183 調査と速報
いそいそと帰り支度を始めた太陽の光が、冷えた空気にぬくもりを混ぜ込む。心地よい午後に、ジラソーレ高等学校の生徒たちは、本日の授業から解放されていた。
「さいならー」
「じゃあねー」
「この後遊びにいかない?」
「うちら、今日は研究課題やんなきゃ」
さまざまな声が飛び交う中に、ヒワ・スノハラも上手いこと埋没している。友人のシルヴィー・ローザと他愛もない話をしながら、生徒の群れを抜けようとしていた。
「あ、ローザさん! さようならー!」
そんな中、シルヴィーを見つけた生徒の一団が、きらきらとした挨拶を投げかける。シルヴィーはいつもの弾けるような笑顔で、手を振り返した。
ヒワたちと彼らが完全にすれ違った後、話し声が流れてくる。
「ローザさんとスノハラさんって、ほんと仲いいよね」
「ねー。あんまり共通点なさそうなのに、意外」
「ってか私、スノハラさん久々に見たんだけど。登校してたんだ」
「そりゃ、してるよ。まあ、春頃から公欠多いけどね」
「ほんとに公欠かな、あれ。実はサボりだったりして」
――鞄の紐を持つシルヴィーの手が、ぴくりと震える。それをめざとく見つけたヒワは、両腕を阻塞のごとく差し出した。
「どうどう、シルヴィー」
「まだ何もしてないけど?」
「まだ、って……」
ヒワは頬を引きつらせる。それでも、シルヴィーが深呼吸したので、腕を元に戻した。
足早に人波を抜ける。学校の敷地を出るなり、シルヴィーが憤慨した。
「みんな、ヒワが言い返さないからって、勝手な話ばっかり! ほんっとに変わってないんだから!」
「しょうがないよ。休みがちなのは事実なんだから。あの子たちも、多分悪気ないし」
「悪気なかったら、なおさら質悪いっての。だいたい、誰のおかげで自分たちが平和に生活できてると思ってんだか!」
「いやあ……わたしだけの力ではないかな……」
ヒワがこの頃学校を休みがちなのは、世界の境目に開いた〈穴〉をふさいだり、その元凶と思われる勢力と戦ったりしているためである。事情が特殊すぎて、生徒たちには説明のしようがない。したところで、妄想扱いされて終わりそうだ。
だからこそ、すべてを知った上で変わらないシルヴィーの存在が、ありがたい。ヒワはふっと笑って、軽やかに踏み出した。わざとらしく、話題を変える。
「あんまりぷりぷりしてたら、ロレンスに怖がられるよ?」
幼馴染の名を出されたおかげか、シルヴィーがまとう刺々しい空気が薄らぐ。
ヒワの言葉も、決して友人をなだめるためだけのものではない。ヒワ以上に人の顔色を気にするところがある少年は、実際に幼馴染が不機嫌であれば、萎縮してしまうだろう。シルヴィー本人も、それは承知していた。
「……まあ、ね。これからのことに集中しなきゃ、損だわ」
シルヴィーは、何かと戦うかのように両方の拳を握る。ヒワは「ほんとにシルヴィーも来るんだ」と苦笑した。
ヒワたちはこれから、共通の友人――ロレンス・グラネスタと合流する。ある『調査』の進捗を共有するためだった。
集合場所は、馴染みの食堂。二人が店の前に辿り着いたときには、私服姿のロレンスがすでにいた。控えめに手を振る少年の背後には、黒いワンピース姿の女性が直立不動で侍っている。それを見て、ヒワは、おや、と目を瞬いた。
「やっほー! ロレンス、フラムリーヴェさんも!」
「やっほ。シルヴィー、ほんとに来たんだ」
「あったりまえでしょう!」
不器用に笑うロレンスの後ろで、女性、つまりフラムリーヴェが一礼する。炎を思わせる不思議な色合いの長髪が、やわらかく揺れた。
「フラムリーヴェさんのそれ、新しいお召し物ですか? 冬仕様?」
ヒワが先ほど気づいたことを、シルヴィーが意気揚々と口にする。フラムリーヴェは、得意げに裾をつまんでみせた。
「はい。時々は違う意匠のものを着た方がいい、ということで、ロレンスと一緒に選びました」
ヒワは、思わず友人の少年を見た。シルヴィーも、にやけるのを隠そうともせず、倣う。少女たちに見られたロレンスは、流れるようにそっぽを向いた。
「ヒ、ヒワ。店に入る前に、呼んだ方がいいと思うよ」
