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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第十章 奪還と決別のオペレーション
193/227

171 ふたり分の、いってきます

 静寂の中、目を覚ます。カーテンの向こうから差し込む光も、鐘の音も、まだない。


 この時間の起床にも、すっかり慣れた。


 空白を噛みしめ、それでも素早くベッドから出る。髪を梳き、着替えて、髪留めをいつもの位置へ。動きの妨げにならぬよう、今日の荷物は財布と杖だけだ。それを持って、部屋を出る。


 少しひび割れた音で、何やら音楽が流れていた。聞き慣れた報道番組のひとつ前の音楽番組だ。ぼおお、と天火オーブンが働いていて、香ばしい空気が漂う。


「あ、ヒワ、起きた」

「おはよう」

「よーす」


 台所の母と、食卓でなぜかりんごの皮を剝いている父、そしてあくびをしている姉が、当然のように挨拶した。ヒワは、目をしばたたいて「おはよ」と絞り出す。


「みんな、寝ててよかったのに」

「何言ってんの。朝ごはん食べないで行く気?」


 母が食器を取り出しながら、当然のように返す。ヒワは、どこかで買っていくつもりだったという言葉をのみこんで、頬をかいた。


 コノメが、頬杖をついて目をこする。


「いやあ。普段とはまた違う、この空気。いいですなあ」

「明日からコノメもこの時間に起きるか?――はい、これ並べて」


 父が、手際よく切ったりんごを、まな板ごとコノメの方へ滑らせる。それを受け止めたコノメは、四つ重なった小皿に手を伸ばした。


「はいはい。――寝れる日はぎりぎりまで寝たいなあ」

「あんたね。自分で全部ご飯用意するようになったら、そんなこと言ってらんないよ?」

「知ってるよ。だから今、言ってんじゃん」


 学校の用事で早起きすることのあるコノメは、そのときだけは自分で適当に朝食を用意する。それを知っているヒワと母は、顔を見合わせて苦笑した。


 近頃はやりの一曲に耳を傾けながら、食卓を囲む。音と珈琲の香りが満ちる中、母がヒワを見た。


「で。今日はユースまで行くんだよね?」


 すごく突っ込みたそうな顔をしているが、約束通り、それしか言わない。ヒワは「そう」と答えた。コノメがパンをかじりながら顔を上げる。


「いつまでー?」

「わかんない。今日、全部片付くかもしれないし、何日かかかるかも」

「わーお。大変だねえ」


 軽い調子で言う姉に、ヒワは曖昧な笑いを返す。その軽さが、今は何よりありがたかった。


 朝食と、片付けと、準備。すべてを終えたヒワは、玄関扉の前に立つ。珍しく、そこに家族全員が集合していた。ヒワは家族の顔を見渡して、にっと笑う。


「それじゃ――エラを迎えに、いってきます」


「いってらっしゃい」

 家族の返事は、いつも通りだ。


 うなずいて、ヒワは一歩を踏み出した。



     ※



 扉が閉まる。忙しない足音が遠ざかっていく。


 次女の名残が消えると、トウマが腕まくりをした。


「ようし。部屋ひとつ空けるか」

「清潔にしとかないとね」


 妻のレナも、腰に手を当てて胸を張る。両親の張りきりぶりを見たコノメが、悪戯っぽく笑った。


「もういっそ、お父さんがふたりの怪我とか診てあげたら?」

「だめだめ。人間の免許は持ってない」

「でも、エラくんは人間ではないよ?」


 コノメの言葉に、トウマとレナが顔を見合わせた。


「……そういえば、精霊人(スピリヤ)ってどこに入るんだろうな」

「さあ。……下手したら、法律で規定されてないんじゃ……?」


 乾いた沈黙が下りる。


 そののち、コノメが父を見上げた。


「法の穴だ……」

「目を輝かすな。やらないからな。違法じゃなくても、ばれたら各方面からものすごく怒られる」


 トウマは、危険な考えを隠そうともしない長女を制する。そして「ささ、使わないタオルかき集めてきて」とうながした。コノメはわざとらしく唇を尖らせながら、収納の方へ向かう。トウマたちも苦笑しあってから、それぞれの『仕事』のために動き出した。



     ※



 ユース共和国への緊急入国の許可が下りたのは、エルメルアリアの居場所を特定した三日後のことだった。国同士のやり取りであることを考えれば、異例の速さである。精霊指揮士(コンダクター)協会の協力もあって、現場周辺の詳しい地形を知ることもできた。ヒワたちはそこから作戦を詰め、準備を整え、今日に至る。


 ヒワは、ジラソーレの歩行者用門前で仲間たちと合流した。ルートヴィヒ、マーリナ・ルテリア、ノクスとゼンドラングの姿はない。作戦と移動の都合上、少し早く出発したのだ。


