混沌の思惑③
真白の前に立つ影は、慈愛に聞えるほどに穏やかな、真白自身の声で囁いた。
「ねえ、真白。あなたは『強くなりたい』なんて口では言っていても、本当は誰かに守られていたいだけじゃないの?」
「そんなことないっ……! お兄ちゃんやみんなの力になりたいって、本気で思ってる!」
「ううん、違うよ。あなたはお兄ちゃんやアリスちゃん、そしてお姉ちゃんに守られている現状が、居心地良くなっているだけ。そこへ新しい仲間も増えて、さらに安心しちゃってるんじゃない? 『自分は後ろで回復さえしていればいい』なんて、それは自分を信じることを放棄した、ただの甘えだよ」
図星を突かれ、真白の杖を持つ手が激しく震える。
守られる側の安寧に、無意識に縋っていた自分。傷ついた仲間を癒やすことで、自分の居場所を確保し、それ以上の「戦う責任」から逃げていたのではないか。影は容赦なく、その心の脆さを抉り続けた。
「……ぐすっ、そんなことないもんっ。私だって……私だって、強くなれるならなりたいよっ! みんなと肩を並べて、背中を預け合って戦いたいよっ! でも……っ、私は弱虫だから……っ! 怖いんだもんっ!」
真白の目から、大粒の涙が溢れ出した。白銀の世界に、彼女の悲痛な叫びが空虚に響く。
「怖いのは、あなただけじゃない。……だけど、その恐怖を抱えたまま、あなたは仲間に『守らせる』重荷を一生背負わせ続けるつもり?」
影が突きつける冷酷な事実に、真白は顔を上げた。涙で視界は滲んでいるが、その奥にある瞳には、今までになかった「拒絶」の光が宿り始めていた。
「……嫌だ。お荷物のままなんて、絶対に嫌っ! 私はお兄ちゃんたちを助けるんだから……お姉ちゃんを、守り返すんだからっ!!」
真白が涙を振り払い、叫ぶ。その決意に応えるように、影は穏やかな、どこか慈しむような笑みを浮かべた。
「いい表情になったね。おいで、本当の私。あなたのその強い願い、全てを受け止めてあげるよ」
「見ていて、私。私がみんなを守り、未来を切り拓くんだからっ!限界突破、聖霊王アマケシカ、純光の信愛っ!」
真白の身体から爆発的な白銀の光が溢れ出し、純白の世界をさらに白く染め上げる。
光が収まったそこには、聖霊王の加護を宿した神聖な「聖装」を纏い、右手にはレイピアを携えた真白の姿があった。それは慈悲深きヒーラーでありながら、邪悪を討つ気高き騎士の如き佇まいだった。
「四聖天刺閃ッ!!!」
真白は腰を深く落とし、レイピアを後方へ引き絞る。
木、土、炎、水――世界を構成する四つの属性魔法が、レイピアの先端一点へと凝縮され、虹色の輝きを放つ。放たれた一撃は、もはや剣筋ではなく「光の光線」そのものだった。
一直線に伸びる虹色の奔流が、空間を震わせながら、影の胸元へと伸びていった。
そして、シロミもまた、鏡写しの自分との対話に身を投じていた。
「魔族としての誇りは、どこへ捨てたの?」
影のシロミは、肌を刺すような冷徹な威圧感を放ち、傲然と立ち尽くしていた。
「……捨ててなどいないわ。私は魔族としての己を、誰よりも自負しているつもりよ」
「そうかしら? 今のあなたの頭の中は、真白のことばかり。他のことはすべて後回しになっているんじゃないかしら。真白への愛? 笑わせないで。それは愛という美名の下で腑抜け、牙を失った自分を正当化しているだけよ。牙のない魔族に、一体何が守れるというの?」
シロミは激情に駆られ、漆黒の魔力を爆発させる。しかし、影は眉一つ動かさず、その奔流を冷たくあしらった。
