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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第十章 奪還と決別のオペレーション
203/214

179 繕えぬもの

 クロードシャリスと執行官が去り、しばらく経った頃。ヒワは、恐る恐るエルメルアリアを見上げた。


「エラ、今のって」


 しかし、みなまで言う前に、乾いた音にさえぎられた。エルメルアリアが、自らの頬を叩いたのである。


「忘れろ! ただの意趣返しだから」

「……どういうこと?」


 ヒワは呆れて肩を落とす。張りつめていたものが、一気に緩んだ。


「あれで忘れろというのは、無理があるだろう」

「まったくだ」


 ステアルティードが頭を抱える。それに同調したノクスとゼンドラングが、揃って腕組みした。息の合った反応を見て、エルメルアリアが「忘れろったら忘れろ!」と騒ぎ立てる。その勢いのまま、一行をにらんだ。


「つーか、揃いも揃って反応薄くねえか? もうちょっとこう、なんか、あるだろ!」


 先刻まで囚われていた人物からの苦情に、その場の人々は顔を見合わせる。


 リリアレフィルネが、あきれ顔で足を組んだ。


「いやあ。制限解けた時点で、無事なのは確定したようなものだったしー」

「おう、精霊があれだけ喜んでおれば、心配いらんと思っておった。すまんな!」


 ゼンドラングが、洞窟中に笑い声を響かせる。その下で、ノクスが杖を弄びながら、吐き捨てた。


「てめえが勝手に捕まったんだろ。むしろ、感謝されたいぐらいだぜ。ヒワのわがままにも付き合ったしな」

「んだとこのガキ!」

「あっ……その節は本当に、お世話になりました……」


 エルメルアリアが怒りをあらわに飛び跳ねる。彼をなだめながら、ヒワはぺこりと頭を下げた。ノクスは鼻を鳴らしただけだ。


 それを見ていたカトリーヌが、困ったように笑う。


「元気に戦ってたのが、魔力から伝わってきたものね。むしろこっちが気圧されちゃったくらい」


 彼女の言葉に便乗するように、ロレンスも手を挙げる。


「それに、色々ありすぎて……何から突っ込んだらいいのかわからなくなってた……ごめん」

「あはは、同じく」


 ヘルミまでもが苦笑すると、エルメルアリアはついにうなだれた。そこへ、ルートヴィヒたちが歩み寄ってくる。彼は視線をさまよわせた後、そうっと口を開いた。


「その……無事でよかった」

「またこうしてお話しできて、嬉しいわ」

「もうヒワとあんたらだけが味方だよ」


 マーリナ・ルテリアに、エルメルアリアがしがみつく。相方の視線があるからか、すぐに離れたが。


 騒がしい一行を見守っていたステアルティードが、口を開いた。


「ともあれ、ここでやることは終わったわけか。あとは……」

「あ。クロさんが言ってた部屋」


 ヒワがおずおずと切り出すと、みんなも今思い出したとばかりに目を瞬いた。


「なんて言ってたっけか。あっちの通路をまっすぐ行って――」


 エルメルアリアも、宙を見つめて呟く。しかし、言葉はふっつりと途切れた。


 ヒワは、怪訝に思って振り返る。――体を丸め、両手で顔を覆う彼の姿が、目に飛び込んできた。


「ぐ、うっ……!」

「エラ!?」


 ヒワは慌てて、倒れかかってきた相棒を抱きとめた。


 異変を察して、全員が駆け寄ってくる。エルメルアリアは、そんな彼らの姿など見えていないようだった。顔を覆ったまま、うめき続ける。契約者や同胞に名を呼ばれても、それは変わらなかった。


