43話・彼は寝たふりをすることにした
「マリアナから紹介されたボーモン子爵を見て、すぐに捜していた父のネレウスだと分かりました。でも、父は息子である自分に気が付かなかった。その父はマリアナを溺愛していて許せなかったのです。妹は顔も知らない父を慕っていると言うのに、その娘を顧みることもなく、他の女性との間に生まれた娘を大事にしていることが。それで思ったのです。この父が溺愛している娘を傷つけて捨ててやろうと」
フィエロの瞳は、ほの暗い影を宿していた。
「マリアナとは実際には何もありませんでした。彼女には幻覚を見せていました。僕には父のような魅了の力はありませんが、相手が望む通りの幻覚を一時だけ見せることは出来ます。それでマリアナとは交際しているように思わせてきました」
彼は淡々と語った。彼の言い方からマリアナとの交際は彼の望んだものでなかったのは確かなようだ。彼は自分の母や妹を救うために、子爵が溺愛しているマリアナに接触し、彼女の父親である子爵と接触を図った。
「子爵からはいつ、この塔の秘密を?」
「挙式のあった日です。披露宴から退出した後で、子爵から内密に話があると言われました。本当は二人きりで話をするつもりだったと思います。小舟に乗って嘆きの塔に着いた時点で、もう一艘、小舟が近づいて来るのが分かりました。それにはマリアナが乗っていました。彼女は僕たち二人が屋敷を抜けるのをどこかで見ていたのでしょう。気になって追いかけてきたようでした」
「マリアナ嬢は一人で?」
「いえ。浜辺を通りかかった領民に頼んだようです」
嘆きの塔は海の中にある為、小舟を漕いで渡らなくてはならない。お嬢さま育ちの彼女にそれは無理なのは明らかだ。彼女は誰かに連れられて来たのかと問うと、フィエロは、彼女は通りがかりの領民に声をかけて、塔まで送ってもらったと答えた。
「その後は、ご存じの通りです。でも、ネレウスには目的がありました。あの男は僕になり替わろうとしていました」
「ネレウスはどうして君になり替わろうと?」
「あの男はもともとフィロメイラさまの後継として、その子供を利用することを考えていました。赤子の内から傍に置いて、実の父親のように接していれば裏切ることなく、自分の言うことを聞かせられると思っていたようです。それがクラリー夫人によって阻まれて不快に思っていたようで、一からやり直すことにしたようでした」
「一からやり直す? ボーモン子爵は、マリアナがフィロメイラの娘ではないと気が付いていたということか?」
ノアールは、ボーモン子爵が彼を襲った理由に見当がついて気味悪く思った。フィエロはせせら笑った。
「あの男が魂替えの小刀で襲い掛かってきた時に、『その体を明け渡せ。サーラとやり直す』と、言っていました。僕を襲う子爵を見て、マリアナは止めようとしましたが、『触れるな! おまえなど、私の子ではない。あの女狐の娘が!』と、怒鳴り返されて、彼女は強いショックを受けたようです。震えていました」
今まで蝶よ、花よと大事にされ、甘やかされて育ってきたらしいマリアナは、自分の前では優しい顔しか見せなかった父親の豹変に、腰を抜かすほど驚いていたらしい。初めて父親から怒鳴られて衝撃を受けた上に、自分の娘ではないと言われて心が折れたようだ。
父親の言った「女狐」が誰のことを差すか、それと父がやり直すと言って名前をあげた娘の名前で、クラリーがやらかしたことに察しがついたのだろう。と、フィエロは言った。
「ネレウスは自分の目的の為ならば、家族さえ捨てるような男です。あの男は今までフィロメイラさまの娘がサーラだったとは知らずに騙されてきて、使用人として冷たく当たってきた。そのような男から急に優しくされてもサーラに警戒されるだけで、関係を良くすることは出来ない。それならばサーラが心を許しそうな、若い男になり替わればなんとかなると思ったようです」
「浅はかだな」
「その辺りは、僕たちは似ているのかも知れません」
ノアールの呆れた声に、フィエロは歪んだ笑いで応じた。まともでない父親の血を引く自分は異形だと言いたげだった。
彼は父親に振り回されて蔑ろにされて生きてきた。その父親は好き勝手に生きて、最期は彼に乗り移ろうとして、勝手に消滅した。自業自得だ。
しかし、彼は本当にサーラを利用する為だけに近づいたのだろうか? ノアールの心に疑問が湧いた。
「これから公の場であなたは裁かれることになる。何か願うことはあるか?」
「特には。ただ彼女には……」
フィエロには、罪と向き合う覚悟があった。そのような彼が、やはり彼女の心を弄んだようにはどうしても思えない。彼の願ったことはたった一つだけだった。
窓の外を見れば、長く糸を引くような雨が降っていた。しとしとと降る雨は静かすぎた。サーラと二人きりの馬車の中が気まずく思われるぐらいに。彼女が窓の外を見ているのを良いことに、ノアールは座席へと深く身を預けた。目を閉じて寝たふりしてやり過ごすつもりだ。起きていたら感傷に引き摺られて、言わなくても良いことを口にしそうで、彼は黙ることを選択した。