無理やり話題を変える。しかし、内容は至極もっともであった。ヒワは目をしばたたく。
「あ、それもそうか。――エラ!」
虚空に向かって呼びかける。ヒワの目の前に、やわらかな光が灯った。その中から、小さな少年が現れる。風に遊ぶ髪と、レース飾りをあしらった衣が、今までと違う色彩を場に添えた。
「おう。ちょうどよかった。そろそろ向かおうとしてたところだ」
ヒワの契約相手、エルメルアリアは、あどけない笑みを見せる。
シルヴィーが、彼に向かって手を振った。
「エラくん、こんにちは! ぶっ倒れたりしてない?」
「シルヴィーはオレを何だと思ってんだ。もう絶好調だっての」
エルメルアリアはふんぞり返る。
一昨日、精霊の声が聞こえすぎて少しばかり弱っていたことは、彼の名誉のために黙っておくべきだろう。ヒワはそう思い、軽く手を叩いた。
「それじゃ、進捗報告会、始めますか」
顔なじみの店員に出迎えられ、窓際の席を陣取った一行は、めいめい好きなものを注文する。待ち時間を惜しむように、ヒワとロレンスは鞄から書類を取り出した。
「えー。じゃあ、件の精霊人について、わかったことを発表していこうか」
「そんじゃあ、オレたちからな」
ヒワの膝の上に乗ったエルメルアリアが、あっけらかんと言い放つ。
「オレが前に調べた、二千年前の事件。あれの主犯が、その精霊人で間違いなさそうだ」
「人間たちに、重要な指揮術の情報を渡しちゃって、それが擬似開門の開発に繋がった……って話だよね?」
ヒワが自身の頭を整理しながら呟くと、エルメルアリアはうなずく。
話題に上がっている精霊人は、敵勢力の中の一人、ミレティアレーデ――その先祖である。多重世界を自由に、安全に行き来するための研究に没頭し、行き過ぎて掟破りの罪人とされ、地下魔界に逃げた存在。彼らは先日の事件のあと、本格的にその者の調査を進めていた。
「ミレティアレーデの話と、経歴がおおよそ一致していた。細かく文献をあさったら、人間たちとのやり取りの記録も出て来た」
「実際のところ、利害の一致で手を組んだ、って感じみたいなんだよね。精霊人にとっての掟破りであることも、研究の過程で世界が乱れることも、ある程度承知の上でやっていたんだって」
ヒワは、エルメルアリアや他の同志とともに調べたことを語る。その後、軽く眉を寄せた。
「で……その精霊人と一緒に世界の境目の研究をしていた人が、天外界に結構いたみたいなんだけど……」
「そっちの詳細が、どうにもわかんなくてな」
エルメルアリアがうめく。
ロレンスが、待ってましたとばかりに口を開いた。
「共同研究者については、俺の方で調べてみたよ」
「天外界に情報がないなら、人間側から探ってみよう、という話になったのですが……当たりでしたね」
フラムリーヴェがしみじみと言う。ロレンスはうなずいて、広げた書類を指で叩いた。
「古代指揮術の資料の中に、精霊人と手を組んで研究してた人たちの記録が、少しだけあった。里の違う精霊人数人から話を聞いたり、外交文書に見せかけた資料をやり取りしたりして、研究を進めていたみたいだ」
当時、二世界を行き来していた精霊人の情報や、指揮術の詳細などが書かれた資料を、ロレンスが示す。ヒワたちはそれをのぞきこみ、顔を引きつらせた。
「やたら本格的だね……」
「ほんとに。でも、その擬似なんちゃらっていうのは、ちゃんと完成しなかったんでしょ?」
シルヴィーが、呆れたように幼馴染を見る。彼は「まあ、そうとも言うね」と答えて、紙を並べ替えた。
「それどころか、研究のために使った指揮術のせいで境目が揺らいで、精霊の暴走に起因する災害が起きまくった。これがきっかけで、天外界でも天地内界でも、境目の研究をしていた人々の取り締まりが強化されたみたいだ」
「……取り締まりに躍起になった、と言った方がいいかもしれません。過剰な尋問や、密告も行われていたようです」
フラムリーヴェが表情を曇らせる。他の面々も、神妙に黙り込んだり、顔を引きつらせたりした。
「雲行きが怪しくなってきましたねえ」
シルヴィーがこぼしたとき、注文した飲み物が運ばれてくる。
甘みがついているであろう珈琲を早々と飲んだロレンスが、息をついた。
