179 繕えぬもの
クロードシャリスと執行官が去り、しばらく経った頃。ヒワは、恐る恐るエルメルアリアを見上げた。
「エラ、今のって」
しかし、みなまで言う前に、乾いた音にさえぎられた。エルメルアリアが、自らの頬を叩いたのである。
「忘れろ! ただの意趣返しだから」
「……どういうこと?」
ヒワは呆れて肩を落とす。張りつめていたものが、一気に緩んだ。
「あれで忘れろというのは、無理があるだろう」
「まったくだ」
ステアルティードが頭を抱える。それに同調したノクスとゼンドラングが、揃って腕組みした。息の合った反応を見て、エルメルアリアが「忘れろったら忘れろ!」と騒ぎ立てる。その勢いのまま、一行をにらんだ。
「つーか、揃いも揃って反応薄くねえか? もうちょっとこう、なんか、あるだろ!」
先刻まで囚われていた人物からの苦情に、その場の人々は顔を見合わせる。
リリアレフィルネが、あきれ顔で足を組んだ。
「いやあ。制限解けた時点で、無事なのは確定したようなものだったしー」
「おう、精霊があれだけ喜んでおれば、心配いらんと思っておった。すまんな!」
ゼンドラングが、洞窟中に笑い声を響かせる。その下で、ノクスが杖を弄びながら、吐き捨てた。
「てめえが勝手に捕まったんだろ。むしろ、感謝されたいぐらいだぜ。ヒワのわがままにも付き合ったしな」
「んだとこのガキ!」
「あっ……その節は本当に、お世話になりました……」
エルメルアリアが怒りをあらわに飛び跳ねる。彼をなだめながら、ヒワはぺこりと頭を下げた。ノクスは鼻を鳴らしただけだ。
それを見ていたカトリーヌが、困ったように笑う。
「元気に戦ってたのが、魔力から伝わってきたものね。むしろこっちが気圧されちゃったくらい」
彼女の言葉に便乗するように、ロレンスも手を挙げる。
「それに、色々ありすぎて……何から突っ込んだらいいのかわからなくなってた……ごめん」
「あはは、同じく」
ヘルミまでもが苦笑すると、エルメルアリアはついにうなだれた。そこへ、ルートヴィヒたちが歩み寄ってくる。彼は視線をさまよわせた後、そうっと口を開いた。
「その……無事でよかった」
「またこうしてお話しできて、嬉しいわ」
「もうヒワとあんたらだけが味方だよ」
マーリナ・ルテリアに、エルメルアリアがしがみつく。相方の視線があるからか、すぐに離れたが。
騒がしい一行を見守っていたステアルティードが、口を開いた。
「ともあれ、ここでやることは終わったわけか。あとは……」
「あ。クロさんが言ってた部屋」
ヒワがおずおずと切り出すと、みんなも今思い出したとばかりに目を瞬いた。
「なんて言ってたっけか。あっちの通路をまっすぐ行って――」
エルメルアリアも、宙を見つめて呟く。しかし、言葉はふっつりと途切れた。
ヒワは、怪訝に思って振り返る。――体を丸め、両手で顔を覆う彼の姿が、目に飛び込んできた。
「ぐ、うっ……!」
「エラ!?」
ヒワは慌てて、倒れかかってきた相棒を抱きとめた。
異変を察して、全員が駆け寄ってくる。エルメルアリアは、そんな彼らの姿など見えていないようだった。顔を覆ったまま、うめき続ける。契約者や同胞に名を呼ばれても、それは変わらなかった。
「う、るさ……いたい……やめっ……」
辛うじて聞き取れた言葉も、引きつった叫びにかき消される。ヒワは思わず、両手に力を込めてしまった。
「エラ? どこが痛いの、エラ!?」
何度呼びかけても同じだ。――そのうち、契約者の肩にすがっていたリリアレフィルネが「あー。これは」と呟いた。そのままふわりと飛び上がって、ヒワのもとにやってくる。
「ちょっと失礼」
そう言うと、契約者の返事も待たず、エルメルアリアの頭に触れた。瞬間、彼の体から力が抜ける。ヒワは唖然として彼を見つめ、次にリリアレフィルネをにらんでしまった。
「リリさん、何を――」
「安心して。眠らせただけだよ」
「まったく安心できないのですが」
