ましろみ特製
昨日、カオスが差し向けた仲間を模した偽物との死闘を乗り越えたばかりの四人にとって、この展開は皮肉としか言いようがなかった。
自分自身と対峙する。それは、これまでの人生で積み上げてきた技術、癖、そして手の内をすべて知り尽くした「最強の壁」と向き合うことに他ならない。
四人は無言のまま頷き合い、森のあちこちへと散っていった。
互いの干渉を避け、ただ己という深淵に潜るために。
木々に囲まれた静寂の中、剣一の前に立つ「影」は、彼と全く同じ構えで魔剣を下げていた。
一歩踏み込めば、影も等距離だけ踏み込む。
一撃放てば、影も同じ軌道で剣を弾き返す。
数合、十数合と打ち合うが、火花が散るだけで決定打は一向に生まれない。
(……分かっていた。技術も魔力も同じなら、千日手になるのは当然だ)
剣一は荒い息を吐きながら、鏡合わせのような自分の瞳を睨みつけた。
分身にはあって、自分にはないもの。あるいは、自分にしか宿り得ないもの。
それが今の自分を超える唯一の方法だと四人は分かっていた。
昨夜アリスの背中を流した時に感じた守りたいという指先の熱。
耳元で囁かれたあのだいすきという言葉に、心臓を撃ち抜かれたような衝撃。
(影には……昨夜のあの熱はないはずだ!)
剣一の魔力が、青白い光から黄金色を帯びた、より高熱なものへと変質し始める。
それは単なる限界突破ではない。誰かを想い、その未来を背負うと決めた男の「エゴ」が混じった、不純で、だからこそ強靭な力。
「……俺は、あいつらを天空へ連れて行く。お前にはない、この『欲』で叩き斬ってやるっ!」
黄金の輝きを纏った魔剣が、影の防御を強引にこじ開けた。
一方、アリスは自分自身の影が放つ蒼炎に焼かれ、地面を転がっていた。
「くっ……! さすがにあたしだけあって、エグいところ狙ってくるわね……っ!」
アリスの影は無表情だが、その攻撃は苛烈を極めていた。
アリスは分かっていた。自分の強さは、誰にも頼らない孤高の炎。
けれど、今の自分には、影が持ち得ない「隙」がある。そしてその隙こそが、今の自分を支える最大の柱になっていることも。
(影のあたしは、きっと一人で戦ってる。……でも、今のあたしは、隣にアイツがいることを知ってる!)
アリスは目を閉じ、昨夜、剣一の背中に顔を埋めた時の安心感を思い出した。
恥ずかしくて、死にそうで、でも、世界で一番温かかったあの感覚。
その想いが魔力と混ざり合った瞬間、彼女の蒼炎に陽だまりのような黄金の光が混じり、爆発的に膨れ上がった。
「……あたしは、変態だけどあんなに優しいアイツと一緒に、もっと先へ行くっ! 独りぼっちのあたしに、負けるわけないでしょぉぉ!!」
四人の戦場から、それぞれ異なる色の魔力が空を焦がすほどに立ち昇る。
真白やシロミも同様に今この瞬間の、仲間たちに対する想い、感情をのせて戦っていた。
技術をなぞるだけの「影」に対し、彼らは今、この瞬間の「感情」をガソリンにして、理論上の限界値を強引に突破し始めていた。
「みんな、お疲れ様。とりあえずなんとかなったみたいだな」
「当たり前じゃん!負けるわけないでしょ!」
「そうねぇ。みんなには強い想いがあるから心配もしていなかったわ」
「私は少し不安だったけど……想いの強さなら誰にも負けないからっ!」
四人は、朝の騒がしい空気やカオスの襲来が嘘だったかのように、充実感に満ちた表情で森を後にした。
自分自身の影と戦うという経験は、鏡に映る肉体的な強さだけでなく、自分の心の奥底にある誰かを想う熱量を再確認する作業でもあったのだ。
