インセイン・ラブ
「(四年前と変わっていなければ、サンとクズルヒはキイ半島の山奥にいるはず)」
大陸からジパングに帰ってきたセイメイは、蘇った記憶を辿り、二人の隠れ家に足を運んでいた。
うっそうとした森の広がる山地の奥。
修験者以外足を踏み入れないような秘境の一角に、その陸蛸の宇宙船は墜落している。
陸蛸を十体以上は収容できそうな大型の円盤が墜落した衝撃で、周囲の木々が薙ぎ倒され、ぽっかりと空き地ができている。
かつて二人を捜索していたセイメイたちは、この場所で何度もクズルヒに遭遇し、そして戦うたびに記憶を消されていた。
「(今も二人が冒涜的な計画を進めているのならば、儂の為すべきことは……)」
胸に暗い覚悟を抱き、宇宙船の前までやってきたセイメイは、ふと足を止めた。
宇宙船のハッチが開き、一人の子供がセイメイを出迎える。
「ひさしぶり、狐のババア」
地面に届くほどの長い黒髪。絹の白い服。見下すような目つき。
四年前より身体は成長しているが、纏っている尊大な雰囲気は変わっていない。クズルヒだ。
「もう諦めたのかと思った」
クズルヒは、人を小馬鹿にしたような笑いを口元に浮かべる。
「サンの正気を取り戻すまで、儂は諦めん」
「お母様はずっと正気よ」
「お主から見ればそうかもしれんが…な」
セイメイはあたりをぐるりと見回した。
「サンはどこにおる? 船の中か?」
記憶の中では、クズルヒが姿を現すときは必ずサンがそばにいた。
それなのに、今はクズルヒ一人しかいない。
「……お母様は、忙しいから」
心なしか、クズルヒの顔が曇った。
その反応を訝しむセイメイだったが、再び宇宙船のハッチが開き、理由を知ることになる。
「わたしなら……いるわ、よ」
見知らぬ少年に肩を支えられ、サンがよろよろと歩いてきた。
その容貌を目の当たりにしたセイメイは息を呑む。
「……ッ!」
サンの顔や身体の一部が爛れたように盛り上がり、歪な腫瘍となっている。
ただの腫瘍ではない。別の生き物のように蠢き、太い血管が脈打っているのが遠目でもわかる。あまりにもおぞましい姿だった。
「元気そうで何よりだわ、お師様」
「サンは……そうでもなさそうじゃの」
「軽い病にかかってしまってね……ゴホッ」
サンが咳き込むと、虹色に光る痰が土を汚した。
人の理を超えた何かに肉体を蝕まれていることは明らかだ。
「……儂が診よう」
セイメイは手を伸ばして一歩踏み出す。
「今からでも遅くはない。馬鹿げたことはもうやめて、戻って来るのじゃ」
しかしサンは首を横に振り、セイメイは足を止めた。
「クズルヒを陸蛸の女王にする。そして九頭龍様を復活させるの。それがわたしの使命」
「サン……」
かつても二人は出会うたびに同じ問答を繰り返していた。
どんな言葉で説得しようとしても、返ってくるのは「使命だから」の一点張り。
その唾棄すべき”使命”は、もはやサンの中で強迫観念と化しているように見えた。
疑う余地のない、絶対的な天啓。
それはもはや、洗脳のようなものだとセイメイは感じていた。
「ムナガラ! お母様を外に出すなと言ったでしょう!」
クズルヒが鋭い剣幕で怒鳴ると、サンの身体を支えていた痩せぎす少年が、怯えたように縮こまった。
ムナガラという名前らしい。サンとクズルヒの顔色を交互に窺っている。
「だって……母さんがどうしてもこの人に会いたいって……」
「命令一つ聞けやしない。グズなんだから」
「き、しし……」
クズルヒが吐き捨て、ムナガラは卑屈に笑った。
「その子供は?」
セイメイはサンに尋ねる。
「養子にとったの。行き場をなくしてたから……ゴホッ。お師様が、私を、拾ってくれたみたいにね」
ムナガラは敵意剥き出しの濁った目でセイメイを睨んできた。
さぞ酷い環境を生き延びてきたのだろう。世界のすべてを恨んでいる目つきをしている。
もしも、この荒んだ少年がサンの”使命”に共感しているのだとしたら。
