178 親友(1)
氷刃と光弾が衝突し、虹色の光を散らす。ヒワにとってみればそれは、指揮術の戦いというよりも、膨大な魔力と魔力のぶつかり合いであった。
気が狂いそうな空間にあって、それでも壇の陰に身を潜めていられるのは、垣間見える相棒の背中がこゆるぎもしないおかげだろう。
「『バム・バム』――『石の剣よ、貫け』!」
魔力が霧散した瞬間を狙って、杖を構える。小規模な爆発によって生じた煙の中に、尖った石がいくつも吸い込まれていった。瞬時に、冷気による反撃がある。
「うわっと」
ヒワは慌てて頭を引っ込め、すべてを凍らす風をかわした。いくらか髪の毛の先が凍った気がするが、あえて把握しないでおく。そのまま這うようにして場所を移動し、様子をうかがった。
冷気があたりの水分を吸って、氷の剣に変化する。それは器用に方向転換すると、エルメルアリアの方へ飛んだ。彼は淡々と、手振りひとつでそれを砕く。もう一方の手の上で雷の球を生み出した。遊びのような手つきで、クロードシャリスめがけて投げつける。
空中で魔力が爆ぜた。雷の球が四散してすぐ、竜巻と激流がぶつかる。暗いはずの洞窟で、色とりどりの光が舞い踊っていた。
光の中で、クロードシャリスが声高く笑う。
「やるね、エラ。――こうでなくっちゃ」
「どうも。そっちこそ、制限かかってる中でよくやるよ」
エルメルアリアも口を歪めて言葉を返す。二人とも、まるで、技を競っているかのような調子だ。
だが――笑みの奥にあるのは、鋭利な、敵意とすら呼べる輝きだった。
精霊はこの戦いをどう見ているのだろう。光と煙にまぎれながら、ヒワはそんなことを思った。彼女が感傷に浸っている間にも、魔力が吹き荒れ、爆発する。
銀と青が、薄闇に舞った。クロードシャリスの背中がすぐ近くに見える。
ヒワは息をのんで、視線を走らせた。目の前にはクロードシャリス。近くの壁には、照明代わりの蒼い光。
迷ったのは一瞬だ。ヒワは、文字通り風前の灯火であるそれに、杖を向けた。思考を高速回転、詠唱を組み立てる。
「『蒼き光の隼よ、現世の空にて駆れ!』」
明滅していた光の端がぽろりとこぼれ、鳥の形に変化する。少しの揺らぎもなく、クロードシャリスの方へ飛び出した。光の翼が頬をかすめる。ほとんど同時に、彼の右手がかりそめの隼を握りつぶした。
ヒワは、意志に反して立ちすくむ。クロードシャリスと目が合った。彼は、一緒にお茶をしたときのように、やわらかく笑った。
唐突に、左足が沈む。ヒワはぎょっとして下を見る。足もとがどろどろに溶けていた。
「うえっ、いつの間に――」
慌てている間にも、目と鼻の先で冷たい魔力が集まりはじめている。動転したヒワは、杖を握りしめたまま、地面に身を投げ出した。
「『光華の砦、ここに建て』!」
岩の上を転がりながら叫ぶ。軽く舌を噛んでしまったが、幸いにも結界は現れた。さらに、その向こうで風が吹く。クロードシャリスの指先から放たれた水鉄砲は、思いのほか弱い勢いで結界にぶつかった。
「エラ、ごめん! 助かった!」
「いや、いい流れだ」
右足を引っこ抜きながら叫んだヒワに、エルメルアリアは笑ってみせる。「へ?」と目をしばたたいた彼女の前で、彼は何かを引き寄せるように右腕を上げた。すると、結界が光の粒となってほどけ、星の河のごとく集まる。それは果たして、敵を狙う刃と化した。
宙を走った一筋の光を、クロードシャリスはすんでのところで避ける。エルメルアリアが即座に距離を詰め、風の刃を放った。クロードシャリスは身をひねって避けたが、次の瞬間、左の二の腕がわずかに裂ける。残光が、赤い飛沫を浮かび上がらせた。
それでも彼はひるまない。魔力の水が、揺らめく。呼応するように、エルメルアリアのまわりでも、輝きをまとった風が吹き荒れた。
クロードシャリスが、笑う。
「必死だね」
「お互いにな」
「……エラは、どうして必死になれるの? ヒワさんのため、だけじゃないよね」
静かな問いに、エルメルアリアはつかの間黙り込む。ヒワは、彼に隠れて移動しつつも、静寂に耳を傾けることも、やめられなかった。
クロードシャリスが言い募る。
