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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第十章 奪還と決別のオペレーション
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170 星に溺れる(2)

 それからしばらくは、平穏な時が流れた。とはいえ、すべてが元通りになったわけではなかった。


 エルメルアリアの精神に変化が起きたらしい。クロードシャリスも何度か相談は受けたが、深刻になりすぎたわけでもなかった。本人にとっては一大事だが、起きる精霊人ひとには起きることだ。辛抱強く寄り添っていけばお互い慣れるだろう。そう思っていた。


 その見込みが甘かったと突きつけられたのは、目に見える変化があったときだ。


 エルメルアリアの振る舞いが、がらりと変わった。


 それまでの静かなたたずまいが嘘のように、活発に動き回るようになった。言葉遣いも荒っぽい。クロードシャリスに対しては生来の素直さも見せてくれるが、〈塔〉の高官たちには喧嘩腰である。


 クロードシャリスは最初、唖然とした。だが、しばらく見ていて、気づいた。


 これは、何かを演じている。


 そこで、久しぶりにエルメルアリアが〈群青の里〉へ遊びにきたときに、尋ねてみた。


「エラ、なんか色々変えたよね? 当世の人間風に言うと……()()()()()かな?」

「んー……? ちょっと違う気もするけど。まあ、そうだな」

「どうしたの、急に」

「こうすれば、みんなに迷惑かけなくて済むかなって」


 クロードシャリスは、固まった。その間にエルメルアリアは、目を泳がせながらも続ける。


()()、最近なんか変だからさ。みんなに距離を取ってもらおうと思ったんだ。エルメルアリアがおかしくなったって知ったら、嘆く人もいるだろうから」


 クロードシャリスの中で、熱が動いた。表の彼はそれを無視して、親友に顔を近づける。


「……ふうん? その『みんな』って、僕も含まれてる?」


 あえて口を尖らせてみせると、エルメルアリアは凍りついた。


「あ、えと、クロは……その……」


 頬を、手を、わかりやすく震わせて。あちらへこちらへ、目を泳がせる。


「確かに、クロがだいじなら、クロにこそ近づかない方がいいですね……? でも、クロに離れられるのはいやで……でも……」


「素が出てるよ、エラ」


 笑いながらつついてやると、エルメルアリアは文字通り飛び上がった。頭を抱えてうずくまる。その間にも、赤くなったり青くなったり忙しい。


 クロードシャリスはつい、吹き出した。


「ごめん。意地悪だったね。そう思ってくれて、嬉しい」

「うう……クロ……」

「でもって、僕は嘆いたりしないし、そう簡単に離れるつもりもないよ。エラがどんなエラになろうとも、ね」


 誰かに言い聞かせるように、ささやく。すると、エルメルアリアは顔を上げた。目を見開いて、それからふわりと笑った。



 クロードシャリスは、一件落着した気でいた。少しずつ慣れていかないと、などとのん気に考えていた。


 だが、いつからだろう。エルメルアリアに会うと、胸が不穏にざわつくようになった。会っていないときも、妙な引っかかりを感じていた。


 一体これはなんなのか。巡視の旅の合間に、何度も考えを巡らせたが、自分自身を納得させることはできなかった。


 あるとき、〈銀星の主〉に面会する機会があった。巡視の報告のためだ。極点の間でかの精霊人とまみえたとき、クロードシャリスの(うち)を狂おしいほどの熱が満たした。久しく感じていなかったそれは、心地よかった。


 しかし、面会を終え、〈(みやこ)〉で冷静になったとき、はっとした。


 あの『熱』は、エルメルアリアの前で時折感じていたものだ。いや――〈主〉に対して抱いていたものを、エルメルアリアにも抱いていた。


 それに気づいた瞬間、すべてがつながった。


 クロードシャリスは、エルメルアリアの変化が怖かったのだ。親友が自分の意志で、あのような仮面をかぶるなど、あり得ない。()()()()()()()()()()などと、思いもしなかった。


