残酷な世界
その頃、剣一とアリスの前には、漆黒の魔力を底なしの淵のように放つ混沌の神、カオスが立ちはだかっていた。
「くっ、分散されたか……! アリス、必ず二人でここから出るぞっ!」
「もちろんっ! あたしたちなら、どんな闇だって突き破れるでしょっ!」
二人の前方に佇むカオスは、愉悦に満ちた笑みを湛え、不気味な黒い仮面を弄んでいる。その余裕こそが、彼が冠する「神」の二つ名に相応しい絶大な実力を物語っていた。
「……黒頭巾よ。私を超えてもらわなければ困る。やるからには手は抜かん。その身に宿したお前らの真の力、見せてみろっ!」
「……お前に対して感謝を抱くべきかは分からない。だが、今の俺があるのは事実だ。敵として出会いたくはなかったが……仕方ない」
剣一は愛剣を深く握り締め、静かに闘気を練り上げる。
「俺たちのすべてを以て、討たせてもらうッ!」
「──限界突破Ⅲ(トリプル)、『魔人』」
剣一の全身から、暴風のごとき紫色の魔力が噴出した。それは周囲の物質を霧散させるほどの魔力の奔流。深く被ったフードの奥では、紫色の眼光が冷徹な捕食者のようにぎらついている。大気を震わせ、その手に具現化されたのは、これまでの剣とは一線を画す、禍々しくも美しい漆黒の大剣だった。
アリスも呼応するように、身体の内側から溢れ出す高熱の魔力を爆発させる。
「──限界突破Ⅱ(ダブル)、『不死鳥の憤怒』ッ!」
彼女の魔装が、激しい焔と蒼炎が渦巻く不死鳥の羽を模したミニドレスへと瞬時に変貌する。右手に蒼炎を、左手には烈火を纏ったウェディンググローブのような物が生成され、脚元には炎を象った真紅のニーハイブーツが輝きを放った。
右眼は紅蓮、左眼は氷蒼。オッドアイとなった彼女の背後には、右翼に蒼炎、左翼には烈火の翼が展開され、カオスが展開した闇のフィールドを焼き尽くさんばかりの熱波が渦巻く。
静寂と轟音。剣一とアリスの双撃が、今、闇の王へと叩き込まれる。
「アリスッ!!!」
「剣一ッ!!!」
剣一が正面から雷光の如き斬撃を畳み掛けると、アリスはその呼吸に合わせるようにカオスの背後へと回り込み、炎の連打を叩き込もうとする。完璧な挟撃――誰もがそう確信した瞬間だった。
カオスは振り返ることもなく、自身の影をぬらりと具現化させた。その影が漆黒の魔力を練り上げて一本の剣を作り出し、アリスの攻撃を正確無比に迎撃する。
正面の本体は剣一の大剣を、背後の影はアリスの連撃を。常に背中合わせの状態を保ちながら、カオスは二人の猛攻を闇の魔力で以ていなしていく。
キンキンキンキンッ――!
