182.5-1 かけがえのない『今』
今回と次回は第十章の後日談です。どちらもエラまわりのお話。
必読ではありませんが、補足や裏話に興味がある方は、ぜひお読みくださいませ。
色の移ろう空の下。天の果てに向かってまっすぐ伸びる〈銀星の塔〉を抱く〈銀星の都〉は、平時とはまた違う慌ただしさに包まれていた。精霊人たちが盛んに出入りし、情報を交換したり、資材を運び出したりする。
先日、突如発生した魔物の大移動と凶暴化は、戦士たちの活躍と原因の特定によって、終息した。一般の民たちは、里の垣根を越えて、破壊された場所の修復に励んでいる。中でも術の解析や解除が得意な者は、特に被害が大きい場所を回り、指揮術の名残がないかを確かめていた。
魔物の大移動と凶暴化の原因は、不届き者が地下魔界の瘴気と魔物を呼び寄せ、天外界の魔物に悪辣な術をかけたことだ。それについて、精霊人社会の中枢で会議が行われていた。ただし、建設的な話し合いとはほど遠い。
〈銀星の塔〉・大会議室。机も椅子もない、ただ高いばかりの部屋に、精霊人たちが浮いている。今、この場にいるのは、〈塔〉の高官数名と、今回の騒動の下手人と深い関わりのあった精霊人たち――つまりはエルメルアリアとステアルティードである。
エルメルアリアは、まだ世界渡りに耐えられる体調ではなかった。しかし、〈塔〉から強制招集がかかったので、この場にいる。同志の何人かは今頃内界で怒り狂っているだろうな、などと、彼はぼやけた頭で考えていた。
高官たちはエルメルアリアたちに、事の顛末の説明を求めた。二人は、求められたことを、正直に話した。説明を終え、高官たちの冷ややかな視線がエルメルアリアに向いているのが、今である。
「説明は、以上か」
「以上だ。絞っても、もうなんも出ねえぞ」
エルメルアリアは投げやりにそう言って、腕を組む。高官たちの態度は、ちっとも軟化しなかった。
「本当に?」
「本当だ」
「ほかに隠していることはないか」
「ない」
しつこい、とエルメルアリアは胸中で吐き捨てる。彼らがなぜこうも食ってかかるのかは、わかっていた。普段ならば皮肉ってやるくらいはするのだが、今はそんな元気もない。頼むから内界か家に帰らせてくれ、としか思えなかった。
その後も、高官たちはしつこい。途切れぬ問答を見かねてか、ステアルティードが挙手する。
「私もエルメルアリアも、調査に必要な情報はすべて話しました。皆様に隠し事をする意味もございません。どうしてそこまで、エルメルアリアを詰問なさるのですか」
ステアルティードとしては、自分に矛先が向かないのも不思議だったのだろう。彼の有声無声の疑問に、高官の一人が答えた。
「彼は、クロードシャリスとたいそう親しかっただろう。情に流されて、重要情報を隠しておらぬとも限らぬ。それ以上のことになっている可能性もある」
「それ以上?」
しかめっ面で繰り返したステアルティードが、すぐ後に目を見開く。
「まさか……エルメルアリアを疑っておられるのですか」
「あくまで、可能性を捨てていない、というだけだ」
「可能性も何も……彼は被害者ですよ!? 万が一にも、敵方と通じているなど、あり得ない!」
「落ち着きなさい、ステアルティード」
声を荒げたステアルティードを、別の声が窘める。同席している、筆頭事務官であった。
「思うところはあるのでしょう。ですが、あなたは事務官です。冷静に、公平な視点を持ちなさい」
ステアルティードが、ぴくりと肩を震わせる。上司の目が冷たくなった。
「仮にエルメルアリアが完全な被害者で、潔白であったとしても、心の隙に付け込まれてクロードシャリスの反逆を止められなかったのは事実です」
エルメルアリアは、静かに瞑目した。筆頭事務官が指摘した点に関して、反論するつもりはない。ないが……鉛でものみこんだかのような重さが、腹の底にのしかかった。