家の扉を開けると、朝の気まずい空気はどこへやら、心地よい疲労感と空腹が四人を包み込んだ。
「あー……お腹空いたぁ……。影をぶっ飛ばしたら、なんだか魔力と一緒に脂肪まで燃焼しちゃった気分」
アリスがリビングの椅子に深く腰掛け、ぐったりとテーブルに突っ伏す。
「今日は私が昼食を担当するわ。真白ちゃん手伝ってくれるかしら?」
「もちろんっ!今日はスタミナがつくものがいいよねっ!」
シロミが立ち上がり、優雅にエプロンを手に取った。
今日はシロミの、どこか底知れない自信に満ちた背中が調理場へと向かう。
「あら、剣一。あなたはそこでアリスの相手でもしていなさいな。午後の訓練に備えて、しっかり英気を養っておくことね」
シロミは意味深なウィンクを投げかけ、真白と共に手際よく食材を並べ始めた。
リビングに残されたのは、テーブルに突っ伏して魂が抜けたようになっているアリスと、手持ち無沙汰になった剣一の二人だけだ。
キッチンのほうからは、野菜を刻むリズミカルな音と、真白の楽しげな話し声が聞こえてくる。
「……アリス、大丈夫か? 影との戦い、相当魔力使ってたもんな」
剣一が心配そうに覗き込むと、アリスは顔を伏せたまま、微かに声を漏らした。
「……別に、平気。……ただ、自分の影があたしの弱点ばっかり突いてくるから……精神的に削られただけ」
「弱点……?」
「うるさい! 教えないから、そんなのっ!」
アリスはガバッと顔を上げ、赤くなった顔を隠すようにプイッと横を向いた。
影が突いてきた弱点。それは、戦術的なものではなく、戦いの最中にふと剣一の背中を探してしまう、自分自身の甘えだった。影にはそれが一切なかったからこそ、アリスは自分自身の恋心がいかに戦いにおいて隙を作っているかを突きつけられたのだ。
だが、それを埋めたのもまた、剣一への想いだった。
「……ねえ、剣一。あんたの影は、どうだったの?……強かった?」
「ああ。正直、技術じゃ一生勝てないかと思った。でも……」
剣一は自分の手を見つめた。
「俺の影は、ただ俺の動きをなぞるだけだった。……お前を守りたいっていう、この、胸の奥が熱くなる感じだけは、あいつにはコピーできなかったんだ」
「……っ!」
アリスは心臓が跳ね上がるのを感じた。
直球すぎる剣一の言葉に、今朝の魔剣の騒動や耳元で囁いた、だいすきの記憶がフラッシュバックする。
「……バカ。……あんたって、本当にそういうこと、平気で言うよね……」
アリスは再びテーブルに顔を埋めたが、今度はその隙間から、剣一の手をそっと探り当てた。
しかし、タイミング悪く料理が出来上がる。
「お待たせっ!『ましろみ特製チーズインキノコのトマトソース丼』だよ! トマトソースはアリスちゃんのイメージで、メインは……ええと、お姉ちゃんに教えてもらったんだけど、お兄ちゃんのイメージなんだって!」
真白が一点の曇りもない聖母のような微笑みで、その「爆弾」をテーブルに置いた。
中央にそびえ立つのは、大きなエリンギの先端を絶妙に加工し、中からとろりと白いチーズが溢れ出している、あまりにも朝の剣一を彷彿とさせる巨大なキノコ。
「なっ……!? ま、真白……っ! シロミ、お前……何を吹き込んだんだっ!!」
剣一の喉から、ひっくり返ったような声が漏れる。テーブルの下でアリスの手をそっと握りしめていた指先が、そのネーミングと視覚的インパクトに弾かれたように離れた。
