173 奪還と決別の大作戦(1)
変わった結界が破れてすぐ、一行は森に踏み込んだ。先陣を切るのがノクス、ゼンドラング、ヘルミ、リリアレフィルネ。ヒワ、ロレンス、フラムリーヴェ、カトリーヌがかなり遅れて続く。
最初のうちは、何の変哲もない森だった。ヒワたちの目には珍しい植物などが見えたが、その程度だ。だが、しばらく走っていると、前方が騒がしくなった。ヒワが息をのむと同時、鼻先で泡のような音が立つ。青いイルカをかたどった伝霊が現れた。ロレンスがすぐさま自分の伝霊を放つ。
『――出たよ、魔物だ。内界のと地下魔界のと、六対四ってところかな』
伝霊から流れ出たヘルミの声は、いつも以上にこもって聞こえる。
フラムリーヴェが尋ねた。
「数は?」
『ここから確認できる限りだと、二十程度。だけど、実際はそれ以上潜んでる――ね!』
声に重なるようにして、弦音が響いた。雑音と魔物の悲鳴が入ってくる。ヒワは、杖を握りしめた。
「ヘルミさん!」
『問題ない』
ヘルミは、ぴしゃりと返した。
『ほか三人も交戦開始。そっちにも行くだろうから、気を引き締めて』
「了解。ヘルミ様も、お気をつけて」
フラムリーヴェが、大剣を取り出しながら答える。直後、青いイルカが消えて、白い鳥が戻ってきた。その鳥――伝霊を、持ち主が鞄に戻す。
ほぼ同時、フラムリーヴェが動き出した。
無造作に大剣を振るう。飛び散った火が、木々の隙間に吸い込まれた。次の瞬間、獣の声と金属音を混ぜたような音がこだまする。枝葉をかき分け、時に吹き飛ばしながら、異形の獣が這い出てきた。
「『ミーレル・シルーリャ』!」
「『風の針よ、貫け』!」
カトリーヌとヒワの詠唱が重なる。
閃光が魔物たちの目をくらませ、鋭い風が急所を直撃する。どうっと倒れた巨躯の向こうから、黒々とした虫の群れが現れた。
ロレンスが、あからさまに顔をしかめる。
「げっ……気持ち悪……」
「さっさと焼いて、進みましょう」
戦乙女が踏み込む。剣を一閃。炎をまとった斬撃が、虫たちを派手に焼いた。しかし、完全に制圧できたのは群れの中心部だけだ。炎を逃れた虫たちは、凄まじい速度で人間たちのもとへ向かう。
だが、それも織り込み済みだ。ロレンスが渋面で杖を回した。
「『レーネン・レーネン・ニュール』――『コード』!」
下草や木に垂れ下がった蔓が伸びて、虫たちを捕らえる。そこへ、フラムリーヴェが炎の弾丸を撃ち込んだ。
何かが絶叫する。焼き焦がされた虫の向こうから、桃色の光線が飛んできた。魔物の増援だ。これには、カトリーヌがすぐさま反応した。
「『フィエルタ・アーハ』!――ヒワ!」
「『氷晶の矢、息吹の叢雨』――『ここに降れ』!」
ヒワは呼びかけにうなずき、勢いよく杖を振り下ろす。結界の向こうに降った透明な矢が、虫たちを滅多打ちにした。
フラムリーヴェが素早く大剣をしまう。三度、手を叩いた。
「〈銀星の塔〉の名の下に、権限を行使する。門よ開け、魔の者どもを彼方へ還したまえ」
夜の焚火のごときささやきに応えて、光が降る。その光が集まって形作られた門は、森に倒れた魔物たちを問答無用で吸い込んだ。
門は静かに役目を終え、音もなく消えていく。その後に残ったのは、変わらぬ森の風景と、少し乱れた魔力のみ。
ヒワたちは、無意識のうちに襟を正す。平然としているフラムリーヴェに「行きましょう」と呼びかけられると、無言でうなずいて駆け出した。
その後も、魔物と交戦しながら森を進む。十五分ばかりが経過したところで、ヒワはふと足を止めた。
何かが、変だ。
フラムリーヴェが木々をにらむ。
「これは――どういうことでしょう」
「何かあった、フラムリーヴェ?」
ロレンスが首をかしげる。フラムリーヴェは、神妙な表情のまま人間たちを見下ろした。
「精霊たちが、やけに騒がしいのです。というよりこれは、少々錯乱しているような――」
ロレンスとカトリーヌが、驚いたように目をしばたたく。ほどなくして、息をのんだ。
「……確かに。魔力の動きも、おかしいな」
「精霊人の制限を解いた直後みたいな……いえ、それ以上のうねりがあるわね。大掛かりな術でも使われたのかしら?」
カトリーヌの言葉によって、一行に緊張が走った。
そのとき、再び泡のような音が響く。ロレンスとヘルミが、伝霊をやり取りした。
