黒狼の牙軍
「……くっ、これじゃあ目立ちすぎるな」
街の至る所を白いローブの監視兵が闊歩し、その周囲には感情を失った人々が歯車の一部のように蠢いている。派手に動けば大量の市民を巻き込み、泥沼の乱戦になりかねない。四人は慎重に視線を避けながら、湿った鉄の匂いが漂う薄暗い路地裏へと身を潜めていた。
「このままじゃ立ち往生だ……。どう動くか、一度整理しよう」
剣一が被っているフードに手をかけたまま、三人に問いかける。
「お兄ちゃん、あの巨大な鉄の塔に神がいるんだよね?」
真白が不安げに塔を見上げる。それに応えたのは、鋭い視線で周囲を警戒していたシロミだった。
「ええ、間違いないわ。あの塔から漂う吐き気のするような圧迫感……私たちが敗北した、あの時と同じ感覚よ。あそこに元凶がいる」
一刻も早く突入したい衝動を抑え、アリスが静かに一歩前へ出た。その瞳には、冷静な分析官としての光が宿っている。
「……あたしが一度、あの塔を補助態勢で探ってみる。サークル状だと届かないからほぼ一直線にすれば塔まで届くはずだから。ここなら塔から距離があるから大丈夫だとは思うけど、念のためみんなは私の守りをお願い」
「任せろ。アリス、お前には指一本触れさせない。……心置きなくやってくれ」
剣一は路地の入り口で腕を組み、袖の中に隠した魔剣の柄を静かに握り直した。その背後で、アリスにぴょこっと耳が生えると、全神経を塔へと向かわせるように集中する。
やがて、魔力探知が遠くの巨大な鉄の塔に届く。探知を開始して数十秒。アリスの表情が驚愕に染まった。
「な、何この魔力……。化け物しかいないじゃん。一つ一つの個体が強すぎて、何人いるのかさえ特定できない……っ!」
だが、さらに詳しく探知しようとした瞬間、それは唐突に起こった。
「……っ!! あ、がはっ……!!」
アリスが激しく吐血し、その場に膝をついた。
「アリス! 一体何があったのよ!」
シロミが駆け寄り、震えるアリスの肩を支える。アリスは顔を青ざめさせ、激しい動悸に襲われながらも絞り出すように答えた。
「あ、圧が……っ。魔力探知の線を伝って、とんでもない殺気が流し込まれた……! 探ったのがバレた……あいつら、こっちを見てる……っ!」
「大丈夫か、アリス! ……くそっ、もう来たか!」
剣一が叫んだ直後、街の静寂を切り裂くように、無機質なアラート音が鳴り響いた。
『――反逆者、侵入。反逆者、侵入。対象を直ちに確保せよ――』
スピーカーから流れる冷徹な放送が止まらない。
それまで機械のように動いていた街の人々が、一斉に動きを止める。同時に、白いローブを纏った監視兵たちが鉾を鳴らし、あちこちを探し始め、路地裏にも押し寄せてきた。
「隠密はここまでか……。真白、シロミ、アリスを頼むぞ。ここからは強行突破だ!」
剣一が両手に魔剣を構え、路地の入り口に迫る白ローブの集団を迎え撃とうとした、その時。
背後の暗がりから、軽やかな足音と共に、一人の狐の耳と尻尾が生えた巫女服の少女が姿を現した。
「こっちです! 立ち止まってたらすぐに囲まれちゃいます。付いてきてくださいっ!」
あまりに唐突な乱入に一瞬の戸惑いが走る。だが、路地の先にはすでに無数の鉾の先が光っていた。
「……今は信じるしかないか。行くぞ!」
判断を下した剣一は、ぐったりとしたアリスを横抱きに抱え上げ、少女に続いてマンホールへと飛び込んだ。
垂直の暗闇を落下する中、少女がそこに何かかがあるのを分かっていたかのようにボタンを押す。
すると突風が五人の体を横へと押し流し、隠された横穴へと放り込んだ。そのまま滑り落ちた先は、鉄の匂いと古びたランプの光が混じる、地下の隠れ家――レジスタンスのアジトのような場所だった。
「色々と聞きたいことはあると思いますが、少しここで待っていて下さい」
少女はそう言い残すと、誰かを呼びにいくような素振りで去っていった。
残された四人は、ようやく安堵の吐息を漏らす。剣一はすぐに、腕の中で顔色の悪いアリスを床へ下ろした。
「大丈夫か、アリス。どこか痛むところはないか?」
「……うん、大丈夫。無防備な状態で、あの化け物たちの殺気に直接当てられただけだから」
アリスは弱々しく微笑むが、その体はまだ微かに震えている。神々の放った殺気が、どれほど凄絶なものだったかを物語っていた。
「……無理をさせたな。悪かった」
剣一はそう呟くと、震えるアリスの体を静かに、けれど力強く抱きしめた。
「お前を失うわけにはいかないんだ。……絶対に」
冷たい地下室で、二人の体温が重なり合う。その静かな時間を破るように、重厚な足音が響いた。
奥の扉から現れたのは、逆立った髪に逞しい狼の耳をつけた、大柄な男だった。その後ろから、先ほどの狐耳の少女が申し訳なさそうに付いてくる。
「……おい。こんな掃き溜めでイチャついてるとは、随分と余裕じゃねえか」
男の低く野太い声が、地下室の空気を震わせる。剣一はアリスを抱きしめたまま、鋭い視線を男へ向けた。
「……まあ、いい。若い奴らが睦み合うのを邪魔する趣味はねぇ。……単刀直入に聞く。お前ら、こんなクソッタレな鉄の檻に、何しに来やがった?」
「俺たちは、神を倒すためにここへ来た。危ないところをその子に助けてもらった。感謝する」
剣一が短く、けれど迷いのない声で答えると、男の口角が不敵に上がった。
「……ほう。神を倒しに来た、か。そのツラ、嘘を言ってるようには見えねえな。……いいだろう、歓迎するぜ」
男は背負っていた大量の重火器を床に置き、片手を差し出した。
「まずは自己紹介といこう。俺はバレット・スコール。神どもの傲慢な鼻柱をぶっ叩くために、地を這いずり回ってる男だ。天空に来るやつはまず反逆者として生きるか、神の奴隷として生きるかの選択を迫られる。そしてここで俺は、同じ志を持った奴らが集まる反逆軍――《黒狼の牙軍》のリーダーを張らせてもらってる」
「私はミーナ・クラウドといいます。この軍の副リーダーをしています。……見ての通り、私たちは獣人族です。ですが、私たちの同胞も魔族と同じように奴らから一方的な蹂躙を受け、今はもう……片手で数えるほどしか残っていません」
ミーナが悲しげに狐の耳を伏せる。その言葉に、シロミが弾かれたように顔を上げた。
「……あなたたちの種族もなの!? 私はずっと森の奥で人と関わらずに生きてきたから、獣人族がいること自体知らなかったわ……これほど過酷な目に遭っていたなんて……。私は雪沢シロミ、魔族よ。……戦う理由は、あなたたちと同じみたいね」
その後、剣一、真白、アリスもそれぞれ名を名乗り、互いの目的が一致していることを確認した。
「神々の退屈を終わらせる」――。
孤独な旅を続けてきた四人と、絶滅の淵から立ち上がった反逆軍。二つの力が、この地下深くで一つに重なった。