「う、るさ……いたい……やめっ……」


 辛うじて聞き取れた言葉も、引きつった叫びにかき消される。ヒワは思わず、両手に力を込めてしまった。


「エラ? どこが痛いの、エラ!?」


 何度呼びかけても同じだ。――そのうち、契約者の肩にすがっていたリリアレフィルネが「あー。これは」と呟いた。そのままふわりと飛び上がって、ヒワのもとにやってくる。


「ちょっと失礼」


 そう言うと、契約者の返事も待たず、エルメルアリアの頭に触れた。瞬間、彼の体から力が抜ける。ヒワは唖然として彼を見つめ、次にリリアレフィルネをにらんでしまった。


「リリさん、何を――」

「安心して。眠らせただけだよ」

「まったく安心できないのですが」


 声を尖らせるヒワをよそに、リリアレフィルネは、エルメルアリアの腕を楽な位置に動かす。


「さっきの反応を見るに、『余分なもの』が見えたり聞こえたりしていたんだと思う」


 説明しながら、ぐったりしている彼の髪をなでた。


「そういうときって、半端に意識がある方がしんどいからさ。一旦眠ってもらった」


 語る声も、見下ろすまなざしも、普段より幾分かやわらかい。ヒワは、気勢を削がれて黙り込んだ。


 リリアレフィルネはその後、ヘルミのもとに舞い戻る。契約相手を苦々しく見た彼女は、ヒワに深々と頭を下げた。


「うちのリリがごめんよ。説明もなしに」

「……いえ。悪気がないのはわかりました」


 ヒワはなんとかそう答えて、エルメルアリアを引き寄せる。聞こえる寝息は浅く、不規則だった。


 影が這い上がってくる。それを退けるようにかぶりを振って、仲間たちを見た。


「とりあえず、クロさんが言ってた場所を見てきます。エラは……」


 少し考えて、ヒワはフラムリーヴェを見た。「お願いしてもいいですか?」と尋ねると、戦乙女は目を瞬いたが、すぐにうなずいて、同胞を引き取った。


「お任せください」

「ありがとうございます」


 ヒワは、心置きなく奥の通路へ向かおうとする。だがそこで、ルートヴィヒが手を挙げた。


「一人で大丈夫か。罠かもしれない」


 その言葉に、ヒワは慌てて立ち止まった。嫌な汗が吹き出す。対応に迷っていると、今度はヘルミが挙手した。


「じゃ、アタシがついていこうか? そのへんの鼻は利く方だし」

「お願いします」


 申し出を、ヒワは喜んで受け入れた。思えば、手前の小部屋の罠を壊したのもヘルミである。適材適所、というやつだろう。


 そういうわけで、ヒワとヘルミは連れだって、奥の通路へ足を踏み入れた。ここを占拠していた精霊人(スピリヤ)たちがいなくなったからか、蒼い光は消えている。指揮術で灯した明かりだけを頼りに、進んだ。


「ええと、向かって左の、二番目……ここか」


 お行儀よく並ぶ穴の中から、目当ての部屋を見つけ出す。ヒワがそれを指さすと、ヘルミが素早く前に出た。あたりをうかがったのち、慎重に踏み込む。


「ここは……倉庫、だったのかな?」


 部屋の中には、岩壁を掘って作ったと思われる棚が並んでいた。物はほとんどない。


 観察を続けるヘルミに続いて、ヒワも中に踏み込んだ。ひんやりとした空気が肌に触れる。


「罠の類はなさそうだけど、クロードシャリスさんの狙いもわかんないね」

「ですね……必ず寄れ、っていうほどだから、何かあると思うんですけど」


 杖を構えるヘルミの隣で、ヒワは思考にふける。青年の言葉の意味を探っていたとき、うわずった声が耳に飛び込んできた。


「ヒワ、これ」


 ヒワは慌ててヘルミの方を見る。彼女は、見覚えのない袋を両手で抱えていた。疑問の視線を受け止めると、横目で岩壁の棚を見る。


「そこに入ってた。軽く精査してみたけど、危険物ではなさそうだよ」

「結構大きい袋ですね……」


 ヒワは、生唾を飲む。ヘルミと二人で袋を開けた。中をのぞいて――ひととき言葉を失う。


「あれ? これ、エルメルアリアの……?」


 呟いたヘルミが、中身を取り出した。エルメルアリアがずっと着ていた若葉色の衣と、靴だ。天外界での戦いでそれなりに汚れていたはずだが、目の前にあるそれは新品同然に輝いている。


「……これを持って帰れ、ってことかな」


 ヘルミのささやきに、ヒワは曖昧にうなずいた。きれいに畳まれた衣を、じっと見つめる。汚れもほつれもない布は、何も教えてはくれなかった。



     ※



 大事な荷物を回収したヒワたちは、他の面々と合流し、洞窟を出た。エルメルアリアを除く精霊人(スピリヤ)たちに制限をかけ、近くの町へ向かうことにする。ただし、ノクスとゼンドラング、ステアルティードとは、その前に別れることとなった。


「ステアを天外界へ送り届けてこよう」


 楽しげなゼンドラングとは反対に、当のステアルティードは少し落ち込んでいるようにも見える。その理由を察したヒワは、あえて明るく「エラは任せてください」と言って、送り出した。