『例の洞窟、見つけたよ』
「昔の内乱で使われてたっていう?」
『うん。――内部に、ばかでかい魔力が渦巻いている。多分、あたりだ』
張りつめた女性の声に、ヒワたちは息をのむ。
『あとは、中の様子がわかればいいんだけどね。せめて、天井の高さだけでも』
『それはあいつら待ちだろ?』
伝霊の向こうから、ノクスの声がする。少し息が上がっていた。続けて、巨大な鉄板を落としたような音が聞こえてくる。
ヒワとロレンスが、こわばった顔を見合わせたとき。彼らの真ん中に、今度は本物の泡が立った。ヒワは濁った悲鳴を上げて飛びのく。見慣れつつある光景ではあるが、突然起きれば驚くものだ。
騒がしい胸を押さえるヒワをよそに、手のひらサイズの人魚が優雅に現れる。青い鱗をきらめかせて踊った彼女は、人々にほほ笑みかけた。
「お待たせしてごめんなさいね、みなさん。おおよその探知は済んだわよ」
「マールさん!」
カトリーヌが歓声を上げる。伝霊の向こうからも『早かったね』と感心の声が漏れた。マーリナ・ルテリアはころころと笑う。
「洞窟内外を繋ぐ水路を辿って、少しだけ侵入したの。入口は狭いけれど、中は広いわ。ゼンさんでも、縮めば入れるでしょう」
『ありがたいね。――で、ルートヴィヒさんは?』
「準備完了。『感知できるのは魔物のみ。だが、急げ』だそうよ」
マーリナ・ルテリアがそう言うと、場の全員の視線がヒワに集まった。ヒワは、杖を握りしめてうなずく。それを見て、ロレンスがイルカの伝霊に呼びかけた。
「こちらも、動きます」
『わかった。気を付けてね』
ヘルミの一言を最後に、青いイルカは音を立てて消える。ロレンスが自身の伝霊を回収すると、マーリナ・ルテリアが先頭に躍り出た。
「あなたたちは、こちらがいいわ。ついてきて」
青い人魚は、木々の狭間に飛び込む。その下で繰り広げられているのは、草と木の根の舞踏会。主要な道から外れた、まさに道なき道である。ヒワとロレンス、カトリーヌはひととき顔を見合わせたが、意を決して踏み出した。
マーリナ・ルテリアに導かれ、枝葉をかき分けて進む。冬でよかったと、ヒワは心から思った。
――ユース共和国の内乱で、ある勢力の拠点として使われていた件の洞窟には、隠された出入り口がいくつもあるという。マーリナ・ルテリアが水を辿って見つけたのは、西北の出入り口。何本目かの低木の枝をのけた先で、ヒワたちはそれを見る。岩壁に、人一人が通れそうな裂け目があった。
「石と枝でふさがれていたのだけれど、一旦どけさせてもらったわ」
マーリナ・ルテリアが、こともなげに言った。岩壁に触れて、人々を手招く。
「大きな部屋に行くのなら、こちらが一番近いと思うの」
「その『大きな部屋』に、エルメルアリアがいると?」
フラムリーヴェが身を乗り出す。青い人魚は、いつも通りにほほ笑んだ。
「可能性は高いでしょう? ええと……『相場が決まっている』と言うのだったかしら」
「仰りたいことはわかりますが……」と、フラムリーヴェが眉を寄せる。戦乙女のためらいを感じ取ったヒワは、あえて一歩踏み出した。
「あの、行ってみます」
フラムリーヴェが、もの言いたげにヒワを見る。しかし、ロレンスがその腕を軽く叩くと、あきらめたように瞑目した。一方、カトリーヌは楽しげに笑って、ヒワに何かを差し出しす。
「念のため、これ、持っていって」
「これは……」
ちゃらりと澄んだ音を立てたそれは、銀のひし形の中心に桜色の石が嵌められた装飾品だった。先端に鐶がついていて、鍵や鞄に取り付けられるようになっている。
「安全のためのお守り。ほら、岩壁に激突するかもしれないし」
「……怖いこと言わないでよ……」
ヒワは、顔を引きつらせつつもお守りを受け取る。手をさまよわせた挙句、財布にそれを入れた。薄い魔力が体を包むのを感じる。
財布をポケットの奥深くにねじこむと、ヒワは仲間たちの顔をうかがった。
「それじゃ……いい?」
「うん」
「いつでもどうぞ! 安全第一で、ね!」
「くれぐれも、お気をつけて」
ヒワは、彼らに笑いかけて、うなずいた。
めいっぱい息を吸って、腹から声を出す。
「『クランダーテ・ノバートル・アリイネラ
ワーディ・ワース』!」
――詠唱した直後、ヒワの足もとから、すべてが消えた。




