172 一世一代の仕返し
エルメルアリアのもとに変化が訪れたのは、親友の告白を聞いた数日後のことである。――突然、部屋から連れ出された。
迎えにきたのはやはり、クロードシャリスだ。自分を抱き上げた青年に、エルメルアリアは一度だけ「どこに行くんだ」と尋ねた。回答はない。エルメルアリアも、その一度であきらめた。
蒼い光が点々と灯る通路を進み、広い部屋へ出る。がらんとしているが、最奥には岩を切り出して作られた台があった。人間が演説に使う壇のようだ。壇のまわりの床には、古い文字や記号が彫られている。
クロードシャリスは、壇上にエルメルアリアを寝かせた。それから、彼の両手を縛めていた鎖を丁寧にほどく。じゃらじゃらと長いそれを両手で持って、壇から下りた。
嫌な予感がする。
エルメルアリアは、鈍く痛む右腕を、クロードシャリスの方へ伸ばした。
「クロ――」
「大丈夫だよ、エラ。これが終わったら、きっと楽になる」
クロードシャリスはほほ笑んだ。どこか、空虚な笑みだった。
彼の隣に、女がやってくる。黒の中に躑躅色の散る瞳が、エルメルアリアを蔑むように見た。
「……始めるか」
いささか不機嫌そうな言葉に、クロードシャリスがうなずく。
彼らが指揮術を発動しようとしたところで――かすかな音が、空気を揺らした。
「ミレティアレーデ」
壇上から響いた声に、クロードシャリスが息をのみ、ミレティアレーデは忌々しそうに顔を上げる。
返事をしない精霊人を、エルメルアリアはひたと見つめた。
「あんた、オレを使って、何をする気、なんだ」
「……聞いてどうする」
「どうも、しねえよ。ただ……『これ』が終わったら、あんたらが知るオレは、いなくなるんだろ?」
沈黙。エルメルアリアは、静かに息を吸う。胸のあたりが軋んで痛んだが、構わず口を動かした。
「だったら、最期に……ぜんぶ教えてくれても、いいんじゃねえかって……な」
作り笑いを見せたエルメルアリアに、ミレティアレーデは鼻を鳴らす。
「――おまえには、世界の境目をのぞいてもらう」
エルメルアリアは、両目をしばたたいた。その反応をどう取ったのか、ミレティアレーデは唇の端を持ち上げる。
「門によって繋がれた道の、外側。かつて多くの生命がのみこまれた場所だ」
「はっ――そりゃあ、大ごとだ」
エルメルアリアは身じろぎして、不敵に笑ってみせた。すると、ミレティアレーデも大仰にうなずく。
「あたいらの門を完成させ、さらにはそれすらも不要にするための、大事な大事な作戦だ。きりきり働いてもらうよ」
白い指が、エルメルアリアの顔を差した。
「安心しな。世界の境目に旅立つときには、おまえは何を感じても何も感じない状態になっている。この意味、わかるだろ?」
エルメルアリアは押し黙った。ミレティアレーデも、問いを重ねることはない。数歩後退して、屈む。床に彫った文字に手を触れた。
「クロードシャリス」
「――はいはい」
呼びかけられた青年は、ひょいと肩をすくめる。天井付近を見上げて、軽く手を叩いた。周囲を漂っていた精霊たちが集まってくる。何も知らず、魔力を吐き出しはじめた。
文字が輝きを放つ。壇を囲むように、半球状の赤い膜が張る。
精霊たちが、金切り声を上げた。
同時、エルメルアリアの四肢が勝手に突っ張る。鎖も楔もないのに、その場に縛りつけられたかのように、体が動かなくなった。傷ついた足だけでなく、全身が激痛を訴える。
膜の輝きが増す。
大量の音が、エルメルアリアの中に流れ込んできた。精霊の声が急激に近くなる。彼らの悲鳴を、自分の悲鳴のように錯覚する。
次に、世界の色が変わった。よりまばゆく、より鮮やかに。今まで目に映っていなかった色までも、入り込んでくる。
――エルメルアリアは、この感覚を知っていた。記録の奥に埋もれていた、『昔』の自分の感覚だ。それを今、得体の知れない術によって、無理やり呼び起こされている。
暗い洞窟に、光と音が満ちた。術によるものなのか、エルメルアリアの魔力なのか。自分の悲鳴なのか、精霊たちの泣き叫ぶ声なのか。何も、わからない。
境界が溶ける。すべてが入ってくる。
そんな中で――エルメルアリアは、笑った。
苦しそうにしていた精霊たちが、一斉に集まってくる。樫の木でも見つけたかのように。
ほんとうにいいの?
