178 親友(2)
落雷のごとき衝撃が降ってくる。ヒワは思わず、うずくまって耳をふさいだ。足もとから震動が遠ざかるのを待ってから、恐る恐る顔を上げる。
相棒と、その親友の姿は、見えなかった。代わりに、見知ったふたりの姿を見出す。
「エルメルアリア!」
「ヒワ、無事!?」
大剣を構えるフラムリーヴェの後ろから、肩で息をしているロレンスが顔を出す。
「ぶ、無事です……。ふたりの方こそ、魔物とか、大丈夫?」
「大丈夫……だと思いたい」
「何そのふんわり返答」
ヒワはいそいそと、壇の後ろから這い出る。
「ご無事で何よりです。ところで、エルメルアリアとクロードシャリスは――」
言いかけたフラムリーヴェが、ぴたりと動きを止める。ヒワも、立ち上がって、言葉を失くした。
ふたりは、先ほどまで戦っていた場所にいた。クロードシャリスは座り込んでいる。エルメルアリアが、彼を魔力の糸で縛り上げ、睥睨していた。
「……エラ」
「エルメルアリア」
ヒワは、逡巡の末に名を呼ぶ。奇しくも、その声がフラムリーヴェと重なった。
エルメルアリアは、顔を上げる。何事もなかったかのように、友達予備軍に向かって手を振った。
「おう、フラムリーヴェ。こっちは終わったぜ。ヒワのおかげで助かった」
フラムリーヴェが口を開きかける。出かかった言葉を、しかし後ろから響いた足音がかき消した。
「おーい。ヒワさんたちは無事ー?」
「くたばってはいねえみたいだな」
「フラムさん、相変わらず速いわね」
魔物を抑えていたはずの面々が、大部屋に押し寄せてくる。にぎわいにまぎれて、ルートヴィヒたちも顔を出した。彼はすまなさそうに、フラムリーヴェとヒワたちを見る。
「魔物はあらかた退治したが、先ほどの精霊人は逃がしてしまった。すまない」
「いえ。怪我がなければ十分です」
フラムリーヴェが、人間の青年と人魚を観察しながら言う。ヒワが首をかしげていると、駆け寄ってきたロレンスが「ミレティアレーデがいた」と教えてくれた。
「やれやれ、ミレイも勝手だなあ。ちょっかいかけるだけかけて、逃げたのか」
笑い含みの声が響く。大部屋は、水を打ったように静まり返った。
未だ縛られたままのクロードシャリスが、わざとらしく天を仰いでいる。それを見て、ノクスが大股で踏み出した。
「いい眺めだな。攫った相手にぼこぼこにされた今の気分はどうだ、裏切り者?」
「ええ、なかなか悪くないですよ。僕はあなたと違って心が広いので」
やわらかく鋭い切り返しに、ノクスの顔が歪んだ。
「ノクス」とヘルミが気だるげに窘める。だが、本人は華麗にそれを聞き流した。裏切り者の烙印を押された青年だけが、にこにことほほ笑んでいる。
剣呑な空気の中で、ゼンドラングが手を広げた。契約者の頭を包み込んで、ぐしゃぐしゃにする。
「ここで罵り合いをしても仕方がなかろう。後のことは〈秩序の室〉に任せるべきだ」
「じゃ、ボクが天外界にひとっ走りしてこようか?」
リリアレフィルネが巨人の後ろから顔を出す。ゼンドラングがうなずいたところで、声が響いた。
「その必要はありませんよ」
この場の誰のものでもない声に、全員が引きつけられる。ヒワもそちらをのぞき見て、へ、と声をこぼした。
見知らぬ人が四人、大部屋と通路の狭間に立っている。それぞれに髪色が鮮やかで、質のよさそうなローブを身にまとっていた。
精霊人たちが目をみはる。
「〈秩序の室〉の執行官? なんで内界にいるの?」
「私がお願いしたのです」
リリアレフィルネの疑問に答えたのは、知った声だった。執行官と呼ばれた四人の陰から、暗い金髪の青年が現れる。
エルメルアリアとクロードシャリスが、揃って目を剥いた。
「ステア!?」
「なんと、まあ。元気そうじゃないですか」
「……おかげさまで」
ステアルティードは、苦虫を噛み潰したような表情で答える。
人々の口が重くなったところで、ゼンドラングが腕を組んだ。
「というかおぬし、動いて平気なのか?」
「ええ、その……かなり無茶をしている自覚はありますが……」
一転、ステアルティードは恥ずかしそうにうつむく。周囲の何人かが、呆れたように顔を見合わせた。
中央に立つ執行官が、咳ばらいをする。
「無茶をしてくださった彼のためにも、職務を遂行しましょう」
「はっ」