今はまだ子供でも、このまま育てばきっと良くないことを引き起こすに違いない。
「それより、今日はあんた1人なんだ。朝廷の奴らはどうしたの?」
クズルヒに呼びかけられ、セイメイは顔を上げた。
「足手まとい。そう判断した。以前お主と戦ったとき、まるで歯が立っていなかったからの」
「記憶……消したはずじゃ」
初めてクズルヒの顔に驚きの色が浮かんだ。
セイメイは不敵に笑って見せる。陸蛸と戦うときは、常に精神的に優位たれとバステトから助言されていた。
気を許せば呑み込まれる。それが陸蛸という存在だと。
「あの夜、手を下せば良かったとずっと後悔していた」
すべては自分の優柔不断さが招いたこと。
サンの娘だからといって情が湧いてしまっていた。二度と同じ過ちはしない。
「恨みはないが……クズルヒ、お主は生きててはならぬ存在じゃ」
先端が鎌状に曲がった短剣を懐から取り出し、クズルヒに突きつける。
自分に言い聞かせるように。感情を殺し、目の前の幼子が”敵”であると再確認するために。
「……わたしはあなたを恨んでるけどね」
「何?」
ところがそんなセイメイと対照的に、クズルヒの口から出てきたのは、隠しきれない感情……嫉妬の言葉だった。
「お母様ったら、ずっと寂しがっていたんだよ。お師様が探しにきてくれないって。もう見捨てられたんじゃないかって」
「……!?」
セイメイは困惑してサンの方を見る。
サンは九頭龍に心酔し、それゆえにセイメイのもとを去ったのではないのか。
なのに寂しがっていたとはどういうことか。
「あなたを殺さず、記憶だけ消していたのもお母様の指示。よほど愛してるのね、あなたのことを」
「サンが……」
「だから、わたし、嬉しいの。ようやくあなたをこの触手で殺せる」
クズルヒは嗤い、背中から大量の触手を伸ばす。
「クズルヒ、ダメ」
殺意を剥き出しにする娘を見て、サンは血相を変えた。
「お母様、セイメイはもう手加減して勝てる相手じゃない。殺らなきゃ殺られる」
油断のない目でクズルヒが見据えているのは、セイメイが取り出した鎌型の短剣だ。
その短剣は、バステトから授けられたもの。
刀身には、燃える瞳が中央に置かれた五芒星模様が彫られている。
バステト曰く、この五芒星模様には陸蛸を退ける力があるのだという。
クズルヒがそのことを知っているとは思えないが、本能で危険を察知したのだろう。
「お師様も、お願いだから娘を殺さないで!……ゴホッ!」
「サン、ならばクズルヒに命じてくれ。陸蛸の女王になどなるなと。人として静かに生きろと。お主の言葉にならば耳を貸すはずじゃ」
「それは……………………」
「……残念じゃよ」
弟子の沈黙に、セイメイは嘆息する。もはや今のサンと対話は不可能だと結論づけるしかなかった。
セイメイは改めてクズルヒと向き合う。
「ゆくぞ」
セイメイは大地を蹴った。
草履に仕込んでいた”風遁”の聖術を発動し、クズルヒとの間合いを詰めようとする。
「遅い!」
しかし高密度に張り巡らされた触手の壁はセイメイを寄せつけない。
それどころか余った触手で、死角から身体を絡めとろうとしてくる。
五年前のセイメイはそのまま呆気なく捕まり、記憶を消されていたのだが……。
セイメイがバステトとの修行で手に入れたのは、五芒星の短剣だけではなかった。
セイメイは捕まる直前、”上”へ急旋回した。
そして追いかけてくる触手を上空で縦横無尽に避け続ける。
「飛んでる……!?」
聖玉の正体は、陸蛸の宇宙船を動かす汎用エネルギー。
そして”風遁”の本質とは、宇宙船が飛行するための反重力エネルギーだ。
それが、セイメイによる聖玉の研究と、とある南蛮人による”重力”という概念の発見を重ね合わせた結論だった。
「飛ぶ」のではなく「落ちる方向を変える」のだとイメージすることで、”風遁”はその真価を発揮する。
使用者の脳への負担を最小限に、長時間自由自在に滞空できるのだ。
「鬱陶しい!」
