母子
九頭龍戦争が終結してから三年後。とある晩秋の日。
セイメイは朝廷の大臣たちと会合を終え、御所の敷地内にある私宅に帰ってきたところであった。
セイメイは廊下を歩きながらため息をつく。彼女を悩ませる専らの原因は、二年前に増えた新しい同居人の存在だ。
弟子のサンとの生活に加わった三人目の”彼女”。
その彼女は、セイメイが書斎の扉を開けた先で、黙々と本を読んでいた。
「儂の書斎を散らかすとはいい度胸よのう、クズルヒ」
「セイメイ」
クズルヒと呼ばれた幼子は、興味なさげに顔を上げ、また本に視線を戻した。
幼子が本を読んでいる。ただそれだけの光景がいかに異様であるか。
そもそも、クズルヒの年齢はわずか二歳。普通の人間ならばまだしゃべるのもおぼつかない年頃だ。ところがクズルヒは難しい書物を読みこなし、そして完璧に理解している。
そして、いまクズルヒが読んでいる書物は一冊だけではない。
クズルヒの背中からは、目玉のついた触手が何本も生えており、それぞれの目が床に広げられた書物を同時に読んでいるのだ。
「儂の蔵書を読みたいときは、先に許可を取れと言っておろうに」
「なぜわたしが下等生物に許しを請わなきゃいけないの?」
「こやつ……!」
クズルヒの不遜な物言いに、セイメイはこめかみをひくつかせる。
「九頭龍様が蘇ればあなた達なんてみんな等しく塵に消えるの。身の程をわきまえなさい」
ずいぶんとまあ電波なクソガキに成長したものだとセイメイはゲンナリする。
これもすべてサンの熱心な教育の賜物である。そう、サンの……。
「サンはどこにおる?」
「中庭。聖玉を使う実験中だって。……ああ、ちょうど帰ってきたわ」
目玉付きの触手を窓の外に伸ばしていたクズルヒの声が、心なしか高揚した。
ややあって、溌剌とした若い女性……サンが書斎に入ってきた。
「ただいま〜! クズルヒいい子にしてた? 寂しくなかった?」
サンは帰ってくるなり、クズルヒを抱きしめて激しく頬ずりをする。
「お母様、く、苦しい……」
見ての通りだ。サンはクズルヒを溺愛している。
我が子が怪物のカタチをしているにも関わらず愛を注ぐ。その事実だけを切り取れば美談なのだろうが、しかし、セイメイにはそうは思えない理由があった。
「あら、お師様も戻ってらしたの!」
サンはクズルヒから手を離し、今度はセイメイをもみくちゃにする。
「はあ〜お師様もかわいいですよ。かわいい子2人に囲まれて、わたし幸せだわあ」
「だから儂を子供扱いするなと……!」
「下等生物のババアと同類扱いしないでよね!」
二人の人外幼女から各々に抗議されながらも、サンはニコニコしている。
サンはいつも笑顔を絶やさない性格だが、今日は特に機嫌が良さそうだとセイメイは感じた。
「それよりお師様、聞いてほしい報告があるの。聖玉の新しい力を発見したわ!」
「新しい力?」
「触手のサンプル断片を思念だけで操作できたの。術式の必要ない、まったく新しい能力よ」
「馬鹿な。そんな力を、どうやって見つけたのじゃ!? もしや魔道書を読み解いたのか?」
陸蛸や聖玉の謎を解き明かすことは、二人が朝廷から与えられた研究課題だ。
しかし、陸蛸の宇宙船に残されていた魔道書の──光る文字が次々と映し出される透明な石板をセイメイは魔道書と呼んでいた──翻訳はなかなか進んでいなかった。言語を操る当の陸蛸たちが死に絶えたのだから当然である。
これまでに上げた成果と言えば、聖術の術式から法則性を見出し、既存の聖術を扱いやすく改良したことくらいだ。
だから、まったく新しい発見と言うからには、魔道書の解読が進んだのだろうとセイメイは考えたのだが……。サンの答えは予期しないものだった。
「ううん、ユゴスのみんなが教えてくれたの」
「……サン?」
「ユゴスっていう遠い星には陸蛸さんたちが住んでいてね。夢の中で、わたしに語りかけてくるの。みんな、とっても面白い人たちなのよ」
自分が何をしゃべっているのか、果たしてサンは理解しているのだろうか。
冗談だと一笑に伏すことは簡単だが、しかし、サンの声色は嘘をついているようには聞こえない。
「……お主はやはり、陸蛸の研究から身を引くべきじゃ。何度もそう言ったように。どうしても続けると言うならば、破門もせねばなるまい」
「でもねお師様、これは必要なことでしょう?」
「朝廷には儂から話そう。あとは儂一人でやると」
「そうじゃないわ。陸蛸さんたちはまた地球に戻ってくる。それまでにみんなとお友達になって、お出迎えしてあげなきゃいけないの」
瞳に虚ろな光をたたえ、サンの唇は流暢にまくし立てる。
