VS偽アリス
「俺たちはこの一ヶ月、濃い時間を過ごしてきた。お前には絶対に負けない」
剣一は低く、地を這うような声で告げた。その手には、幾度もの死線を潜り抜けてきた、限界突破で生成された魔剣が、主の闘志に応えるように低く鳴動している。アリスとシロミと出会ってから、アリスの苛烈な攻めを受け流し、シロミの深淵を覗き、真白の成長を背中で支えてきた。その全ての記憶が、今の彼の骨肉となっている。
「ふーん……いいじゃん。あたしとずっとやり合っていようよ」
偽物のアリスが、本物そっくりの不敵な声音で紡ぐ。しかし、その首から上には、感情を一切映し出さない「黒い仮面」が張り付いていた。アリスの快活な肉体と、無機質な仮面のミスマッチ。それが、剣一の逆鱗を静かに、かつ激しく逆撫でする。
「……その声でそれ以上喋るな。癪に障る」
「もっとお喋りしたかったな……剣一っ!!」
偽物が爆ぜるように地を蹴った。
本物のアリスが放つ、熱風を伴う「爆炎の踏み込み」とは対照的に、それは音もなく、影が不気味に延伸するような加速。一瞬で剣一の懐へと潜り込み、その小さな拳を心臓めがけて真っ直ぐに繰り出す。
ドシュッ!!
空気を切り裂く鋭い音が響く。剣一は最小限の動きで上体を逸らし、その一撃を紙一重で回避した。拳が通り過ぎた後の衝撃波だけで、剣一の頬から血が滲む。
「(速い……! だが、アリスの拳はこんなに冷たくない!)」
仮面の偽物は着地と同時に再び跳躍し、今度は頭上から踵落としを見舞ってきた。重力と魔力を乗せた一撃が、地面をクレーター状に陥没させる。
「あははっ! 避けてばっかりじゃ、あたしには勝てないよ?」
仮面の奥から響く声は楽しげだが、その動きは精密機械のように冷徹だ。偽物が繰り出す連撃は、アリスの格闘術を完璧にトレースしていた。しかし、一ヶ月間、アリスと何百回、何千回と拳を交えてきた剣一の目は誤魔化せない。
アリスの攻撃には、常に相手を倒すという意志の向こう側に、仲間を想う熱があった。だが、目の前の仮面人形からは、ただ効率的に命を刈り取ろうとする虚無しか感じられない。
「お前はどう足掻いても偽物だ。本物以上にはなれない。アリスと同じように全力でかかってこい。俺も全力で応えてやる」
剣一が魔剣を差し出すと、青白く輝く魔力がさらに収束し、鋭い光を放った。実体を持たぬ光の刃は、周囲の空気をバチバチと震わせ、剣一の闘志に呼応してその輝きを増していく。
「いいじゃん。アガるねぇ!最大出力 『紅蓮連脚』!!」
偽物の身体が激しい赤いオーラに包まれ、爆発的な加速で剣一を包囲した。残像を残しながら放たれる、数千の蹴撃。一撃一撃が岩をも砕く威力を持ち、周囲の空気が摩擦熱で発火する。
「……確かに速い。だが、まだアリスの方が速くて重いっ!」
剣一は一歩も引かない。
魔力の剣を正眼に構え、嵐のような連撃の「中心」へと踏み込む。偽物の放つ爆炎の蹴りが青白い刃に触れた瞬間、激しい魔力の干渉が起こり、紅蓮の炎は一閃の下に両断され、火花となって霧散していった。
「なっ……!? あたしの炎が……切り裂かれた!?」
「アリスの炎は、もっと熱くて、もっと鋭い。……お前の炎じゃ、この剣は止められない」
剣一の瞳が、剣と同じ青白い光を宿す。一ヶ月の修行、シロミの「観測」に付き合い、アリスの「熱」に耐え、真白の「光」を信じてきた。その全てが、今、魔剣を神速の領域へと押し上げている。
「そうなんだ……!! じゃあもっとギア上げていくよっ!『爆炎連撃波』 !!」
偽アリスが深く腰を落とし、爆発的な魔力を脚部に溜める。
地を蹴ると同時に、彼女の拳からは巨大な炎の拳圧が、連続する衝撃波となって放たれた。
空気を切り裂き、焼き焦がす鋭い音が連続する。5メートルほどの距離を一瞬で射抜くその衝撃波は、紅蓮の弾丸となって剣一を圧殺せんと襲いかかる。
炎の衝撃波が絶え間なく放たれ、剣一の視界は紅蓮の光に埋め尽くされた。
一発一発の衝撃が剣一の防御を削り取っていく。
「……さすがに捌ききれなくなってきたか……っ!」
