不浄なる誕生
俺たち四人は教団の洞窟を離れ、セイメイの拠点があるというフジの樹海に移動していた。
その道中、セイメイは「つまらない身の上話」をよくしゃべった。
つまらないと言ってもそれは本人の弁である。歴史上の有名な事件を生々しい体験談として話すから、俺にとっては興味深い話ばかりだった。
千年の間、セイメイは時の為政者たちとときには手を組み、ときには距離を置きながら、この国の行く末を見守ってきたという。
一方で、カエデの母親”サン”について、セイメイはまったく触れようとしなかった。
カエデはもどかしそうに何度もそのことを尋ねるのだが、セイメイははぐらかすばかりだ。
カエデが眠っている間に俺がこっそりセイメイに聞いたところによると、そもそも洞窟でサンの名前を出すつもりはなかったという。あまりの懐かしさに、つい口を滑らせてしまったのだと。
「ふさわしい場所」で話すことがそんなに重要なのかと尋ねると、セイメイは肯定した。
しかし、その理由は俺にも教えてくれなかった。
そんなこんなで丸二日かけて、俺たちはフジヤマの麓に広がる森林に到着した。
案内されてやってきたのは、森の開けたところにある湖畔のほとりだ。
「何もないけど」
あたりを見回しても、建造物はおろか山小屋の一つさえ見当たらない。大自然の景色が広がっているばかりだ。
「目印の小屋があったんじゃが、教団の奴らに壊されてのう」
セイメイはぼやきながら、土の色が濃い場所に立った。足元の土を払うと、地面に埋まった金属の扉が現れた。
「地下にあるのか?」
「入るがよい」
地下への階段を下っていくと、やがて、堅牢で巨大な銀色の両開き扉が目の前に現れた。取っ手がついておらず、金属の表面は驚くほど滑らかだ。
こんな扉は今まで見たことがない。ただ一つの既視感を除いては……。
「この質感……陸蛸の円盤に似てる」
「少年よ、円盤の中に入ったことはあるのか?」
「ない。朝廷に禁止されてたし、外から見たことがあるだけだ」
「ならばこれが初めてか」
セイメイが扉の前に手をかざすと、扉が重い音を立てながら勝手に開く。
「ようこそ、陸蛸の母船──もとい我が拠点へ」
目の前の光景に、俺は息を呑んだ。
地下とは思えないほど眩い光源に照らされたその広間は、すべてが丸みを帯びた金属でできていた。金属の四角い箱があちこちにあり、チカチカと発光しながら、虫の羽音のような唸りをあげている。
そして何よりも目につくのが、壁沿いの棚に陳列されたガラス瓶の中身だ。百を下らない数の瓶の中にあるものは……。
「触手……!」
触手の断片。陸蛸の肉片。触手憑きにされた動物の内臓。そんなおぞましい数々のサンプルが、緑色の不気味な液体に漬けられている。グロテスクな光景だった。
「この拠点は、使われなくなった陸蛸の母船を再利用しておる。忌々しいことに、奴らの技術力は我々よりも遥かに上じゃからな。この施設のおかげで触手の研究は飛躍的に進んだ」
見たことのないものだらけの施設を観察して回っていた俺は、金属の箱の上に、見慣れたものを見つけた。
同心円状の幾何学模様の彫刻と、その中心に埋め込まれた玉虫色の球体である。
「これ……聖術?」
「嘘!?」
聞きつけた姉さんが隣に走ってきて、そして絶句する。
「これは雷遁の術式だ。こっちは水遁……」
「どうして聖術がこんなところに。セイメイさんが使っているの?」
「確かに儂も使ってるが。それらは元からこの母船に備わっていたものじゃ」
「どういう、意味」
「朝廷の嬢ちゃんは帝を英雄視しておるようじゃの。であれば酷な話かもしれんが」
セイメイが雷遁の術式から聖玉を外す。すると施設の灯りが一斉に消え、真っ暗になった。そして聖玉を元に戻すと、再び明るくなった。
「見ての通り。聖術とは本来、陸蛸の宇宙船に搭載されていた異端技術に他ならぬ。九頭龍戦争で奴らへの対抗手段を模索するなかで儂が発見し、ヒトが扱えるように転用したものが聖術じゃ」
「じゃあ、聖玉の正体は……」
「陸蛸たちが用いる汎用エネルギーの塊。奴らは聖玉ではなく『ヨグ・ソゾスの涙』と呼んでいた」
「『ヨグ・ソゾス』?」
妙な響きの単語に、俺は胸の奥で名状しがたい不安を覚える。
「『ヨグ・ソゾス』について儂も詳しいことは知らぬ。陸蛸の書物を読み解いた範囲でわかったことといえば、『ヨグ・ソゾス』とは全にして一なるもの。一にして全なるもの。時と空間を司る神だという。そして『ヨグ・ソゾスの涙』はその神の力のほんの欠片であると……」
「ムナガラは、聖玉を使ってわたしを操ろうとしてきました。頭の中にあいつの声が直接響いてきたんです」