「みんな元気ね! それじゃ、行きましょうか!」


 カトリーヌ・フィオローネが音頭を取る。ロレンスが、彼女を心配そうに見た。


「カティは()()の初めてだよね。……大丈夫?」

「大丈夫じゃないかも!」

「えっ」

「でも、一回体験してみたかったし。楽しみだわ」


 カトリーヌはうきうきと傘を畳んで仕舞う。あまりのたくましさに、精霊人(スピリヤ)の契約者たちはひととき絶句してしまった。傍で見ていたシルヴィーが、ヒワの方へ歩み寄ってきた。


「気をつけてね、二人とも。土産話、待ってるから」


 片目をつぶった友人に、ヒワとロレンスはうなずく。それから、フラムリーヴェの手を取った。


「……では、行きましょう」


「はい、上昇ー」


 フラムリーヴェとリリアレフィルネは、いつも通りに告げる。そして、ようやく光が差し込んだ空へと飛び立った。



 風情の欠片もない空の旅は、一時間ほどでひとまず終わった。ユース共和国東部、検問所の近くに降り立つ。一度検問所へ顔を出し、今回限りの許可証を見せた。そこからさらに少し飛ぶと、鬱蒼とした森が見えてくる。


「今から……こんなに疲れてて……大丈夫だろうか……」


 森のそばに降り立った。ロレンスが青い顔でフラムリーヴェに寄りかかる。ヒワはそのそばで、黙って呼吸を整えていた。少し離れたところでは、カトリーヌが傘を杖に変えている。