「……ミレティアレーデが言ってた、『おもしろいことがわかるかも』っていうのは、これかな」
「現時点では何とも言えませんが……今後は、もう少し視野を広げて、当時の出来事を調べてみるつもりです」
フラムリーヴェは淡々と紅茶を飲む。その向かいで、エルメルアリアが体を伸ばした。
「資料少なそうだなあ。シェム爺に話でも聞いてくるか?」
「……そうですね」
友達予備軍の提案に、フラムリーヴェは考え込むそぶりを見せる。しかし、エルメルアリアが口を開きかけた瞬間、身を乗り出した。
「くれぐれも無理に渡ろうとしないように」
「わかったわかった。わかったから離れろ」
鼻がくっつけんばかりの戦乙女を、エルメルアリアが手で制す。ヒワは軽くのけぞっていたものの、彼女を咎められなかった。先日、万全でないエルメルアリアに〈銀星の塔〉から招集がかかったとき、ヒワも憤慨したからである。
フラムリーヴェの契約者がわざとらしく咳払いした。契約相手は、何事もなかったかのように姿勢を正す。
ヒワは自分の飲み物――季節の果物をしぼったもの――に口をつけながら、店の出入り口の方をながめる。
「共同研究者の子孫の中に、あのひとたちに協力している人がいるのかなあ」
「いるだろうな。やってることの規模からして、そこそこの集団で動いてるんだろうし」
答えたエルメルアリアが、子供用の珈琲カップに口をつけて、すぐに身を引く。初めて頼んだ珈琲は、少々刺激が強かったようだ。
友達予備軍を視界に入れつつ、フラムリーヴェが平然と呟く。
「全員が全員、同じ動機とは限りませんが……」
「ミレティアレーデも、そんなこと言ってたもんね」
ロレンスが頭をかく。紅茶を冷ましていたシルヴィーが、不思議そうに幼馴染を見つめた。
「その人たちって、地下魔界に住んでる精霊人なんでしょ? そっちの世界のことは、調べらんないわけ?」
率直な疑問に答えたのは、ロレンスではなく、精霊人たちだった。
「現状、渡る手段がねえからな」
「瘴気の影響と魔物の妨害があるぶん、他の世界へ渡るより危険だとも言われていますし」
シルヴィーは、ふうん、と呟いてティーカップを持ち上げる。優雅に紅茶を堪能したのち、唐突に顔をしかめた。
「敵さんたちは、なんでそんな世界に適応できてんのかな。強靭すぎでしょ」
「うーん……生命の進化とか、そういう感じ……?」
ヒワが言ったとき、軽食が運ばれてくる。燻製肉、チーズ、薄切り野菜を、硬めのパンで挟んだものだ。切り分けられたそれに人間たちが手を伸ばすと、精霊人たちも倣う。
「ともかく、今の地下魔界に関する情報がなさすぎる、というのは確かですね」
「なんとかならないかな。今度、王都で調べてみるか」
ロレンスの言葉に、少女たちは目をしばたたく。
「王都?」
「なに、あんた王都行くの?」
「あ、うん。ソーラス院の課外研究で」
ロレンスはたどたどしく答えてから、軽食にかぶりついた。
「やることやってればあとは自由だから、王立図書館と協会支部に寄ろうと思ってる」
「えっ。いいな、王立図書館」
ヒワは瞳を輝かせる。隣で、シルヴィーが「勉強熱心だわ」と呟いた。
そんなとき、ぽーん、という音が、店のざわめきに割り込んだ。
ヒワは驚いて顔を上げる。珈琲に再挑戦していたエルメルアリアも、文字通り飛び上がった。
テーブルの中心に、龍をかたどった光が浮いている。
「ノクスさんの伝霊? なんだろ」
首をかしげたロレンスが、自身の伝霊――指揮術式伝声機――を呼び出す。こちらは、白い小鳥をかたどっていた。ロレンスが鳥を弾くとそれは消え、龍の方から雑音交じりの音が流れ出す。
『ロレンスか!?』
「は、はい。ええと、何かありました?」
『“何か”どころじゃねえ!』
遠くから声を届けている同志の一人は、ロレンスをのみこまんばかりの勢いで叫ぶ。誰もが伝霊に注目したとき、かすかな会話が聞こえた。その後、彼――ノクスは、幾分か落ち着いた声で告げる。
『クロードシャリスが逃げやがった』
――え、と言ったのは、誰だっただろう。
沈黙の中、子供用の珈琲カップが小さく震えた。