残る執行官が動き出した。迅速にクロードシャリスを取り囲む。エルメルアリアが糸を消すと、執行官たちは淡々と罪人を引っ立てた。
エルメルアリアは最初、黙っていた。しかし、クロードシャリスが一言もなく歩き出そうとしたのを見て、息を吸う。
「クロ」
彼は、ちらと振り返った。執行官たちも、引っ張ろうとしていたのを止める。
エルメルアリアが、少し、近づいた。
「さっき、言ってたよな。『ここに、君を本当に君として見てくれる人なんて、ただの一人もいない』って」
「……そうだね」
「オレは――」
言いかけたエルメルアリアは、身を乗り出す。そっと、親友の頬に触れた。
「――私は、それでもよかったのです」
透き通った声が、その場の時を止めたようだった。
クロードシャリスが、こぼれんばかりに目を見開く。他の精霊人たちも、ヒワたちすらも、知らず息をのんでいた。
エルメルアリアは、語り続ける。ただ二人しかいないかのように。
「きっと、私も、頭のどこかではわかっていたのです。クロが、皆が、私に〈主〉を映して、魂の底から崇めていることに。――私のどこが、それほどあの方に似ているのか、自分ではまったくわかりませんけれど」
彼が小さく笑うと、何人かの精霊人が表情を硬くする。
外野の反応をよそに、クロードシャリスはあえぐように口を動かし、エルメルアリアを見上げている。
「だったら、どうして……どうして、一緒にいてくれたんだ。怖くなかったのか? 気持ち悪くなかったのか?」
「とんでもない。だって、ここにいる皆は、『同胞』でいようとしてくれたでしょう」
エルメルアリアは小首をかしげる。それから、精霊人たちを順繰りに見た。
「ステアには、私のわがままで、いっぱい負担をかけてしまっていますが……」
困ったように笑う彼を見て、ステアルティードは唖然としている。その間に、彼の視線は、滑った。
「ゼンは、未熟な私にも、友のように接してくれます。リリなんて、初対面でいきなり不満そうに話しかけてきましたよ。〈主〉相手だったら、そんなこと、できないでしょう? フラムリーヴェは、最初の約束をしてから、ずっと仲良くしてくれています」
精霊人たちは、名を呼ばれると、複雑そうな表情でエルメルアリアを見た。
彼の瞳は、再び親友を映す。
「クロは……クロだって、ずっと、仲良くしてくれたじゃないですか。いろんなお話をして、里のまわりを駆け回って、たくさんお茶もしました。私が人変わりしても、離れないって言ってくれました」
双眸が、泣きそうに揺らぐ。しかし、涙はこぼれない。エルメルアリアは、親友にすがりつくかのように、うなだれた。
「嬉しかったんですよ。魂の底でどう思っていても……親友でいようと、してくれたことが……とっても……」
しばらく、そうしていた。クロードシャリスは、口をつぐんでいた。
沈黙を破ったのは、エルメルアリアだ。やおら顔を上げると、深呼吸する。親友の肩から手を離し、飛び上がった。
「クロは、友達です。それは、今後も変わりません。けれど――あなたは、罪を犯しました。掟に背き、同胞を裏切り、あまつさえ手にかけました。その罪は、裁かれなければなりません。そして私は、その秩序を守る側でなくてはなりません」
胸に手を当てて、宣言する。あらゆる感情を閉じ込めて、目を細めた。
「だから……さようなら、クロードシャリス」
決して大きな声ではなかった。しかしその言葉は、確かに音となって、響いた。
クロードシャリスは、静かに瞑目する。数度の呼吸の後、親友を見上げて、皮肉げにほほ笑んだ。
「うん。さようなら、エルメルアリア」
別れの言葉は、冷たく響く。クロードシャリスは、エルメルアリアから目を逸らすと、そのままヒワの方を見た。
「ああ、そうだ、ヒワさん」
「な、何か?」
ヒワが思わず警戒態勢を取ると、青年は声を立てて笑う。それから、大部屋の奥――壇の左側に伸びる通路を指さした。
「そこの通路をまっすぐ行って、突き当りを右に。向かって左の、二番目の部屋。帰る前に、必ず寄っていってね」
「えっ、と? なんで?」
「なんでも」
ヒワが戸惑っていても、クロードシャリスはお構いなしだ。前を向き直すと、自ら執行官たちを促した。彼らは一瞬戸惑いの視線を交わしたが、すぐに表情を殺して動き出す。
遠ざかり、暗闇に消える背中を、誰もが黙って見つめていた。




