30 鹿
ヘンテコな誓いを立てたあとは、鹿を狙ってくる魔物がいるそうだ。
「お嬢様、木の上へ行きましょう。一体を倒せば、群れは逃げていきますので」
「わかったわ」
カリーレに返事をして、鹿を一度チラッと見たあとに、木の上へ移動した。
「いつ来るのかしら、なんで迎え打つの?」
「今回の獲物は寄ってくる魔物にあります。魔石の取り方を教えるつもりなのです」
私たちは下を眺めながら、垂れる足をぶらぶらと揺らし続けてどれくらい経ったのだろうか。太陽が真上にある。
朝食を食べたあとに出発したので、もう昼食の時間になっているはず。お腹が空いた。
「お嬢様、食べられるものを用意しましたよ、こちらのサンドイッチをどうぞ」
「ピクニックみたいでいいわね! ところで、カトラリーは?」
木みたいな棒をいくつも編まれてる箱を鞄から取り出したカリーレの手には、カトラリーがない。どうやって食べるのだろう。
「手で掴んで食べます」
「はしたないわ……レオネットだったら、叱られているわよ」
苦い笑いを浮かべながるカリーレを見つめ、私はサッとサンドイッチを手に取った。新鮮な野菜も入っていて、とても美味しい。
「お嬢様はなぜ貴族の森へ行きたかったのですか?」
サンドイッチを飲み込んだ後、それを見計らったように問われる。私は少し考え、どう伝えるべきか悩む。
「貴族と平民の境界線になっているこの森は、なぜ貴族の資格がないと通り抜けないのか、気になっていたの」
「確かに、考えたことがありません。なぜでしょう」
カリーレは空を見上げ、考えていた。私も同じように見上げ、考えてしまう。
貴族の資格はどうやって分かるのか。なぜ通り抜ける度に魔力を必要とするのか、全くわからないでいた。
「これは考えても無駄ね。それよりも、まだ来ないのかしら」
「お嬢様……まだ時間はそれほど経っていません」
そう宥められ、私は貴族の森のことを観察と考察を繰り返して、時間が流れるのを待った。
太陽が少し傾いた頃、遠くからは「あおー」と遠吠えが聞こえてくる。
「そろそろです、お嬢様。いつでも魔力を打ち出せる準備を」
「ええ」
指先にほんのちょっぴり魔力を流しておく。私の場合、投げるように振れば刃のようになって飛んでいくのだ。
「来ます」
囁くように、そして短く私に声をかける。草むらの中から無数の狼がやってきた。どれも灰色か黒色の毛色をしており、吊るされている鹿を見て「ガルル……」と唸っている。
「では、お願いします」
その声にひとつ頷き、思いっきり手を振って光の刃を飛ばす。飛んだのはいいが、結局当たらずに毛皮を掠めただけだった。
「えい! えい!」
無我夢中でたくさん飛ばしてしまったが、どれも当たらずに地面を少し抉る程度で、狙いが難しすぎる。
飛んでくる刃に気づいた狼たちは、カリーレが相手をすることになり、魔力弾で次々と気絶させて行った。
「わたくし、必要ないわね」
「そんなことありませんよ……その小さな体に、どれだけ魔力があるのですか」
立ち去っていく狼の背中を見つめながら、私は「そんなの知らないわよ」と返事を返すと、カリーレはひとつため息を吐いて、狼たちにナイフを振り下ろしていく。
「こ、これも血を抜くのかしら……」
木の上からカリーレの背中を見つめながら、私は聞いてみた。
「いいえ、中に魔石と魔力核を取るだけで、この眠った狼たちはこのまま置いていきます」
「そう……」
これ以上何も言わないで、ずっとカリーレの背中を見つめる。彼女には迷いがひとつも無い。そして、きっと顔色も変わらない。
あんなに元気なカリーレが、今や頼もしく見える。
「魔石と魔力核です。魔力核のある者は、全然いませんでしたが」
魔石と魔力核がカリーレの両手の上にある。私は降りたあと、その両手を覗き込んでみる。