「みんなで九頭龍様を復活させるのよ。この地球はもともとあのお方が支配していたの。わたしたち人間はあのお方が眠りについている間、ただ住まわせてもらっているだけ。陸蛸たちは、九頭龍を目覚めさせ、世界をあるべき姿に戻すためにやって来たの。お師様わかるかしら? わかるわよね。だってお師様はなんでも知ってる素晴らしい人だから。きっとわかってくれるに違いないわ。いずれ目覚めるあのお方に、一緒にこの身を捧げましょう?」
悪意なき狂気に、セイメイはかぶりを振ることしかできない。
「……どうかしている」
「違うわお師様。わたしは使命を授かっただけ。だからそのときが来るまで、わたしたちでクズルヒを守ってあげなくちゃ」
サンはうっとりと言いながら、クズルヒの頭をなでた。
──これだ。今のサンの精神状態をただの子煩悩と手放しに喜べない理由が、これなのだ。
表面的には健常であるように見えても、サンはすでに正気を失ってしまっている。陸蛸に犯される前の彼女とはまるで変ってしまった。
「この子はいずれ、陸蛸たちの女王となるのだから」
そんな母の期待を向けられるクズルヒは、誇らしげな笑みを浮かべていた。
***
その夜、サンとクズルヒの寝室に、セイメイはひとり立っていた。
サンはクズルヒを胸に抱き、寝息を立てている。こうして見るとクズルヒも人間の赤子と変わらない。二人ともまるで無防備な格好だ。
セイメイは手のひらをクズルヒに向けてかざす。
このまま陰陽術を使えば──生命力を吸い取ってしまえば、クズルヒを難なく殺せてしまうだろう。
クズルヒの存在は、もちろん朝廷にも報告していた。
真っ先に殺すべきだと左大臣が主張する一方で、右大臣は朝廷の管理下で生かしておくべきだと提案した。
その言葉が親切心ではなく、触手の研究を軍事力として利用したい下心から出たものであることは明白だった。
それでも、セイメイは右大臣に賛同した。
罪のない赤子を、片親が怪物だからという理由だけで殺していいとは思えなかったからだ。
そもそもセイメイ自身が異形の存在である。
謂れのない迫害を受け、命を狙われた経験も一度や二度ではない。かつては陰陽術を制御できず、無差別に周囲の生命力を吸い取り、同胞や大切な人を衰弱死させてしまった過去もあった。
そんなセイメイに力を制御する術を……何よりヒトとして生きる術を教えたのが、アベノセイメイだった。
故にセイメイは、かつての自分をクズルヒに重ねていたのかもしれない。
正しくヒトとして教育すれば、たとえ出自が呪われていようとも共に生きられると、そう期待したのだ。
だが、誤算があった。母親であるサンの狂気がセイメイの想像以上に深刻だったことだ。
昔はサンの精神状態もさほどおかしくはなかった。おかしなことを口走る頻度も少なかったし、それも陸蛸に犯された精神的ショックによるものだと考えていた。時が経てば治るはずだと思っていた。
実際にはますます狂気に蝕まれて行っており、クズルヒをヒトではなく怪物として教育しているようだとセイメイが気づいたときには……もう手遅れだった。
子は親の影響を強く受ける。あるいはサンに影響されなくても、生まれながらにして怪物の精神の持ち主だったのかもしれない。
とはいえ、もはやその区別をつける意味はない。
クズルヒは陸蛸として自我を確立してしまった。それが現実だ。
「(だが、時を戻せるわけではない。それに……)」
サンは陸蛸がいずれ地球に戻ってくると言っている。そしてクズルヒは彼らの女王になるのだと。
もう一度陸蛸が攻めてきたら、今度こそジパングはおしまいかもしれない。九頭龍戦争で陸蛸たちが一斉に死に絶えた理由も未だにわかっていないのに、敵がその弱点を放置したままだと期待するのは甘すぎる。
そのとき、女王となったクズルヒはきっと人類にとって最大最悪の敵になるだろう。
「殺すなら、今……」
セイメイは、かざした手のひらに力を込める。空気がゆらぐ。あと数十秒ほどこの状態を維持すれば、クズルヒは苦しむことなく息絶える。
しかし──結局、セイメイは術を中断した。手を下せなかった。
「(訪れるかもわからない未来を恐れて、儂は、サンの子供を殺すのか?)」
今の状況だけを客観的に見れば、クズルヒは人を襲わないし、会話による意思疎通もできる、読書好きの生意気な子供でしかない。
そして何より、愛するサンの産んだ子供である。
これまでにもセイメイは幾度となく自問自答を繰り返してきたが、最後に行き着く結論はいつも”そこ”だった。
「(……明日、また大臣たちに相談しよう)」
少なくとも、サンの狂気がひどく進んでしまっていることは由々しき事態だ。
その問題にどう対処するのかを中心に話し合おうと心に決め、セイメイは二人の寝室を後にした。
──サンの寝息がいつの間にか聞こえなくなっていたことに、ついぞセイメイは気づかなかった。
そして翌朝。
セイメイが目を覚ますと、サンとクズルヒは魔道書とともに朝廷から忽然と姿を消していた。