頬を熱風がかすめ、服の裾が焦げる。だが、剣一の瞳に宿る青白い光は、恐怖ではなく、冷徹なまでの「観測」の色を深めていた。彼はあえて一歩退き、深く息を吐き出す。
「……そろそろいくぞ。……一ヶ月、みんなと天空を夢見てきた成果だ」
剣一が右手の魔剣を強く握りしめると、左手にも同質の、いや、それ以上の輝きを放つ青白い光が収束し始めた。
「人智の剣『二双天閃』っ!」
瞬く間に、剣一の両手には二振りの魔剣が握られた。
それは、彼がこの過酷な修行の日々で辿り着いた、人間の限界を超えるための回答。
「二刀流……!? でも、手数が二倍になったくらいで、あたしの爆炎が」
「二倍じゃない。……無限だ」
剣一の姿が、掻き消えた。
ドォォォォン!! と偽アリスが放った最大火力の衝撃波が、剣一のいた場所を虚しく焼き払う。だが、その背後には既に、青白い二条の軌跡が走っていた。
「なっ……が、ああっ!?」
速すぎる。
あまりにも鋭く、精密な閃撃。
右の剣が炎の礫を切り裂き、左の剣が偽物の防御を突き破る。
一撃一撃が、アリスの格闘術の継ぎ目を正確に捉え、音もなく肉を削いでいった。
「う、嘘……! あたしの動きを、全部……っ!」
「言っただろ。お前は、本物以上にはなれない」
剣一は一歩も止まらない。
舞うような足捌きと共に、二振りの剣が白銀の輪を描く。
まずは、連撃を放っていた偽物の指先が宙を舞った。
続いて、その手首が断たれ、肘が裂け、肩の肉が削ぎ落とされる。
偽アリスが必死に放とうとする『爆炎連撃波』の種火さえも、放たれる瞬間に剣一の剣が着火点ごと切り裂いて無効化していく。
「あ、ああああ……ああっ!!」
偽物の叫びは、もはや楽しげな嘲笑ではなく、理解不能な怪物に追い詰められた恐怖の悲鳴へと変わっていた。
両腕を失い、肩を切り崩され、逃げ場を失った偽物。
その胸元の隙間から、ドクンドクンと脈動するカオスの核が、絶望に震えるように露出していた。
「……アリスは、最後まで諦めない……お前は、もうアリスじゃない」
剣一の言葉は、冷徹な断罪であると同時に、遠くで戦う本物の仲間への、揺るぎない信頼の証でもあった。
両腕を失い、肩を深く切り裂かれた偽アリスは、もはや爆炎を放つことすら叶わない。
剣一は二振りの魔剣を胸の前で交差させ、その交点に全ての魔力を集束させた。
青白い光が膨れ上がり、周囲の闇を昼間のように照らし出す。
「これで、終わりだ。後で会おう、本物のアリス」
剣一が静かに、けれど力強く両腕を振り抜いた。
交差した刃から放たれたのは、X字に刻まれた巨大な青白い衝撃波。
それは偽アリスの残骸を、その核ごと真っ向から飲み込み、分子レベルで切り刻んでいった。
「あ……ああ、あああああああ……っ!!」
断末魔の叫びさえも、魔力の轟音にかき消される。
閃光が収まった後、そこには焦げた大地の跡があるだけで、アリスに扮した偽物の姿は、塵一つ残っていなかった。
「……ふぅ。……行かないとみんなのところへ」
剣一は、手にしていた二本の魔剣をゆっくりと霧散させた。
その瞬間、張り詰めていた糸が切れたように、身体のあちこちから痛みが噴き出してくる。頬の傷、焦げた服、そして魔力を使い果たした脱力感。
だが、剣一は膝をつかなかった。
ここで倒れるわけにはいかない。仲間たちが待っている。共に天空へ行くと誓ったあいつらが。
剣一は震える足に力を込め、重い一歩を踏み出した。中央の合流地点へ、引きずるような足取りで歩み出そうとした、その時だった。
凄まじい衝撃音と共に、剣一の目の前の地面が爆ぜた。土煙が舞い、熱気が肌を焼く。
「……がはっ……、くっ……!」
クレーターの中心で、苦しげに喘ぎながら立ち上がろうとする影。
金色の髪は乱れ、自慢の魔装はあちこちが破け、剥き出しの肌には無数の切傷が刻まれている。
「……アリス、なのか……?」
「……げほっ、げほっ……。ごめん、剣一。……ちょっと、あっちの偽物が、しつこすぎてさ……」
アリスだった。
偽物を圧倒し、悠々と合流すると思っていた彼女が、これほどまでに打ちのめされ、吹き飛ばされてくるとは。
剣一の背筋に、冷たい戦慄が走った。
彼女に一体何が起きたのだろうか。