「その甘さが、いつか彼女を死なせる毒になる。あなたの愛は、彼女を救う盾ではなく、彼女の自由を奪い、成長を止める『鎖』なのよ」
「そ、そんなの嘘だわ……っ! 私が真白ちゃんを死なせる? 私が……彼女を縛っているというの……?」
シロミの声が、動揺で微かに震える。影はその隙を見逃さず、さらに深く言葉の刃を突き立てた。
「自覚しなさい。彼女を甘やかすということは、彼女の成長を止め、彼女を守る自分に酔っているということじゃないかしら。あなたは今、慈愛の仮面を被りながら、自分と彼女……二つの命を無碍にしようとしているのよ。その軟弱な精神のままでは、真白は神の慈悲なき力に焼き尽くされるわ。――それはあなたが殺したも同然ではないかしら?」
「そんな……私は、愛するが故に酷いことをしてしまっていたのね……」
シロミが唇を噛み、愕然と自らを見つめ直す。影は静かに、だが重みのある言葉を重ねた。
「貴女たちの愛は強いわ。でも、裏を返せばそこが致命的な弱さになることもある。しっかりしなさい、私。今この瞬間も、魔族だけでなく多くの種族が神の手によって同じ悲劇に見舞われているのよ。貴女たちはもう、自分たちだけの命で戦っているのではない。散っていった者たちの遺志を、その背に負っているの。ここから先は、一寸の甘えも許されない命の取り合いよ。――さあ、すべての仇を討つのよ、シロミ」
「……ええ。そうね。私がしっかりしなくちゃダメよね。真白ちゃん成分は生きるために必要だけど……甘やかしすぎるのは、もうおしまい。私は、真白ちゃんと仲間たちを守るために、必ず神をこの手で葬り去るわ!」
「ふふっ。それでこそ魔族のシロミよ。真白ちゃんや世界のために、その覚悟……全力でぶつけてきなさい!」
シロミは天を仰ぎ、内なる深淵をすべて解き放った。
「わかったわ。いくわよっ!限界突破、大魔王憑依ッ!!!」
漆黒の角が鋭く、長く天を突き、悪魔の翼が展開された。細くしなやかな尻尾が生え、その先端がハートの形へと変化し、戦場を渇望するように脈打つ。魔王の風格を纏った身体は一回り大きく、より肉感的かつ力強く変貌を遂げた。
「いくわよっ!深淵の連拳ッ!!!」
シロミが指を影へと向けると、影を取り囲む四方八方の空間に「深淵の門」が出現した。そこから溢れ出した無数の闇の剛腕が、標的を粉砕せんと全方位から怒涛の連撃を叩き込んだ。
ツキノは最初、いつものように楽観的な態度で影と対峙していた。しかし、影から放たれた言葉は、彼女の心の防壁を容易く貫いた。
「ツキノ……君のその足は、一体何のためにあるんだぞ?」
「……っ、ぐっ」
影のツキノは、実体のない冷たい風のように、一瞬で彼女の背後へと回り込む。
「隠密、偵察……聞こえはいいけど、結局は『一番先に逃げ出すため』に磨いた技術なんだぞ。最悪の事態を想定するフリをして、君は常に自分が傷つかないための逃げ道ばかりを探しているんだぞ。その臆病な心が、決定的な一歩を踏み出せない原因なんだぞっ!」
逃げの選択肢を捨てきれない、弱気な自分。ツキノは自身の「足」が、誇りのためではなく、死への恐怖から逃れるために動いていたという事実を突きつけられ、崩れ落ちそうになる。しかし、彼女は震える膝に力を込め、真っ直ぐに自分を見つめ返した。
「……確かに、これまでは生き残るために脚を磨いてきたんだぞ。命さえあれば、いつか勝機があると思ってたんだぞ。でも、そんな『いつか』を待っている間に、多くの同胞や仲間が散っていったんだぞ……。これからは逃げるためじゃなく、仲間の未来を勝ち取るために、この脚を攻撃へと振り切らなきゃ神になんて勝てないんだぞっ!」
