58 領主の書類仕事
ヤーネットの部屋を出て、私たちは領主の執務室へ向かった。道順はレオネットが前もって聞いていたらしい。
「レオネット様のおかげで無事に執務室へ着きそうです……」
「まだまだですね、必要以上の情報を手に入れておかないといけません」
「はい……」
反省しているカリスティーに小さく応援を飛ばしながら、私たちはひたすら歩き続け、ようやく執務室の前の扉までやってきた。
ここまで来てなんだけれど、いつもベリルが道案内してくれていたのに、急に自由に行動させていいのだろうか。
他貴族の気配はないこの長い廊下に、なんだかちょっと寂しい気持ちが湧き上がる。
レオネットが扉を三回叩き、中から「入れ」と領主の低い声が帰ってくる。
そして、レオネットとカリスティーで両扉を全開に開き、私は扉をくぐった。
「失礼します」
「来てくれて助かる」
領主に短くお礼を言われ、コクリと小さく頷き返す。周りを見てみると、ブリジストはおらず、代わりに六人ぐらいの貴族たちがいた。
「この人達は?」
「私の従者だ。主に書類整理をさせるようにしている。昨日から育てているがな」
思ったよりも最近だけれど、皆の視線が全て私に向いている。なんだか気恥しい。
「お初にお目にかかります。現聖女、メルディーラともうします」
なんとなくそう言った方がいいような気がして、挨拶をしてみると「本当に聖女様がいらっしゃるとは」「まさか感情がある噂は本当だったのか」など言ってらっしゃる。
私は根に持つタイプではないけれど、散々親無し貴族なんて言っていた他の貴族を叱ってやりたいと心の底では思っているよ。
「座りたまえ、ブリジストもそのうちやってくる」
「はい。ところで、なぜわたくしは領主様方と書類仕事を?」
短く返事を返して、後の話をしながら柔らかい椅子に座った。とってもふかふかしていて気持ちがいい。
「君の書類仕事の能力を確かめるのと、従者六人が五歳児に負けるところを見てみたいと思ったからだ」
「あら、皆様はもちろん早いですわよね?」
チラッと目を向けてみると、全員が目を逸らした。もしかして本当に私に負けると思っているのだろうか。それなら貴族なんてやめた方がいいと思うよ。
「待たせたな」
閉められていた扉が思いっきり開けられ、そこから入ってきたのはブリジストだった。いつも通り清々しい顔をしながらやって来た彼は、周りの人達を一人ひとり顔を見つめていく。
最後に私の顔を見た後に「ふん」と鼻を鳴らした。
(何よ!)
なぜ私の顔を見て鼻を鳴らしたのか、意味がわからなすぎるが、とりあえず渡された書類をやって行こうと思う。
その書類には四桁から六桁ぐらいの数字を足していくだけのお仕事だ。
「では、日没までには終わらせるように」
そう言いながら、ブリジストは机の真ん中に何かを置いた。
それは、何度も見たことのある魔道具だった。
猫型の取っ手がついた、光を放つ照明器具だ。
「これ、使っているのね」
「ああ、つい先日に買った。君が研究した成果なのであろう?」
「ええ、そうよ……」
「一つだけ買ってみたが、使い勝手がいい。ただ、私の魔力じゃあ、使えなかったがな」
私と一緒だ。私も魔力核に魔力を注ぎ込んで、取り付けたとしても照明器具は反応しなかった。まさかブリジストもだったなんて、ちょっと親近感が湧く。私だけではないと安心したのだ。
「わたくしも一緒ね」
「早く計算を終わらせて、こちらの書類を終わらせなさい」
「はぁい」
「メルディーラお嬢様、威厳あるお姿を」
コッソリとレオネットが私に、短く返事を返しなさいと叱った。私はただの人で五歳児だし、ちょっとぐらい子供らしくいてもいいと思う。
まあ、ここで子供らしく、なんて使うのは都合がいいものなのかもしれないけれど。
書類仕事に入り込み、計算を次々やっていく。
思ったよりも、六人の貴族達よりも早くできて、合計までも全て完璧に終わらせている。貴族なのに計算が遅いのは、普通なのだろうか。