沈黙の中、誰かが息を吸う。
「……付け込まれた? 止められなかった?」
その誰かがステアルティードであると、エルメルアリアが気づいたのは、その低いささやきを聞いたときだ。そして、次の瞬間には、耳をやられかけた。
「いい加減にしろっ!!」
ステアルティードが叫ぶ。誰もが呆気に取られている間に、彼はまくし立てた。
「エルメルアリアに罪があるというのなら、我々も同罪だ! 若い精霊人一人をやたら崇め讃えるくせに、都合よく利用して、責任ばかりを被せようとする……その態度こそが、クロードシャリスのような者を生んだのではないのか!」
「ちょ、ステア?」
さすがに目を回して、エルメルアリアは呼びかける。しかし、隣の事務官は止まらない。親指で自らの胸を差し、大喝した。
「彼を責める前に、省みるべきことがあるだろう!!」
青年の怒声は、やまびこのように反響する。表情は様々ながら、あの高官たちが、誰も二の句を継げずにいた。
かつてないほど気まずい沈黙に満たされた大会議室の中で、エルメルアリアもまた、途方に暮れていた。
※
結局、緊急会議は妙な空気のまま閉幕した。大会議室を出た後、精霊人の行き交う通路を歩きながら、ステアルティードがかぶりを振る。
「さすがに里へ追い返されるかもしれんな。私は構わないが……里に迷惑がかかるのは心苦しい」
「いや冷静に言ってる場合か」
隣を飛ぶエルメルアリアは、つい突っ込んでしまう。
「何してんだよ。普段、オレに『高官に敬語くらい使え』って言ってる奴がよ」
「それとこれとは話が別だ。さすがに、腹に据えかねた」
「はあ? 意味が――」
言葉を返そうとしたところで、エルメルアリアは、うっと声を詰まらせた。景色が歪み、普通は見えない色がチカチカと瞬く。響きがおかしい青年の声に、精霊たちのざわめきが押し寄せて、重なった。
クロードシャリスの一件以降、こうして時折、感覚が異常なほど鋭くなることがある。捕まっているときにかけられそうになった術の影響が、まだ残っているのだ。
少しして、音の聞こえ方がましになった。そして、エルメルアリアはステアルティードに抱きかかえられていた。
「ステア、なに、して――」
「落ち着くまで喋るな。いいから、このままでいろ」
彼は、ぴしゃりと切り返す。やたらに速い靴音が、やはり奇妙に歪んで、エルメルアリアの耳に届いた。
果たしてステアルティードが飛び込んだのは、白門の間であった。門番たちに状況を説明し、しばらくここにいる許可を求めていた。戸惑うエルメルアリアをよそに、門番たちはにっこりと笑ってみせる。
「もちろんでございます」
「どうぞごゆっくり、身心を休めていかれてくださいませ」
「かたじけない」
ステアルティードは一礼し、エルメルアリアを床に横たえる。白門の間の床は硬いが、不思議と寝転がっても不快感がないのだ。エルメルアリアが、冷たくて気持ちいいな、などと思っている間に、感覚の異常も収まってきた。
体を起こして、事務官の青年を見上げる。
「……なんで白門の間なんだよ」
「ここが一番、精霊の声が届きづらいだろう。人もそうそう来ない」
「聞こえすぎた際に、休息をとりにこられる方は、まれにいらっしゃいます」
ルスが、穏やかな微笑を浮かべて補足する。エルメルアリアは目を丸くして「そうなのか」と呟いた。
門番たちはそこで、二人に背を向ける。自分たちは何も聞いていません、という意思表示だ。
エルメルアリアはなんとなく、ステアルティードを見上げる。
「……なんであんなにキレたんだよ」
「言っただろう。腹に据えかねた」
「本当に職を解かれたらどうすんだ」
「そうだな。里に帰って、また物品の計算を手伝う」
「オレなんかのことで……」
「『なんか』とはなんだ、馬鹿者」
ステアルティードは、わざわざ屈んで、エルメルアリアの額を指で弾く。いてっ、と声を上げたエルメルアリアは、不満をあらわに青年をにらんだが、彼も表情を緩めなかった。