「なんだか、魔石は色が複雑ね」
「私は色んな適性を持っているので、属性の色が影響を受けていますね」
属性の影響を受けるというのは、こういうことなのだろう。なんだかひとつ賢くなった気がする。
その後は、太陽がオレンジに変わる前に帰還することにした。大きな鹿は、私の光の足場に乗せる。二つの足場を同時に操作して、屋敷の方へ飛んでいく。
(大きなものを倒すどころか、一体も倒せなかった……)
私はなるべく鹿を視界に入れないようにしながら、愚痴を零す。この光景は、カリーレからしたら普通のことだろうか。だとしたら、いつも意地悪したのは申し訳ないと思う。
お屋敷の庭へ降り立ち、鹿もドサッと音を立てながら地に着いた。
「メルディーラお嬢様。おかえりなさいませ、いかがでしたか?」
振り返ると、レオネットが綺麗な佇まいをしながら、立ち尽くしている。
「何も捕えられなかったわ……」
「そうですか。では、お風呂に行きましょうか」
「ええ」
レオネットはカリーレと鹿を置いて、踵を返して歩いていく。私もその背中を追いかけて歩く。
湯船に浸かり、頭をレオネットに優しくゴシゴシと洗われながら、嫌なものを見せたレオネットに文句を垂れる。
「あの最後の光を失った鹿を見せるために、わたくしをあのようなことを?」
「……はい、カリーレには情報を隠すというのを練習してもらわなくてはなりませんね」
「それはダメよ、嘘が上手になってしまったら、わたくしは誰を信用すればいいのよ」
レオネットの手は一瞬動きが止まった。その後はお湯をバシャーと音を立て、お風呂場に響かせる。
「申し訳ありません。以後、気をつけます」
振り返ると、深々と頭を下げるレオネットを見て、びっくりしてしまった。叱ったような形になってしまったのだろう。謝って欲しい訳ではなかったし、私から無理を言って貴族の森へ同行したのだ。謝られることではない。
「レオネット、謝らないでちょうだい。何をしたいのか分かっているわ。でも、わたくしは自分の力で皆と一緒にいられるような生活をしたいの」
「……わかりました。本日、おやすみ前にブリジスト様からの、書面をお見せします」
レオネットは綺麗な佇まいに戻す。ブリジストの書面。それだけでも、緊張が心臓を締め付ける。予想が当たってしまうのが、怖い。
体を拭かれ、食事の間にて夕飯を食べる。外はすっかり夜になっており、どれくらいお風呂に居たのか。一人でゆっくりお風呂に浸かるのは良くないかもしれない。
「メルディーラ様、鹿を捕らえてきてもらい、ありがとうございます。捌いたあとは、明日の夕飯にお出ししましょう」
「え、食べられるのかしら」
「もちろんです。きっと美味しくできましょう」
あれはカリーレが捕らえたもので、私は何もしていない。無駄撃ちをして外しまくった挙句、その後の処理も全部カリーレなのだが、彼女は「お嬢様が倒したことにしてください」と伝えられた。少々、食べるのが申し訳なく感じる。色んな意味で。
「レリアナートに任せるわ、水の魔道具は一月から三月ぐらいかかると言っていたの、それまで頑張ってちょうだい」
「それは嬉しいことです。三月ぐらい、いつもの事をしておけば良いので、問題ありませんよ」
そう言いながら、レリアナートは私の前まで歩み寄り、頭を撫でてくれる。それが嬉しい。侍女たちはみんな触れると壊れると思ってるのか、あまり撫でてくれないのだ。
疲れきった体、特に何もやっていないけれど、今晩のデザートは疲れた体には染みるものだった。
自室に戻り、花嫁修業をして、レオネットが一枚の紙を持ってきた。一体何が書かれているのか、ものすごく気になる。私たちは一体どうなるのかもだ。
「メルディーラお嬢様。こちらをご覧くださいませ」
(未来の問題なんて、全部私が追い払ってやります!)