カエデが思い出したように言うと、セイメイが頷いた。
「精神交信の媒介もまた、『ヨグ・ソゾスの涙』の力の一部じゃ。『ヨグ・ソゾスの涙』に秘められた力は未知数で、ゆえに危うい」
「──ハッ! 馬鹿馬鹿しい!」
突然、吐き捨てるような笑い声をあげたのは姉さんだった。
腰に手を当てて、小柄なセイメイを見下ろしている。
「『ヨグ・ソゾス』なんて、与太話もいいところだわ。じゃあ何かしら。あなたは、朝廷が嘘をついていたって言いたいわけ」
姉さんはセイメイを強くにらみつける。
帝が神々から聖玉を賜り、陸蛸を退けたという英雄譚に憧れていた姉さんにとってみれば、到底受け入れがたい話なのだろう。
だが、セイメイは落ち着いた様子でかぶりを振った。
「必要な嘘だった」
「必要ですって……?」
「聖玉は宇宙船の動力源。いわば、ジパング各地に墜ちた円盤に埋蔵された資源じゃ。そんな真実が世に広まれば、民衆はこぞって聖玉を発掘し、奪い合うじゃろう。世は人の手によって戦乱の時代に戻ってしまう」
「そうなる事態を防ぐために、帝の名を使って聖術を神格化したのか」
俺の推察を、セイメイは首肯した。
「九頭龍戦争後の混乱した情勢を治めるにはそうするしかなかった。幕府から朝廷に政権が移ったのも同じ事情よ。本来、権力の移り変わりにはもっと醜い争いがつきものじゃがな。民を"神聖さ"で統一するのは、幕府ではなく朝廷の役割であることを、15年前の為政者はみな理解しておった」
「そんな話を信じる根拠なんてどこにも──」
「信じなくともよい。あるいは気になるならば、左大臣殿に直接聞けばよい」
「──っ!」
あっさりとその手段を提示されて、姉さんは鼻白んだ。
「朝廷とて邪な目的で民を騙したわけではない。コノエ左大臣は信頼できる男じゃ。これは確かに重大な機密ではあるが、忠誠心の強い嬢ちゃんならば、まあ悪いようにはされんじゃろ」
「うう……」
「もっとも、朝廷に背いた前科のある少年はどうなるかわからんがの」
「俺はハナから朝廷に戻れると思ってない。今さらだよ」
すっかり元気をなくした姉さんとは違って、聖玉の秘密を知ったところで、俺は良くも悪くもショックを受けていなかった。
むしろ、朝廷と九頭龍教団が裏でつながっている可能性まで想像してしまっていたから、セイメイの話を聞いて安心したくらいだ。
俺の答えを聞いたセイメイは苦笑し、それから真顔に戻った。
「ただ嬢ちゃん、聖玉で触手憑きを操れるという情報を大臣たちに伝えてはならん。この事実を彼らはまだ知らぬ」
「どうして? あなたの指図に従う理由はないわ」
「ニジョウ右大臣は、触手の力を軍事力として支配下に置きたいという野心を抱いておる。しかし、触手の力と知識はヒトには到底扱いきれないものじゃ。かつて儂はそのことを見誤り、"大きな過ち"を犯してしまった。ゆえに今は朝廷から離れ、こうして独りで研究を進めておるわけじゃ」
「ああ、だから右大臣はカエデちゃんを……」
俺と姉さんは顔を見合わせた。右大臣がセイメイを訪ねるように仕向けてきた理由に納得したからだ。
理性を保ったまま触手憑きになったカエデは、触手を制御したい右大臣にとってみれば可能性の塊である。安易に処刑したくないはずだ。
そしてあわよくばセイメイの研究内容を知るきっかけにもなれば一石二鳥だと画策していたのだろう。
「ところでセイメイさん、あんたの犯した"大きな過ち"ってのはなんなんだ?」
「──サンを救えなかった」
突然出てきたその名前に、カエデが息を呑んだ。
「ああ、そう……サンのことを話すのじゃったな。話を脇道にそらしてしまった……」
まるで、今まで聖玉や朝廷のことばかり話していたのは、サンから逃げていたからとでも言うような口ぶりだ。
「教えてください。お母様のことを」
「……サンは儂の愛弟子じゃった。幼いころに親に捨てられ、寺で育ち、あるとき儂に弟子入りしたいと懇願してきた。賢く、好奇心に溢れ、明るい娘だった。何よりジパングの未来を案じていた。九頭龍戦争に勝つため、共に陸蛸の研究をした。あの頃はまだ二十歳も過ぎていなかったか……。儂が四六時中こき使っていたせいで、恋の文字も知らなんだ」
セイメイの優しい口調が、サンという人がどれほど彼女にとって大切だったのかを物語っている。
「でも、お母様はわたしを産みました。旦那さんはいたんですよね?」
「……カエデよ」
「は、はい」
重々しく名前を呼ばれ、カエデは背筋を伸ばした。
「儂がどんなに残酷なことを明かしても。気を確かに持ってほしい。我を見失わないでほしい」
「ええと……」
「お主にとって一番大切なものはなんじゃ?」
「兄様です」
