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幼馴染は触手の姫  作者: もっしゃん
第三章:変わりゆく果てに
22/29

未知との遭遇

「さすがに寒いな……」


 洞窟の中は立派な鍾乳洞だった。

 初夏とは思えないほど空気が冷え込み、湧き水の流れる音が聞こえる。足元が濡れているせいで、気を抜いたら転んでしまいそうだ。

 教徒の用意した蝋燭が道なりに設置されているから、ここが拠点に利用されているのは確かなのだろう。


「でも、肝心の人の気配がないわね」

「ああ……」


 信者が洞窟の中に入っていったっきり外に出てきていないのだから、見張りや触手憑きと鉢合わせることを警戒しているのだが、予想に反して、今のところ誰とも遭遇していない。

 行灯で足元を照らしながら狭い道を進んでいるうちに、俺たちは開けた空間に辿り着いた。

 しかし、ここにも誰も見当たらない。


「……人がいた痕跡はある」


 食糧庫、予備の蝋燭、何かの台座、石造りの長椅子。長椅子をよく観察してみると血痕が付着している。ムナガラの血だろうか。

 そして何より目につくものが、岩壁に彫られた不気味な画だ。

 描かれているのは、蝙蝠と触手の巨大な怪物と、その膝下に散らばっている人間たち。教団が信奉しているという九頭龍の壁画かもしれない。

 とにかく、ここが教団の拠点にされていたのは間違いない。


「まだ奥に続いているわ」


 姉さんが見つけた道を、さらに進んでみる。

 しかしその通路は少し進んだだけで行き止まりになってしまった。

 これで洞窟の中はすべて見て回ったことになる。


「見張っている間、外に出てきた人はいなかったのよね?」

「どういうことだ……」


 洞窟にいたはずの信者たちが忽然と姿を消してしまった。

 この謎をどう捉えるべきだろう。どこかに隠し通路があるのか、あるいは出ていく信者を見張りが見落としていたのか……。

 そんなことを考えながらふと足元に視線を落とした俺は、ある違和感に気付いた。


「これは……!」

「ジン、どうしたの?」

「姉さん、一歩下がってみてくれ」


 二人で後ろに下がり、手前の床を行灯で照らす。

 そこには、幾何学的な円模様……聖術の起動術式が石灰によって描かれていた。

 しかもただの起動術式ではない。まず目につくのはその大きさだ。

 円の中に人一人が悠々と入れるほどのサイズの起動術式が、二つ、隣り合わせに描かれている。

 さらに起動術式の模様もまったく知らないものだ。

 聖術は火遁、雷遁、風遁、水遁、土遁の五種類しか存在しないはずなのに、その全てと異なっている。


「未知の、聖術……!」


 姉さんが嫌悪感をあからさまにして呻いた。


「そんな……聖玉は……帝が神から賜った……」

「ムナガラは、聖玉だけで触手憑きを操っていた。俺は今さら驚かないよ」

「なんですって!?」

「……姉さん、声が大きい」


 どうもショックを受けたらしい姉さんをよそ目に、俺はしゃがみ込んで術式を仔細に観察する。


「俺はもう朝廷を信用していない。聖玉は言い伝えられているような神聖なものじゃないし、朝廷は確実に何か隠し事をしている」

「それは……ッ!」


 姉さんは反射的に反論しようとした。

 しかし何か思い当たる節があったのだろうか、その先の言葉を飲み込んだ。


「それより姉さん、見てくれ。聖玉が変なところにある」


 俺は幾何学模様の帯のある一点を指差した。

 そこには聖玉が置かれていた。試しに持ち上げてみると、模様の中にちょうど聖玉のサイズと一致するくぼみが作られている。

 俺たちの知る起動術式は、幾何学模様に囲まれた円の中心点に聖玉を配置する。しかしこの術式はそうではないということだ。


「じゃあ、どうしてこの術式はこんなに大きいのかしら」