「ずっと、ずっと〈主〉と重ねられ続けて、里の人たちにすら遠ざけられて、挙句の果てに〈銀星の塔〉に使い潰されて……それだけの目に遭って、なんでそちら側にいられるの? 多重世界なんかのために、戦えるの? ここに、君を本当に君として見てくれる人なんて、ただの一人もいないだろ!?」
その慟哭は誰よりも、クロードシャリス自身を突き刺しているようだった。言葉の刃は、ヒワの胸にも少なからぬ痛みを刻む。唇を噛んで、上を見た。
エルメルアリアは、風の渦の中心で佇んでいる。乱舞するプラチナブロンドに覆い隠されていて、横顔はほとんど見えない。ただ、こぼれた声は、凪いでいた。
「多重世界のため、か」
風の音色が、ひととき高くなる。
「オレとしては、そんなつもりはなかったんだけどな。クロがそう言うなら、きっとそうなんだろうな」
クロードシャリスが目をみはる。
エルメルアリアは、今にも暴れ出しそうな風を抑えながら、訥々と語った。
「おまえがさ、〈銀星の主〉から逃れられないって悩んでいるのと同じで。多分オレは、善き精霊人であろうとすることから、逃げられない。魔物に腕食われようが、振る舞いを変えようが、根っこは何も変わらなかったもんな」
ヒワは再び壇の陰に入りながら、それを聞いた。触れてはいけないものに触れているようで、体の芯がひやりとする。それでも、できる限り音を立てずに身を起こし、杖を構えた。
「確かに苦しかったし……今も苦しい。でも、だからって、みんなが頑張って築き上げてきた多重世界を崩壊させてまで、自由になりたいとも思えない」
風が、うねる。舞い上がったプラチナブロンドの向こうに、寂しげな笑顔があった。
「ごめん、クロ。オレはやっぱり、誰よりも臆病で弱っちい精霊人だ」
ぽっかりと穴が開いたような沈黙の後、クロードシャリスが顔をくしゃくしゃに歪めた。右手を振りかざし、握って開く。何かの形を成そうとしていた水が散らばり、ざあざあと広がった。この部屋にいるふたりを丸ごと囲うように、水流が楕円を描く。
ヒワは杖を握りしめ、詠唱しようとした。
だが、そのとき、昏い魔力が首筋を撫でる。ヒワだけでなく、精霊人のふたりもつかの間体をこわばらせた。
クロードシャリスの背後、通路の方から、闇のかたまりが飛んでくる。彼の脇を通り抜け、エルメルアリアの前で、傘のように広がった。
「ミレイか。余計な真似を――」
悪態をつきながら、青年は手首をひねる。しかし、クロードシャリスが水を手繰るより、闇がエルメルアリアをのみこむ方が、速い。
ヒワは身を乗り出した。彼の名前を叫びそうになって、ぐっとこらえる。黄緑色の瞳に、結界を展開するエルメルアリアの姿が映った。
花形の結界は、長いこと闇を受け止めた。やがて、たわみ、軋みはじめる。闇が光を侵食し、水が彼を狙って動いている。
静かな攻防が続くこと、五秒半。小さな体が傾いた。極限まで押し殺したような、それでも殺しきれぬうめき声が漏れる。
「やめな、エラ。それ以上やったら、体がもたない」
闇の向こうで、クロードシャリスが低くささやく。しかし、エルメルアリアは不敵に笑った。
「言ったはずだぜ。あんまり侮らない方がいいってよ」
花形の結界が、砕ける。
同時、ヒワは詠唱した。
「『風の針よ、貫け』!」
魔力をまとった風が、蠢く闇に風穴を開ける。エルメルアリアが手を叩くと、その風が竜巻と化し、闇を吹き散らした。
ヒワの目に、クロードシャリスの姿が映る。躊躇なく、彼の方へ杖を向けた。
「『糸紡ぎ、巻いて縛って縫い留めろ』」
魔力で織られた糸が、まっすぐにクロードシャリスのもとへ伸びる。素早く右手首に巻きついた。糸に捕まった彼は至極冷静にそれを見て、指先で水を動かす。水流の刃が糸を切り裂く――より一瞬早く、ヒワのことばが滑り出た。
「――『雷よ、糸を奔れ』!」
相手が、虚を突かれて固まった。
電流が駆け抜ける。糸を辿ったそれは、確かにクロードシャリスのもとへと流れ込んだ。
青年の体が震える。聞いたことのないうめき声が漏れる。すぐに糸は断ち切られたが、その後もクロードシャリスは固まっていた。
エルメルアリアが距離を詰める。掲げた右手に、エメラルド色の輝きをまとった風を呼ぶ。集まり、渦巻き、刃となったそれを――親友めがけて振り下ろした。




