セイメイ
「傷を癒したとはいえ、根本的に血が足りておらん。お主たちは近場の宿で休んでいるべきじゃな」
陸蛸との戦いで重傷を負い、地面に転がっている朝廷の忍たちに、セイメイを名乗る幼女は諭すように言った。いや、重傷どころか控えめに見ても致命傷だったのだ。彼らが今こうして生きているのが不思議なくらいである。
「しかし、我々には任務、が……」
若い男の忍が立ち上がろうとするが、よろめいて倒れてしまった。
「言わんこっちゃない……。儂の陰陽術も万能ではないんじゃ」
地べたでなおも抗議しようとする忍だったが、結局、姉さんの指示で宿屋へ帰ることになった。
そもそも忍たちの任務とは、カエデの暗殺と九頭龍教団の追跡の二つである。
ところがカエデは圧倒的な力を得て、教団は姿をくらました。つまり、どちらの任務も手詰まりになってしまっている現状では、今の彼らにできる仕事はほとんどないと言ってもよい。
「命があるだけ御の字と思いましょう。セイメイさん、彼らを救ってくれてありがとう」
姉さんが自分よりも二回りも背の低い幼女に頭を下げる。
「いや、儂も責任を感じておってな。お主たちと会ったとき、正体を明かして、洞窟へ行くのを引き止めていればと」
「じゃあ、名乗るのを嫌がったのは拗ねたからではなく……」
「あー、朝廷と関わり合いになるのはあまり気が進まんでのう」
セイメイは気まずそうに頬をかく。そういえば、以前朝廷にいたセイメイは、何年か前に罪を犯したせいで追放されたのだと右大臣が話していた記憶がある。
もっとも、先に正体を明かされたとしても、俺たちだって信じていなかったかもしれない。あの命を奪ったり与えたりする力を目の当たりにして初めて、目の前の幼女が規格外の存在だと理解したのだ。
「あんた、いったい何者なんだ」
「そういえば自己紹介がまだじゃったか」
俺が尋ねると、セイメイは小さな胸を張った。
「儂はセイメイ。万の真理を解き明かす研究者じゃ。かの偉大な陰陽師アベノ・セイメイにかつて師事し、その名を継いでおる」
「…………いや、いやいやいや!!!!」
一拍置いて、その言葉の意味を理解した俺は、ツッコみを入れざるを得なかった。
「かつて師事していたって……。アベノ・セイメイって言ったらヘイアン時代の人だぞ! 800年前! 人間がそんなに長く生きれるわけないだろ!」
「くふふ。実際、人間ではないからのう」
セイメイは頭に生えた三角形の耳をピコピコと動かす。
「儂は、そうじゃの、精霊じゃな。生まれたときはただの狐だったが、永く生きていると不思議な力も身につくものでな」
「精霊……」
「我が国の自然信仰では、八百万の神がいると言うじゃろ。その八百万分の一が儂だと思ってくれればよい」
「だったら、どうして子供の姿なんかしているんだ」
「あー、これか? これはな」
セイメイはいたずらっぽい笑みで見上げてくると、紅い袴を両手で持ち上げた。
そんな恰好をしたら華奢な足の素肌が膝上から見えてしまって……いや、見せつけているのか、これは?
「儂の趣味じゃ。どうだ、かわいかろう?」
「……とんだ性癖の精霊様だな」
「この子、実はオスだったりしない?」
「遠慮せんでもええ。本物の金髪のじゃロリ狐娘を見た感想はどうじゃ? ほれ、触ってみても――」
「せ、精霊でも変態でもなんでもいいですから!!」
語気荒く会話に割り込んできたのは、これまで静かにしていたカエデだった。
「セイメイ様、兄様を誘惑するのもいいですけどね、本題に入ってもいいですかね!」
「おお、すまんかったの……」
カエデの謎の気迫にセイメイはたじろいだ。カエデは「ふー」と息を整えてから口を開く。
「セイメイ様は触手の研究をしているんですよね。セイメイ様以上に触手に詳しい人はいないって聞きました」
「うむ。陸蛸や触手憑きにはまだまだ謎が多い。奴らの脅威から民を守るためには、まず敵を知らねばならぬ」
「でしたら教えてください。……わたしは人間に戻れるのでしょうか」
……そう。俺たちは、そのためにセイメイに会いに来たのだ。
「人間に戻りたい」と泣き叫んでいたカエデの姿を思い出す。
いつ触手に理性を乗っ取られ暴走するのかわからない恐怖。朝廷からも教団からも狙われ続ける日々。人間らしくなくなっていっているというカエデの苦悩。
そんな苦難のすべてが、カエデが触手憑きにされてしまったことに起因している。
カエデを普通の人間に戻すことは、俺とカエデにとって絶対に叶えたい願いなのだ。
尋ねられたセイメイは、神妙な顔つきになっていた。
その表情は幼い子供のものではなく、知識と経験を重ねた大人のものだ。
「触手憑きになった経緯はさっき話してくれたのう。理性を保ったまま触手憑きになったという話が本当だとしたら、儂も初めて聞く症例じゃ。ゆえに簡単には答えられないのじゃが……」