声を尖らせるヒワをよそに、リリアレフィルネは、エルメルアリアの腕を楽な位置に動かす。
「さっきの反応を見るに、『余分なもの』が見えたり聞こえたりしていたんだと思う」
説明しながら、ぐったりしている彼の髪をなでた。
「そういうときって、半端に意識がある方がしんどいからさ。一旦眠ってもらった」
語る声も、見下ろすまなざしも、普段より幾分かやわらかい。ヒワは、気勢を削がれて黙り込んだ。
リリアレフィルネはその後、ヘルミのもとに舞い戻る。契約相手を苦々しく見た彼女は、ヒワに深々と頭を下げた。
「うちのリリがごめんよ。説明もなしに」
「……いえ。悪気がないのはわかりました」
ヒワはなんとかそう答えて、エルメルアリアを引き寄せる。聞こえる寝息は浅く、不規則だった。
影が這い上がってくる。それを退けるようにかぶりを振って、仲間たちを見た。
「とりあえず、クロさんが言ってた場所を見てきます。エラは……」
少し考えて、ヒワはフラムリーヴェを見た。「お願いしてもいいですか?」と尋ねると、戦乙女は目を瞬いたが、すぐにうなずいて、同胞を引き取った。
「お任せください」
「ありがとうございます」
ヒワは、心置きなく奥の通路へ向かおうとする。だがそこで、ルートヴィヒが手を挙げた。
「一人で大丈夫か。罠かもしれない」
その言葉に、ヒワは慌てて立ち止まった。嫌な汗が吹き出す。対応に迷っていると、今度はヘルミが挙手した。
「じゃ、アタシがついていこうか? そのへんの鼻は利く方だし」
「お願いします」
申し出を、ヒワは喜んで受け入れた。思えば、手前の小部屋の罠を壊したのもヘルミである。適材適所、というやつだろう。
そういうわけで、ヒワとヘルミは連れだって、奥の通路へ足を踏み入れた。ここを占拠していた精霊人たちがいなくなったからか、蒼い光は消えている。指揮術で灯した明かりだけを頼りに、進んだ。
「ええと、向かって左の、二番目……ここか」
お行儀よく並ぶ穴の中から、目当ての部屋を見つけ出す。ヒワがそれを指さすと、ヘルミが素早く前に出た。あたりをうかがったのち、慎重に踏み込む。
「ここは……倉庫、だったのかな?」
部屋の中には、岩壁を掘って作ったと思われる棚が並んでいた。物はほとんどない。
観察を続けるヘルミに続いて、ヒワも中に踏み込んだ。ひんやりとした空気が肌に触れる。
「罠の類はなさそうだけど、クロードシャリスさんの狙いもわかんないね」
「ですね……必ず寄れ、っていうほどだから、何かあると思うんですけど」
杖を構えるヘルミの隣で、ヒワは思考にふける。青年の言葉の意味を探っていたとき、うわずった声が耳に飛び込んできた。
「ヒワ、これ」
ヒワは慌ててヘルミの方を見る。彼女は、見覚えのない袋を両手で抱えていた。疑問の視線を受け止めると、横目で岩壁の棚を見る。
「そこに入ってた。軽く精査してみたけど、危険物ではなさそうだよ」
「結構大きい袋ですね……」
ヒワは、生唾を飲む。ヘルミと二人で袋を開けた。中をのぞいて――ひととき言葉を失う。
「あれ? これ、エルメルアリアの……?」
呟いたヘルミが、中身を取り出した。エルメルアリアがずっと着ていた若葉色の衣と、靴だ。天外界での戦いでそれなりに汚れていたはずだが、目の前にあるそれは新品同然に輝いている。
「……これを持って帰れ、ってことかな」
ヘルミのささやきに、ヒワは曖昧にうなずいた。きれいに畳まれた衣を、じっと見つめる。汚れもほつれもない布は、何も教えてはくれなかった。
※
大事な荷物を回収したヒワたちは、他の面々と合流し、洞窟を出た。エルメルアリアを除く精霊人たちに制限をかけ、近くの町へ向かうことにする。ただし、ノクスとゼンドラング、ステアルティードとは、その前に別れることとなった。
「ステアを天外界へ送り届けてこよう」
楽しげなゼンドラングとは反対に、当のステアルティードは少し落ち込んでいるようにも見える。その理由を察したヒワは、あえて明るく「エラは任せてください」と言って、送り出した。
