182.5-2 袖の時雨
ガルネンコルドが、その精霊人と出会ったのは、ずいぶん前のことだ。
〈翠緑の里〉に注文の品を届けにいった際、彼の作品を見に集まった野次馬たちの中にいた。
まともに言葉を交わしたのは、ガルネンコルドが里の大人と話を終え、試作品の梯子を彼らのもとに持っていこうとしたときだった。件の精霊人は、梯子を興味深そうに見ていた。やがて、桟を叩いたり、梯子をがたがた揺らしたりしはじめる。
「やめろ! 危ねえ!」
ガルネンコルドは、数十年ぶりに本気で怒鳴った。その精霊人は、びっくりした様子で彼を振り返る。悪いことをしたと思っていない――というより、善悪の区別がつかぬ赤子のような表情だった。
ガルネンコルドははっとして、その精霊人の周辺に意識を集中した。予想通り、精霊たちが笑い声や高い叫び声を上げている。
「そそのかしたな」
たいへん、たいへん。おこってる。
だって、どうなっているのかきになったんだもの。
ガルネンコルドが凄むと、精霊たちはそんなふうに騒ぎ立てる。精霊人の方はというと、泣きそうな顔できょろきょろしていた。
ガルネンコルドは、盛大にため息をつく。『人』の常識が通じぬ精霊たちを、どう諭したものか。悩んでいたところに、シェマデールが飛んできた。
「ああ、待ちなさい、エルメルアリア。それはガルネンコルドのものだよ」
蔓のような髪を振り乱してやってきた里長は、その精霊人を梯子から引き離して、語りかける。
「他人の物を勝手に触ってはいけないよ。わかるかい?」
「……どなたの、ものですか?」
「あの方だよ。一緒に謝ろう」
二人分の視線を受けて、ガルネンコルドは身じろぎした。
シェマデール共々、頭を下げられる。エルメルアリアと呼ばれた精霊人の謝罪は、赤子のような表情に似つかわしくない丁寧さであった。
「知らなかったとはいえ、勝手にお手を触れて、申し訳ありません」
「……構造が気になるなら、いじる前に聞きにこい」
「わかりました」
丁寧であると同時、妙に素直でもあった。ガルネンコルドは、小さく顎を動かす。どうにも、やりにくい。
「怪我してねえか」
エルメルアリアは小首をかしげる。それから「していません」と答えた。
「そうかい。なら、いい」
その後、エルメルアリアはシェマデールに言われて、里の中へ戻っていった。職人と里長だけが、場に残る。
「あいつは里の者か? 見ねえ顔だが」
ガルネンコルドが尋ねると、シェマデールはひげを揺らして笑った。
「普段は外の仕事に従事しているからねえ。会う機会はないだろう」
「外の……? あれでか?」
「〈銀星の塔〉の判断でね。少々『己』が脆い子ではあるが、仕事上はさほど問題ないらしい」
シェマデールのひげが、言葉に反して縮れている。不安や心配事があるときの反応だ。ガルネンコルドも、うめく。
『己』が脆い。つまり『自分』という概念をきちんと認識できておらず、心が精霊の声と混線しやすいということだ。幼年期を過ぎてもその状態が続く精霊人がまれにいる、と聞いたことはあるが、ガルネンコルドが実際に見たのは初めてだった。
「精霊と距離が近い分、指揮術が強くなるんだったか」
「それにしても、今の状態で実戦に出させるのは、どうかとは思うのだがね……」
「反対しなかったのか」
「したとも」
シェマデールは、ため息まじりに呟く。
「しかし、止めきれるものでもなかった。〈塔〉の方々も、里の者たちも、彼こそが次の〈銀星の主〉だ、力があるのだから、早くからそれを磨くべきだと妙に張り切っていてね」
ガルネンコルドは、先ほどの精霊人の様子を思い出す。確かに、〈主〉と重ねてしまうのも無理からぬことだろう。純朴な同胞の中には、現人神のごとく崇める者もいるかもしれない。
ただ、ガルネンコルドは純朴どころか、ひねくれていた。
