180 精霊人の天秤
宿を取った四日後の、昼。ようやくエルメルアリアが起きていられるようになったので、一行はひとつの部屋に固まって食事をすることにした。龍をかたどった伝霊も、やってくる。
食事ついでに、今までのことを整理した。このときになって初めて、ヒワたちはクロードシャリスの思惑や、ミレティアレーデがあの洞窟でしようとしていたこと、そしてエルメルアリアがしたことを知った。
「えー。雑にまとめると」
スープにパンを浸して食べていたヘルミが、気の抜けた声で切り出す。
「ミレティアレーデは、エルメルアリアに世界の境目をのぞかせようとした。そのためには、感覚やら意志やらが邪魔なので、術でぶち壊そうとした。エルメルアリアは、それを防ぐために、精霊に自分を殺させようとした。その余波で敵を巻き込んでの自爆も目論んでいたと。こういう認識でよい?」
ヘルミの言葉に、当のエルメルアリアが「よいよい」とうなずく。ヒワの膝の上に座る彼は、まるで寝起きのような顔つきだ。小皿に分けられたスープに、のろのろと匙を突っ込んでいる。
その対面で、フラムリーヴェが立ち上がった。物音にひるんだエルメルアリアを、凄まじい形相でにらみつける。
「本当に、あなたという人は……! どうしてこう、命を投げ出すような真似をするのですか!」
「近い近い!」
文字通り詰め寄るフラムリーヴェを、エルメルアリアが両手で制する。
「オレだって、端から自爆する気はなかったっての! 万が一あんたらが間に合わなかったときの保険のつもりで……」
「保険? 実行しかけていたようですが?」
「それは――しょうがないだろ!」
叫んだエルメルアリアに対して、フラムリーヴェがさらに言い募ろうとする。そのとき、下から伸びた手が、彼女の腕をつかんだ。
「フラムリーヴェ。そこまで」
割って入ったのは、ロレンスだ。青い瞳が、戦乙女をひたと見すえる。
「言いたいことも、怒りたい気持ちもわかる。けど、エルメルアリアがその『保険』をかけてくれなかったら、手遅れになってただろ」
フラムリーヴェが息をのむ。
少年の静かな言葉は、この場の全員に突き刺さった。もちろん、ヒワにも。
思わずうつむきかけたとき、目の前の相棒の頭が、まるで酔っているように揺れる。ヒワは慌てて、両手で彼を支えた。
契約者の一言と、相手の変化が効いたのか。フラムリーヴェは、軽く深呼吸したのち、エルメルアリアに頭を下げた。
「……申し訳ありません。少し、言いすぎました」
エルメルアリアはふらふらしながらも、いや、と返す。
「怒られるだろうとは、思ってた。でも、これしか思いつかなくて……ごめん、なさい」
そこまでを絞り出すと、エルメルアリアはテーブルに突っ伏す。ヒワがどうにか抱き起して体の位置を調整してやると、ぐったりと寄りかかってきた。
フラムリーヴェが、椅子に座り直す。静寂が人々を締め付ける。それを解いたのは、リリアレフィルネだった。
「まあ、最善策だったと思うよ。ボクがエルメルアリアの立場でも、同じことをするね」
エルメルアリア以外の全員が、弾かれたようにそちらを見た。人々の視線を一身に浴びた〈白百合の舞姫〉は、人差し指を振る。
「だって、想像してごらんよ。意志も何もかも剥ぎ取られた〈天地の繋ぎ手〉が地下魔界側についたとして、誰が止められる? 正直、ボクは自信ないね」
『わしも無理だな。この上、契約者まで抑えられたらお手上げだ』
伝霊越しに、ゼンドラングが答える。フラムリーヴェも、苦虫を何匹かまとめて噛み潰したような表情で、うなずいた。
「そうなるくらいなら、いっそ……っていうのは、決しておかしな発想じゃない。そりゃ、やる方もやられる方も、嫌だけど」
実感のこもった言葉に、すぐに言い返せる人はいなかった。しかし、少ししてヘルミが彼女を見上げる。いつも凛としている相貌に、困ったような笑みが浮かんだ。
「リリにそんなことされたら、一生の傷になりそうだな」
リリアレフィルネは一瞬、固まった。それから急降下し、契約者に頬ずりする。
「しないよー。しないで済むように、厄介な敵は全力で叩き潰すんだから」
「あはは……頼もしいことで」
ヘルミは慣れた様子で白と薄紅色の髪をなでる。ヒワは、思わず笑みをこぼす。それは食事の席にゆっくりと伝播した。
