鈍感男
時は二日前――。
怪我を負ったジンたちが、山小屋へたどり着いたときとほぼ同時刻に遡る。
暗く冷たい洞窟に、荒い吐息がこだまする。
ろうそくの明かりがゆらめき、幾人もの人影を岩肌に映し出す。
立派な石の長椅子に横たわった青年――ムナガラは、彼を取り囲む教徒の一人から、脇腹の傷の手当てを受けていた。
「いっつ……!」
縫合針を見当違いのところに刺され、ムナガラが顔をしかめる。
そんな彼の表情の変化に一切反応を示さず、施術を続けようとする女の教徒は、ムナガラによって手首を掴まれた。
「オイ、聞こえねえのか。止めろっつってんだよ」
「ぁ…………」
女はようやく手を止め、顔を上げた。
しかしその瞳はムナガラを見ておらず、まるでどこか遠い場所に焦点が合っている。
「ムナ……ガラ様……。呼んでいるのです、九頭龍が……嗚呼、わたしも…ふいんぐ……なむ……」
「……チッ」
ムナガラは苛立たしげに舌打ちをして、掴んだ手首ごと女を洞窟の床に放り投げた。
「もう使いものにならねえ。処分しとけ」
「かしこまりました」
淡々と、他の教徒が二人がかりで女を担ぎ上げると、洞窟の奥へと消えていった。
さらに別の男の教徒が跪いて、施術を引き継ぐ。今度の彼はしっかりとした手つきで、ムナガラは安堵したように息を吐いた。
「召喚試験の準備はご命令の通り済んでいます」
男は手当てをしながらムナガラに報告する。
「馬鹿か。俺がこの状態じゃ召喚のリスクが大きすぎる。後回しだ」
「あなた様がやられるなんて、何があったのですか」
そう問われた途端、ムナガラの顔が怒りに歪んだ。
「あのクソ間男が――」と罵詈雑言が口から飛び出しかけるも、ムナガラは首を横に振って自制する。仮にも組織を束ねる人間としての自覚と理性が彼にはあったのである。
「……クズルヒに『ヨグ・ソゾスの涙』が効かなかった」
「なんと」
「むしろ怒らせちまった。あいつは昔っから短気なやつだったからなあ……キシシ」
「よほど自我が強かったということですか」
「だが、クズルヒを仲間にすることは計画に不可欠だ。諦めるわけにはいかねえ」
ムナガラはこぶしを固く握ると、横たわったまま顔だけ動かし、洞窟のある一か所に視線を送った。
その場所の台座に置かれているものは、幾多もの玉虫色に妖しく光る球体。
ある者は『聖玉』と呼び、ある者は『ヨグ・ソゾスの涙』と呼ぶそれを、ムナガラは魅入られたように見つめる。
「見ててくれ、母さん。俺は必ず……」
その声色には、まったく正気な覚悟の色がにじんでいた。
****
小屋を明け方に出発してから数時間。
俺たちは姉さんに案内され、もう一つの血痕を追跡した忍との待ち合わせ場所に向かっていた。
朝廷の忍たちからは武器と聖玉を取り上げ、両手を背中に縛った状態で一列に整列させている。列の先頭が姉さんで、さらにその前を俺とカエデが並んで歩いている格好だ。
さながら罪人を引き連れた執行人のようである。もっとも、実際の立場はその逆なのだけれど。
「ね、ね、兄様」
山道を歩いていると、カエデがふと立ち止まり、袖を引っ張ってきた。
「お花、ちょっと遠いところで摘んできていい?」
「えっ、今まで通りじゃなくて?」
「だって、兄様だけならいいけど、人がたくさんいるし……」
カエデは顔を赤くして、列をなした忍たちを一瞥する。
これまでの二人旅でカエデが催したときは、彼女は木の陰に入り、俺はそのすぐ近くで周囲を見張ることにしていた。
しかし、今の状況で同じことをしようとしたら、確かにデリカシーの欠片もない事態になってしまう。
「まあ相手が触手憑きならカエデが反応できるし、一番警戒しなきゃならない朝廷連中はここにいるし、大丈夫か」
姉さんたちを見張っている必要があるから、俺がカエデに付いていくわけにもいかない。
「わかった、行ってきな」
「ん、ありがと」
カエデははにかみ、草をかき分けて山の坂を下って行った。
カエデの姿が見えなくなると、今度は姉さんが「ジン、ちょっと耳貸しなさい」とささやいてきた。
「この際だからはっきりさせておきたいんだけどね。あなた、カエデちゃんのことをどう思ってるの?」
「どうってどういう意味だよ」
「もちろん、恋愛的な意味で」
「えぇ……」
カエデがいなくなったチャンスを狙って何を言い出すのかと思えば、斜め下に予想外の質問だったせいで、俺は戸惑いを通り越してあきれてしまう。
「こんな時に何言ってんだこの色ボケ女は」
「いいから答えなさい」
有無を言わさぬ圧力がある。怖いよお……。
「俺は――」
適当にあしらおうとして、口ごもった。
そもそも、俺はカエデのことをどういう目で見ていたんだろう?