「……なあ、この術式の真ん中に、人間がちょうど立てると思わないか?」

「えっ?」

「今、謎が二つある。用途不明の聖術の謎。洞窟にいたはずの信者が消えた謎。この二つが繋がっているとしたら」

「!! ジン、もしかして」


 姉さんも俺と同じ発想に至ったようだ。


「ああ。ここは行き止まりなんかじゃない。……出口なんだ、きっと」


 空間転移ワープの聖術。

 突飛な発想ではあるものの、そう考えれば、教徒たちが洞窟に入っていったまま姿を消した理由に説明がついてしまう。


「確かめる方法はあるにはあるが……」

「深追いは危険よ」

「わかってる」


 この仮説が正しいかどうかを検証するためには、聖玉に力を込めて、実際に術式を起動してみるのが手っ取り早い。

 ただ、もしも本当に空間転移したとして、どこに飛ばされるのか分からない。

 転移した先で敵に囲まれたらそれこそ一巻の終わりだ。今は起動しないでおくのが賢明だろう。


「ここが出口だとして、二つ術式があるのが不思議ね」

「さあ。入口と出口で二つ必要なのかもしれない」


 隣り合わせの術式を見比べてみると、模様の細部が異なっているものの、全体的には似通っている。

 一方、右側の術式には聖玉がすでに配置されているのに対して、左側の術式には聖玉がない。


「なるほど、置くところは同じなんだな……」


 何の気なしに、俺は右側の術式にあった聖玉を左側の術式にはめ込んでみた。


 ――迂闊だったと思う。

 俺は「聖術の起動には聖玉に力を込める手順が必要」という常識にとらわれていた。

 あるいは、術式の中に立たなければ万が一起動しても転移することはないとタカをくくっていた。

 ともかく、”未知の聖術”という得体の知れない存在に対する警戒心が足りなかったのだ。

 聖玉を置いただけ・・・・・で聖術が起動するなんて、想像さえできなかった。


 聖玉をはめ込んだ瞬間、術式の幾何学模様が青白い光を発し始めた。

 光の柱が立ち上り、高密度のエネルギーの風が放たれ、俺は思わず退いてしまう。


「ちょっとジン! 何してるの!」

「違うんだ、術式が勝手に!」

「そんなカラクリ音痴みたいな言い訳!」


 青白い光の中に、何か黒い影が見えて、俺たちは口を閉じて身構えた。

 誰かが……否、何か・・が、この場所に出現しようとしている。


 影は二本の足で立っているが、人間よりも一回り大きく、頭部が異様に膨れている。

 そして本体の周囲に蠢めく何本もの細長い影。

 地球上のどんな生物とも違う、そのシルエットは――


「まさか」


 青白い光が消え、それ・・が俺たちの眼前に姿を現した。

 触手を携えた蛸のような頭部。背中から生えた蝙蝠のような翼に、かぎ爪の生えた太い手足。この世のものとは思えない臭気。

 文献でしか知らなかったその怪物は、口元の触手をおぞましく震わせた。


陸蛸りくだこ……!!」

「そんな……九頭龍戦争で全滅したはずなのに!」


 かつてジパングを滅ぼしかけた怪物と、俺たちは向き合う。

 相対して初めてわかる、圧倒的な力。触手憑きとはまるで格が違う。

 下手に動くことなどできるはずがない。その威圧感と不快感に気圧されないように踏ん張るのが精一杯だ。

 

「いむ ふんぐるい ゆうぐ なん むながら えあうふ」


 耳障りな音を陸蛸が発した。法則性のある言葉のように聞こえなくもないが……。


「……姉さん、あいつの言葉、わかる?」

「あたし、陸蛸の国に行ったことないもの……」

「はは、ジパングは鎖国してるからな……」


 陸蛸はしばらく同じ言葉を繰り返しているだけだったが、言語が通じないことを悟ったのだろう。言葉を発するのをやめると、目玉をせわしなく動かし、頭をぽりぽりと爪で掻き――

 ――俺たちに襲いかかってきた!