閉鎖空間に、硬質な金属音と火花が幾重にも重なって響き渡る。カオスは無言のまま、二人の素早く重い一撃を、まるで踊るかのように最小限の動作で捌き続けた。
「流石に……神となると、ここまで強いのねっ……!」
アリスの額から汗が滴り落ちる。攻め込んでいるはずの自分たちが、まるでカオスの掌の上で転がされているかのような錯覚に陥る。
「やっと……ここまで来たんだっ……! こんなところで……絶対に勝つッ!!!」
剣一は喉の奥から血の味を噛み殺し、魔人化した魔力を限界まで絞り出す。その瞳に宿る紫の光が、憎悪ではなく、純粋な闘志として激しく明滅した。
神という名の障壁。二人は、その圧倒的な実力の前に、さらにその先へと踏み込もうとしていた。
「……強くなったな。だが、まだだ。私を超え、その向こう側へ辿り着けッ!!!」
カオスが剣を一閃させると、その衝撃波だけで拮抗していた剣一とアリスは弾き飛ばされ、地面を滑りながらも背中合わせで着地する。
「……アリス、俺たちなら超えられるよな。このカオスという名の神の壁を」
「当たり前じゃないっ! ……今まで、あたしたちが負けたことなんて一度もないんだから!」
「……だな」
剣一はアリスの肩を寄せ、戦場という極限の状況も忘れて、唇を重ねた。愛しい者の体温を確かめ、互いの魂を溶け合わせるような口付け。
「んんっ……! ちょ、ちょっとっ、こんなところで何してんのっ!」
顔を赤く染めながらも、アリスの瞳には迷いはない。
「アリス、お前と同調する。俺たちの絆をもっと洗練させ、高め合うんだ。……二人で、誰も見たことのない強さへ至るために。……上書きする予定だったなら、今がその時だ」
「……っ、もちろんっ! そんなこと言われなくたって、とっくに覚悟は出来てるから……! いくよ」
そしてまた唇を重ね、互いの魔力が混ざり合う。激しい吐息と共に、二人の魔力が境界線を失っていく。
「あ、ぁ……熱いっ。身体の内側が……剣一でいっぱいになるっ。剣一の魔力が、私の中に溶け込んでくる……っ!」
「俺もだ、アリス。俺のすべてに、お前がいる」
時間をかけ培ってきた愛。二人の輪郭が光に包まれ、互いの力と技術が溶け合って一つになる。
「……これが、完璧な同調ってやつなのね」
アリスが恍惚とした表情で呟く。剣一の瞳にアリスの鋭い観察眼が宿り、アリスの指先に剣一の峻烈な斬撃の極意が乗る。
「ああ、完璧だ。……負ける気がしないな」
剣一にはアリスの爆速と重撃が、アリスには剣一の俊敏さと切れ味が完全に還元される。二人は立ち上がり、かつてないほど濃密な魔力を放ちながら、改めてカオスを見据えた。
「行くぞ、カオス。俺たちの愛と絆は、貴様の闇など軽く凌駕する」
「……ごめんなさい。今のあたしたちなら、貴方に勝てる気しかしないわ」
カオスは薄く笑うと、黒い仮面の奥でその瞳を妖しく光らせた。
「……ほう。愛の力が魔力の底上げをしているというわけか。いいだろう、その高潔なる絆、この身をもって受けて立ってやる」
カオスが闇の魔力を全開放すると、拠点の重力さえも歪ませるほどの荒れ狂う漆黒のオーラが噴出した。
剣一とアリスは視線を交わし、不敵な笑みを浮かべて同時に大地を蹴る。先ほどとは比較にならない、熱気と殺意を纏った二人の猛攻が、神の障壁へと叩き込まれた。
「──『蒼魔疾風黒閃斬』ッ!!!」
「──『魔人蒼炎獄連撃』ッ!!!」
剣一の漆黒の魔力と、アリスの爆ぜる蒼炎が完全に融和し、極彩色の魔力の連撃がカオスを飲み込む。フィールド全体を揺るがす轟音が響き渡り、カオスが追い詰められて行く。
しかし──。
「──『黒翼深淵連斬』ッ!!!」
カオスの背中から四対の漆黒の翼が爆発的に出現し、その一振りが二人を真っ向から切り裂いた。
カオスと影は、二人の攻撃をいなすだけでなく、加速した翼でその上をいく加速を見せる。カオスたちは翼の反動を利用して瞬時に二人の懐へ飛び込み、闇で練り上げた黒翼の刃で、剣一とアリスを同時に両断せんと襲いかかった。
「なっ……!?」
「速いッ……!!」
防戦を強いられる二人。愛で高められた能力すらも、神の理が凌駕していく。しかし、二人の心は折れるどころか、さらにその高みへと、限界を超えた先へと突き進む。