ムキになったクズルヒが無造作に伸ばしてきた何本もの触手めがけて、セイメイは五芒星の短剣を投げ飛ばす。
短剣がブーメランのように弧を描き、次々と触手を斬りつけていく。同時に五芒星模様が発光し、切り口の肉が煙を上げて溶けた。
「ぐううううっ!!」
クズルヒは苦痛に歯を食いしばる。
セイメイは戻ってきた短剣を再び握ると、クズルヒに向かって一直線に急降下を始める。
応じるクズルヒは腕の触手を硬質化させ、真っ向から迎え撃つ。
衝撃波と共に二人はぶつかり合い、鍔迫り合いの体勢になった。
「クズルヒよ、お主の意思はどうなのじゃ! 陸蛸の女王とやらになりたいのか! 人間を滅ぼしたいのか!」
「はっ! 陸蛸も人間もどうだっていい!」
間近で問いかけるセイメイに、クズルヒは吐き捨てる。
「お母様が期待してくれる! わたしにしかできないことがある! だから応えたい、それだけよ!」
「その期待は紛い物じゃ! 本来のサンが人間の滅亡など望むはずがない!」
「本来の、お母様……?」
「サンは狂わされてしまったと! 何度も言っておろう!」
クズルヒに動揺が走り、体勢が揺らぐ。
セイメイはすかさず触手の下に潜り込むと、急所めがけて真っ直ぐに短剣を突き出す。
「(獲った!)」
しかし刃が届く寸前、セイメイの鳩尾を強い衝撃が襲った。
その衝撃の正体は、膝。
背中の触手をバネにして勢いをつけたクズルヒの膝蹴りが、セイメイの懐を突き上げていたのだ。
触手ばかりを警戒していたセイメイにとって、四肢を用いた格闘術はまったくの盲点だった。
「あぐ……!」
地に膝をついたセイメイに、上方から触手の連撃が叩きつけられる。
クズルヒの目は……怒りに燃えていた。
「お母様は、狂ってなんか、ない!!」
クズルヒは激昂しながらセイメイを攻め立てる。
「”本来のお母様”だったら、化物のわたしを愛してはくれなかった! わたしのお母様は今のお母様だけだ! あんたが取り戻そうとしてるお母様はもういないんだ!」
「クズルヒ、お主は……!」
「わたしの大好きなお母様を、否定するなぁ!!」
怒号とともに、五芒星の短剣が触手によって鋭く弾き飛ばされた。
セイメイは大きくのけぞり、胸元に致命的な隙を晒してしまう。
「しまっ……!」
「死ねぇ!!!!」
――そのとき。
セイメイもクズルヒも、戦いの中で興奮状態にあった。
お互いにとって大切なただ一人の人を守るために必死だった。
周囲の状況も見えないほど、相手の命を取ることだけに死力を注いでいた。
ゆえに、サンがムナガラの制止を振り切り、駆け寄ってきていたことに。
セイメイもクズルヒも、気づけなかった。
血飛沫が飛ぶ。
触手にえぐられた肉片が、セイメイの服を汚す。
口から吐き散らされたドス黒い血が、クズルヒの顔にかかる。
すべての動きが止まり、時間が凍結する。
「サ、ン」
「お母、さ、ま……?」
サンが、クズルヒの攻撃からセイメイをかばった。
突然の出来事を理解できず、二人は絶句する。
サンは光のない瞳でクズルヒを見つめ、何かを喋ろうとするが……ごぼごぼと血の泡の音だけがした。
「……いや、いやだ」
クズルヒは力なく触手を抜き、一歩、二歩と後ろに下がった。
いやいやと首を横に振る。幼い顔が歪んでいく。
困惑、驚愕、嫌悪、恐怖、逃避。
それらすべての感情が綯交ぜになり……すぐに悲痛な叫びとなって爆発した。
「いやああああああああああああああああああああああ!!!!」
クズルヒの全身から無数の触手が生え、彼女の体を包み込む。
服も裂け飛び、もはや人の形を為さない触手の塊と化したクズルヒは、そのままとてつもない速さで森の奥へと姿を消した。
「クズルヒ……待って……!」
瀕死のサンとクズルヒの逃げた方向を交互に見ていたムナガラは、しばらく逡巡した後、クズルヒの後を追って森へ入っていった。
そして森の空き地には、セイメイとサンだけが残された。
「す、すぐに治す!」
一方のセイメイは、クズルヒを追いかけるよりも、サンの命を救うことを選んだ。その選択に迷いは一切なかった。