「逃げろッ!!!!」


 陸蛸に背を向け、全力で駆け出す。

 ほぼ同時に、つい今まで俺たちが立っていた場所が触手によって粉々に砕かれた。


「なんて力……!」

「次が来るぞ!」


 陸蛸の触手は、入り組んだ鍾乳洞の地形をものともせず次から次に伸びてくる。

 直接襲ってくるだけではない。俺たちの頭上や進行方向にある鐘乳石を破壊して、的確に退路も塞ごうとしてくる。

 その動きの複雑さと正確性は普通の触手憑きの比ではない。むしろカエデの触手さばきを彷彿とさせる。

 知性のある未知の強敵。地の利もない。戦力も足りない。

 ゆえに逃げの一手が今は最善手だった。


「あッ……!」


 ところが洞窟の半ばまで来たとき、姉さんの身体の重心が崩れた。

 地下水で濡れた床で足を滑らせたのだ。

 かろうじて転倒は免れたものの、動きの鈍った姉さんを捕らえようと、触手が伸びてきて――


「危ない!!」


 間一髪のところで俺は”風遁”を発動し、姉さんの身体を脇に抱きかかえた。

 そのまま追撃してくる触手をかわし、一直線に洞窟の出口へと飛んでいく。


「ありがと!!」

「いいから姉さん! 彼に指示を!」


 遠くに見えてきた出口から、姉さんの部下の忍が一人、何が起きたのかとこちらの様子を伺っている。


「(敵襲! 雷遁! 一斉構え! 合図で!)」


 腕の中で、姉さんが身振り手振りだけで指示を伝える。

 部下の忍もすばやく状況を理解したようで、頷いてから洞窟出口の横に身を潜めた。

 洞窟の外には十を超える忍たちが待機していて、陸蛸はそれを知らない。彼らとの連携が勝ち筋だ。


「くっ……! もうすぐだ!」


 ”風遁”の飛行速度を限界まで上げる。

 反動の頭痛をこらえながら、落ちてくる岩をかい潜り、迫りくる触手を振り切り、ついに俺は鉄砲玉のごとく洞窟から飛び出すと、そのまま森の茂みの中に突っ込んだ。

 直後、俺たちを追ってきた陸蛸も洞窟の外に姿を現したが。

 その周囲は、すでに武器を構えた忍たちに包囲されていた。


「今!」


 姉さんの合図と同時に、鉤縄かぎなわが全方位から陸蛸を絡め取る。

 そのすべてが青白い稲妻を放ち始め、陸蛸の身体へと一点収束――


「「「雷遁・轟雷衝!!」」」


 大気が、爆ぜた。

 爆音とともに陸蛸のおぞましい悲鳴が響き渡り、肉片があたりに飛散する。

 自然現象の落雷を再現したその雷遁は、最も殺傷能力に優れた聖術。

 父さんが猿の触手憑きと刺し違えたときに使った技と同じ原理だ。ただし威力は人数分だけ一層上回っている。


「やった……!」


 かつての九頭龍戦争で、陸蛸に抵抗する術のなかった人類は、聖術を手に入れたことによって反撃の狼煙を上げたという。

 たとえ聖術の正体が神聖なものではなくとも、その力が信頼に値することに変わりはない。

 もくもくと立ちのぼる煙の中で、もはや陸蛸は跡形もなく消し飛んだはず。

 ……俺はそう確信していた。ところが。


 まもなく煙の中から現れたのは、数多もの触手。

 触手は縦横無尽に鞭打ち、聖術を撃った忍たちを次々に蹂躙していく。

 やがて煙が晴れ、陸蛸が見るに堪えないおぞましい姿を見せた。

 雷遁は確かに陸蛸の身体の半分近くを吹き飛ばしていた。普通の生物ならば急所のはずの胸部もごっそりえぐれている。

 それなのにこの化け物は、玉虫色の体液を垂れ流しながらも、血を欲して元気に暴れまわってる。

 勝利の確信はつかの間。一転して惨劇へと変わってしまった。


「嘘……」


 部下の忍たちが次々と惨殺されていく様を目の当たりにして、姉さんは血の気を失ってつぶやいた。