「そうなんだぞっ。これからはツキノ、君がその命を武器に変えて戦うんだぞっ!」
「絶対に神を倒すんだぞっ! この命が尽きようとも、必ず未来を手にするんだぞっ! ――いくんだぞっ! 限界突破、疾風迅雷ッ!!!」
ツキノの魔靴が荒れ狂う暴風を纏い、その周囲には激しい雷光が蠢き始める。逃げるための速度は、今、敵を穿つための絶対的な破壊力へと変換された。
「――風如雷走連脚ッ!!!」
風の如き神速で影の懐へと潜り込み、雷の如き重い一撃を、残像すら見せぬ連続蹴りとして叩き込む。純白の世界に、雷鳴のような打撃音が絶え間なく響き渡った。
白銀の静寂の中、ルミナは自分と全く同じ、無機質な瞳をした影と見つめ合っていた。
「感情を殺し、心を凍らせれば……それで傷つかずに済むと思ってる?」
影のルミナは、感情の欠片もない声で自分自身を見据える。
「言葉を飲み込み、仲間との間に見えない線を引く。それは冷静さなどではなく、他人を信じられない臆病さの現れ。あなたが心を開かない限り、その魔術に真の熱が宿ることはない……。あなたはただ、孤独という名の氷の檻の中に、自分を閉じ込めているだけ」
思ったことを口に出さず、すべてを自分一人で完結させようとするエゴ。感情を排したそのスタイルこそが、自らの限界を作っていたのだと、影はルミナの心の壁を粉々に砕こうとしていた。
「……私は、ずっとツキノと二人だけで生きてきた。誰かに想いを伝える術を知らず、言葉にすることを諦めていたのかもしれない。……仲間を、無意識に遠ざけていたことも認める」
ルミナは静かに目を伏せ、自らの内にあった「拒絶」を見つめ直した。
「でも……このままではいけない。仲間が私を知らないのは、私が心を開かなかったから。線引きをしていたのは、私の方だった」
「そう。今は仲間と手を取り合い、神を討たねばならない時。あなたたちは強い。けれど、独りで届く距離には限界がある。皆、同じ痛みを抱え、同じ空を目指して肩を並べている……。仲間を信じ、また仲間からも信じられる。そんな、熱を持ったあなたが見たい」
「……わかった。散っていった同胞のためにも。そして、私を受け入れてくれた仲間のためにも。私は、私の想いをすべて魔力に乗せて戦う。――今から、あなたに私のすべてをぶつけさせてもらう」
影は微かに口角を上げ、静かに得物を構えた。
「きて。私を倒し……その熱で、心の氷の壁を溶かし、神をも凍りつけるような強さを手に入れて」
影は静かに、だが確かな期待を込めてルミナを見つめた。ルミナは静かに息を吐き、自らの内側に眠る、冷たくも熱い感情を一気に開放する。
「――限界突破、氷の女王」
刹那、純白の世界に絶対零度の吹雪が吹き荒れた。
ルミナの頭上には、自らの魂の純度を象徴するような「氷の王冠」が戴かれ、背には透き通るような白銀の「氷のマント」が翻る。その右手には、万物を凍土へと変える一振りの氷の長槍が生成されていた。
「――氷華輪月ッ!!!」
ルミナが氷の槍を天高く掲げると、彼女の周囲に満月を模したサークル状の鋭利な氷が幾重にも生成された。それは月明かりのような冷徹な輝きを放ちながら、ルミナの意志に応えて生き物のように影へと殺到する。
追尾する月輪の刃は、逃げ場を塞ぐように影を追い詰め、絶対零度の衝撃と共にその存在を凍てつく光の中へと呑み込んでいった。




