生の証明
剣一たちが満身創痍でアジトに辿り着くと、他のチームはすでに帰還していた。
出迎えた仲間たちの顔もまた、勝利の喜びとは程遠い、沈痛な面持ちに染まっている。
「お前たち、よく戻った。……再び全員が五体満足で帰還できたことは素晴らしい。だが、剣一……一体何があった。真白が何故、そんなに酷い状態なんだ」
バレットが低い声で問いかけ、剣一の背負う真白へと視線を落とした。その服は焼け焦げ、切り刻まれたような跡が残っている。彼女からは微かに禍々しい闇の残滓が漂っている。
「話すと長くなる。だが……今、起きたことのすべてを聞いてほしい」
重い口を開き、剣一は拠点でのロキの非道、月矢の死の真相、そして真白の身に起きた「反転」のすべてを共有した。語り終える頃には、アジト内は凍りつくような静寂に包まれていた。
「……そいつは、想像を絶する地獄だったな。だが剣一、自分を責めるな。お前が諦めなかったから、真白は『こっち側』に踏みとどまれたんだ。神の一角であるロキを討ち取ったのは大きな戦果だ。これで戦況は間違いなく変わる。神を喰らうのも、もはや夢物語じゃなくなってきた」
バレットは力強く剣一の肩を叩いたが、剣一の表情は晴れない。
「ああ。だが、今は真白の心と身体を治すのが先だ。兄でありながら、俺が側に付いていながら……あんなに苦しい思いをさせてしまった。すまない……まさかこんなことになるなんて……」
剣一は横たえられた真白の、包帯に巻かれた小さな手を見つめ、静かに、しかし激しい後悔と共に拳を握りしめた。
「……起こってしまったことは、もう変えられないわ。あれだけの現実を突きつけられて、真白ちゃんが壊れそうになったのも、私たちが守りきれなかったのも、全部ひっくるめて『仕方のないこと』なのよ」
シロミが静かに、冷徹な、けれど慈しみのある声で語りかけた。同じように闇を抱え、大魔王の力を宿す彼女だからこそ、その言葉には重みがあった。
「剣一、色々と思うところはあるだろうけど、立ち止まっている暇はないわ。今、私たちにできることをする。それ以外に真白ちゃんやみんなを救う道はないのよ」
シロミの冷徹なまでに正しい指摘に、剣一は小さく息を吐いた。そこへ、ずっと複雑な表情で彼を見つめていたアリスが、意を決したように一歩踏み出す。
「……剣一、ちょっとこっちに来なさい。あんた、見てられないくらいボロボロじゃん。……ほら、一度だけハグしてあげるから、力を抜いてっ」
顔を真っ赤にしながらも、アリスは有無を言わせぬ勢いで両手を広げた。普段の凛とした彼女からは想像もつかない、不器用で強引な「姉貴分」としての優しさに、周囲の空気もわずかに和らぐ。
「さぁ、湿っぽいのはここまでだ! 野郎共、一度解散して休みを取るぞッ!」
バレットの豪快な声が、アジトの沈黙を打ち破った。
「次にいつ、何が起こるか分からねえ。戦いってのは、休める時にどれだけ身体を休められるかで決まるんだ。いいか、今は寝るのも食べるのも仕事だ。全員、休めるうちにしっかり休んでおけよッ!!」
バレットの叱咤を受け、仲間たちがそれぞれの想いを胸に休息へと散っていく中、アリスだけは剣一の元を離れられずにいた。
「……剣一。何度もごめんね、こんな時に」
アリスは真白の横で俯く剣一の隣に腰を下ろした。彼女の瞳には、先ほどまでの凛とした強さとは違う、ひどく繊細な揺らぎが浮かんでいる。
「真白を見ていて……本当に、次に会える保証なんてどこにもないんだって、改めて思い知らされたの。だから……こんなの、不謹慎だって分かっているけれど」
アリスは意を決したように、剣一の頬に手を添えて顔を寄せる。
戦火の匂いと、微かな冷たさの混じる唇。その口付けは短いものだったが、明日をも知れぬ命を抱える二人にとって、それはこの世界で最も切実な「生」の証明だった。
「……っ!?」
「……んっ……これで……少しは、息がつけるでしょ?」
アリスは真っ赤に染まった顔で少しだけ微笑み、剣一を見つめる。剣一は呆然としつつも、アリスの温もりを感じ、凍りついていた心がゆっくりと解けていくのを感じた。
「……ああ。ありがとう、アリス。……生きてるって、実感がわいたよ」
剣一はアリスを優しく、それでいて壊れ物を扱うように抱きしめる。戦場の静寂の中で、二人の鼓動だけが重なり合っていた。
そのときだった。微かな気配の変化に、二人は同時に硬直する。
「……お兄ちゃんたち……チューしてるの……見ちゃったよ?」
掠れた、けれど確かに聞き覚えのある声。
二人が慌てて振り返ると、そこには布団の上で上半身を起こした真白が、ぼんやりとこちらを眺めていた。
「ま、真白!? 大丈夫なのか、意識ははっきりしているのか!?」
「み、見てたの……!? 今の、全部……!?」
剣一は顔を真っ赤にして勢いよく立ち上がり、アリスもまた、弾かれたように距離をとって視線を彷徨わせる。先ほどまでの「死の淵」を感じさせた重苦しさはどこへやら、アリスの顔は先ほど以上に朱に染まっていた。
そんな二人をよそに、真白はきょとんとした顔で首を傾げる。
「……うん。見ちゃった。二人とも、顔が真っ赤だよ?」
「うっ……そ、それは……っ!」
剣一が弁解しようと言葉を詰まらせるのを、真白は少しだけ寂しげに、けれど優しい笑みで見つめ返した。
「……ごめんね、お兄ちゃん。心配かけちゃって。……でも、二人を見てたら、私、なんだか少しだけ安心したの」
真白がそう言って微笑むと、先ほどまでの「死神」の面影はどこにもなかった。その無邪気な一言に、剣一とアリスは互いに顔を見合わせ、ようやく大きく安堵の息を吐くのだった。
「真白ちゃんっ! 起きたのねっ!? 良かった……本当に良かったわ……っ!」
アリスに代わり、シロミが弾かれるようにして真白の元へ駆け寄る。その瞳には、今度こそ枯れることはないと思っていた涙が、再び大粒となって溢れていた。シロミは壊れ物を扱うように、ゆっくりと、けれど確かな温もりを込めて真白を抱きしめる。
「心配かけてごめんね。お姉ちゃん……」
真白の静かな謝罪に、シロミは首を何度も横に振った。
「いいのよ、そんなことは! もう二度と謝らないで。私はあなたがただ、こうして生きているだけで十分なのよっ……!」
シロミの胸に顔を埋める真白を、剣一とアリスは少し離れた場所から、安堵の表情で見守っていた。戦いの傷跡は深く、世界はまだ不穏な空気に包まれている。けれど、今この瞬間だけは、アジトの中に穏やかな時間が流れていた。