「あら、私は今の剣一の漲る魔力と、アリスの情熱をそのまま形にするようアドバイスしただけよ? 特にそのモッコリとした膨らみ……今のあなたたちの熱さを表現するのに、これ以上の言葉があるかしら?」
シロミは優雅に椅子に座り、顎を突きながら、獲物を観察するような瞳で二人を射抜いた。
「たた、食べられるわけないでしょ、こんなのぉぉ!! シロミ、この下品女っ! 真白に何てこと言わせてんのっ!!」
アリスは顔面をトマトソース以上に真っ赤にして絶叫した。だが、視線は吸い寄せられるように、丼の中央で誇らしげに主張するキノコと、今朝最悪のタイミングで目撃してしまった剣一の魔剣を交互に往復してしまう。
「……お兄ちゃん、冷めないうちに食べて? お姉ちゃんが、これでお兄ちゃんの魔力も限界突破間違いなしって言ってたよ!」
「……っ!!」
真白の無垢な一言が、剣一の心臓にトドメを刺す。
剣一は震える手でスプーンを握った。口に運べば、悔しいほどに美味い。濃厚なチーズと情熱的なトマトの酸味が、二人の身体の奥底に眠る魔力を、再び熱く、激しく呼び覚ましていく。
「……バカ。……変態。……シロミも、剣一も、……みんな大嫌いなんだから……っ」
アリスは半泣きになりながら、中央のキノコを「剣一のバカ!」と心の中で叫びながら口を大きく開き、口に運んだ。
「あら、アリス。口からチーズが出てるわよ。剣一、拭いてあげたらどうかしら?」
「ぶっ……ふぐっ、げほっ!!」
シロミのあまりにも直球な放火発言に、剣一は食べていたライスを噴き出しそうになりながら激しくむせ返った。
「し、シロミ……っ! お前、さっきから何を……何を言って……!!」
剣一が顔面を爆発しそうなほど真っ赤にして抗議するが、隣のアリスはそれどころではなかった。
勢いよく口に運んだメインのキノコから、とろりと溢れ出した熱々のホワイトチーズが、彼女の唇の端から一筋、顎へと伝い落ちていたのだ。
「ひゃ、ひゃぅ……っ!?」
アリスはパニックになり、指で拭おうとするが、動揺しすぎて余計に広げてしまう。その白濁とした液体が、シロミの言葉とキノコという料理名のせいで、今朝のあの気まずい光景と重なって見えてしまうのは、もう不可避だった。
「ほら、剣一。手が止まっているわよ? 騎士なら、はしたない姿のお姫様を助けてあげるのが筋じゃないかしら」
「…………っ!!」
シロミの瞳が、逃げ道を塞ぐように剣一を射抜く。
剣一は震える手でナプキンを手に取った。隣を見れば、アリスがシーツを巻いていた時と同じように、涙目で、けれどどこか期待するような潤んだ瞳でこちらを見上げている。
「……ア、アリス。……じっとしてろ」
「……っ、……んっ」
アリスが小さく、消え入りそうな声で頷き、目を閉じる。
剣一の指先が、ナプキン越しにアリスの柔らかな唇の端に触れた。チーズの熱と、彼女の体温が指先に伝わり、剣一の限界突破した魔力が、再びドクンドクンと下半身へと集まりそうになるのを耐えている。
「……お兄ちゃん、優しいね。……あ、お姉ちゃん。おかわりある?」
真白の無邪気な声だけが、この煮え返るような空気の中で唯一の救いだった。
「ええ、たっぷりあるわよ、真白ちゃん。……二人とも、そんなに熱いなら、そのまま午後の訓練場まで走っていったらどうかしら? ちょうど、その溢れ出たエネルギーをぶつける影も待っていることだしねぇ」
シロミが勝ち誇ったように笑い、優雅に紅茶を啜る。
結局、剣一とアリスは、最後まで味が分からないまま「ましろみ特製丼」を完食し、パンパンに張った魔力と色々なものを抱えて、逃げるように訓練場へと向かうのだった。




