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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第十章 奪還と決別のオペレーション
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172 一世一代の仕返し

 エルメルアリアのもとに変化が訪れたのは、親友の告白を聞いた数日後のことである。――突然、部屋から連れ出された。


 迎えにきたのはやはり、クロードシャリスだ。自分を抱き上げた青年に、エルメルアリアは一度だけ「どこに行くんだ」と尋ねた。回答はない。エルメルアリアも、その一度であきらめた。


 蒼い光が点々と灯る通路を進み、広い部屋へ出る。がらんとしているが、最奥には岩を切り出して作られた台があった。人間が演説に使う壇のようだ。壇のまわりの床には、古い文字や記号が彫られている。


 クロードシャリスは、壇上にエルメルアリアを寝かせた。それから、彼の両手を(いまし)めていた鎖を丁寧にほどく。じゃらじゃらと長いそれを両手で持って、壇から下りた。


 嫌な予感がする。


 エルメルアリアは、鈍く痛む右腕を、クロードシャリスの方へ伸ばした。


「クロ――」

「大丈夫だよ、エラ。これが終わったら、きっと楽になる」


 クロードシャリスはほほ笑んだ。どこか、空虚な笑みだった。


 彼の隣に、女がやってくる。黒の中に躑躅(つつじ)色の散る瞳が、エルメルアリアを蔑むように見た。


「……始めるか」


 いささか不機嫌そうな言葉に、クロードシャリスがうなずく。


 彼らが指揮術を発動しようとしたところで――かすかな音が、空気を揺らした。


「ミレティアレーデ」


 壇上から響いた声に、クロードシャリスが息をのみ、ミレティアレーデは忌々しそうに顔を上げる。


 返事をしない精霊人を、エルメルアリアはひたと見つめた。


「あんた、オレを使って、何をする気、なんだ」

「……聞いてどうする」

「どうも、しねえよ。ただ……『これ』が終わったら、あんたらが知るオレは、いなくなるんだろ?」


 沈黙。エルメルアリアは、静かに息を吸う。胸のあたりが軋んで痛んだが、構わず口を動かした。


「だったら、最期に……ぜんぶ教えてくれても、いいんじゃねえかって……な」


 作り笑いを見せたエルメルアリアに、ミレティアレーデは鼻を鳴らす。


「――おまえには、世界の境目をのぞいてもらう」


 エルメルアリアは、両目をしばたたいた。その反応をどう取ったのか、ミレティアレーデは唇の端を持ち上げる。


「門によって繋がれた道の、外側。かつて多くの生命がのみこまれた場所だ」

「はっ――そりゃあ、大ごとだ」


 エルメルアリアは身じろぎして、不敵に笑ってみせた。すると、ミレティアレーデも大仰にうなずく。


「あたいらの門を完成させ、さらにはそれすらも不要にするための、大事な大事な作戦だ。きりきり働いてもらうよ」


 白い指が、エルメルアリアの顔を差した。


「安心しな。世界の境目に旅立つときには、おまえは何を感じても何も感じない状態になっている。この意味、わかるだろ?」


 エルメルアリアは押し黙った。ミレティアレーデも、問いを重ねることはない。数歩後退して、屈む。床に彫った文字に手を触れた。


「クロードシャリス」

「――はいはい」


 呼びかけられた青年は、ひょいと肩をすくめる。天井付近を見上げて、軽く手を叩いた。周囲を漂っていた精霊たちが集まってくる。何も知らず、魔力を吐き出しはじめた。


 文字が輝きを放つ。壇を囲むように、半球状の赤い膜が張る。


 精霊たちが、金切り声を上げた。


 同時、エルメルアリアの四肢が勝手に突っ張る。鎖も楔もないのに、その場に縛りつけられたかのように、体が動かなくなった。傷ついた足だけでなく、全身が激痛を訴える。


 膜の輝きが増す。


 大量の音が、エルメルアリアの中に流れ込んできた。精霊の声が急激に近くなる。彼らの悲鳴を、自分の悲鳴のように錯覚する。


 次に、世界の色が変わった。よりまばゆく、より鮮やかに。今まで目に映っていなかった色までも、入り込んでくる。


 ――エルメルアリアは、この感覚を知っていた。記録きおくの奥に埋もれていた、『昔』の自分の感覚だ。それを今、得体の知れない術によって、無理やり呼び起こされている。


 暗い洞窟に、光と音が満ちた。術によるものなのか、エルメルアリアの魔力なのか。自分の悲鳴なのか、精霊たちの泣き叫ぶ声なのか。何も、わからない。


 境界が溶ける。すべてが入ってくる。


 そんな中で――エルメルアリアは、笑った。


 苦しそうにしていた精霊たちが、一斉に集まってくる。樫の木でも見つけたかのように。



 ほんとうにいいの?



