シャッターチャンス
一方で、一つのベッドに横たわった剣一とアリス。
互いの手だけは固く繋いでいたが、身体の間には、まだどこか戸惑いを含んだ微妙な距離があった。静まり返った部屋に、二人のぎこちない鼓動だけが重なり合う。
沈黙を破ったのは、シーツを小さく握りしめたアリスの、震えるような声だった。
「……ね、ねえ。……そっち、行ってもいい?」
繋いだ手から伝わってくるアリスの体温が、急激に上がっていくのが分かる。剣一は喉の奥が熱くなるのを感じながら、短く答えた。
「あ、ああ。……大丈夫だ。こっちは空いてる」
了承しつつも、剣一は己の理性を繋ぎ止めるため、ふいと繋いでいた手を離して背中を向けてしまった。直視してしまえば、自分もどうにかなってしまいそうだったからだ。
だが、その拒絶とも取れる動きに、アリスが切なげな声を漏らす。
「……だ、ダメ。……こっち向いて」
「……っ」
「独りは嫌だって……言ったでしょ。……ちゃんと、こっち向いて?」
赤らめた顔を伏せながらも、アリスは譲らなかった。剣一は観念したように、ゆっくりと身体を反転させる。
「わ、わかった。……っ!」
振り返った瞬間、視界に飛び込んできたのは、月明かりに照らされたアリスの潤んだ瞳だった。布団の端をぎゅっと掴み、上目遣いでこちらを見つめるその表情は、普段の強気な彼女からは想像もつかないほどに脆く、愛らしい。
心臓が破裂しそうなほどの衝撃に、剣一は思わず目を逸らした。しかし、アリスの攻勢は止まらない。
「……もう、逃がさないから」
追い打ちをかけるように、アリスがガバッと剣一の胸元に飛び込んできた。
柔らかな感触と、風呂上がりの甘い香りが一気に押し寄せる。密着した二人の境界線が、昼間の合体技の時のように曖昧に溶けていく。
「……こうしてないと、落ち着かないから……。……このままでも、いいでしょ?」
胸元で籠もった声で囁くアリスを、剣一はもう突き放すことなどできなかった。覚悟を決めたように、彼はアリスの背中にそっと腕を回し、その小さな身体を強く抱きしめ返した。
剣一の腕の中で、アリスの身体がびくんと跳ねた。
密着しているからこそ、誤魔化しようのない生命の躍動がダイレクトに彼女の太ももに伝わってくる。昼間のモッコリどころではない、本能が叫びを上げているような熱い拍動。
「……大丈夫……なんだが……その……これから起こる現象には目を瞑ってくれると助かる……」
剣一は顔を極限まで背け、消え入りそうな声で絞り出した。抗えない生理現象に対する、精一杯の、そしてあまりにも無力な事前の謝罪。
「……?……っ!? あ、あんたまた……っ! ……し、仕方ないから何も言わないでおいてあげるっ!!」
アリスは耳まで真っ赤になり、剣一の胸元に顔をこれでもかと押し付けた。
(……な、なんか動いてる……っ!! ……アイツのが、あたしの足に当たって……っ!!)
心臓の鼓動が、自分のものなのか剣一のものなのか判別がつかないほど速くなる。
逃げ出したいほどの羞恥心。けれど、その力強い脈動を感じるたびに、不思議と自分が彼に必要とされているような、強烈な充足感が胸を満たしていく。
「……す、すまない……」
「……あ、謝らないでよ、バカ。……あたしが、こうしたいって言ったんだから……」
アリスは震える腕で剣一の背中に回した手に力を込めた。
逃げ場のない布団の中で、二人の魔力は昼間の合体技以上の密度で混ざり合い、黄金と蒼の微かな光がシーツの隙間から漏れ出していた。
一方、その頃。
隣の部屋では、真白を抱きしめすぎて鼻血寸前のシロミが、壁の向こうから漏れ聞こえる「共鳴」の波動を敏感に察知していた。
「……あらあら。あの子たち、寝る前から全開じゃない。……これじゃあ明日の朝には、二人の魔力が完全に融合して、性別まで入れ替わっていても驚かないわねぇ……」
シロミはクスクスと不敵に笑いながら、腕の中ですやすやと眠る真白の髪に深く顔を埋めた。
「……さあ、私たちも負けていられないわ。真白ちゃん……今夜はあなたの深層心理まで、お姉ちゃんがたっぷり調査してあげるから……っ!クンクンクンクンっ!スーハーッスーハーッ!!……あぁっ!たまらないわぁっ!尊い……っ!」
二つの部屋で、それぞれ異なる意味での「限界突破」が続く夜だった。
夜が明け、次の日の朝。