「うむ、そのことを忘れぬように」
カエデに迷いなく断言されて、俺はバツが悪くなり、姉さんに脇腹を小突かれた。
セイメイはそんな俺たちを無視して、この広間全体をぐるりと見まわす。
「九頭龍戦争が終わってから、儂とサンはこの母船を調査しに来た。戦争中は多くの陸蛸が厳重にここを守っていたからの。手を出せるようになったのは、陸蛸が死滅してからじゃった」
セイメイは俺たちに「ついてこい」と言い、広間の奥に歩いて行った。
広間の奥には、また両開きの扉が備え付けられている。
「陸蛸は多くの無性個体と、一匹の生殖個体で集団を作っておる。働きバチと女王バチのような生態じゃ。そしてこの扉の先にいたのは、母船に守られていたのは──生殖個体じゃった」
「生殖……まさか」
真っ先に、何かに思い至った姉さんが呻いた。次いで俺も最悪の想像を思い浮かべてしまう。
「陸蛸を数倍おぞましくしたような触手の塊の化物じゃ」
セイメイの表情は険しい。
「触手が伸びてきた。避けられなかった。サンは捕まり、儂が奴を殺すまで……触手に犯され続けた」
カエデの顔から血の気が失せている。指先が震えている。
俺はその手を握って安心させようとしたが、震えは止まってくれない。
「意外なことに、サンはすぐにショックから立ち直ったように見えた。しかしそれから彼女は徐々に正気を失くしていった。ときどき夜空を見上げ、未知の言語をうわごとのようにつぶやくようになった。儂はサンを触手の研究から遠ざけようとしたが、断固としてやめようとしなかった。そうして母船の調査から一か月ほどたったころ、とうとう最悪の事態が起きた」
「……」
「サンが身ごもったのじゃ」
もうやめてくれと言いたかった。
その先に待ち受けているであろう結末をカエデに聞かせたくなかった。
しかし、避けられない。それを知るために俺たちはここに来たのだから。
「やがて、一人の赤子が生まれた。サンが愛しい我が子に与えた名前は九頭龍妃──」
セイメイは、瞳孔の開いたカエデの目を見据える。
「カエデよ。お主は人間と陸蛸の混血なのじゃ」
沈黙。
誰もが言葉を発することができず、金属の箱の唸りだけがうるさく響く。
カエデが……人間じゃない。
人間と陸蛸との間に望まれずして生まれた子。
信じたくはないが、しかし思い返せばあまりにもカエデの謎と辻褄が合ってしまう。
触手を完全に呑み込んでいないのに触手が生えた理由。普通の触手憑きよりも能力が高く、理性を失わなかった理由。ムナガラが記憶を取り戻そうと躍起になっていた理由。陸蛸の言葉を理解ししゃべることができた理由。そのすべてが説明できてしまう。
そして、生まれながらにして人間と陸蛸の混血ということは、すなわち。
「すなわち、お主は人間に戻れん。そもそも人間ではないのだから」
「……嘘だ」
その否定の言葉を発したのは、俺の口だった。
頭ではすでにセイメイの話を信じてしまっている。だとしても、俺は否定しなければならない。
でなければ、これまでの全部が無駄になってしまう。
これからカエデがどうなるのかを考えなくてはいけなくなってしまう。
「カエデは……俺がつけた名前だ」
「にいさま」
消え入りそうなか細い声が耳に届く。
「七年間、ずっと一緒だった。その間、カエデは普通の女の子だったんだ。記憶をなくしただけならともかく、他の触手憑きを感知する能力だって持ってなかった。身体が変化したのは、ムナガラに触手を呑まされて以降の話だ」
そう、そうなのだ。カエデを幼馴染として誰よりも知っている俺が何よりの生き証人じゃないか。
「そもそも、なんで記憶喪失だったんだ? いや、なんで自分を人間だと思い込んでたんだ? もしも俺たちが記憶を失ったからって自分が人間かどうかを疑うか? 身体の動かし方を忘れるか? そんなのありえないだろ。記憶を失っても自分を人間だって思ってたんなら、カエデは記憶を失う前も人間だったんだよ!」
「ジン、言ってることが滅茶苦茶よ」
たしなめてくる姉さんを、セイメイが「まあまあ」となだめる。
「いや、少年の疑問はもっともじゃ。落ち着く必要はあるがの」
「……セイメイさん、どうなんだ」
「なぜ記憶を失っていたのか。その問いに対する確かな答えを儂は持っておらん。しかし推測はできる」
セイメイは顎に手を当てる。
「クズルヒが生まれてから儂の知ることを話そう。少し長くなるが、聞くか?」
俺とカエデがそれぞれ頷くと、セイメイは語りはじめた。
クズルヒが生まれ、育ち、そして姿を消すまでにあった出来事を──
次話はセイメイ視点の過去編になります。
初期から温めてきた設定を一気に放出している今が書いてて一番楽しい。