「――正直、よくわからない。妹っていうか、幼馴染っていうか、そんな感じに接してきたから……」
「ッはあぁ~~~~…………」
滅茶苦茶デカい溜息をつかれてしまった。
なんだよ、なんなんだよと、わけのわからないまま無性に腹が立ってくる。
「別に、恋愛目線かどうかなんてどうでもいいだろ。俺がカエデを大事に思っていることに変わりはないんだ」
「んー、だったら聞き方を変えましょう。あなたはどうしてカエデちゃんが大事なの?」
その質問ならば即答できる。なぜなら今の俺の根幹を成している事件が関わっているからだ。
「父さんが死んだとき、誓ったからだ。カエデを俺が一生守るって。姉さんも知ってるだろ?」
「そう答えると思ってたわ。だけどここまでドンピシャだとね……」
「あのさ、姉さんは何が言いたいんだよ」
要領を得ない質問とあきれ顔を立て続けに受けて、俺はとうとうキレ気味に突っかかった。
ところがその瞬間、姉さんの口元がかすかに笑ったように見えた。
何か誘導尋問をされていた気配に気づき、背筋に寒気が走る。
「でもね、その誓いを立てたのって、カエデちゃんに出会ったばかりのときのことでしょう? 彼女のことを何も知らない、子供だった頃のこと」
「それは……その通りだ」
「だけど、今はもう当時と状況がまるで違う。何もかもね」
その具体的な内容は言われなくても分かった。
カエデは触手憑きになり、そのせいで自我が揺らぎ、教団と朝廷から狙われている。
そして、俺はカエデの圧倒的な力に恐怖とも言える感情を抱えるようになってしまっている……。
「ジン、昔のことに囚われすぎないことよ」
「……そうやって俺を心変わりさせようとしても無駄だぞ」
「違うわ。今のジンが今のカエデちゃんをちゃんと見てあげなさいって、あたしはそう言いたいの」
「見てるさ、少なくとも姉さんよりは」
「いいえ、わかってない」
姉さんは小声のまま、しかし語気を強めた。
「カエデちゃんは、ジンのことを好いている。異性としてね」
「え……」
「気づいてなかったでしょ。あなたは昔の誓いを果たすことばかり考えて、今のカエデちゃんが見えていなかった。違う?」
「ちが…………」
違う、とは言いきれなかった。
俺はすがるように他の忍たちにも目を向ける。もちろん彼らの中には知り合いもいるのだが、皆「こいつ気づいてなかったのか……」とでも言いたげなまなざしを俺に向けていた。
つまり傍から見ていてもカエデの好意は明らかだったのだと、その反応が物語っている。
誰よりもずっと近くにいたはずなのに、俺は、カエデのことが見えていなかったのだろうか。
「どうして今、その話を」
俺は乾ききった口を開いて尋ねる。
「あたしは慎重な性格なの。カエデちゃんがあなたに依存している以上、あなたたちがすれ違ったままだと、きっと良くないことが起きる」
そこまで言って、姉さんは顔を上げた。
用を足して、帰ってきている途中のカエデの姿を見つけたからだ。
再び顔を伏せ、ゆっくり、俺に言い聞かせるようにしゃべる。
「自分の本当の気持ちを整理しておきなさい。でないと、いざという時が来たときに、為すべきことを為せないわよ」
「いざという時……」
怪我の熱でうなされていたときに見た悪夢。
自我を失ったカエデが父さんを殺し、姉さんたちからカエデを殺せと諭され、しかし俺は何も決断できないまま立ち尽くす――そんな現実にあるはずのない光景が、突然生々しく脳裏によみがえった。
「あたしの力じゃカエデちゃんにはもう敵わない。ジン、あなたしかいないの」
姉さんの言葉が反響して聞こえる。
恥ずかしそうにうつむきながら帰ってくるカエデを眺めながら、俺は手の中にないはずのクナイを握りしめていた。
***
教団を追っていた忍たちと合流し、彼らに案内された場所は、山の中腹にある岩壁だった。