「今回、貴様のために力を尽くした方々に、失礼だろう。……殉職した、あの方にも」
思いがけない言葉に、エルメルアリアは目をしばたたく。
「……クロードシャリスが殺した、巡視官? オレ、別に面識ねえけど」
疑問をぶつければ、ステアルティードは目を伏せた。やおら立ち上がり、両手を背中側で組む。
「――『〈雪白の里〉より北西、天外界と地下魔界を繋ぐ隧道にて、基準値を超える魔力の変動を観測。原因究明のため、〈銀星の塔〉にて選抜した三名の精霊人を調査に派遣した』」
彼が暗唱した文言に、エルメルアリアは唖然とした。心臓が嫌な音を立てる。
「おい、それ、なんで……」
「『あの方』が、自身の巡視記録の中に、これを忍ばせていた。わざわざ指揮術を使って。――そして、報告書の中に、エルメルアリア、貴様の名があった」
それは、厳重に隠されているはずの、〈幽闇隧道〉調査の最終報告書だ。観測室やクロードシャリス、そして調査に赴いた者たちの報告をまとめたものである。
その中身をそらんじた青年は、絶句しているエルメルアリアを見つめる。
「〈幽闇隧道〉に赴き、右腕に重傷を負って帰還。〈雪白の里〉にて保護された。間違いないな?」
問いかけは、彼の胸を否応なく騒がせた。しらを切るなどという発想は出てこない。エルメルアリアは、ぎこちなくうなずいた。
ステアルティードは「そうか」とだけ言って、白い柱の方を見る。
しばしの沈黙の後、エルメルアリアはうめいた。驚きは、亡き巡視官に対する疑問へと変わる。
「なんで……そんなこと。オレ、会話したこともないのに……?」
ステアルティードは、口を閉ざしたまま、少し考えこんでいた。心を整えるように、細く息を吸う。
「許せなかったのではないかな。精霊人社会のひずみによって、若者が傷ついたことが。それが、なかったことにされるのが」
彼は、言い聞かせるように語った。それから、口を開けているエルメルアリアを見て、肩をすくめる。
「……まあ、先達の心の内を語れるほど、私は偉くはないが」
おどけたように言って、体ごとエルメルアリアに向き合った。
「ともかく。貴様が暗くて狭い土地での任務遂行は無理だ、と訴えてきた理由が、やっとわかった」
エルメルアリアは、つい口を尖らせる。
「……わかって、どうすんだよ」
「どうもしない。ただ――」
不服だと言わんばかりの瞳を見つめ、ステアルティードは静かに告げた。
「もう、無理に隠すことはない。それを伝えたかっただけだ」
エルメルアリアは息をのむ。その後すぐ、肩を抱いて震え出した。
「なに? なんだそれ? ステアが優しい……こわい……」
「言うに事欠いてそれか!」
「だって怖いだろ! いっつもあれこれ口うるさい奴が、急に、そんな!」
「貴様が時と場をわきまえた振る舞いをすれば、俺だって口出ししない! だいたい、負担をかけている自覚はあるのだろう!?」
「なんのことだ? 最近、衝撃的なことが多すぎて、ところどころ記憶が飛んでてなぁ」
「嘘をつけ! ずいぶん都合のいい記憶喪失だな!」
ステアルティードの怒鳴り声に対し、エルメルアリアは両耳をふさいでみせる。そっぽを向くと、恒例のお小言が始まった。
『昔』の振る舞いに戻れない理由は、多々あるが。『今』の自分を変わらず叱るステアルティードに、甘えているのもあるのだろう。
自覚しつつも、エルメルアリアは決して表に出さない。ただ、『今』の自分を被る。いや、こちらもまた、本物だ。
エルメルアリアとステアルティード。いつも通りの言い合いは、双方が力尽きるまで続く。兄弟のごとき門番だけが、素知らぬ顔で立っていた。
――天地内界で執行官が襲撃され、クロードシャリスが逃亡した。その一報が飛び込んでくるのは、天外界時間で三日後のことである。
(182.5-1 かけがえのない『今』・終)