 その声に反応したのだろうか。陸蛸の触手の一本が、俺たちの方に迫ってきた。

 俺は避けようとするが、風遁の反動に加えて、脇腹の傷口が開いてしまったせいでまともに動けない。

 触手が今にも目の前に――


「兄様ッ!!!!」


 そのとき、もう一つの触手が伸びてきて、迫る触手を弾き飛ばした。

 俺たちの隣に立ったその少女の存在に、俺は心から安堵する。


「おまたせ!!」

「おせえよ、カエデ……!」

「後でいっぱい叱っていいよ!」


 カエデは背中から触手を何本も出すと、翼のように大きく広げ、陸蛸を威嚇する。

 すると暴れまわっていた陸蛸が、ピタリと動きを止めた。

 カエデと陸蛸は互いにじっとにらみ合う。ややあって、陸蛸が再び謎の言葉を発した。


「いむ ふんぐるい ゆうぐ なん むながら えん えあうふ う くてぃら しゅぶ れわ にぐれう」


 相変わらずどんな意味なのか俺には理解できない。

 ところがカエデは細く息を吐くと、なんと同じ言語を口に出した。


「ふんぐるい のん むながら ごおん しろうえ ゆふ」


 それを聞いた陸蛸はまた謎めいた言葉を発し、カエデも応酬する。

 言葉を二、三交わした後、陸蛸の触手が再び殺気を帯び、カエデも警戒を強める。

 俺と姉さんはというと、カエデの知られざる力に驚愕しっぱなしだ。


「わかるのか。あいつの言葉が」

「……うん」

「どうして、どうやって」

「ごめん、詳しい話は後。それより今は……」


 カエデは顔を上げ、大声で叫んだ。


「セイメイ様! 時間稼ぎはもう限界です!」

「よくやった、充分じゃ!!」


 その幼い女の子の声は、なぜか上空から聞こえてきた。

 声のする方に目を向けると、かの金髪狐耳の幼女が宙に浮き、陸蛸に小さな手のひらをかざしていた。

 そしてよく目を凝らせば、今まで気づいていなかったものが見える。

 陸蛸の身体から、空気の”ゆらぎ”のようなもやが立ち上り、それが幼女の手のひらへと徐々に吸い込まれていっているのだ。


「なんだ、あれ……?」


 陸蛸もようやく自分の身体の異変に気づいたらしい。

 敵意を頭上の幼女に向けて、触手を一斉に伸ばし始める。

 ところが触手にさっきまでの勢いがまるで感じられない。亀のように遅く、弱々しく震えており、案の定幼女に造作もなく逃げられた。

 そして、逃げた幼女をさらに追おうとしたところで……。

 触手は地面に堕ち、同時に陸蛸の本体も倒れ伏してしまった。ピクリとも動かない。――死んでいる。


「ふう……。さすが陸蛸。生命力を吸うのに、これほど時間がかかるとは」


 幼女は額の汗を拭う。

 そして血溜まりの中で悶えている朝廷の忍たちを一瞥し、今度は彼らに向けて手のひらをかざした。

 すると、致命傷を負っていたはずの忍たちの傷が、みるみるうちに癒えていった。中には死んでいたはずの者まで息を吹き返している。


「ありえないわ」


 自在に命を奪い、命を分け与える。

 そんな神業としか言い表せない所業を目の当たりにして、姉さんは全否定の言葉を口にした。それしか言いようがなかったのだろう。


「あの子供は、まさか……」


 カエデが彼女に呼びかけた名前。

 それが嘘偽りない名前だとするならば、俺たちは思いがけない場所でゴールへたどり着いたことになる。


「そうだよ、兄様」


 カエデは嬉しそうに肯定した。


「あの子が、わたしたちがずっと会いたかった人。セイメイ様なの」


 セイメイその人は、こちらに振り向くと、得意げにしっぽを振りながら、指で”ぶい”サインを作った。 


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