岩壁の前には銀色の巨大な円盤が墜落している。以前、教団が拠点にしていた村にあったのと同じ型の円盤だ。
そしてその隣の岩壁に、大きな洞窟の入り口がぽっかりと開いている。
「様子はどう?」
洞窟を見張っていた忍に、姉さんは聖玉をクナイにはめ込みながら尋ねる。
これから協力して共通の敵と戦う以上、姉さんたちを縛ったままにするのはリスクを鑑みても愚策だというのが俺の判断だ。
姉さんたちも同じ考えだったようで、解かれたからといってカエデを襲ったりはしなかった。
もう敵わないと本当に諦めたのか、あるいは、ここへ来る道中でカエデが危うい素振りを一切しなかったおかげで、わずかばかりの信用を得られたのかもしれない。
「教団の信者が何人か洞窟に入っていくところを目撃しました。ここ二日は誰も外に出てきていません。ムナガラ本人は見ていませんが……」
「ご苦労。上出来よ」
ということは、教徒たちは今も洞窟の中にいるということだ。攻め込むには絶好の機会と言える。
「……で」
姉さんは目線を部下の腰のあたりに下げた。そこには――
「この子供は何?」
――巫女服のような赤と白の衣装を纏い、黄金色の長髪をした幼女が、忍に取り押さえられてジタバタしていた。
「な、なんじゃ! 儂を子供扱いとは無礼にもほどがあるぞ!」
幼女はさっきからずっと、頬を膨らませてぷんすかと怒っている。
俺の目もつい幼女に釘付けになってしまう。別に見惚れたからではなく……彼女の身体にはとんでもなく目立つものがくっついていたからだ。
狐のような長耳と、腰から生えている尻尾である。
「作り物にしては精巧な耳だな」
「ねえ兄様、尻尾もモフモフ!」
「こら、触るでない! くすぐったいではないか! あは、ははは……!」
「かわいい~~~~~~」
自分よりも小さくて愛くるしい幼子を、カエデはすっかり気に入ってしまったようで、耳や尻尾を無遠慮に撫で繰り回している。
幼女は明らかに嫌がっているが、まあ、あきらめてほしい。俺だって人目がなかったら同じことをしていたかもしれない……。
「スイレン様たちが来るつい数分前に見かけましてね。一人でこの辺をウロウロしていたので、慌てて捕まえたのです」
「はあ~……」
「まあ、信者ではないと思いますよ。彼らは皆白い絹の服を着ていますし」
部下の報告に、姉さんはこめかみを人差し指で押さえた。
おおかた、この場所は子供たちの間で肝試しのスポットにでもなっているのかもしれない。
円盤へは決して近づいてはならないというお触れが朝廷から出されているが、年ごろの子供というものは、得てして言いつけを守らないものだ。
「ここは子供だけで来るような場所じゃないわ。危ないからお家に帰りなさい」
「……帰りとうない」
「なあお嬢ちゃん、名前は?」
「……言いとうない」
ふてくされてしまった……。
「あなたはこの子のお守りをしててくれるかしら」
姉さんは今日何度目かわからない溜息をついてから、部下にそう指示した。
「さて、あたしたちは早いところ洞窟を偵察しましょう」
「そうだな。まずは姉さんと俺で行こう」
「他の皆は、洞窟の入り口で待機。合図したら突入してきて」
忍たちはそろって頷いた。こういう場面ではさすが統率が取れている。
「兄様、わたしは?」
「この前みたいに、触手を逆探知されるかもしれないからな。悪いけど、カエデは少し遠いところで待機しててほしい」
「はぁーい……」
「まあ、この子と遊んでてもいいからさ」
「はぁい!」
浮き立つカエデと、対照的にげんなりする幼女。
そんな二人をほほえましく思いながらも、俺は姉さんと顔を見合わせ、気を引き締めた。
気配を悟られないように、洞窟に向かって慎重に歩みを進めていく。
……一体何が待ち受けているのか。警戒心と、少しばかりの好奇心を胸に抱いて。
「のう、カエデとやら」
「なーに?」
「……先ほど、そなたの兄は”触手”と言ったか?」




