VS偽剣一
「ふーん。偽物の割には似てるじゃん」
アリスは強がってみせたが、その拳は微かに震えていた。
目の前に立つのは、紛れもなく剣一の姿。しかしその顔には、感情を読み取らせない不気味な黒い仮面が張り付いている。アリスがこの一ヶ月、背中を預け、時に衝突し、共に地獄を這いずり回ってきた相棒の写し鏡。
「……ああ。会いたかったぞ、アリス」
仮面の奥から響くのは、聞き慣れた、けれどどこか熱を帯びた剣一の声。
「……っ!その容姿で言わないでくれる?」
一瞬、心臓が跳ねた。
偽物だと分かっていても、その声で名前を呼ばれるだけで、胸の奥が締め付けられるような感覚に陥る。
「なぜだ……。アリス、俺はお前のことが」
「やめてっ!!」
アリスは叫んだ。
その先を言わせてしまえば、自分の中の何かが壊れてしまう。修行の中で、剣一が不意に見せる優しさや、真っ直ぐな瞳に抱いていた想い。それを、こんな泥を塗るような形で見せつけられるのは耐え難かった。
「それ以上言うのは……っ!それ以上言うと……許さないからっ!!」
遮るように、アリスは地面を爆ぜさせた。
全身を包む紅蓮の魔力が、彼女の怒りと動揺に呼応して、かつてないほど激しく逆巻く。
「『烈火重撃』っ!!」
大地を想いの限り踏み締め、右拳に溜めた魔力を偽者に向けて放つ。
ドォォォォォン!!
激しい爆発が起こるが、偽剣一はそれを魔力の剣で受け流し、紙一重で回避した。
「なぜ拒む、アリス。俺たちは一つになれる。この天空への旅路を、俺とお前だけで終わらせよう」
「うるさい、うるさいっ!! 剣一は……本物のあいつは、そんなこと言わない! あいつはもっと不器用で、もっと……みんなのことを大事にするやつなんだよ!」
アリスの目に、涙が滲む。
それは悲しみではなく、大切な思い出を汚されたことへの、烈火の如き憤怒。
偽剣一は冷徹に、超高速の連撃を繰り出してきた。
「(……速い!? こいつ、剣一の技術を完全に……!)」
アリスの腕に、脚に、魔力の刃が刻まれていく。
防戦一方。
かつてない窮地の中で、アリスは歯を食いしばった。
「あんたが……あんたがそんな顔と声で喋るたびに、あいつのことがもっと大切だって気づかされる! 偽物に用はない……あたしが信じる剣一のところへ、あたしは行くんだっ!!」
アリスの背中から、炎の翼が爆発的に広がる。
それは修行の最終段階で、剣一の静の剣と幾度も向き合い続け、その無駄のない動きと、一点に力を集中させる理を盗んだことで得た、純粋な速さと破壊力を備え持つ新境地。
「『炎翔大昇竜』っ!」
地面を融解させるほどの熱量を拳に宿し、アリスは一瞬で偽剣一の懐へと飛び込んだ。一歩の踏み込みが爆発を伴い、アリスの姿は文字通り消えたかのように見えた。
「――っ!?」
黒い仮面で表情の見えない偽剣一が、初めて微かに仰け反る。
アリスの右拳が、偽物の腹部へと深々とめり込み、その瞬間、溜め込まれたすべての熱量が内側から爆ぜた。
ドォォォォォン!!
猛烈な火柱が天を突き、偽剣一の身体を高く打ち上げる。だが、アリスの追撃は止まらない。炎の翼を羽ばたかせ、空中へと舞い上がった彼女は、全方位から爆炎のラッシュを叩き込む。
「これで終わりだ!『紅蓮爆連弾』 !!」
空中で火花が散る。拳や脚が当たるたびに爆炎が重なり、偽剣一を逃がさない。アリスは確信していた。この一撃一撃には、自分と剣一が歩んできた本物の時間が乗っている。偽物に耐えられるはずがないと。
しかし。
「……甘いな、アリス」
爆炎の中から、冷徹な声が響いた。
仮面を被った偽剣一の手に握られていた青白い魔剣が、不気味に歪む。
「なっ……!? 嘘でしょ、そんな――」
「お前が俺のことを考えれば考えるほど、俺は強くなる。それがお前の心の深淵だ」
偽剣一が空中で姿勢を立て直し、魔剣を構えた。
その刃から放たれたのは、アリスの炎を丸ごと切り裂くほどの、魔力。
「人智の剣、『人智連撃斬』!!」
アリスの爆炎が、瞬く間に斬撃によって切り刻まれていく。
回避が間に合わない。アリスの視界が、漆黒の斬撃と、冷たい仮面の輝きで塗りつぶされる。
「きゃああああああああっ!!」
