59.5 幕間 また、貴族に……。
「次のお仕事は何をしようか」
考え事をしていたら、いつの間にか洗濯物を干し終えていた。秋風に靡くシーツたちを見つめ、その白さに少し羨ましく思った。
「カリスティー、今終わったところ?」
「はい、カリーレ様はどちらへ?」
「私は少し鍛錬をするところだよ」
「そうですか、後でタオル用意しておきます」
カリーレ様がやってくると、少し会話を交えた後に剣の鍛錬を始めた。
カリーレ様は、毎日この時間になると鍛錬をしている。それでもメルディーラ様が研究をすると言い出せば、いつも一緒に研究室へ籠もっていた。
お屋敷の中に戻り、自分の手を見てみた。思ったよりも手荒れが酷く、関節部分がほとんど割れている状態だった。今はそんなことを気にしている場合ではないと分かっているけれど、貴族だった頃を思い出すと、少し悲しく思えた。
「レリアナート様のお手伝いをしなくては」
一人でそう呟き、厨房へ向かった。
厨房では、レリアナート様が一人で深鍋いっぱいのスープを、ぐつぐつと煮込んでいた。とてもいい匂いをして、今からでも食べたくなってしまう。
「カリスティーです。お皿を洗いに来ました」
「今日もありがとう。女性なのだから、手を大事にしなさい」
「お心遣い、感謝いたします」
手伝いはなくてもいいよ、と遠回しに言われた気がする。それでも、自分で選んだ道を今更違えるつもりは全くない。
メルディーラ様が作った水道という魔道具から水を出しながら柔らかい布で、お皿を一枚ずつ丁寧にこすり洗いした。数枚磨いたあと、ピキっと指の関節がもう一つ割れた。
(なぜ、こんなことに……)
元をたどれば、何の相談もしてくれなかった両親のせいで、私はここにいる。ここの人達は皆親切で、人を疑うことを知らないように話しかけてくれる。それが一番辛い。
いじめられることや、罵られることは当然のようにあると思っていた。なのに、嫌な目すらもされずに家族のように接する人達だった。
私はここにいていいのだろうか。利用させてもらうと考えていたのに、今じゃ逃げ出したいという気持ちが芽生えてきている。
「カリスティー?」
後ろからレリアナート様から声がかかり、急いで平静を装い、振り向いた。
「すみません。少し考え事をしていました」
「あまり根詰めすぎないように」
「ありがとうございます」
またスープを煮込みながら混ぜ始めるレリアナート様の背中を眺め、私はもう一度お皿を磨き始めた。
お皿洗いが終わり、レリアナート様に少し会話してから厨房を後にした。次にやるのはお風呂掃除だ。前はマミーユ様がやっていたけど、私が入ってから担当が代わったそうだ。
お風呂場に着き、ブラシで床のタイルを力強く磨き始めた。
メルディーラ様は淑女教育中なので、茶器の準備をしておかなくてはならない。お茶を淹れるのはマミーユ様のお仕事だけど、できれば私も練習しておきたい。
「あ、お仕事が早いですね」
「マミーユ様……まだまだ半分すらも終わっていませんが」
「そういうものです。私も手伝いますよ」
「ありがとうございます……」
小さくお辞儀をすると、頷いて返してくれる。彼女の手を見てみると、やはり所々手荒れしているのがわかる。
「手が気になりますか?」
「い、いえ……」
言いながらまたもや自分の手を見つめた。手のひらよりも、手の甲の方がたくさん割れている。
夏の間でも手荒れするものはするので、これが冬ともなればこんなものじゃすまないだろう。また、貴族に戻りたい。
「貴族の皆様は手が一番大事って聞いた事があります」
「そうですね、手の綺麗さで所作などの見映えに影響しますから」
「私、平民だったので、あまりよく分からないです」
マミーユ様はいつも「私は平民だから」という言葉を口にしている。自分の事をあまり良いものとして扱っていない気がする。もしかしたら、彼女も私と似たような境遇にあるのでは、と少し心配になった。
お風呂掃除があらかた終わり、マミーユ様は研究室に行く時間だと言って、出て行ってしまった。
ここに残ってるのは、当然私だけで、お風呂に響くブラシの音がなんとも寂しさを演出している気がした。
「あ……足も割れていたのね」
ブラシでこすっていた床を見つめていると、私の足がチラッと視界に入ってきた。足にも靴擦れや、ひび割れた部分があった。
それが、物凄く悔しい気持ちでいっぱいだった。あの時ああしていれば、こうしていれば。こういう事ばかりが頭をグルグル回っている。
メルディーラ様は私の事、どう思っているのか。使える侍女だと思ってくれているのか。
そこが一番わからなかった。聖女の力で「餌になってもらう」なんて言われてしまったけど、それはメルディーラ様の意思ではない、と分かっていた。
それでも、知りたかった。もしも、いらないと言われても、すぐに立ち去る準備はできている。
「カリスティー、いるかい?」
「はい、います」
急いで、こぼれそうになった涙を袖で拭い、ブラシで掃除しているように見せかけた。
現れたカリーレ様は走ってきたのか、息を切らしてお風呂場の中まで駆け寄ってきた。
「来てくれ、すぐにだ」
何もかもが分からないまま、私はカリーレ様に連れて行かれた。連れてこられたのは、メルディーラ様の研究室だった。
カリーレ様は躊躇なく扉を開けて中に入った。
「カリスティー、それを手に塗ってみて」
「こ、これは……?」
机の上に置かれてある小壺。札に一と二が振り分けられていて、棚の上には小瓶がたくさん並べられていた。
小壺の蓋を開けた時、そこにはクリーム色の液体のような固形のようなものが入れられていた。
僅かに蜂蜜の匂いがして、このまま食べることはできそうだ、と思う。
少し考えていたら、メルディーラ様が悲しそうに私を見つめていた。だけど、これは目的のためであり、お互いがお互いを利用している存在なのだ。
「メルディーラ様、これは私が決めたことです。そんな顔をなさらないでください」
何となく、メルディーラ様が悲しそうな顔をしているのは、見たくなかったけど、仕方なかった。
「そう……」
短い言葉なのに、メルディーラ様はもう悲しそうにしていた。
早速、小壺の一と書かれてある札の中身を、人差し指に付けた。しっかりと糊のように、私の手へ馴染んでいった。
少しすると、突然手が光りだし、眩しくて目を瞑った。しばらくした後、光が引っ込んだ。私は光を放った手を見つめた。そこには、手荒れ一つない滑らかな指があった。まるで、貴族令嬢だった頃の自分へ戻ったようだった。
「これは……」
まるで、自分の心が洗われたような気がする。メルディーラ様は私にこれを授け、お仕事を次々とこなすことを期待してくださっている。
それがたまらなく嬉しくて、誇らしさとともに胸の奥から力が湧いてきた。
私は穏やかな笑みをメルディーラ様にソッと向けた。