やはり激しく動揺していたが、パニックにならず行動できたのは年の功のおかげだったのだろう。
サンの身体を地面に寝かせ、手のひらから陰陽術で生命力を分け与えようとする。
ところが次の瞬間、信じられないことが起きた。
再生しかけてたサンの胸の傷の肉が、異様に盛り上がり始めたのだ。
その肉塊はまるで別の生き物のように蠢き、小さな触手まで生えてきていた。
顔の腫瘍といい、サンの身体はやはりただの人間ではなくなっていた。
「その身体は」
「昔……陸蛸さんに”注がれた”から、かしら……ゴボッ」
「サン!」
血反吐を吐きながら、サンが言葉を発した。
「触手憑き、に、なりかけてるの、かも……。あの子の前では言えなかった、けど、ね」
「なぜじゃ……! なぜ儂を庇った!」
問いかけながら、セイメイは必死に生命力を送り続ける。
しかしサンの回復は微々たるもので、いたずらに肉塊が膨れ上がっていくばかりだ。
「サン、儂にはお主がわからぬ!」
「お師、さま」
「洗脳されたのではないのか! 九頭龍を復活させるのではないのか! だから朝廷を抜けたんじゃろう!」
「……」
「そうすれば九頭龍戦争の二の舞になる! 人間たちはまた殺戮される! なのにお主は人を殺さず、記憶を消すだけで! 儂を庇ってこんな目に……!」
「……」
「儂のことを想っているのなら、戻ってきてくれよ……!」
ほとんど泣きそうなセイメイのことなどお構いなしに、傷口からは触手が伸びてくる。
セイメイがそれを無造作に手でちぎると、サンが痛みに呻いた。
「サン!」
「平気……どうせ、ゴボ……もう長くない」
「しかし」
「それよりも、お師様に誤解されたまま、逝きたくない。わたしの言葉……聞いてくれる?」
誤解。
何を誤解しているというのだろうか。
「朝廷を去ったのは、あの子を守るため。お師様は優しくても、大臣たちは、きっと許さなかったから」
「……」
「それに、人間を滅ぼしたいなんて、思ってもいないのよ」
「やはり、サン、正気に……」
今までの行いはすべて陸蛸に洗脳されていたせいで、セイメイが殺されかけたときに目が覚めたのか。
あるいはサンはずっと正気のままで、狂ってしまったというセイメイの認識が間違っていたのだろうか。
今更信じられないが、しかしたった今、身を挺してセイメイを庇ったばかりだ。
そんな都合の良い可能性を、セイメイは一瞬だけ期待してしまった。
しかし。
「復活した九頭龍様に、命を捧げることが、最高の誉。それまでは誰の命も無駄にできないわ」
「っ……!」
「できることなら、お師様と、クズルヒと、それにムナガラと……大好きなみんなと一緒に、この身を捧げたかった」
「……そうか」
セイメイは力なく手のひらを下ろした。
それは、サンの命を救うことを諦めてしまったということ。
あらゆる意味で手遅れだったと受け入れてしまったということ。
「お師様? なぜ、そんな悲しそうな、顔をするの」
「……なんでもない」
生命力の供給を絶たれたサンは、みるみるうちに衰弱していき、傷口の触手の動きも鈍くなっていく。
そんな彼女をただ看取ることをセイメイは選んだ。
「クズル、ヒ……ごめ、ん、ね」
細い呼吸の中、サンはかろうじて娘への謝罪を吐き出す。
それが最期の言葉となり――サンはついに動かなくなった。
「……クズルヒ、か」
セイメイはサンの瞼を閉じてから、触手の塊が逃げていった方向に目を向けた。
木々が倒されて出来た道の先は、真っ暗な森が続いている。
今から追いかけて追いつけるだろうか。
この広い山地の中から、探し出すことができるだろうか。
低い可能性を追いかけるよりも、今はサンの死を静かに弔いたいのが本音である。
しかし、やらないよりはマシだろう。
ジパングの守護者として、そのために力をつけてきたのだから。
「待っておれ……クズルヒよ」
セイメイは涙を拭うと、クズルヒの後を追って森へと姿を消した。