アリスの魔装が、その衝撃に耐えきれず、激しく火花を散らして砕け散った。防護を失った小さな身体に、漆黒の魔力が牙を剥く。
そのまま彼女の身体は、少ない布切れを纏いながら隕石のような勢いで遥か彼方――剣一が戦っていた戦場の中央へと、一直線に吹き飛ばされたのである。
「……がはっ……、くっ……!」
クレーターの中心で、アリスは激しく咳き込んだ。
金色の髪は泥と血に汚れ、あれほど輝いていた魔装は、もはや辛うじて大事な部分だけを覆うだけの布切れと化している。剥き出しになった肩や脇腹、しなやかな足には、漆黒の魔力に焼かれた痛々しい切傷が刻まれていた。
「……アリス、なのか……?」
「……げほっ、げほっ……。ごめん、剣一。……ちょっと、あっちの偽物が、しつこすぎてさ……」
アリスは震える腕で地面を押し、立ち上がろうとする。しかし、限界を超えたダメージに膝が折れそうになったその時、力強い腕が彼女の身体を支えた。
「大丈夫か!?」
剣一だ。
彼の瞳には、かつてないほどの激しい怒りと、それ以上に深い悲痛の色が混ざり合っていた。ボロボロになったアリスの姿を見て、剣一の中で魔力の輝きが、静かな青から、荒れ狂う嵐のような蒼白へと変貌する。
「……大丈夫、なわけないじゃん。……あはは、笑えないよ。あいつ、あんたの動きをほとんど完璧にコピーしてる」
アリスが視線を向けた、空の彼方。
漆黒の尾を引いて、一人の男がゆっくりと、死神のような足取りで空中を歩いてくる。
それは、黒い仮面を被り、禍々しい漆黒の魔剣を携えた偽物の剣一だった。
「……俺の、偽物か」
「……そう。あんたの姿で、あいつ……とんでもないことを……!」
アリスは剣一の胸元に顔を埋めるようにして、悔しさに唇を噛んだ。
偽剣一が口にした愛の告白。それが偽物だと分かっていても、アリスの心は揺らぎ、その隙を突かれて魔装を砕かれたのだ。
「……アリス、無理をするな。あとは俺がーー」
「バカ言わないで。……あたしを、こんな格好にさせた落とし前、あたし自身がつけなきゃ気が済まない……っ!」
アリスは剣一の肩を借り、フラつきながらも拳を握り直した。
服は裂け、満身創痍。けれど、その瞳に宿る黄金の炎は、まだ消えていない。
「あたしはまだまだ弱い……もっと強くならなきゃいけないっ……みんなを守るためにっ……!!」
アリスの魂の叫びに呼応し、砕け散った赤い魔装の破片が、浄化の蒼い炎に包まれて消失した。代わりに溢れ出したのは、これまでの彼女の魔力特性を根本から塗り替えるほどの、圧倒的に純粋で苛烈なエネルギーだった。
「『不死鳥の羽衣』」
眩い閃光が走り、爆風が周囲を薙ぎ払う。
光が収まったそこには、これまでの装甲を重視した重厚なドレスとは対照的な、神々しいまでの姿があった。
アリスの背中には、天を焦がすような一対の巨大な蒼炎の翼が広がり、火の粉が羽となって舞い落ちる。その身を包むのは、羽の一枚一枚が灼熱の蒼炎を纏った、フワフワとした淡い蒼色のミニドレス。
同じように蒼炎を纏った羽根で編まれた手袋とブーツが、彼女の四肢を包み込み、流れるようなシルエットを作り出している。
「……すごい。アリス、その力は……」
「……お待たせ、剣一。……今のあたしなら、あんたの速さについていけるよ」
アリスが蒼炎の翼を力強く羽ばたかせると、周囲の温度が一気に数百度も跳ね上がった。傷だらけだったはずの身体は、不死鳥の生命力によって瞬時に活性化し、その瞳には黄金と蒼が混ざり合う、不滅の意志が宿っている。
空中で静止していた「偽剣一」の仮面が、初めて不気味に軋んだ。
彼が持つ漆黒の魔剣に対し、地上で立つのは、蒼炎を纏った不死鳥の乙女。
「……剣一、下がってて。あたしが一人でやるから」
アリスの声は、驚くほど静かだった。けれど、その背後で燃え盛る蒼炎の翼は、近づくもの全てを灰に帰さんとするほどの、絶対的な拒絶の熱を帯びている。
「アリス……」
剣一は、差し出そうとした手を止めた。今の彼女に言葉は要らない。ボロボロにされ、心を弄ばれた少女が、自らの手で尊厳を取り戻そうとしている。その気高き炎を、邪魔することは誰にもできない。
ドォォォォォン!!