「ここにいるもの達は、家では何をして過ごしているのかしら。お屋敷での書類仕事はあるのでしょう?」
私が貴族達に質問を投げかけたが、困ったように右左と目を泳がせている。その後に返事をしていいのか、という視線を領主に向けていた。
領主はひとつ頷き、許可を出した。そして、領主席に一番近い男性貴族が立ち上がり、私の問いに答えてくれた。
「私たちは家での書類仕事は、皆従者に任せております。なので、ここでのお仕事が可能になりました」
「そう、では従者たちに任せていなかった時は?」
「……その家の当主がやっていました」
まああれだけ多い書類だもの。疲れるし、大変だったに違いない。毎日やれば過労で倒れてしまう。
「わかったわ、皆の私生活を知れてよかった」
「ありがいお言葉でございます」
お腹に手を回してお辞儀をする貴族一号さん。所作はとても綺麗で、その書いている字も綺麗だと思った。
私たちはまた沈黙の書類仕事が再開し、ペンを走らせる音だけが妙に大きく聞こえている気がした。
山盛りの中から、適当に一枚を抜き取り、その内容を確認している時、妙な報告文があった。
『聖女候補が誘拐された可能性あり。第二領地では、全騎士を動員して捜索中』と書かれている。本当に気味の悪い報告文だ。
ジッと眺めていると、ブリジストがその報告書を奪い取り、クシャッと潰してしまった。
「紙は高いのよ?」
「こんなもの、貴族にとっては普通の値段だ。それより、今見たものは忘れておくように。君には関係がない」
「いやよ、聖女のわたくしと間違えて誘拐されていたのでしょう? 現聖女はここの領地だと公表はされているの?」
またもや沈黙の空間と化している。この反応を見ている限り、まだ公表をしていないのが原因で、見ず知らずとはいえ、聖女になれなかった候補者が誘拐されているというのに、誰も助けに行こうとしていない。
多分遠いところなのはわかるけれど、私のせいで関係ない人まで巻き込まれているのが、どうしても嫌だった。
「案ずるな、手立てはある」
「助けられるのかしら」
「もちろんだ。魔族が何百年生きていると思っている。王都にいる音の魔女は千年ぐらい生きている。対処ぐらい容易だ」
その言葉に安心した。私が誘拐されるなら聖女の力で何とかできる。けれど、力を持たない一人の子供を誘拐されてしまえば、手も足も出ないのが、現実なのだ。
長い長い書類仕事がようやく終わりの兆しが見えてきた。貴族たちの書類は、私が代わりに半分ほど引き受けて、片付けた。
こんな簡単な計算もできないなんて、とか思っていたけれど、簡単でも量が多すぎる。
貴族街に住まう者たちの申請書類や、お金の使い道。たまに横領などが見つかり、それを特定するなんてこともしていた。
「やっと終わったわ……これは簡単でも量が多いわ」
「よく分かります聖女様。毎日がこの量なのですが、今日は聖女様がいらっしゃったおかげで、随分と早く終われました!」
と元気に言ってくれるが、もう日没間近のこの時間帯で終わったのに、私がいなかったら完全に日が暮れていたと思うのだけれど。
(通りで……)
私は思い出していた。
領主と初めて会った日も随分と夜中だった。領主も本当に大変なんだな、とひしひしと気持ちが湧き上がる。
王都に着いたら、肩叩き魔道具でも作ってあげようかと思う。振動させるなんてそんなことできるのか分からないけれど。
何はともあれ、ようやく帰れるのだ。早速家に帰って魔石研究の続きをするのだ。
「メルディーラ、夏の終わりが近づいている。夜は冷える。風邪を引かれれば、また書類仕事ができなくなる」
最後の言葉にムッと苛立ち、睨みつけてみるが、ブリジストは特に気にしていなかった。
領主にも笑顔で見送られ、私は執務室を出た。
もう、夏が終わりかけているなんて、時間が過ぎるのが早く感じる。
領主の館を出ると、暑くもなく涼しくもない生ぬるい風が木々を揺らしている。
空を見上げれば、雲の切れ間から星が一つだけ輝いていた。
「早く完成させないと……」
早く家に帰り、塗り薬を完成させないといけない。