精霊が、耳元でささやく。エルメルアリアは、苦痛の声をどうにかのみこんで、うなずいた。
「頼む」
精霊たちが、ざわめく。
おはなしできなくなるのは、さみしいな。
でも、もりのこのこの、たのみだから。
みんなのいばしょを、まもるためだから。
もりのこ。みんなのこ。エルメルアリア。
こちらへ、おいで。
精霊たちの呼びかけは、澄み切って、響く。
次の瞬間、赤い膜の内側でうごめいていた魔力が、エルメルアリアのもとに集束する。それは、彼の肉を喰らいはじめた。小さな体躯が弓なりに反って、それから壇に叩きつけられる。苦痛の声は、意志に関係なく迸った。
体のあらゆる感覚が、激痛に上書きされる。唯一、頭は妙に冴えていた。エルメルアリアは至極冷静に、赤い膜の向こう、壇の下を見る。
「エラ!?」
「おまえ――なんのつもりだ!」
クロードシャリスは、目を剥いて踏み出していた。ミレティアレーデが、壇のふちに手をかけて、怒鳴った。エルメルアリアは、得も言われぬ達成感を抱いて、笑う。
「単純な、話……だ。あんたらの、術が発動したら……オレを、みんなのもとに、還してくれって……精霊共に、頼んでた……。だいぶ、ごねられてさ……説得、大変、だったよ」
「なっ――」
ミレティアレーデが、唇を震わせる。
「まさか、今日までずっと、精霊と対話してたのか? いや、あり得ない。ここまで弱っていて、そんな真似、できるはずが」
「オレを、誰だと思ってる」
動揺している『同胞』を、エルメルアリアはせせら笑う。
「別に、喉を潰してくれても、よかったんだぜ? 生きてさえ、いれば……精霊とは、交信できる、からな……」
ミレティアレーデは音を立てて歯を食いしばる。エルメルアリアは、震える指で岩の天井を指さした。
「エルメルアリア、そのものが、いなくなれば……あんたらの計画は、大幅に、狂う。ついでに……オレを還すほどの、魔力は……この場所丸ごと、吹っ飛ばす、はずだ」
――ヒワ・スノハラとの契約も、自動的に解除される。エルメルアリアは、思い浮かんだ事実を、わざわざ口に出しはしなかった。
語っている間にも、エルメルアリアの肉体をほどこうとする魔力はふくれあがる。
痛い。熱い。
歪めた口の隙間から、乾いた笑声が漏れる。エルメルアリアは目を細めて――絶句している親友を、見た。
「クロ」
かすれた声を、精いっぱい高めて、呼びかける。息をのんだ青年に、尋ねた。
「同胞を、殺したな?」
クロードシャリスが、瞠目する。
「どうして、そんな……」
「見りゃ、わかるよ」
エルメルアリアはささやいて、細く、長く、息を吐いた。
今のクロードシャリスはもう、彼の知る優しい青年ではない。苦悩し、追い込まれたがゆえとはいえ、世界を乱す企てに加担した。挙句の果てに、無関係な人間の少女を巻き込んだ。
そのはじまりが、苦悩の元凶が、自分だというのなら。
「ざまあみろ」
彼女たちが間に合わず、自分までもが世界の敵になるくらいなら。
「あんたらは……何も、為せない」
せめて、同じだけの罪を背負って、ここで一緒に還ってやる。
「エラっ!!」
クロードシャリスが叫ぶ。
その悲痛な声は、あらゆる音をかいくぐって、エルメルアリアの耳を突いた。エルメルアリアは薄く笑んで、目を閉じる。口の中にゆっくりと、鉄の臭いが広がった。
精霊の声が、どんどん、どんどん近くなる。臭いと味が、遠くなる。
そうして、すべてが遮断される寸前。精霊たちが今までと違う声を上げた。
ここまでだね。
「――え?」
きたよ、きたよ。
もりのことつながっている、ひとのこが。
精霊が、きゃっきゃっと歓声を上げる。
次の瞬間、落雷さながらの轟音が響いて、部屋が大きく揺れた。
エルメルアリアは、目を開ける。
光が消えていた。床の文字の輝きも、部屋を照らしていた蒼い灯火も。赤い半球だけが煌々と輝く中、クロードシャリスが振り返った。
「結界が破られた? それに、この魔力は――」
「奴らが来たね。……二組だけか?」
「いや」
ミレティアレーデの呟きに、クロードシャリスが首を振る。
「エラを取り戻しに来たのなら……ヒワさんとフラムリーヴェが、いないはずがない」
力強い言葉に、ミレティアレーデが舌打ちする。「仕方ない。行くよ」と、黒衣をひるがえした。クロードシャリスも、ためらいながら後に続く。
エルメルアリアだけが残された。朦朧とした意識の中で、精霊の声を聞く。
ひとのこ、くるかな。ここに、くるかな。
さっきのが、またくるまえに、きてくれる?
「――来るよ。近くにいるなら、絶対に」
エルメルアリアは、かろうじて笑みをつくる。
「このオレの、契約者……だからな……」
その言葉を、最後まで言えたかどうかは、誰も知らない。彼は、強烈な眠気と寒さに流されて、ゆっくりと目を閉じた。




