混沌の思惑②
バレットは、これまで経験したことのない超常的な事態に驚愕を隠せなかった。しかし、同時に「さらなる高みへ至る」というカオスの言葉を聞き、その血は熱く昂っていた。
「あいつは一体何者なんだ……。いきなり現れたかと思えば、勝手なことばかり抜かしやがって。敵なのか味方なのか、まるで見当もつかねぇ。……だが、チッ。御託を並べる前に、まずは『俺』がお出ましってわけか」
純白の世界に揺らめく影が、バレットの姿を正確に模り、不敵な笑みを浮かべる。
「よぉ、俺。てめぇは今の自分に満足しているのか? 牙を剥き、吠え続けてはいるが、未だ神の一匹すら仕留められちゃいねぇ。……無様に散っていった同胞たちも、そんな腑抜けた背中じゃ報われねぇだろうよ」
「――んなこたぁ、百も承知なんだよ。わざわざ俺の口を使って、耳の痛いことを言いやがって」
バレットは低く唸り、影を睨みつける。その瞳には、焦燥を焼き尽くすほどの闘志が宿っていた。
「いいから、さっさとその力を寄越しやがれ。てめぇをぶちのめせば、その先へ行けるんだろ?」
「ほう。そうこなくっちゃな。てめぇとは話が早くて助かる。……いいぜ、俺を倒してみろ。そうすりゃ、てめぇの牙は『神』の喉元をも食い破る、更なる凶器へと昇華されるだろうよ!」
影が漆黒の魔圧を爆発させると同時に、バレットもまた、自身の限界を力ずくでこじ開けた。
「ふっ、いいじゃねえか……上等だ! なら、遠慮なくいかせてもらうぜっ!――限界突破ッ!!! 」
咆哮と共に、普段のバレットとは打って変わり、体中から漆黒のオーラが溢れ出す。全身の毛は鋼のように逆立ち、両手足の爪は数倍の長さに伸長。その先端は、触れるものすべてを切り裂くほど鋭利に研ぎ澄まされた。
それは、理性で抑え込んでいた獣の野生を、純粋な戦闘力へと転換した姿だった。
「――鋭爪連斬撃ッ!!!」
空気を切り裂く轟音と共に、バレットの両手が閃光となる。放たれた無数の爪の斬撃が、真空の刃となって影へと殺到した。
一方で、ミーナもまた、鏡合わせのような自分自身と対面していた。
「わ、私と……まったく同じ姿形をしていますっ!」
驚きに耳を震わせるミーナに対し、影は冷淡な瞳で彼女を見据えた。
「私はあなた。あなたの弱さそのもの。……ねえ、ミーナ。あなたはリーダーのバレットや、強くて優しい仲間たちが傍にいることで、どこか安心していませんか? 神は一人も減っていないというのに、守られている現状に甘んじて、随分と余裕なんですね」
「そ、そんなっ! 私は皆さんみたいに強くはありません。それでも、自分に出来ることは精一杯しているつもりですっ!」
ミーナは必死に反論するが、影の言葉はさらに鋭く彼女の核心を突く。
「……あなたのそういう『逃げ』がダメなんです。自分に自信がないことを言い訳にして、結局は誰かに依存している。神を討つ戦いに身を置く以上、あなたは自分の力を信じ、自立しなければならないのに。いいですか、戦場では自分の身は自分で守るのが鉄則です。……それに、誰もが常に強いわけじゃない。もし、仲間が傷つき、弱ったとき、今のあなたに何ができますか? 彼らを助ける力が、あなたにありますか?」
「……っ。……う、ううっ。……な、何も……出来ないかもしれませんっ」
突きつけられた残酷な事実に、ミーナの声が震える。俯く彼女に対し、影は叱咤するように声を張り上げた。
「そう、今のままではあなたはただの足手まといです! 仲間に頼るだけでは、いつか彼らを死なせてしまう! あなたも頼られる側に立ちなさい。誰かを守りたいと願うなら、まず自分自身の力を信じ、強く、気高く羽ばたくんです!」
「……っ!!」
ミーナは顔を上げ、涙を拭った。震えていた脚に力を込め、自らの魔力を練り上げる。
「……わかりました。私、もう逃げませんっ。私は強くなります! 誰かに守られるだけの私じゃなく……みんなに頼られる、みんなを守れる戦士になるためにっ!」