機を見計らったかのように、黄金色の龍から声が流れ出る。
『つーか、今回は最悪なことにはならなかったけどよ。二回目がないとは言い切れねえよな?』
「確かにね。『境目をのぞく』っていうのが、ミレティアレーデの目的達成に必要なことなら、意地でもやろうとするだろうし」
ノクスのもっともな指摘に、ヘルミがうなずいてみせる。
ヒワははっとして、相棒を見た。その耳に、北風のごとき声が飛びこんでくる。
「エルメルアリアが、また狙われる可能性もあるか」
「きっと、〈銀星の主〉に並ぶ力と魂の持ち主が必要なんだわ。境目をのぞくというのが言葉通りの行為なら、あのひとくらい精霊に近くないと、できないと思うから」
早くも食事を終えたルートヴィヒのかたわらで、小さな人魚が呟いた。
ロレンスが、顎に指を引っかけて考え込む。やおら、声を上げた。
「もしかして。地下魔界の精霊人が大陸西部にばっかり現れてたのって……」
「エラちゃんが、アルクス王国にいたから?」
カトリーヌが推測の続きを引き取ると、ロレンスは神妙な表情でうなずく。彼が話題に上げたのは、〈樫の木の集い〉の後に、東部の同志たる少女が証言していたことだ。ヒワはそのときの会話を思い出して、小さく身震いした。
ヘルミが神妙に顎をなでる。
「標的の動向を探っていたのか、契約者を見ていたのか……」
それを聞いてか、伝霊の向こうでノクスがため息をついた。
『たまたま捕まえられたんで、思いつきで活用しただけじゃねえの?』
『ま、正解はあやつらにしかわからんな!……だが、そういう使い道があることを知られてしまったのは、確かだ』
ゼンドラングの指摘に、今度はノクスがうめく。
一方、話に耳を傾けていたフラムリーヴェが、頭を抱えた。
「本人の前で、そのような言い方をするのは、いかがなものかと思いますが……」
「別に、気にしちゃいねえよ」
眠そうな声が割って入る。ヒワにもたれかかっていたエルメルアリアが、食卓を見ていた。その場で、フラムリーヴェの頭をなでるような仕草をする。彼女は眉をひそめつつ、「それならよいのですが」とこぼした。
飛び交う情報を一生懸命噛み砕いていたヒワは、片手で相棒を支えながら、片手で挙手した。
「つ、つまり。エラを守らなきゃいけなさそう……ってことですよね?」
仲間たちが各々肯定する。一方で、カトリーヌが、ちっちっ、と指を振った。
「ヒワも、身を守らなきゃだめよ? 契約者の方が狙われるかもしれないんだから」
「そ、そうだよね……わかった」
背中に汗がにじむのを感じながらも、ヒワはうなずく。
自分の皿を空にしたロレンスが、食器を置いた。
「じゃあ、エルメルアリアが元気になるまでは、そっちの警戒を重点的に……って感じかな」
「そだねー。あとは、ミレティアレーデの先祖まわりを洗わないと」
リリアレフィルネが伸びをする。直後、龍の伝霊が軽く飛び跳ねた。ゼンドラングの声がする。
『それなら、ステアが調べてみると言っておったぞ』
「わーい、助かるぅ。でも、頼りすぎないようにしなきゃね。ステアルティードさんも病み上がりだから」
『釘を刺してはおいた。ステアのことだ、心配なかろう!』
声は、自信に満ちあふれていた。ヒワは、堂々と胸を張るゼンドラングの姿を想像してほほ笑む。そのとき、エルメルアリアがもぞもぞと起き上がった。
「……じゃあ、今度天外界に帰ったときに、資料取ってくる……。多分、オレが調べてた中に、そいつの情報、あるから」
誰かが、えっ、とこぼす。リリアレフィルネも、目を丸くした。
「うそ? そうなの?」
身を乗り出した白い少女に、エルメルアリアがゆっくりとうなずく。瞼が今にも閉じそうなのを見てか、リリアレフィルネは頬を引きつらせた。
「じゃあ、それはお願い。でも、その前に、寝た方がいいんじゃない?」
「んー……もうちょっと、食べる……」
ふらふらと身を乗り出したエルメルアリアは、放り出されていた匙をつかむ。すっかり冷めたスープに向き合う精霊人に、ヒワはおずおずと声をかけた。
「全部食べなくても、大丈夫だからね?」
対面で、ロレンスとフラムリーヴェも大きくうなずいている。しかしエルメルアリアは「食べる」と言い張って、匙を泳がせはじめた。ヒワは苦笑して、少しだけ椅子を前に出す。彼が匙を手放すまで、見守ることに決めた。