「務めを果たしているうちに自分が認識できなくなる奴と、最初から自分を認識しにくいガキとでは、勝手が違うんじゃねえか」
彼が言うと、シェマデールはこぼれんばかりに目を見開く。それから珍しく、大声で笑った。
「あなたのように考えられるひとが、あの子のまわりにいるとよいのだがねえ」
「……子守はしねえぞ」
ガルネンコルドは、むっつりと釘を刺した。
里長の言葉通り、それ以降、あの奇妙な精霊人と会うことはなかった。――次に遭遇したのは、初対面の衝撃すらすっかり薄れた頃。
そのとき、ガルネンコルドは己の工房で作業を切り上げたところだった。工房のそばに、妙な魔力が漂っていることに気づき、外に出る。
精霊たちの落ち着きがない。その声と魔力を頼りに歩いていくと、低木の陰に座り込んでいる精霊人を見つけた。地面に垂れて流れるほどのプラチナブロンドは、どこにいても目立つ。
「……何してやがる」
声をかけると、エルメルアリアは飛び上がった。「ひと、いた」などと呟いて逃げ出そうとするものだから、ガルネンコルドは思わず踏み出す。
「おい待て」
「もうしわけ、ありません。すぐに去ります」
「待てと言うのに」
とっさに衣の端をつかむと、エルメルアリアは転んだ。しまった、と思いつつ、ガルネンコルドは口を開く。
「やましいことがねえなら、質問に答えろ。何してる」
「だめ、です。近づいては、いけません」
「あ?」
「私は……狂ってしまったのです。だから、だから……」
エルメルアリアは、全身が汚れることも気にせず、うつ伏せで地面を掻く。ガルネンコルドは、彼の目もとが落ちくぼんでいることに気がついた。
腰に手を当て、ため息をつく。小さな体を抱え上げ、肩にかついだ。当然、エルメルアリアは驚いて暴れたが、一旦無視する。
工房を通り抜け、奥の部屋へ行くと、エルメルアリアから泥だらけの服を引っぺがした。投げるように椅子に座らせ、毛布やら体を拭く布やらを集めて被せる。
混乱している精霊人をよそに、ガルネンコルドは茶を沸かした。作業しながら、改めて「あんなところで何してた」と尋ねれば、エルメルアリアはようやっと答えた。
「ひとの、いない、ところを……さがして」
納得である。里の外れに居を据えている『人』はガルネンコルドだけだ。ここなら誰の目にも触れない、そう思って来たのだろう。
エルメルアリアを見つめていると、その体がきゅっと丸まった。さながらおびえる子犬である。かつて里で見た姿とは、まるで違う。
「取って食いやしねえよ」
そう言っても、まったく落ち着く様子がない。ガルネンコルドが途方に暮れているうちに、茶が沸いた。手ごろなカップに注いで、エルメルアリアの前に差し出す。毒蛇か何かのようにカップを見つめる彼をよそに、ガルネンコルドは片づけを始めた。
そのうち、エルメルアリアはお茶に口をつけた。ぽつぽつと、これまでのことを語る。ありていに言えば、過重労働で潰された、というところだ。だが、精霊寄りの者特有の自我の変化が、問題をややこしくしているようにも思われた。
ガルネンコルドは、特に何も言わなかった。エルメルアリアが気の向くままに呟いて、勝手に作業を見学し、最後にお礼を言って去ってゆく。
数日後、お礼にと貴重な木材を持ってきた。遠方の里で、許可を得てもらってきたという。語る彼は、まだ、しおれていた。
次にエルメルアリアと会ったのは、数か月後だった。その時の彼は、〈銀星の塔〉からの注文を伝えにきた――いわば使い走りであった。
「〈塔〉からの注文書を持ってきた。オレにはよくわかんねえから、見てくれ。ほい」
ガルネンコルドは面食らう。彼の立ち居振る舞いが、以前とはまるで違ったからだ。
だが、驚いたのは最初だけである。会話をしているうちに、無理やり背伸びしているような匂いを嗅ぎ取った。