「すっごく速かったわね! びっくりしちゃった!」

「ものの数分で立ち直ってるカティがすごいよ」


 ヘルミがそばで苦笑する。ふたりを運んだリリアレフィルネは、口笛を吹いていた。


「――おう! やはり、ここにおったか」


 陽気な声がこだまする。ゼンドラングが木々の陰から顔を出した。すぐ隣に、ノクスもいる。


 ヘルミが彼らに向かって手を振った。


「や、ふたりとも。首尾はどう?」

「上々だ! 周辺の地形や魔物の分布は大体把握したぞ!」

「さすが」


 拳を握るゼンドラングに、ヘルミが歯を見せて笑う。ノクスは腕組みしてそっぽを向いたが、口もとが照れ臭そうにもぞもぞ動いていた。


 そんな彼を引っ張る形で、ゼンドラングがのっしのっしと一行の方へやってくる。フラムリーヴェが、彼を見上げた。


「状況は?」

「おおかた予想通りだ。この先の森一帯に、結界のようなものが張られておる」

「……ようなもの?」


 フラムリーヴェが眉を寄せて繰り返す。ゼンドラングは「うむ」と腕組みした。


「根っこのつくりは結界と同じだ。だが、目には見えんし、外からの侵入を拒むわけでもない」

「それって……何のための結界なんですか?」

「わからん!」


 ロレンスの問いに、ゼンドラングが笑う。すぐ後、その笑みがやや霞んだ。


「ただ、中に入ったら力が抜けた。ノクスは何も感じておらんようだったが」

「おう。精霊に悪さをするモンだろうって話してた」


 そう聞いても、ヒワにはいまいちぴんとこない。だが、まわりの人々があからさまに顔をしかめているのを見て、自然と体がこわばった。


 ヘルミにじゃれついていたリリアレフィルネが、軽く宙を蹴って上昇する。


「これがあいつらの魔力感知対策かー」

「……とりあえず、近くまで行ってみましょうか」


 カトリーヌが、含みのある笑みを精霊人に向ける。白いドレスをなびかせる彼女は「そうだねー」と言って飛び出した。ヒワたちは、小走りでそれを追いかけた。


 木々が身を寄せ合い、薄暗い道を作り出している。その道の出発点に立ったとき、一陣の風が一行の背をなでた。


「カトリーヌ」


 北風のような呼びかけ。カトリーヌが、顔を輝かせて振り返る。


 ルートヴィヒが立っていた。彼は人数分の視線を受け止めても動じず、口を開く。


「すべて設置した。場所は合っているだろうか」


 尋ねられると、カトリーヌはやにわに傘を立てる。その先端で、草地を数度つついた。しばらく繰り返してから、ルートヴィヒに笑いかける。


「完璧ですわ。ありがとうございます」


 ルートヴィヒは、小さく顎を動かした。そして、背を向ける。


「俺はマールのところに戻る。構わないか」

「ちなみに、マールさんは今どこに?」

「西に。このあたりの水脈や水路を探っている。もうそろそろ終わると言っていた」

「でしたら、ぜひ行かれてください。……頼りにしています」


 優雅に一礼したカトリーヌに、ルートヴィヒは目礼する。そして、疾風のごとく去っていった。


 ヒワは、楽しそうなカトリーヌの様子をうかがう。


「ねえ、カティ。ルートヴィヒさんに何をお願いしてたの?」


『突入のために必要な準備をルートヴィヒにお願いする』ということは、ヒワたちも知っていた。だが、その具体的な内容までは聞かされていなかったのだ。


「この森のまわりにね、五本ほど設置してもらったの」

「設置? 何を?」

「水晶の柱」


 カトリーヌが唇に指を添える。精霊人たちとヘルミが、したり顔でうなずいた。ヒワはその意味がわからず、思わずロレンスの方を見る。彼もまた、首をかしげていた。


「『フィオローネ・レーナンダ』」


 ささやくように、カトリーヌが詠唱する。桜色の傘が光に包まれ、花型の貴石をあしらった杖に変わった。それをくるりと回した彼女は、足もとを探るように踏み出した。


「ヒワ、ロレンス。魔力感知対策の本質って、なんだと思う?」

「え?」


 素っ頓狂な声が、揃った。


 ヒワはなけなしの知識をひっくり返す。しかし、これだと思える答えが出ない。うなる彼女の隣で、ロレンスが口もとに指をかけた。


「魔力をいかに隠すか、じゃないの?」

「うん。基本はそうね。でも、今の現役精霊指揮士や研究者の考え方は、少し違う」


 カトリーヌが立ち止まる。軽やかに後輩たちを振り返って、杖を振った。


「魔力感知対策の本質は、だますこと。人も、魔物も、精霊も――ね」


 花型の貴石が森を示す。


「この地の精霊は、今、だまされているの。この森に精霊人はいない、と思い込まされている」

「それどころか、森すら存在しないと認識してるかもね」


 リリアレフィルネが、その場で宙返りする。飛んできた枯れ葉をつまんで、ぱっと指を離した。


「どうにか森に気づいて中へ入っても、変わった結界に力を削がれてしまって、今度は外の精霊に呼びかけられなくなっちゃう。上手いこと考えたもんだよ」


 枯れ葉はひらひらと落ちていく。


 それを見たフラムリーヴェが、眉をひそめた。


「そのような状況では、戦いどころではありませんね」

「どうすれば……」

「簡単なことよ」


 考え込んだロレンスに、カトリーヌが笑いかける。


「だまされているなら、正しいことを教えてあげればいいの。――リリさん、お願いできる?」

「なあるほど。精霊を呼べばいいの?」

「ええ!」

「承ったー」


 のんびりと答えて、リリアレフィルネが高度を上げる。ふたりのやり取りから何を察したのか、ヘルミも杖を構えた。


 白い精霊人の姿は、あっという間に見えなくなる。五本すべての水晶が見渡せる位置まで飛んだのだろう。ヒワたちが口を半開きにして空を見上げていると、やがて、青のまんなかに白が灯った。さながら一番星だ。


「そーれ」


 遥か上空にいるはずのリリアレフィルネの声が、反響して落ちてくる。


 次の瞬間、天地の魔力が森の方へ流れてきた。いくつもの川が一本に合流するかのように。


 肌を刺す不可視の力を感じながら、ヒワはいつかの話を思い出していた。


 精霊人は、水晶や骨をそれだけで、精霊を呼び集める道具として使える。ほかならぬ、リリアレフィルネ自身が語ったことだ。


 魔力が高まる。大気が、草木の一本一本が、淡い七色をまとう。


 カトリーヌとヘルミが、ほぼ同時に杖を掲げた。


「せーのっ――」

「『ヤーナ・ヤーナ・スピルード』『アールム・ファーゼム・アールム・ファーゼム』!」


 ふたりの詠唱が揃う。


 白くまばゆい五条の光が、青空を貫いた。大気が震え、硝子(がらす)(へん)を踏むような音が響く。その瞬間、森に閉じ込められていた魔力があふれ出した。精霊たちが吐き出す純然たる息吹から、地下の闇に染まった力まで、区別なく。


「結界が――」


 ロレンスが、呆然と呟く。そのとき、森の方から獣の咆哮が響いた。金属音に似た、独特の音が混ざっている。それを聞いたゼンドラングが、両方の拳を打ち合わせた。


「やはりいたな。番犬だ。――ノクス!」

「ヘルミ!」


 ゼンドラングとリリアレフィルネが、それぞれの契約者に呼びかける。彼らはうなずいて、杖を契約相手に向けた。


「『イリュ・ドゥーテ・クランダル・ウカータ』」


「『クランダーテ・イリューオ・デア・ノクス

 アリイネラ・イリューオ・デア・ゼンドラング』」

「『クランダーテ・イリューア・デア・ヘルミ・ライネ

  アリイネラ・イリュール・デア・リリアレフィルネ』」


 制限解除の詠唱が、重なる。ほどなくして、ふたりの精霊人の内側から魔力があふれ出した。それは、森の魔力を圧するように広がる。


 カトリーヌが不敵に笑った。


「さあて、作戦開始よ。頑張りましょ!」


 弾む言葉に、ヒワは力強くうなずいた。

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― 新着の感想 ―
スノハラ家の皆もエラさんのことを心配してるんですよね。 ヒワさんを送り出すこと、しかできない中でそれでもできるだけのことをしてくれたと思います。戻ってくると信じて用意してくれているのもすごく心強い!(…
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