175 天の鍵、地の門
背後の通路から現れた人々を見て、ルートヴィヒが静かに下がった。そこへ、ノクスが踏み込む。
「『レヴレム』!」
会話も間隙も、ない。雷撃が走った。
対して、クロードシャリスは身じろぎもしなかった。しかし、雷撃が迫ったその瞬間、彼の前に結界が現れる。衝突した雷が、青い枝を広げた。
ノクスは寸暇を置かず、杖の先を跳ね上げる。
「『フラーネ』!」
今度は真っ赤な炎が飛び出した。雷とぶつかると、一気に燃え広がって、精霊人を包み込む。その炎は、すぐに霧散した。水の膜が、クロードシャリスを包み込んでいる。
ノクスは躊躇なく、彼との距離を詰めた。
「『グラッカ』!」
クロードシャリスが目をみはる。尖った石を、顔を背けて避ける。瞬間、ノクスの拳が彼の腹に食い込んだ。
精霊人に殴打を食らわせた青年は、どこまでも冷めていた。
「味わえよ。クソ真面目な事務官のぶんだ」
ただ吐き捨てて、踊るように後退する。相手に杖を突きつけたまま、後ろを見やった。
「俺の目的は果たした。てめえのぶんはてめえでぶちこめよ、ゼン」
「相分かった!」
陽気な返答と、轟音が重なる。再び魔物が吹き飛ばされてきた。
――ヒワはその光景を、唖然として見ていた。しかし、二体目の魔物が地面に叩きつけられた音で、目覚める。自分がすべきことを思い出して、再び駆け出した。
リリアレフィルネの言葉通り、不思議な壁はきれいに消えていた。奥には、小部屋があるようだ。そこへ踏み込もうとしたとき、再び冷たい魔力が首筋をなでた。
「――『あからしま風、押し返せ』!」
振り向きざまに詠唱する。無数の氷の刃が、ばらばらと落ちていった。氷を操る精霊人は、それでもヒワをにらみつけている。さすがに先ほどの一撃が効いたのか、顔をしかめてはいるが、精霊たちを呼び寄せる手つきは鈍っていなかった。
氷の刃が浮き上がり、溶けて、水となる。
「――『バム・バム』!」
ほぼ同時、その水が中心から破裂した。あんぐりと口を開けたヒワのもとに、少年がよろめきながら駆けてくる。すぐそばには、紺藍の髪の女性もいた。
「……ヒワ、無事……?」
「あ、ロレンス。ありがとう」
どう見てもきみの方が無事じゃない、という言葉をのみこんで、ヒワはお礼を述べる。そして、クロードシャリスと対峙する人々を見渡した。
「『第二陣』と合流したんだね」
「うん……ヒワが飛んでった後、魔物を倒しながら進んでたんだけど、その途中でね……」
呼吸を整えたロレンスは、ようやっと真剣な顔をつくって、ヒワを見た。
「だから、戦力的には十分なはずだ。こっちのことは気にせず、ヒワは、行って」
「……うん」
ヒワがうなずいたその時、ヘルミが控えめに挙手した。
「あー、お二人とも。いい空気になってるとこ悪いんだけど、ちょっと待って」
「ヘルミさん?」
「リリ。杖、預かっててくれる?」
首をかしげる少年少女をよそに、ヘルミは空中に向かって手を振る。リリアレフィルネが杖をつかむと、一瞬にして見えなくなった。入れ替わりで、弓と矢筒が現れる。
「ありがと」
ヘルミは、弓をわずかに上向けて構え、矢をつがえた。それを向けた先は――ヒワの前方に広がる、小部屋である。
細く、鋭い吐息。ぱっ、と弦から指が離れる。解き放たれた矢はまっすぐに飛んで、小部屋の天井に突き刺さった。すると、一瞬天井が光って、大量の光る棘のようなものが降り注ぐ。指揮術の産物だとわかるそれは、数秒後に消えた。
「な、なにあれ……」
「誰かが最近仕掛けた罠だね。でも、もう大丈夫」
満足げに弓を下ろしたヘルミは、そっとヒワの背中を押した。
「さ。今度こそ、行っといで」
ヒワは、うなずく。彼女なりの全力で、走り出した。
がらんどうの小部屋を抜けると、さらに通路が伸びていた。荒ぶる魔力と水音、戦いの音色から意識を逸らし、がむしゃらに駆け抜ける。
果たして、広い部屋に出た。
「ここは……」
