕掛けても、全部自分たちに返ってくるのね?」

「普通の方法(物理や魔術)で壊そうとすれば、ね。……だけど、どんなに完璧に見えるシステムにも、それを作った設計者の『癖』と『バグ』が必ず存在する」


 エイルは不敵に唇を吊り上げると、ゆっくりと鏡の壁の一面へと近づき、動かないはずの右手の指先を、その表面へとそっと触れさせた。


「セリア、魔力の同期をお願い。奴の術式の『コード』を読み解く」

「ええ、任せて!」


 セリアがエイルの右肩に手を置くと、純粋な聖女の魔力がエイルの体内へとダイレクトに流れ込む。

 エイルの右指から、漆黒と純白の混ざり合った極細の魔力糸――『影のハッキング・コード』が放たれ、鏡の表面を透過して、迷宮の術式回路の奥深くへと侵入していった。


 エイルの脳内に、凄まじい速度で敵の構築した魔法幾何学の数式が流れ込んでくる。

 並の魔術師であれば、その情報量の多さに脳が焼き切れて発狂するだろう。だが、数万通りの弾道計算をミリ単位で処理してきたエイルの超演算脳にとっては、この程度の術式、ただの「出来の悪いバグだらけのプログラム」に過ぎなかった。


「……見つけた。この『反射の理』を維持している大元のサーバー(術式の核)は、この鏡の裏じゃない。俺たちが三歩前に通り過ぎた、あの床のひび割れの『影の隙間』に隠されている」


「えっ!? 鏡の罠なのに、核は床の影にあるの?」

「術者を守るための偽装さ。……だけど、俺の目は誤魔化せない」


 エイルは左手で、腰のポーチから一振りの、何の変哲もない小さな鉄の短剣を取り出した。

 彼は全盛期のような弓は引けない。だが、至近距離での「罠の設置」と「因果の書き換え」において、今の彼は全盛期以上のバグフィクサー(解体屋)だった。


 エイルは短剣の刃に、自らの黒白の魔力糸を巻き付け、それを先ほど指摘した床のひび割れへと、無造作に突き刺した。

 直後、エイルは短剣の柄を左指でパチンと弾く。


「術式反転――『影の書き換え(システム・ハック)』」


 パシィィィィン!!! と、迷宮の奥深くで、何かが激しくバグを起こしたような奇妙な電子音が響いた。

 エイルが放った魔力糸は、敵の術式の核を破壊したのではなかった。あろうことか、その『100%反射する』という因果の法則をハッキングし、**「反射の対象を、迷宮内の魔獣(敵自身)へと書き換える」**という、恐るべき改竄かいざんを施したのだ。


 その直後、鏡の迷路の奥から、彼らの侵入を察知した迷宮の守護魔獣――鋼鉄の皮膚を持つ巨大な『鏡像の邪狼じゃろう』の群れが、牙を剥いて一斉に飛びかかってきた。


「エイル、敵よ!」

「動かなくていいよ、セリア。……奴らに、自分たちの作った最高のシステムを味わせ(プレゼントし)てやろう」


 エイルはセリアを左腕で優しく引き寄せ、一歩も動かずに迫り来る邪狼たちを冷徹に見つめた。

 邪狼たちがエイルたちを噛み砕こうと、強力な魔術の衝撃波を放った、その瞬間――。


 ズガァァァァァン!!!


「ギガァァァァァ――ッ!?」


 邪狼たちが放ったはずの必殺の衝撃波は、エイルたちの手前で空間ごとグニャリと反転し、あろうことか、放った本人である邪狼たちの脳面へと、120%の威力に増幅されて直撃したのだ。

 自らの放った超高火力の魔術を真正面から浴びた邪狼たちは、何が起きたのかすら理解できぬまま、自らの肉体を木っ端微塵に爆砕させて果てていった。


 残されたのは、崩壊した魔獣の残骸と、システムがバグを起こして粉々に砕け散り、元の薄暗い漆黒の結晶へと戻った洞窟の景色だけだった。


「凄い……っ! 攻撃を一切せずに、敵の仕掛けた罠の理屈そのものをひっくり返して、自滅させるなんて……っ!」


 セリアは琥珀色の瞳を輝かせ、興奮した様子でエイルを見上げた。

 一年前までは、遠くから見守るスナイパーだったエイル。だが、今の彼は、すぐ隣で、自分と共に戦う、世界で最も頼もしい「影の支配者」だった。


「あいつ(虚無の王)の戦術は分かったよ。力任せに戦う光の英雄にとっては天敵だけど、俺みたいな裏方にとっては、突っ込みどころ満載のザルなシステムだ」


 エイルはフードを深く被り直し、折れた聖剣の持ち主がいるはずの、迷宮のさらに奥深くへと視線を向けた。


「待ってろよ、レイハルト。お前をハメたその小賢しいオモチャ、俺たちが全部スクラップにしてやるからな」


 息の合った最高の相棒セリアと共に、エイルは静かに、しかし確実な足取りで、絶望の迷宮のさらに深淵へと歩みを進めるのだった。

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