 精霊が、耳元でささやく。エルメルアリアは、苦痛の声をどうにかのみこんで、うなずいた。


「頼む」


 精霊たちが、ざわめく。



 おはなしできなくなるのは、さみしいな。


 でも、もりのこのこの、たのみだから。

 みんなのいばしょを、まもるためだから。


 もりのこ。みんなのこ。エルメルアリア。


 こちらへ、おいで。



 精霊たちの呼びかけは、澄み切って、響く。


 次の瞬間、赤い膜の内側でうごめいていた魔力が、エルメルアリアのもとに集束する。それは、彼の肉を喰らいはじめた。小さな体躯が弓なりに反って、それから壇に叩きつけられる。苦痛の声は、意志に関係なく迸った。


 体のあらゆる感覚が、激痛に上書きされる。唯一、頭は妙に冴えていた。エルメルアリアは至極冷静に、赤い膜の向こう、壇の下を見る。


「エラ!?」

「おまえ――なんのつもりだ!」


 クロードシャリスは、目を剥いて踏み出していた。ミレティアレーデが、壇のふちに手をかけて、怒鳴った。エルメルアリアは、得も言われぬ達成感を抱いて、笑う。


「単純な、話……だ。あんたらの、術が発動したら……オレを、みんなのもとに、還してくれって……精霊共に、頼んでた……。だいぶ、ごねられてさ……説得、大変、だったよ」

「なっ――」


 ミレティアレーデが、唇を震わせる。


「まさか、今日までずっと、精霊と対話してたのか? いや、あり得ない。ここまで弱っていて、そんな真似、できるはずが」

「オレを、誰だと思ってる」


 動揺している『同胞』を、エルメルアリアはせせら笑う。


「別に、喉を潰してくれても、よかったんだぜ? 生きてさえ、いれば……精霊とは、交信できる、からな……」


 ミレティアレーデは音を立てて歯を食いしばる。エルメルアリアは、震える指で岩の天井を指さした。


「エルメルアリア、そのものが、いなくなれば……あんたらの計画は、大幅に、狂う。ついでに……オレを還すほどの、魔力は……この場所丸ごと、吹っ飛ばす、はずだ」


 ――ヒワ・スノハラとの契約も、自動的に解除される。エルメルアリアは、思い浮かんだ事実を、わざわざ口に出しはしなかった。


 語っている間にも、エルメルアリアの肉体をほどこうとする魔力はふくれあがる。


 痛い。熱い。


 歪めた口の隙間から、乾いた笑声が漏れる。エルメルアリアは目を細めて――絶句している親友を、見た。


「クロ」


 かすれた声を、精いっぱい高めて、呼びかける。息をのんだ青年に、尋ねた。


「同胞を、殺したな?」


 クロードシャリスが、瞠目する。


「どうして、そんな……」

「見りゃ、わかるよ」


 エルメルアリアはささやいて、細く、長く、息を吐いた。


 今のクロードシャリスはもう、彼の知る優しい青年ではない。苦悩し、追い込まれたがゆえとはいえ、世界を乱す企てに加担した。挙句の果てに、無関係な人間の少女を巻き込んだ。


 そのはじまりが、苦悩の元凶が、自分だというのなら。


「ざまあみろ」


 ()()()()が間に合わず、自分までもが世界の敵になるくらいなら。


「あんたらは……何も、為せない」


 せめて、同じだけの罪を背負って、ここで一緒に還って(しんで)やる。



「エラっ!!」


 クロードシャリスが叫ぶ。


 その悲痛な声は、あらゆる音をかいくぐって、エルメルアリアの耳を突いた。エルメルアリアは薄く笑んで、目を閉じる。口の中にゆっくりと、鉄の臭いが広がった。


 精霊の声が、どんどん、どんどん近くなる。臭いと味が、遠くなる。


 そうして、すべてが遮断される寸前。精霊たちが今までと違う声を上げた。



 ここまでだね。


「――え?」


 きたよ、きたよ。


 もりのことつながっている、ひとのこが。



 精霊が、きゃっきゃっと歓声を上げる。


 次の瞬間、落雷さながらの轟音が響いて、部屋が大きく揺れた。


 エルメルアリアは、目を開ける。


 光が消えていた。床の文字の輝きも、部屋を照らしていた蒼い灯火も。赤い半球だけが煌々と輝く中、クロードシャリスが振り返った。


「結界が破られた? それに、この魔力は――」

「奴らが来たね。……二組だけか?」

「いや」


 ミレティアレーデの呟きに、クロードシャリスが首を振る。


「エラを取り戻しに来たのなら……ヒワさんとフラムリーヴェが、いないはずがない」


 力強い言葉に、ミレティアレーデが舌打ちする。「仕方ない。行くよ」と、黒衣をひるがえした。クロードシャリスも、ためらいながら後に続く。


 エルメルアリアだけが残された。朦朧(もうろう)とした意識の中で、精霊の声を聞く。



 ひとのこ、くるかな。ここに、くるかな。

 さっきのが、またくるまえに、きてくれる?



「――来るよ。近くにいるなら、絶対に」


 エルメルアリアは、かろうじて笑みをつくる。


「このオレの、契約者……だからな……」


 その言葉を、最後まで言えたかどうかは、誰も知らない。彼は、強烈な眠気と寒さに流されて、ゆっくりと目を閉じた。

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― 新着の感想 ―
エラさんはヒワさんに「待ってる」と言ってたけど、ヒワさん達が間に合わないのならと自爆を選んだというわけですね。 クロさん達の思い通りにならない強い意志が「ざまあみろ」に込められていて、すごくカッコ良か…
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