その言い回しに、俺はかすかな違和感を覚えた。
「待ってくれ。”触手憑きになったという話が本当だとしたら”って、それ以外に可能性なんてあるのか。ムナガラに触手を呑まされたところを俺も見てるんだ」
「正確には、呑まされかけた、であろう? カエデからはそう聞いているが」
「同じことだろ。いや、呑み込む前に助けたからこそ、理性を奪われずに済んだんじゃないのか」
セイメイは押し黙った。その態度は、何か知っていることがあるが、話すべきかどうかを逡巡しているようだ。
「カエデよ。お主が触手憑きになる前からムナガラに狙われた理由に、見当はついておるのか?」
「たぶん、心当たりは」
「ほう」
「わたし、実は記憶喪失なんです。兄様に出会うより前のことを何も覚えていない。でも、記憶を失う前のわたしをムナガラは知っているみたいなんです。クズルヒという名前で……」
「!!!!」
その名前を聞いた瞬間だった。セイメイの様子が一変した。
目を見開き、顔を青白くし、口を手で覆い、しかしその手も小刻みに震えている。眉間にしわを寄せ、カエデの顔を穴があくほど見つめる。
「そうか、お主が……いや、確かに面影がある」
「……セイメイ様?」
不安げな様子のカエデを見て、セイメイは首を横に振った。
「すまんな、取り乱してしまった。じゃが、事情が変わった。儂はお主のことを知っておる。……記憶を失う前のお主をな」
「そんな……!」
「それが、人間に戻れるかどうかの話と関係があるのか」
「大いに」
セイメイはきっぱりと断言した。
「じゃが、儂の知ることを話せば長くなる。カエデにも心の準備が要る。それに朝廷の抱えている秘密にも触れざるを得ない。少なくとも、今この場でおいそれと話すべきではないじゃろう」
怪我で地面に座り込んでいる朝廷の忍たちを、セイメイはぐるりと見まわした。当事者ではない彼らは知るべきではないと暗に言っているのだろうか。
「どうすれば、話してくれますか」
「心配せずともふさわしい場所で話す。その前に、儂がここへ来た用事を先に済ましてもいいかのう?」
「用事?」
「うむ。儂も教団を追って洞窟を見つけたのでな」
***
俺、カエデ、姉さん、そしてセイメイは再び教団の洞窟に足を運んだ。
陸蛸との戦闘で洞窟のあちこちが崩壊してしまったせいで、歩みを進めることさえ一苦労だ。
それでもどうにか最奥部にたどり着くと、セイメイは床に描かれた未知の聖術の術式を見つけ、嬉しそうな声を上げた。
「おお、これこれ、これじゃ」
懐から白紙の巻物を取り出したセイメイは、筆を執り、術式の形状を巻物に書き写しはじめた。
「ここから陸蛸が現れたんじゃったな?」
「ああ。空間転移の聖術じゃないかって、俺は考えてる」
「うむ、その予測はおそらく正しい。ムナガラはこの洞窟から出ていくために、そして陸蛸を呼び寄せるために、この聖術を使ったんじゃろう」
「陸蛸を呼んで何をするつもりなんだ、あいつ」
俺が尋ねると、セイメイは巻物に書き続けながらも、声を一段と低くして答える。
「九頭龍戦争を、再び起こすため」
「なっ……!」
「この術式はおそらく試験運用にすぎぬ。ムナガラは大規模な空間転移術を使って、陸蛸の大群を宇宙からこのジパングに召喚するつもりじゃ」
俺は背筋に悪寒が走るのを感じた。洞窟の寒さのせいばかりではない。
陸蛸の強靭な生命力をこの目で見たばかりなのだ。陸蛸の大群が現れたりしたら、おぞましい被害が生まれるのが容易に想像できてしまう。
「奴の計画を阻止するために、この術式を解析する必要があるわけじゃ」
「でも、帝のご威光で陸蛸を一度は退けているのよね? だったらまた帝がこのジパングを守ってくださるわ」
姉さんはそう指摘した。実際、ジパングにはあれほど強大な陸蛸たちの侵略に打ち勝った歴史がある。
でなければジパングは陸蛸に蹂躙され続け、俺たちはとっくの昔に死んでいるはずだ。
だが、セイメイは「甘い」と断じた。
「全国各地の陸蛸がほぼ一斉に死に絶えた理由は儂もいまだに理解できておらぬ。本当に帝の威光のおかげなのか、あるいは別の原因があるのか。じゃが、一つ確実に言えるのは、奴が勝算もなしに同じ計画を企てることはあり得ないということじゃ」
「セイメイさん、あんたはムナガラのことも知ってるのか」
術式を書き写すセイメイの手がぴたりと止まった。
俺たちの方を振り向いた彼女の表情は、これまでに見たことのない悲しみの色に染まっている。
「……この計画を立てたのは、ムナガラではない」
「じゃあ、いったい誰が」
「九頭龍教団の設立者。名はサンという」
「サン……」
セイメイは頷き、何かを懐かしむようにカエデの顔をじっと見つめた。
「サンは儂の愛弟子にして――クズルヒ、お主の母親じゃ」




