42話・ノアールの隠し事
ノアールには、サーラに告げていなかったことがあった。
馬車の中から窓の外を眺める彼女の思いが、どこにあるかは何となく察することは出来た。そこには自分は踏み込めない聖域のようなものがあった。彼女が見つめる先に嘆きの塔が見える。その塔は何も語らずして、その存在を知らしめる。
あの日、サーラが立ち去った後。彼は堰を切ったように語り出した。彼の素性については大体知っていた。元サボンドール大公フィエロ。彼とは浅からぬ縁があった。彼の大伯父と自分の父とは交流があり、その縁で彼と、自分の従妹が婚約していた。
従妹は公爵家で大事にされて育った夢見がちな少女で、よく許婚の話は聞かされていた。彼女にとってフィエロは、自慢の王子さまだった。幼い頃から実の父親にしごかれて泣きべそをかいていた自分に、従妹はよく言っていたものだ。
「あなたのようなポンコツ王子じゃないのよ」
従妹に比較されていた相手が、目の前で膝をついている。運命とは皮肉なものだと思えた。
フィエロには政略結婚で結ばれた両親と、妹がいた。父親は海王の甥ネレウス。セイレーン族は見目麗しい者が多いが、その中でも格別に美しく魅了の力を持っていたネレウスは、多くの異性たちを魅了し、惑わせてきた。多くの愛人がいたらしい。
「僕たちはあの国では、18年前、父に捨てられた家族として嘲笑されるようになっていました。母は当時、身籠っており、僕は幼いうちから王弟である祖父の後を継ぐ者として、後継者教育を受けて育ちました。僕は帰らない父の身を案じて嘆き暮すよりも、海王さまから任されている大公家や領海を守り、家族皆で静かに暮せていければそれで良かった。このまま何事もなければ心優しい許嫁と結婚して、温かい家庭を築いていたことでしょう。ところが婚礼の日が近づくにつれて、領民である人魚達が突然、次々行方不明となり、その原因を探っていた時に、母と妹がいなくなったのです」
それでフィエロは捜索隊を出す許可を、海王に求めたらしいが許されなかった。
「海王さまはこの件に父ネレウスが関与しているのではないかと疑っていました。実は18年前、父は愚かにも海王さまの座を奪おうとし、それが露見して国外追放の身となっていたからです」
多くの人魚を虜にしたネレウスは、海王になり替わろうとして失敗し、秘密裏に国を追われていた。父がいなくなったことで魅了されていた者達は正気に戻ったが、その影響力は大きかったと、彼は語った。
人魚にとって国外追放とは、死に直結する。人魚の国は海王の結界で守られていて、セイレーン族に害する者は入国できないようになっている。そこから国外追放の罰を受けて弾き出されるということは、二度と入国できないと言うことだ。
ネレウスを慕う者達は、国外追放を信じられず、あのネレウスのことだから新しい愛人のもとへ通っているのだ。ネレウスの妻や子供は、ネレウスに飽きられて捨てられたのだと、社交界で噂し、彼らを孤立させた。
海王は魅了の力を持つネレウスを恐れていた。消息不明になった人魚達や、ネレウスの妻や娘までもいなくなったと聞いて、再び彼が海王の座を狙って動き出すのではないかと危惧した。そこに海王の愛娘までもいなくなり、海王はフィエロに命じることにしたらしかった。
フィエロとしては複雑な心境だったようだ。母と妹を捜す為に捜索隊を出して欲しいと懇願した時には却下されたのに、海王の愛娘がいなくなったことで、海王は立場よりも親心を取ったのだから。
「陸に上がった父を捜すには、自分も陸に上がらなくてはなりません。セイレーン族には厳しい掟があります。例えどのような理由があろうとも一度、陸に上がった者は二度と母国には戻れない」
セイレーン族は、神代の時代から根付いてきた一族。誇り高く神の血を引く一族として、他の種族達からも一目置かれている。そのセイレーン族を束ねているのが海王で、海王は海の神とも呼ばれている。海王の言葉は絶対だ。その海王の命とは言え、竜人族の許嫁に婚約破棄をするのは勇気が要ったことだろう。
フィエロが陸に上がると言うことは、国外追放を意味する。そうなると許嫁である従妹に迷惑がかかると思い、彼は自分に非がある形で婚約破棄をしたに違いなかった。
事情を知らない竜人達は怒り、未だに彼のことを快く思っていない。ノアールもこの話を聞かなければ、彼は不実な男だと誤解したままだった。
従妹との縁組は海王が強く望んだものだったと、父から聞いていただけに、直接それを海王自身が断るでもなく、フィエロ自身に責任を取らせたのには、どこかやり切れないものを感じた。
「海王もやり方が酷いな。元は自分が望んで持ち掛けた縁組だろうが」
「仕方ありません。それだけ海王さまが父に抱く猜疑心は、なかなか消えてくれないのでしょう」
まさか自分が、海王を非難するとは思わなかったのだろう。フィエロは一瞬、目を丸くしながらも、セイレーン族の王に、それだけ父は疎まれている。自分は罪人の息子だから、海王に何をされても仕方ないのだと苦笑した。それが少しだけ不憫に思われた。
「僕は婚約破棄したことで、与えられていた爵位や領海は取りあげられました。陸に上がってから数年もの間、昼間は人間を装いながら暮らし、夜には密かに海へと戻り情報を探りました。そしてようやく嘆きの塔から命からがら逃げ出してきた人魚と出会うことが出来たのです。その人魚から聞いた話で、そこに母と妹が囚われていると分かりました」
「それできみは子爵について情報を集め、サーラと出会った?」
「母と妹がボーモン子爵の所有している嘆きの塔で捕まっていると聞き、気持ちの上では一刻も早く助け出したいと思うのに、子爵に近づく機会がなく焦っていました。まずは漂流して流れ着いた商家の息子を装い、様子を伺うことにしたのです。そこにサーラが現れて、彼女がボーモン子爵家で働いている使用人だと知りました」
「それで彼女を利用した?」
「はい。頭の中では母たちを救うことばかり考えていて、サーラから子爵の情報を探るべく色々なことを聞き出しました」
そう言う彼の顔は、本音を包み隠すかのように凪いで見えた。マリアナを交際相手として選んだ理由は、父への復讐だと淀みなく答えた。