アリスの踏み込みと同時に、大地が蒼い炎のクレーターとなって爆ぜた。
次の瞬間、彼女の姿は残像すら残さず消失する。
「なっ……!? 観測が――」
偽剣一の仮面が、初めて驚愕に揺れた。本物の剣一の技術をコピーし、予備動作から次の一手を割り出す観測の理。だが、今のモードのアリスは、その理屈すらも焼き尽くす圧倒的な純粋速度の領域にいた。
「『蒼焔絶掌連撃』っ!!」
四方八方。
上下左右、全方位から、視認不可能な速度の蒼炎の連掌撃が偽剣一を襲う。
一発一発の掌底が空気を圧縮し、着弾と同時に内部から爆ぜる蒼い衝撃波。偽剣一は漆黒の魔剣を盾にするが、あまりの速度と手数に、防御の姿勢を取ることすらままならない
「……どうしたの? コピーしてるんでしょ? だったら避けてみてよっ!!」
アリスの翼が空を切り、蒼い羽が火の粉となって戦場に舞い踊る。
右、左、背後、頭上。
偽剣一の肉体に、次々と蒼い手形が刻まれていく。一撃当たるたびに、その箇所から蒼炎が噴き出し、偽物の漆黒の魔力を根こそぎ焼き払っていく。
「が、はっ……、おの、れ……!」
偽剣一が無理やり技を放とうとするが、その腕が振り抜かれるより早く、アリスの鋭い掌底がその肘を跳ね上げ、強制的に技を中断させた。
「遅い。……あたしの知ってる剣一は、もっと鋭い。……あんたの剣じゃ、あたしの羽一枚すら斬らせないっ!!」
アリスの瞳に宿る黄金の光と蒼い炎が、至近距離で重なり合う。
加速し続ける連撃のテンポは、もはや音を置き去りにし、千、二千、三千……と、打ち込まれる掌の数は数え切れない。偽剣一の周囲は、逃れられぬ蒼炎の檻と化し、その冷徹なコピー能力すら、アリスの剥き出しの感情が放つ熱量に焼き潰されていく。
バキリ、と嫌な音が響いた。
連掌撃に晒され続けた偽物の肉体が限界を迎え、崩壊していく。その胸の奥、不気味に拍動していたカオスの核が、引きずり出されるように露わになった。
アリスは、迷わなかった。
その偽物の顔を見て、偽物の声を聞いたからこそ、自分の中にあった本物への想いが、もう誤魔化しようのないほどに溢れていた。
「……大好きだよ……剣一」
それは、目の前の偽物へ向けた言葉ではない。
背後で見守る、不器用で、けれど誰よりも信頼する本物への、魂からの告白。
アリスは全ての蒼炎を右の掌に集束させ、露出した核へと真っ向から叩き込んだ。
「――っ!!」
ドォォォォォォン!!
蒼い閃光が戦場を真っ白に染め上げた。
核は一瞬で粉々に砕け散り、偽剣一の存在そのものが、浄化の炎の中でかき消えていく。漆黒の魔力も、忌々しい仮面も、アリスの純粋な想いが乗った一撃の前では、塵一つ残すことすら許されなかった。
熱波が収まり、静寂が訪れる。
アリスの背中の蒼炎の翼が、役目を終えたように静かに揺らめき、火の粉となって夜の闇に溶けていった。
「……はぁ、はぁ……っ」
アリスを包んでいた神々しい蒼炎の翼が、粒子となって夜の闇に溶けていく。
極限まで張り詰めていた精神が、偽物の消滅と共に解かれ、代わって凄まじい疲労が彼女の小さな身体を襲った。
「……今の、聞こえてた……?」
悪戯っぽく笑ったその唇が、力なく震える。
頬を朱に染めたまま、アリスは糸が切れた人形のように、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。
「アリスっ!!」
剣一は反射的に地を蹴った。
魔力を使い果たし、鉛のように重い自分の身体を無理やり動かし、地面に叩きつけられる直前で、彼女の身体をその腕の中に受け止める。
「……っ、熱いな……」
腕の中に伝わってくるのは、不死鳥の残り香のような、猛烈な熱気。そして、それ以上に激しく打つ、彼女の生きた鼓動だった。
アリスは意識を失いながらも、どこか安らかな表情を浮かべている。あれほど苛烈に、そして孤独に戦い抜いた少女の、それが戦い終わった後の本当の顔だった。
「ああ……聞こえてたよ。全部な」
剣一は、誰に聞かせるでもなく静かに呟いた。
腕の中のアリスは返事をしない。けれど、その温もりだけで十分だった。剣一は自らが纏っていた黒のローブを脱ぐと、露出した彼女の肩や背中を、せめてもの防寒と保護のために優しく包み込んだ。漆黒の布地が、ボロボロになったアリスの身体を慈しむように覆い隠す。
「……よく頑張ったな、アリス。あとは俺たちが……」
遠くから、二つの強い魔力の気配が近づいてくる。
空を切り裂く清浄な光の軌跡と、地を這うように奔る深淵の影。
「……真白、それにシロミか」
剣一は、ローブに包まれたアリスを、腕の中で大切そうに抱き抱え直した。
魔力を使い果たし、鉛のように重い身体に無理やり鞭を打ち、大地を噛み締めて立ち上がる。
ついに四人が揃う。
一ヶ月間の特訓を共にした仲間たちが、今、一つの場所に集結しようとしていた。