何を思って、役者の真似事を始めたのかはわからない。ただ、あの日の邂逅以降、心境の変化があったのは確かだろう。
彼が『クソガキ』を演じるつもりならばと、ガルネンコルドは『クソガキを相手にするじじい』になることにした。
避けられるだろうかと思った。しかし、予想に反して、エルメルアリアは用事があろうとなかろうと、工房にやってくるようになった。
ガルネンコルドはしかたなく、『クソガキ』の相手を続ける。彼が用もなく工房に来たときは、雑用を手伝わせることもあった。――もし、彼が〈塔〉や里で孤立して、どうしようもなくなったときに、迎え入れてやれるように。
むろん、自己満足の思いつきは顔にも態度にも出さない。ガルネンコルドはこうして、エルメルアリアと数十年の付き合いを続けてきた。
※
「よう、ガンコ爺。入っていいか?」
〈翠緑の里〉の外れにある工房に、快活な声が響く。黙々と作品に防水剤を塗っていた主は、ちらと戸口を見た。プラチナブロンドをなびかせる、小さな精霊人の姿を認めると、視線を戻す。
「好きにしろ」
「んじゃ、お邪魔しまーす……っと」
その精霊人――エルメルアリアは、軽やかに工房へ飛び込んでくる。何も置いていない作業台に両腕を投げ出した。
「あー疲れた。〈塔〉から招集かかってさあ。ステア共々こってり絞られてたんだよ」
「そうかい」
ガルネンコルドは適当に相槌を打ち、作業を続ける。エルメルアリアは構わず、くだを巻く。いつものことだった。
防水剤を塗り終える。作品を乾かしている間に、近くに放っていた別の作品に手を伸ばした。こちらは注文の品ではなく、趣味のようなものだ。小刀を取り出して、木のかたまりに滑らせる。
客人の愚痴が途切れたところで、ガルネンコルドは自ら口を開いた。
「クロードシャリスのこと、聞いたぞ」
あれだけ騒がしかった精霊人の動きが、ぴたりと止まった。身を起こした彼は、わざとらしく頬杖をつく。
「……あっそ」
それだけ言って、口をつぐんだ。ガルネンコルドも、無言で木を削り、彫り続けた。
しゃっしゃっと、小気味いい音が響いては、止まる。何度か繰り返された後に、エルメルアリアが口を開いた。
「あのさ。この間、あいつ、来たんだよな」
「ああ」
「何か、変なこと言ってなかったか」
「……何も」
ガルネンコルドは、むっつりと答えて木くずを払う。
また、しばしの沈黙。エルメルアリアがぎこちない伸びをする。
「あいつさ。オレと本当の意味で友達になりたくて、世界をまるごと変えようとしたんだとさ」
ガルネンコルドは、再び小刀を取った。ひたすら削って、形を整える。
「オレ、別に、そんなこと頼んでねえんだけどな? なんなら、今まで通りでよかったのに。……でも、あいつは許せなかったんだろうな」
ことさらに明るい声が、工房に響き渡る。ガルネンコルドはひたすらに、木を彫り続けた。
「満足してたのは、オレだけだったのかもなあ。ほんとはずっと、あいつを苦しめてたのかも」
手を止める。再び木くずを払う。今度は少し引いて見て、今の形を確かめた。何かが浮かび上がりつつある木像を、くるりと回す。
「……俺ぁ、クロードシャリスの奴が苦手でな。嫌いってわけじゃあ、なかったが」
気まぐれに口を開く。ガルネンコルドはそっと、背後の様子をうかがった。エルメルアリアは、目を丸くしている。
ガルネンコルドは、小さく鼻を鳴らして、続けた。
「俺をどこぞのクソガキの保護者と勘違いしていやがったからな。注文に来るたびに様子を聞かれるこっちの身にもなれって話だ。そのくせ、へらへら笑って本心を隠しやがって。やりにくいったらねえ」
一体、何を語っているのだろう。そう思いながら、ガルネンコルドは何度か木像を回転させた。
「最後まで、そうだった」
相手に届くかどうかもわからぬ声で、呟く。
作業再開。より細かく形を整える。
「友達、なんだ」