 少しばかり静かになった一行は、無事、町に辿り着く。都会というほどではないが、活気のある町だ。雑踏にまぎれて、あれこれと話し合いながら、宿を探す。


 途中、ヒワは胸のあたりが妙に温かいことに気が付いた。エルメルアリアを抱いているので温かいのは当然なのだが、それにしても各段にぬくもっている。不思議に思って顔をうつむけたヒワは、その場で立ちすくんだ。


 エルメルアリアの顔が、赤い。


 一瞬の空白が過ぎ去った後、叫んだ。それはほとんど言葉のていを成していなかった。


 声に驚いた人々が、振り返る。ロレンスがまっさきに駆け寄ってきた。ヒワの腕の中をのぞきこんで、状況を把握すると、女性たちを見上げる。


「病院――」

「――は、無理だろうね。精霊人を診られる医者なんて、ほぼいない」


 ヘルミが大きくかぶりを振った。少年少女が悲壮な表情になったのを見ると、ルートヴィヒが腰の剣を叩く。


「ひとまず、宿を取ろう」


 カトリーヌが首をかしげる。


「見るからに病人とわかる子を連れていたら、追い出されないかしら?」

「そのあたり、口うるさくないところを知っている」


 言うなり、ルートヴィヒは歩き出した。マーリナ・ルテリアも「ポミエ通りのおじさまのところね?」とついてゆく。ヒワたちは顔を見合わせつつも、慌てて後を追った。今はとにかく、彼らを頼るしかない。


 案内されたのは、閑静な通りに佇む宿屋だった。外観は少々古めかしいが、内部は清掃が行き届いている。受付の前には、主人と思しき仏頂面の男性が一人、座っていた。


 ルートヴィヒが声をかけ、人数と状況を説明する。主人は料金だけを告げ、台帳を突き出した。記帳したのち、ルートヴィヒが多めのお金を差し出すと、主人は黙って鍵を二つ渡す。


 広めの客室に入って、ようやく一息つけた。ヒワは何より先にエルメルアリアをベッドに寝かせる。先ほどまでと違い、明らかに苦しそうだった。その様子を見つめていると、リリアレフィルネが飛んでくる。


「まだ体内はぼろぼろなのかもね。あれだけ長い時間、空元気を保てただけでも大したものだよ」

「ぼろぼろって……制限解いたのに?」

「精霊があれだけ力を貸していたし、全部治っちゃうのかと思ってたわ」


 荷物を置いたヘルミとカトリーヌも、やってきた。リリアレフィルネは、彼女たちを一瞥して、うなずく。


「術や薬を使ったときほど、きちんとは治らないよ。精神にも負担かかってただろうし」


 桃色の瞳が、鈍く光る。ヒワは彼女の横顔を見つめた後、結局、エルメルアリアに目を戻した。


「とりあえずは、様子を見ましょー。制限解いてるし、ステアルティードさんみたいなことには、ならないでしょ」


 リリアレフィルネはそう告げて、ベッドから離れた。ちょうどそのとき、ヒワの目の前にぽこぽこと泡が立つ。踊るように、手のひらサイズの人魚が現れた。


「ごきげんよう。あたくしも、こちらにいてよろしいかしら?」

「あら、マールさん。私たちは構わないけど……ルートヴィヒさんのことは、いいの?」


 カトリーヌが尋ねると、マーリナ・ルテリアは悪戯っぽくほほ笑んだ。


「そのルートヴィヒに、こちらにいなさいって言われたの。『冷たい水が、いくらでも必要になるだろうから』って」


 その言葉に、みんな揃って目を丸くする。


 ヒワは、相棒と人魚を見比べると、深々と頭を下げた。


「ありがとう、ございます」

「あらあら、いいのよ。気にしないで」


 ころころと笑ったマーリナ・ルテリアは、ヒワの頭をなでる。


「心や体が痛いのは、誰だって辛いでしょう?」


 子守歌のようなささやきが、染み込む。ヒワは、唇を噛んでうなずいた。



 エルメルアリアは三日三晩、高熱にうなされ続けた。その間ヒワは、ほとんど彼に付き添っていた。


 彼は時折、親友の名前を呼び、うわごとのように謝罪を繰り返していた。ヒワは、黙って聞いていた。


 その声を記憶の奥底に沈め、かたく蓋をする。この蓋が開かれることはきっとない。そう、思った。

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― 新着の感想 ―
クロさんが用意していた新品同然の服は、読者によって解釈分かれそうな気がします。 自我を破壊されてクロさんの理想体になったエラさんに着せようと思っていたのかも知れないけど、私はエラさんをボロボロにしてし…
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