シロミの過去
聖霊王の力を得たものの、まだ上手く力を扱えず、魔力が尽きてしまった真白を家に連れ帰った一行。
彼女をベッドに運び込み、ようやく一息ついた三人は、リビングで静かに語り合っていた。窓から差し込む光が、訓練後の静寂を穏やかに部屋を照らしている。
「真白、強くなったな……聖霊を二人出して、なおかつ大技まで出して……魔力の消費も半端じゃなかっただろう」
剣一が椅子に深く腰掛け、天井を見上げながら呟いた。彼の脳裏には、先ほどの白銀の光の中にいた、凛々しくも危うい妹分の姿が焼き付いている。
「そうねぇ。まさか聖霊王の力を持つなんて思ってもなかったわ」
シロミが優雅に紅茶を啜りながら同意した。その表情にはいつもの余裕があるが、真白を受け止めた時の腕の微かな痺れは、あの力が本物であったことを物語っている。
「あたしたちもぼやぼやしてると、あっという間に先を走ってそうだよね」
アリスが少し複雑そうな、けれど誇らしげな苦笑いを浮かべた。つい数時間前までの気恥ずかしさが遠い昔に思えるほど、真白の覚醒は鮮烈だった。
「……でも、あの力はまだ真白の体に馴染んでいない。一歩間違えれば、あいつの命を削りかねない」
剣一の言葉に、シロミがカップを置いて二人をじっと見据えた。
「ええ。だからこそ、剣一とアリス……あなたたちの支えが必要なのよぉ。真白ちゃんが一人で背負いきれない分を、あなたたちが肩代わりしてあげなさいな。それが、あの子の望むいつもの二人でいるってことじゃないかしら?」
その言葉に、二人は顔を見合わせた。今朝の気恥ずかしさは、真白を守り抜き、共に『天空』を目指すための強固な決意へと昇華されていた。
「……わかってる。真白には、あたしがついてなきゃダメなんだから」
アリスが拳を握りしめ、剣一も力強く頷いた。
「ああ。……次は俺たちが、あいつを驚かせる番だ。それとシロミ」
剣一が隣のアリスへ視線を送り、言葉を促す。アリスは一度深く息を吐くと、不意に表情を引き締め、シロミを真っ直ぐに見つめた。
「二人じゃなくて『いつもの三人』じゃなきゃダメだから。あんた、真白に隠してることあるでしょ。私たちには百歩譲っていいとしても、真白にはせめて言ってあげて。あんたに対して敬語が抜けきれてないのは、そういうところだと思う」
「……っ! ……そう、そうだったのね。隠し事のある私を見抜いて、あの子なりに線を引いていたのかしら……」
シロミは自嘲気味に笑い、肩の力を抜いた。その瞳からは妖艶さが消え、一人の少女としての脆さが覗く。
「わかったわ。真白ちゃんが起きたら……私のこと、全て話すわ」
「真白は心の澱みには敏感だからな。隠し事がなくなれば、あいつはもっと笑うはずだ。……な、アリス」
剣一が静かにフォローを入れると、アリスもまた、少し照れくさそうに視線を逸らしながら付け加えた。
「……あたしたちだって、あんたの本当の顔、知っておきたいし。……仲間、でしょ?」
その言葉が、シロミの心に残っていた最後の警戒心を溶かしていく。三人の間に流れる空気は、これまでで最も透明で、確かなものへと変わりつつあった。
その時、奥の部屋から「……ん、……うぅ……」という、寝返りを打つ微かな声が聞こえてきた。
「……真白、起きたみたい」
アリスに付き添われ、少しふらつきながらも居間に現れた真白は、いつもの元気な笑顔を見せようと努めていた。
「真白ちゃん、気分はどうかしら?大丈夫?」
「また、魔力が切れちゃったんだね……でも大丈夫っ!元気ですっ!」
健気に振る舞う真白の姿に、シロミの胸の奥がチクリと痛む。彼女は手元のティーカップをそっと置き、居住まいを正した。
「真白ちゃん、みんなもそうだけど話があるの。聞いてくれるかしら」
「もちろんっ!何でも話してくださいっ!」
真白は真っ直ぐな瞳でシロミを見つめる。その曇りのない信頼の光が、シロミに最後の一歩を踏み出させた。
「実は……私は魔族なの。魔族は神の手によって500年前に滅ぼされた。私たち魔族は神たちから正当な理由もなく、歴史や記憶から全て消されたのよ。そして、私は魔族を滅ぼした神たちを許さない。そのために天空を目指しているの」
静かな、けれど凍てつくような復讐の意志が籠もった告白。
500年もの間、歴史から抹消され、孤独に耐え続けてきた彼女の正体に、一同は言葉を失う。
「そ、そんな過去があったなんて……私、何も知らなかった。シロミさんもすごく辛かったんじゃ……私に出来ることがあればなんでもしますっ!手伝わせて下さいっ!」