木の声の合間を縫って、人の声がする。小刻みに震えていた。
「クロは……オレにとっては、友達なんだ。クロにとってのオレは、違ったかもしれないけど……」
声は、次第に形を変える。木像の輪郭がはっきりするごとに、そちらの輪郭は、不鮮明になっていった。
「優しくて、何でも知ってて、水の扱いが上手くて、お菓子も作れる、だいすきな――」
辛うじて紡がれていた言葉が、とうとう途切れる。すすり泣きは、次第に嗚咽へと変わった。
押し殺された泣き声が、工房を満たす。それでもガルネンコルドは、エルメルアリアに背を向けたまま、小刀を操り続けた。
しばらくして、声が聞こえなくなった。ガルネンコルドは、一度木像を置いて、振り返る。
エルメルアリアが作業台に突っ伏していた。背中がゆっくりと上下している。
小刀を片付けて、立ち上がる。エルメルアリアに近づくと、案の定、寝息が聞こえてきた。濡れた袖と、腫れた目もとを見て、ガルネンコルドはため息をつく。
最後に工房を訪れた日の去り際、クロードシャリスはいつもの笑顔で言った。「これからも、エラをよろしくお願いしますね」と。
「馬鹿野郎が」
吐き捨てて、ガルネンコルドは奥の部屋に引っ込む。毛布を引っ張り出して、戻ってきた。それを、エルメルアリアの背中にかける。作業台の新しい染みを見なかったことにして、また、作品の前に座った。
一時間経たぬうちに、エルメルアリアは目覚めた。いつかのようにぼんやりしている彼に、ガルネンコルドはお茶と乾燥ピュロロ入りのケーキを出した。それを平らげ、工房を去ろうという頃には、エルメルアリアはすっかりいつもの調子を取り戻していた。
「長居して悪かったな、ガンコ爺」
「次は注文しに来い、クソガキ」
エルメルアリアは「へいへい」とやる気のない返事をして、戸口の布をめくる。
「一泊するのか」
「いや。資料取りにいって、家の掃除したら、内界に行く」
「門の内で居眠りすんじゃねえぞ」
「しねえよ。オレを誰だと思ってやがる」
工房の外へ向かいながら、軽口を叩き合う。木々の隙間から差し込む光に目を細めたガルネンコルドは、高度を上げた精霊人を見やった。
「エルメルアリア」
「んー?」
「うちで働く気はねえか」
尋ねると、エルメルアリアは目を丸くした。旋回して、ガルネンコルドのもとへ下りてくる。
「今はねえな」
さっぱりと答えたのち、歯を見せて笑った。
「〈穴〉の件が片付いて、見たいもの全部見て……オレの気が済んだら、考えてやってもいいぜ」
「そうかい」
ガルネンコルドは、普段通りにうなずいた。気長で不確実な約束など、精霊人にとっては日常茶飯事である。
じゃあな、と告げてエルメルアリアが飛び上がる。ガルネンコルドは無言で手を挙げた。真新しい髪紐が、遠く、視界を横切る。
――少なくとも、あの人間の少女が生きているうちは、老人の出る幕はないようだ。
里の外れの職人は、まんざらでもない気分で、自らの工房に戻っていった。
(182.5-2 袖の時雨・終)
第十章はここまでです! お読みいただき、ありがとうございました。
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第五章~第十章までが、第二部というイメージです。というわけで、一旦ひと区切り。第一部相当の第一章~第四章と打って変わってハードな展開が多くなりましたが、少しでも楽しんでいただけたのなら嬉しいです。
ここから、物語は第三部へ――完結へと、少しずつ向かってまいります。地下魔界の精霊人を中心とする勢力との戦いはどう決着するのか。そして〈穴〉を完全にふさぐことはできるのか。
ヒワとエラと仲間たちの冒険、最後まで見届けていただけると、とても嬉しいです。
それでは、今回はこの辺で。またお会いしましょう!