「いい心意気です。さぁ、その決意が本物か、自身を超えて証明しなさい! 私を倒し、真の戦士へと至るのです!」
影が鋭い咆哮と共に魔力を高める。ミーナもまた、自らの魂の奥底に眠る「獣の誇り」を呼び覚ました。
「はい! ……では、いきますっ! ――限界突破ッ!!!」
ミーナの体内から、神々しいまでの黄金の魔力が溢れ出した。
その瞬間、彼女の纏う空気が一変する。潤んでいた瞳には鋭い冷徹な光が宿り、柔らかな面差しは凛々しい戦士のそれへと変貌した。指先からは鋼を断つほどに鋭い爪が伸び、小柄だった身体はしなやかな筋肉を帯びて一回り大きく成長する。
ミーナの真骨頂は、その野生を活かした肉弾戦にある。
彼女は両手を地につけ、獣のように低く構える戦闘態勢をとった。すると、彼女の背後で黄金に輝く尻尾が爆発的に増殖し、伝説の霊獣をも凌駕する「十本の尾」が扇状に展開される。
「――狐尾無限連弾ッ!!」
地を蹴る音さえ置き去りにする速度で、ミーナが影へと肉薄した。
鋭い爪による斬撃と重い回し蹴り。それら肉体の打撃の合間を縫うように、意志を持つかのように動く十本の尻尾が猛威を振るう。
先端を魔力でダイヤモンドのように硬質化させた十尾の槍が、全方位から逃げ場のない「無限の突き」となって、標的を容赦なく穿ち続けた。
思い詰めた顔でリリアもまた、静寂に包まれた純白の世界で自身と向かい合っていた。
「……貴様は、私なんだろう。ならば分かっているはずだ。私には立ち止まっている時間などない。一刻も早く強くなり、神を倒して妹を……エレナを助け出さねばならないんだ!」
焦燥感に駆られ、雷槍を強く握りしめるリリア。しかし、目の前の影は戦う素振りを見せず、ただ悲しげに、そして慈しむような眼差しで彼女を見つめていた。
「……焦らなくていい。貴様はもう、独りじゃない。周りをよく見ろ。あのアジトで貴様を迎え入れた者たちは、皆同じ地平を見つめ、共に歩もうとしている」
「何が仲間だ……。私は今まで、誰の手も借りずに……っ」
「もう独りで悩み、全てを背負い込む必要はない。貴様はこれまで、たった独りで十分すぎるほどに頑張ってきた。……それに気づくべきだ。エレナだって、貴様が自分のためだけに人生のすべてを使い果たし、心を擦り減らすことを望んでいると思うか?」
影の言葉は、氷のように冷えていたリリアの心に、熱い火を灯すように浸透していく。
「しかし……私は、他者と時間を共有し、心を交わす術など知らない。戦い以外に何があるというのだ……」
「……いや、知っているはずだ。エレナと過ごした、あの穏やかで温かな時間を。何も難しいことはない。妹を慈しんだその心で、仲間たちを信じてみるんだ。そうすれば、独りでは決して届かなかった『高み』へ、彼らと共に至ることができるはずだ」
リリアの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。影はそっと微笑み、自らの雷槍を天に掲げる。
「さあ、過去の孤独を脱ぎ捨てろ。貴様の真の力――仲間への信頼を乗せた力を、私に見せてみろ!」
「……ああ。そうだな。私はもう……独りじゃない。いくぞ、私! ――限界突破、雷神化ッ!!!」
叫びと共に、リリアの魔力が極限まで励起する。
彼女の両頬には、古の契約を思わせる鮮烈な雷の刻印が浮かび上がり、その身体は神聖な魔力で織り成された「雷の天衣」に包まれた。握りしめた雷槍は、もはや形を保つのがやっとと言わんばかりに、暴虐なまでの放電を繰り返し、周囲の空気をパチパチと焼き焦がしていく。
「――雷昇電竜ッ!!!」
リリアが眼前の影を見据え、雷槍を力任せに純白の地面へと突き立てた。
刹那、地鳴りとともに彼女を中心とした全方位から、漆黒を帯びた雷光の竜が幾重にも這い出した。それらは猛り狂う咆哮を上げながら、下から上へと光速で螺旋を描き、天を貫く巨大な光柱となって純白の世界を黄金に染め上げたのだった。