真白が、シロミの手を両手で包み込むように握りしめた。その温もりに、シロミの冷え切っていた心が微かに震える。
「あんた、何でもっと早く言ってくれなかったの……一人でそんな重いもん背負って……バカじゃないの」
アリスが呆れたように、けれどどこか優しく溜息をついた。彼女の瞳には、異種族への偏見など微塵もなかった。
「魔族……そうか。噂では聞いたことがあったが夢の話だと思っていた」
剣一は腕を組み、重々しく頷いた。
彼にとって、目の前のシロミが魔族であることよりも、彼女が神への復讐というあまりにも巨大な敵を見据えていることの方が重要だった。
「私、あなたたちを騙すようなことをしていたわ。本当に、ごめんなさい。言ってしまえば、今の関係が終わってしまうんじゃないかと思って……」
シロミは弾かれたように顔を上げ、大きな瞳をさらに見開いた。その視界が、みるみるうちに涙で滲んでいく。
「シロミさんっ……いえ、シロミお姉ちゃんっ! 私たちがそんなことで離れると思ってたの!? ……今まで一緒に過ごして泣いたり、笑ったり、怒ったり、切磋琢磨しながら頑張ってきたはずっ! そんなの……寂しすぎるよ……悲しいよ……っ!」
真白はシロミの膝にすがりつくようにして、その服をぎゅっと握りしめた。溢れ出した涙がシロミのスカートを濡らしていく。
「真白……ちゃん……」
「……全くだわ。あんた、あたしたちの絆をそんなに安っぽく見てたわけ?」
アリスが呆れたように、けれどどこか鼻声で言い放つ。彼女もまた、潤んだ瞳を隠すように顔を背けていた。
「魔族だろうが神の敵だろうが、あんたがあたしたちの食事を作って、一緒に訓練して、たまに意地悪く笑うシロミだって事実に、変わりないじゃん。……隠し事があったのはムカつくけど、それでさよならなんて、あり得ないし」
「……ふっ、手厳しいな」
剣一が短く笑い、シロミの肩にポンと大きな手を置いた。
「シロミ。お前が一人で500年の孤独を背負ってきたのなら、これからの旅はその何倍も賑やかにしてやる。神を討つのがお前の目的だとしても、俺たちの目的は天空へ行くことだ。……そこに矛盾はないはずだろ?」
シロミは震える唇を噛み締め、堪えきれずに嗚咽を漏らした。
500年。名前を奪われ、存在を消され、ただ復讐のためだけに心を凍らせてきた長い年月。その氷が、目の前の不器用で真っ直ぐな仲間たちの熱によって、今、音を立てて溶けていく。
「……ひぐっ、……ごめんなさい。……本当に、馬鹿ね、私……っ。こんなに、こんなに温かい場所にいたのに……」
シロミは真白を抱き寄せ、その小さな肩に顔を埋めて子供のように泣いた。
真白もまた、シロミの背中を何度も何度も優しく叩く。
「ううん、いいんだよ……。シロミお姉ちゃん、おかえりっ!」
「……ええ。……ただいま、真白ちゃん。……みんな」
シロミが顔を上げた時、そこには観測者としての冷徹な仮面はどこにもなかった。涙に濡れながらも、心からの安らぎを得た一人の少女の顔があった。
そしてアリスは照れ隠しをするように勢いよく立ち上がり、腰に手を当てた。
「それじゃあ、たまにはあたしが手料理を振る舞ってあげる! みんな座ってて!」
「えっ、アリスちゃんが!? わーいっ! 楽しみーっ!」
真白が涙を拭き、目を輝かせて拍手する。普段の食事はシロミと真白がこなしていたため、アリスが台所に立つのは珍しい。
「……俺も手伝おう」
剣一も椅子を引いて立ち上がる。アリス一人に任せて、台所が「爆炎」の被害に遭わないか心配したわけではない……はずだ。
「ちょっと剣一! あんた、あたしの腕を信用してないでしょ!」
「いや、そんなことはない。……ただ、これからは全員でやるのが普通なんだろ?」
剣一がぶっきらぼうに、けれど確かな意志を込めて言うと、アリスは一瞬言葉に詰まり、それから顔を赤くしてプイッと背を向けた。
「……ふんっ。まあ、火加減くらいは手伝わせてあげてもいいよっ」
二人が連れ立って台所へ向かう後ろ姿を見送りながら、シロミはソファに深く身体を預けた。真白がその隣にちょこんと座り、シロミの細い指を自分の小さな手で包み込む。
「シロミお姉ちゃん、アリスちゃんの料理、何かなぁ?」
「さあ……? でも、あの子のことだから、きっと元気が出るくらい熱いものを作ってくれるんじゃないかしら」
台所からは、野菜を切るリズミカルな音と、剣一の落ち着いた声、そしてそれに反論するアリスの少し高い声が聞こえてくる。
500年の孤独を経て、シロミがようやく手に入れた日常。
その賑やかな音は、どんな魔法よりも深く、彼女の傷ついた心を癒やしていった。