その部屋もまた、殺風景であった。だが、からっぽではない。部屋の奥に、石を削りだした壇のようなものがある。それはなぜか、赤い半球にすっぽりと覆われていた。
ヒワはほとんど無意識で、壇へ歩み寄っていた。ある程度近づいて初めて、何かが乗っていることに気づく。
目を凝らして――息をのんだ。
それは、小さな人だった。華奢な手足も、流れ落ちるプラチナブロンドも、ヒワにとっては見覚えしかない。
「エ、ラ」
愛称を呼んだ瞬間、痺れが全身を駆けあがった。思考も疑問も、すべて吹き飛ぶ。衝動のままに前へ出た。
「エラ、聞こえる? わたしっ……ヒワだよ! 来たよ、エラ!」
しかし、壇上の精霊人は仰臥したまま動かない。傷だらけの四肢を見て、ヒワはつい手を伸ばした。指が赤い膜に触れると、火花が散る。いでっ、と手を引っ込めた。
「もうっ。なんなんだよ、これ……!」
親の仇でも見るように、赤い半球をにらみつける。これをどうにかしなければ、エルメルアリアを保護することすら叶わない。ヒワは少し考えた末に、五歩ほど下がって、杖を構えた。
「『石の剣よ、貫け』」
エラには当てないで、と念じながら詠唱する。結果、いつもより太い石が赤い半球にぶつかったが、ただ跳ね返されて終わった。ヒワは思わずうなだれる。
「わたしの術じゃ、だめか……。どうしたら……」
そのとき、川のせせらぎを聞いた。
頭の中で警鐘が鳴り響く。ヒワは弾かれたように振り向いた。水が流れている。平らな通路を、それこそ川のように。
「っ――『光華の砦、ここに建て』!」
波が立つ。結界が現れる。水は阻まれたものの、勢いは衰えない。それが途切れるよりも先に、結界の方にひびが入った。
げっ、と漏らしたヒワの眼前で、閃光が弾ける。
「『ミーレル・シルーリャ』!」
「『カレーラ』!」
水が炭酸のような音を立て、勢いを弱める。
ヒワは、遠くでノクスとカトリーヌが杖を構えている姿を見た。
安堵したのもつかの間。再び、遠くから水が押し寄せてくる。――魔物たちがその中を泳いでいるように見えるのは、気のせいだろうか。
魔物は都度『先輩』たちが仕留めてくれた。それでもヒワは弱気になっているのを自覚する。相手は全力で妨害してきている。こちらは、相棒を救う手立てすら思いつかない。
戦いの音が響く中、空転を続けていたヒワの思考を、凄まじい音が叩き割る。それは爆音、炎の音だった。
「ロレンス、今です!」
「わ、わかった!」
先ほどの小部屋の方から、ふたりのやり取りが聞こえてきた。魔物たちの声が大きくなる。それを押しのけるように、詠唱が響いた。
「『イリュ・ドゥーテ・クランダル・ウカータ』――」
ヒワは、息をのんだ。目を開かされたようだった。
「『クランダーテ・イリューオ・デア・ロレンス・グラネスタ
アリイネラ・イリュ―ア・デア・フラムリーヴェ』!」
少し硬い詠唱が終わると、闇の中で赤い光が数度瞬く。轟音とともに、洞窟が揺れた。獣の声と金属音を混ぜたような叫び声が、あたりを満たす。
「制限解除――」
呟きに、轟音が重なる。ヒワははっとしてそちらを見た。
あたりが氷に埋め尽くされている。その向こうには、冷たい目をした精霊人が浮いていた。――仲間たちの姿は、見えない。
「ノクスさん、カティ!?」
赤い半球をかばうように立ちつつも、ヒワはつい叫ぶ。直後、左の方からパリッと小さな音がした。氷を押しのけるようにして、結界が張られている。その向こうでカトリーヌが手を振っていた。
「こっちは大丈夫よ!」
「ぼさっとすんな、来るぞ!」
カトリーヌに寄りかかられる格好となっているノクスが、杖を振り上げる。結界を貫いて、雷撃が飛んだ。クロードシャリスはいつかのように人間の青年をにらみつつ、それをかわす。手遊びのように水を生み出して、結界とヒワ、それぞれの方に放った。
「うわっ――『精霊の息吹よ、爆ぜろ』!」
凶悪な驟雨をすんでのところで避けながら、半球に降りかかる水を指揮術で打ち消す。
