181 四人分のおかえりなさい
翌日、一行は町を出ることにした。エルメルアリアの療養のためにもう少し留まりたい――というのが全員の本音だったが、土地勘のない場所にあまり長くいるのも危険である。彼に負担をかけない程度に急いで帰ろう、という意見で一致した。
最初は全員一緒に行動し、途中の駅でヘルミやリリアレフィルネと別れる。ルートヴィヒとマーリナ・ルテリアはぎりぎりまで同行していたが、ジラソーレにほど近い町で別れた。「何かあったら呼べ」という青年の言葉を、ヒワはありがたく受け取る。
数日に及ぶ旅の末、ジラソーレの駅に降り立ったときには、五人になっていた。
駅の外で、二手に分かれる。ソーラス院に戻るというロレンスとフラムリーヴェを、ヒワたちはいつものように労った。ロレンスも、普段通りの眠たげな表情で「じゃあ、また、近いうちに」と言い残していった。
ヒワ、エルメルアリア、カトリーヌの三人で、スノハラ一家が暮らす集合住宅へ向かう。エルメルアリアが眠っていたので、静かな道行であった。
ヒワは、足が自然と動いていることに気づく。並ぶ建物も、行き交う人々の声も、知った色になっていた。
目的地が見えてきたところで、カトリーヌが足を止める。
「私も、このあたりで失礼するわ」
「え、家まで来ないの?」
ヒワはつい、カトリーヌをまじまじと見た。彼女は傘を傾けて、太陽のように笑う。
「大事な家族の時間を邪魔するのは、悪いから」
「気にしなくていいのに……」
ヒワは苦笑したが、ありがとう、と付け足して手を振った。
「それじゃあ、いい夜を。もうしばらくジラソーレにいようと思うから、よろしくね!」
手を振り返したついでにそう告げて、カトリーヌも去ってゆく。弾むような足取りで歩く彼女を見送った後、ヒワは自宅の方につま先を向けた。
そのとき、腕の中で動くものがあった。もはや驚くことはない。ヒワは、静かに見下ろした。
「あ、エラ、おはよう。そろそろ夜だけど」
「ヒワ……みんなは……?」
エルメルアリアが、しきりにまばたきしながらあたりを見回す。ヒワは「解散しちゃった」と、あえて笑い交じりに告げた。
「もうすぐ家だよ。あー、ここまで長かった!」
買い物帰りの親子の姿を遠くに見つつ、ヒワは呟く。家、とか細く繰り返したエルメルアリアが、ゆっくりとヒワの服をつかんで、身を起こした。それに気づいて、ヒワは目をしばたたく。
「どしたの、エラ?」
「あんたの家に帰るなら、起きてないとまずいだろ」
「ええ? 誰も気にしないと思うけどなあ」
そんなやり取りをしているうちに、集合住宅の前に辿り着いた。すれ違う住民たちと挨拶を交わしつつ、スノハラ家の部屋を目指す。エルメルアリアについて何か言われるかと、声をかけられるたびに冷や冷やしたが、幸い誰にも追及されなかった。
見慣れた扉の前に立つ。深呼吸して、把手を握る。
「ただいまー。遅くなりましたー」
扉を開けると同時、ヒワは声を張った。学校帰りと同じ、同じ、と胸中で繰り返す。
家の中には出汁の香りが漂っていた。声がけから数秒後、台所の方からかすかな会話の音が聞こえてくる。ややして、コノメが駆けてきた。
「おかえり、ヒワち。暗くなる前に帰ってきて偉い」
「怖い人と遭遇するのは嫌だからね……」
姉はいつもの調子である。片手で靴を脱ぎながら、ヒワはその言葉に答えた。
「飯食った?」
「まだ。食べる時間なかった」
「てかヒワ、臭くない?」
「そうかな? 服、ずっと同じの着てるからかも」
「不衛生! 不衛生ー!」
「しょうがないじゃん! 重い荷物持っていけなかったんだもん!」
ぎゃあぎゃあと言いあっているうちに、両親も玄関へやってくる。母はちょうど料理中だったのか、服の袖を肘あたりまでまくっていた。父の方からは、なぜかねぎの匂いが漂っている。
「おかえり、ふたりとも」
「ちょうどいいところに。これから夕飯だぞ」
「やったー」
ヒワがわかりやすく拳を握ると、両親は明らかにほっとしたような表情を見せた。
一方、腕の中のエルメルアリアは、ぽかんと口を開けて彼らを見ている。それに気づいたコノメが「何呆けてんの、エラくん?」と顔の前で手を振った。エルメルアリアは、弱々しく尋ねる。
「何も、訊かないのか」
スノハラ家の人々は、不思議そうに目をしばたたいた。答えに困っている様子の両親をよそに、長女がわざとらしく考えるようなしぐさをする。
「そりゃ、ねえ。精霊人の世界にも、守秘義務ってありそうだし?」
「上手い訊き方が思いつかなかっただけじゃないのか?」
父に茶化されると、コノメはその脇腹を小突いた。痛がるふりをする父に、母が湿っぽい視線を寄越す。
「言わぬが花だよ、お父さん」
「お母さんまで。私を何だと思ってるんだ」
コノメが口を尖らせる。まことに遺憾である、とでも言いたげだ。
ヒワとエルメルアリアは、顔を見合わせる。やがて、どちらからともなく吹き出した。ひとしきり笑った後、エルメルアリアが『家族』を見上げる。
「……ただいま」
まだ、疲労の影が色濃く残る顔で。それでもほほ笑む。
そんなエルメルアリアを見て、スノハラ家の四人は声を揃えた。
「おかえりなさい」