「まだだ、ギアを上げて行くぞアリスッ!!!」
「うんっ! 任せてッ!!!」
刹那、二人の呼吸が完全に重なった。爆発的に速度が上がり、カオスの黒翼の猛攻を紙一重で捌き始める。徐々に防戦の均衡を破り、二人は苛烈な反撃を開始した。
『俺[あたし]たちはお前[あんた]を超えるッ!!!』
二人の声が重なり、カオスを挟撃する形で、かつてない強大な魔力を込めた一撃が放たれる。
「──『黒蒼魔焔剣[拳]』ッ!!!」
カオスは闇の障壁を展開し、その一撃を受け切ろうとした。しかし、直前で彼は気づく。二人の絆が生み出した力が、既に自身の想定、神の理すらも凌駕していることに。だが、防ぐ手立てはなく、既に遅かった。
「……っ!? ぐ、がはっ……」
アリスの渾身の拳がカオスの右腕を砕き、同時に剣一の魔剣が左腕と胸部の核を深々と貫いた。
神の体が崩れ、カオスは仰向けに倒れ込む。
やがて、戦場を覆っていた絶望の闇の帷が晴れ、瓦礫の隙間から温かな陽の光が差し込んだ。それと同時に、カオスの仮面に無数のヒビが入り、パキッと音を立てて砕け散る。
「なっ!? と、父さんっ! ……なぜ、父さんが、こんなことにっ……そんなっ……!」
仮面の下から現れた素顔を見て、剣一は絶叫した。彼は崩れ落ちる父親、天城剣ニの体を慌てて支える。
「……嘘……剣一のお父さんなの……?」
アリスも言葉を失い、魔装を解き駆け寄った。
「……剣一、すまない。俺と彩白がこの世界に来たときは、神々に反抗する者などおらず、酷い有様だった。そこで奴らと戦い、なんとか状況を変えようと思ったが……負けた。そこからの記憶はなかったんだが、お前らに会うと、なんだか胸騒ぎがしてな……」
剣二は、血を吐きながらも、息子を見つめる瞳にはかつての優しい光が戻っていた。
「ここには、お前たちを来させたくはなかった。だが、お前らと言えば一度決めれば意地でも来ようと止まらなかった……。だから、せめて俺の手でお前たちを強くしてやろうと体が動いたんだ……。……強くなったな、剣一。……そしてアリスちゃんも」
そこへ闇の帷が晴れたことにより、異変に気づいた真白とミーナが駆けつける。真白は彩白の遺品であるダイヤモンドの破片を握りしめていた。
「お父さんっ!! ずっと、ずっと会いたかったよ……!」
真白が彩白を看取った慟哭の涙を拭い、父の元へ泣き崩れる。
「真白も……大きくなったな……。すまない、二人を置いてきてしまって。ここに来て、二人に何か良い土産でも持って帰ってやろうと思ってたんだが……」
「そんなのっ……! ずっと一緒に暮らせれば、それだけで良かったのに……っ!」
「そうだな……。母さん……彩白にも、花恋ちゃんの両親にも、悪いことをした」
剣二の視線が、真白の手にある彩白のカケラへと向かい、悲しげに細められた。すべてを悟った顔で、彼は子供たちと、その仲間たちを見渡す。
「……剣一、真白、そしてお嬢さんたちも……。後は頼んだぞ……。お前たちなら、勝てる……。アリスちゃん、剣一のことよろしくな……。そしてここには、神々によって造られた、お前たちの模倣体が存在している……。カオスが消えた今、彼らもお前たちに力を貸してくれるはずだ……。神々を討ち、この世界に明るい未来を示す道を作ってくれ……お前たちと過ごした時間は幸せだった……」
そして、天城剣二は最後の力を振り絞って子供たちを抱きしめると、静かにバタリと息を引き取った。神という呪縛から解き放たれ、その顔は穏やかな一人の父親に戻っていた。
「父さんっ!!」
「お父さんっ!!」
剣一は父の遺志を受け継ぐかのように涙を堪え、真白は父の亡骸に縋り付いて慟哭した。アリスとミーナも、天城夫妻の壮絶な生き様と悲しい最期に、静かに涙を流していた。
「……必ず仇を取るぞ……真白。……お父さんと、お母さんの想い、無駄にはさせない……っ!」
「ぐすっ……うんっ……。絶対に、絶対に負けないっ……!!」
両親との残酷な再会と別れ。その悲しみを、神々への怒りと決意に変え、天城兄妹は固く拳を握りしめ、亡骸を弔い戦場を後にした。