昨夜、アリスの積極的な行動に当てられて遅くまで寝付けなかった剣一は、隣でぐっすりと眠っていたが、アリスがふと目を覚ました。
「……んっ、ふわぁ……。……えっ? ……っ!? な、なんで……裸ぁ!?」
覚醒した瞬間、肌を撫でる朝の冷気と、シーツの感触が直接伝わってくる違和感にアリスが跳ね起きた。昨夜、確かに着ていたはずのパジャマが、どこにも見当たらない。
「……ん、どうした、アリス……? 朝から大きな声出して……」
剣一の視線がアリスの無防備な身体へと釘付けになる。アリスは顔を真っ赤に染め上げ、信じられないものを見るような目で剣一を睨んだ。
「ちょ、ちょっと待っ……や、やだぁっ……見ないでぇ!!」
アリスは叫ぶと同時に、きちんと服を着ている無防備な剣一の胸元へ、隠れるようにガバッと抱きついた。
「な、ななな何をしてるんだっ、アリス! 俺は服を着てるし……っ! ……っていうか、お前、なんで裸なんだっ!?」
「あたしが知るわけないでしょぉっ! 昨夜はパジャマを着てたはずなのに……っ! あんた、寝てる間にあたしの服、どうしたのっ!この変態魔剣使いっ!!」
「そんなことしてないっ! ……とにかく、見ないようにするから、早く布団に潜り込んでくれっ!」
「……っ、このバカ! 見ないようにって言ってるくせに、あんたの心臓の音がうるさいっ!!」
二人がベッドの上で押し問答を繰り広げ、剣一の胸元にアリスが密着して右往左往していた、その時。
カチャリ、とドアの鍵が開く音がした。
「朝からうるさいわよ。一体どうしたのかし……あらあらあらあら!真白ちゃん見ちゃダメよ。今ちょっと赤ちゃんが誕生するかもしれないわぁっ!」
シロミは入り口でピタリと足を止め、手で真白の目を覆った。しかし、その指の間からは好奇心に満ちた瞳が爛々と輝いている。
「ん?お姉ちゃん! お兄ちゃんとアリスちゃん、何してるの? 赤ちゃんって、二人から誕生するの?」
「……っ、ち、違うんだ、真白! これは……その、アリスの服が……ちょっと……っ!」
剣一は必死に事情を説明しようとするが、腕の中に裸のアリスを抱きかかえたままという、どう見ても言い訳の余地がない状況に、言葉が空回りする。
アリスはもはや羞恥の極致で、剣一の胸元に顔を埋めたままピクリとも動かない。しかし、彼女の耳の付け根まで真っ赤に染まっているのが見て取れた。
「あら、ごめんなさいね。お邪魔だったかしら? でも、熱さで服を脱ぎ捨ててしまうなんて……。昨夜はよほど激しく、情熱的な夜を過ごしたのねぇ」
シロミはニヤニヤと意地悪く口角を上げ、手にした魔具、カメラのシャッターを躊躇なく連射した。
「カシャカシャッ! カシャカシャカシャカシャッ!! ……ああ、二人ともいい表情よぉ! 出来ればアリス、こっち向いてくれるともっと記念になるんだけど。ふふ、まぁ仕方ないわね。二人の熱い絆の証として、バッチリ保管させてもらうわよぉ!」
「消せぇぇぇっ! 今すぐその写真を消しなさい、この下品女っ!! 剣一、なんとかしてよぉっ!!」
アリスは剣一の服の胸元を涙目で握りしめ、顔を押し付けたまま絶叫する。
剣一はもはや、自分の心臓の鼓動がアリスに丸聞こえであることを自覚しながら、天を仰いで頭を抱えるしかなかった。
服を着て固まっている自分と、文字通り一糸纏わぬ姿でしがみついてくるアリス。そして、獲物を狙う狩人のような目で撮影を続けるシロミと、背後で「お兄ちゃんたち、魔力の同調すごく頑張ってるんだねっ!」と無邪気に喜ぶ真白。
混沌はここにあった。
「……あら、そういえば剣一。あなたの足元に、素敵な財宝が落ちているわよ?」
シロミが指差した先を、剣一とアリスの視線が追う。
「ほら。まるで今のアリスの顔色を象徴しているような、燃えるような真紅の下着が……あら、こっちはレースかしら?」
「…………なっ!!!!!」
剣一がその真紅のものを目に入れてしまった刹那、天を仰いだ。そこには、脱ぎ捨てられたように、アリスの最後の砦が無残にも床に転がっていた。
「……ぎ、ぎにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!」
アリスの、この世のものとは思えない悲鳴が、朝の静かなリビングまで突き抜けていった。