少しばかり静かになった一行は、無事、町に辿り着く。都会というほどではないが、活気のある町だ。雑踏にまぎれて、あれこれと話し合いながら、宿を探す。
途中、ヒワは胸のあたりが妙に温かいことに気が付いた。エルメルアリアを抱いているので温かいのは当然なのだが、それにしても各段にぬくもっている。不思議に思って顔をうつむけたヒワは、その場で立ちすくんだ。
エルメルアリアの顔が、赤い。
一瞬の空白が過ぎ去った後、叫んだ。それはほとんど言葉の体を成していなかった。
声に驚いた人々が、振り返る。ロレンスがまっさきに駆け寄ってきた。ヒワの腕の中をのぞきこんで、状況を把握すると、女性たちを見上げる。
「病院――」
「――は、無理だろうね。精霊人を診られる医者なんて、ほぼいない」
ヘルミが大きくかぶりを振った。少年少女が悲壮な表情になったのを見ると、ルートヴィヒが腰の剣を叩く。
「ひとまず、宿を取ろう」
カトリーヌが首をかしげる。
「見るからに病人とわかる子を連れていたら、追い出されないかしら?」
「そのあたり、口うるさくないところを知っている」
言うなり、ルートヴィヒは歩き出した。マーリナ・ルテリアも「ポミエ通りのおじさまのところね?」とついてゆく。ヒワたちは顔を見合わせつつも、慌てて後を追った。今はとにかく、彼らを頼るしかない。
案内されたのは、閑静な通りに佇む宿屋だった。外観は少々古めかしいが、内部は清掃が行き届いている。受付の前には、主人と思しき仏頂面の男性が一人、座っていた。
ルートヴィヒが声をかけ、人数と状況を説明する。主人は料金だけを告げ、台帳を突き出した。記帳したのち、ルートヴィヒが多めのお金を差し出すと、主人は黙って鍵を二つ渡す。
広めの客室に入って、ようやく一息つけた。ヒワは何より先にエルメルアリアをベッドに寝かせる。先ほどまでと違い、明らかに苦しそうだった。その様子を見つめていると、リリアレフィルネが飛んでくる。
「まだ体内はぼろぼろなのかもね。あれだけ長い時間、空元気を保てただけでも大したものだよ」
「ぼろぼろって……制限解いたのに?」
「精霊があれだけ力を貸していたし、全部治っちゃうのかと思ってたわ」
荷物を置いたヘルミとカトリーヌも、やってきた。リリアレフィルネは、彼女たちを一瞥して、うなずく。
「術や薬を使ったときほど、きちんとは治らないよ。精神にも負担かかってただろうし」
桃色の瞳が、鈍く光る。ヒワは彼女の横顔を見つめた後、結局、エルメルアリアに目を戻した。
「とりあえずは、様子を見ましょー。制限解いてるし、ステアルティードさんみたいなことには、ならないでしょ」
リリアレフィルネはそう告げて、ベッドから離れた。ちょうどそのとき、ヒワの目の前にぽこぽこと泡が立つ。踊るように、手のひらサイズの人魚が現れた。
「ごきげんよう。あたくしも、こちらにいてよろしいかしら?」
「あら、マールさん。私たちは構わないけど……ルートヴィヒさんのことは、いいの?」
カトリーヌが尋ねると、マーリナ・ルテリアは悪戯っぽくほほ笑んだ。
「そのルートヴィヒに、こちらにいなさいって言われたの。『冷たい水が、いくらでも必要になるだろうから』って」
その言葉に、みんな揃って目を丸くする。
ヒワは、相棒と人魚を見比べると、深々と頭を下げた。
「ありがとう、ございます」
「あらあら、いいのよ。気にしないで」
ころころと笑ったマーリナ・ルテリアは、ヒワの頭をなでる。
「心や体が痛いのは、誰だって辛いでしょう?」
子守歌のようなささやきが、染み込む。ヒワは、唇を噛んでうなずいた。
エルメルアリアは三日三晩、高熱にうなされ続けた。その間ヒワは、ほとんど彼に付き添っていた。
彼は時折、親友の名前を呼び、うわごとのように謝罪を繰り返していた。ヒワは、黙って聞いていた。
その声を記憶の奥底に沈め、かたく蓋をする。この蓋が開かれることはきっとない。そう、思った。




