5話・一応、名前はあります
「あなたは……?」
「人の名を訪ねる前に、自分の名前を名乗るべきでは?」
男の声は低く心を揺さぶるようなものがあった。声も素敵と思った。男に怪訝そうに見つめられて王女は名乗った。
「一応、アーシアという名前があるわ」
「一応?」
男は、アーシアの物言いが気になったようだった。
「本当の名前を親からは付けてもらえなかったの。ばあやが便宜上、そう名付けただけ」
「親から名前を付けてもらえなかった?」
「そうよ。いずれ死ぬことになるから。それよりあなたのお名前は?」
「我はノクティス。この山の主だ」
ノクティスの言葉に、アーシアは不思議そうに聞き返した。
「この山の主は、ガーゴイルさまではないの?」
「ガーゴイル?」
「知らないの? このヴィジリタス国を興した男に協力したという竜のことよ。その竜に感謝して、王家に双子が生まれると、その片方を生贄として捧げてきたのよ」
「知らぬな。我が聞いているのは、ある竜人の女が人間と懇ろな仲になり、男の元へ走った。そして男と夫婦となり、夫が王となるのに手を貸した。それがヴィジリタス国だ」
「嘘。そんなの初耳だわ。それではまるで初代王ヴィジリタスが竜人族の女性と婚姻したかのような……?」
「その通りだ。ヴィジリタス王家には竜人の血が流れている」
ノクティスは何の根拠もないのに言い切った。アーシアは唖然とした。ではこの国の守り神とされているガーゴイルは?
「ではガーゴイルとは何者?」
「ガーゴイルは、この国を興したとされるヴィジリタスの弟の名前だ」
「……!」
「何だ。自分の先祖の名前も知らぬのか? アーシア王女よ」
「どうしてわたくしが王女だと分かったの? ノクティス」
「話をしていたら分かる。もうじき自分は死ぬと言い、王家に双子が生まれると、その片方を生贄として捧げてきたと自分で言っていたではないか」
ノクティスは、アーシアの話から推測したと言った。彼の言っていることが本当のことならば、王家に伝わっている話が覆ることになってしまう。アーシアは、頭の中が混乱してきた。
「初代ヴィジリタス王に兄弟? 聞いたこともないわ」
「建国時代から次々、時の権力者が変わっていくうちに、歴史と言うものは塗り替えられるからな」
「それじゃ、王家の生贄の話は……?」
「恐らく誰かがでっちあげたものではないか? 少なくとも我が知る限り、ノースデン山で生贄として殺された者の話は聞かない」
ノクティスはこの山の主だと言った。つまりこの地を治めている者なのだろう。ノースデン山にある離宮は王家所有と聞いているが、この地を治めている領主は別にいる。彼は家名を名乗らなかったが、ここの領主なのかも知れなかった。
「では生贄を捧げて来たと言うのは王家の嘘?」
もしも、そうなら自分は何の為に生きて来たのだろう? アーシアは愕然とした。自分は王家の守護神ガーゴイルに捧げられる生贄として生きてきた。死ぬために生きているだなんて、自分は何の為にこの世の中に生まれてきたのだろうかと、理不尽さに発狂したくなった夜が何度あったことか。
それでも約束の20歳に近づく中で、その日を迎えるまで一日、一日を大切に生きようと思い直したことで、気持ちもようやく落ち着いてきたというのに……。
「体の良い、厄介払いだったのではないか? 生きていては困る者がそう言った理由で死んだことにされていた。もしくは国外追放されたとか。王家にとって双子は不吉とされているのだろう?」
ノクティスの言葉は適格だった。自分は双子の片割れとして厭われる存在だ。過去にもそういった者達がいなかったとは言えない。そういう者達が「生贄」と言う言葉で、王家の歴史から抹消された可能性はあるような気がした。