ヒワは真っ青になりながらも、それを繰り返した。最初は上手く避けられたが、いつまで続くかわからない。ノクスやカトリーヌもおそらく、自分の身を守るので精一杯だ。
「どうすれば――」
ずどん、と地面を穿った氷柱を避ける。からからに乾いた喉からは、声とも呼べぬ音が漏れた。
クロードシャリスの周囲で、さらに魔力が凍りつく。ヒワが細く息をのんだとき、岩の弾丸が氷を砕いた。
大きな影が飛び込んできて、拳を振るう。気合の声と、轟音とが重なった。一撃を回避した精霊人の横顔に、焦りの色がにじむ。対して、拳の持ち主は白い歯をこぼした。
「よい身のこなしだ! おかげで一発入れ損ねた」
「……ゼン」
「わしだけではないぞ?」
ゼンドラングが、にやりと笑う。その背後から、紅蓮の炎が噴き出した。紅い波型の刃が、クロードシャリスを狙う。数歩後退したクロードシャリスが、白銀色の剣を生み出して、応戦した。
甲高い金属音がこだまする。ヒワとクロードシャリスの間に躍り出る形となった戦乙女が、振り返った。
「ヒワ様、ここはお任せを!」
絶句していたヒワは、そこで我に返る。赤い半球の方を見た瞬間、また耳に馴染んだ声を聞いた。
「『フィエルタ・アーハ』」
結界が彼女を覆う。ヒワが見たその先で、肩で息をしている少年が、悪戯っぽくほほ笑んだ。
笑い返して、ヒワは両手で杖を握る。
「『この手が触れるは天の鍵。この手が開くは地の門』――」
その場の全員が、ひととき訝しげに眉を上げる。その隙に、ヒワは詠唱を繋げた。
「『これより、理に触れ、理を書き換える。天地万物の精霊よ、玉響に綺うことを許したまえ』」
クロードシャリスが意図を察したのだろうか。魔力が、さらに激しく渦巻いた。青い光と赤い光と、虹色の火花。もはや、ヒワには何が起きているのかなどわからない。わからないまま、口を動かす。
「『契約者、春原ヒワの名において、〈天地の繋ぎ手〉エルメルアリアにかけられた世界の枷を今外す』!」
最後の一節を、力いっぱい詠う。
壇上が、輝いた。まっ白な光に引きつけられて、ヒワは思わず振り返る。
「――エラ」
精霊人の体が、光をまとって浮いていた。しかし、よく見ると両目は閉じられていて、手足も垂れ下がったままだ。魔力が、精霊が、そんな彼のもとに集まっている。体の傷が、あっという間に修復する。それが終わってもなお、魔力はふくれ続け、ついに内側から赤い半球を揺らした。
甲高い音がこだまする。半球に穴があき、そこから溶けてゆく。半球がなくなると同時、エルメルアリアの輝きも消える。体が傾いたのを見て、ヒワは弾かれたように駆けだした。
けつまずいても構わない。無我夢中で手を伸ばす。ようやっと、小さな精霊人を抱きとめた。
その瞬間、首筋に悪寒が走る。「しまった」と、誰かの切羽詰まった声が響いた。そこに重なる水音を聞いて、背後で起きている事態を想像したヒワは、エルメルアリアを抱いたまま、伏せる。
そのとき、ヒワのまわりで風が吹いた。
ただの風ではない。エメラルド色の輝きと、覚えのある魔力をまとっていた。
ヒワは、ちらと振り返る。指揮術の水がぱしゃんと散ったのを見届けてから、恐る恐る、目を戻した。腕の中で、エルメルアリアが右手を挙げていた。直後、その手がくたりと力を失う。
ヒワはまた、彼の名を呼んだ。今度は――今度こそ、声が返った。
「待ちくたびれたぜ」
笑い含みの、か細い声が、少女の鼓膜を震わせる。
ヒワは、こみあげるものをのみこんで、笑顔をつくった。
「ごめん。色々……色々あって」
背中が勝手に丸くなる。恐縮する契約者をよそに、精霊人は小さく笑った。彼女に身を預け、彼女を見上げる。
「いいよ」
暗闇の中で赤く変じた瞳が、一番星のように輝いた。
「オレがオレであるうちに、来てくれた、から」
ヒワは、エルメルアリアの言葉の意味を完全に理解したわけではなかった。それでも確かに受け取って、にっと笑う。
「そりゃあね。わたしはエラの契約者ですから」
「――だな」
おどけるように言い合って、お互いの拳をこつんと合わせた。