〈幽闇隧道〉で逃げ出した二人を許せないのも、その事件の筋書きを変えればいいなどと〈塔〉の高官に提案したのも、一人の精霊人を思いやったからではない。『信仰』を揺るがされることを(いと)ったからだ。


 何が親友だ。何が対等だ。何が、特別だ。


 ほかの精霊人と、あの裏切り者たちと、何も変わらないではないか。


 衝撃がひとたび過ぎ去ると、それは自分自身への失望と怒りに変わった。


 それすら冷めると、冷ましきれなかった熱は、外へと向かう。


 そもそも、エルメルアリアが変容せざるを得なかったのは、誰のせいか。〈銀星の塔〉、ひいてはこの世界に生きる精霊人たちのせいではないか。彼らが――自分が――もっときちんとエルメルアリアに向き合っていれば、あの事件も、今の変化もなかった。


 彼は幸せなままで、自分も苦しまなかった。


 そんなふうに思ってしまう自分こそが、何より許せなかった。


 どこまで行っても、終わりはない。どれだけ考えても、答えは出ない。


 クロードシャリスがひとり苦悩している間にも、世界は前へ進んでいった。親友は、いつの間にか〈真朱(しんしゅ)の里〉の戦士と交流を持つようになる。紫水晶の瞳は、時折、何かを憂うようにクロードシャリスを見ていた。


 そのうち、ひとつの〈穴〉が世界の境目に開く。一月後、大小の〈穴〉が無数に開いた。


 世界は大混乱に陥る。最初、クロードシャリスは、ただ巡視官として〈穴〉の対処に奔走した。


 小さな雌獅子がやってきたのは、最初の〈穴〉が観測されてからしばらく経った頃だ。指揮術で遠方の何者かと繋がっているらしいそれは、躑躅(つつじ)色の瞳で、クロードシャリスを見つめた。



     ※



 四方を岩に囲まれた通路に、蒼白い光が点々と灯る。自然のものでも、人の遺産でもなく、精霊人(スピリヤ)の指揮術によるものだ。明かりの揺らぎを感じながら歩いていたクロードシャリスは、向かいから暗い気配が近づいてくることに気づいて、足を止めた。案の定、通路の反対側から黒い女性がやってくる。


「やあ、ミレイ」

「やあ」


 クロードシャリスが声をかけると、ミレティアレーデも同じように返した。愛想はないが、落ち着いた対応である。ツェレグヴルムとは大違いだ。彼の心も、少し落ち着く。


 ミレティアレーデの方は、感情の読めない瞳をクロードシャリスに向けた。


「準備は、おおよそ完了した。明日にでも術を発動できるよ」

「……そう」


 クロードシャリスは、平静を装った。だが、ミレティアレーデは探るように顔を突き出す。


「なんだ、不満か?」

「不満なら、そもそも賛成してないさ」


 クロードシャリスはひらりと手を振る。それを下ろして――反対の袖を握った。


「不満はないけど、あんな仰々しくやる必要があるかな、とは思うね。あの部屋で済ませた方が、エラを移動させる必要もないし、楽じゃない?」


 今しがた出てきた部屋の方を指さす。すると、ミレティアレーデはため息をついた。


「万が一精霊共が反発したら、全員揃って生き埋めになるだろ。わざわざ儀式の形をとるのだって、その反発を少しでも抑えるためだよ」

「そういうこと。僕はてっきり、趣味の悪い見世物にするのかと」

「ツェグと一緒にすんな」


 ミレティアレーデが吐き捨てる。クロードシャリスは、笑った。


 黒い衣が、蒼い光の下で翻る。ミレティアレーデは、肩越しに青年をにらんだ。


「……余計なことはするなよ」

「しないよ」


 クロードシャリスはあっさり答える。ミレティアレーデが鼻を鳴らして歩き出した。その後に、ついてゆく。


「僕はしないけど……エラは、わからないね」


 クロードシャリスがほほ笑むと、ミレティアレーデの足音が、一瞬乱れた。


「あの有様で、今さら何ができるというんだ」

「最後の最後まで、油断しない方がいい。精霊たちは彼の味方だ。そして彼は――多重世界の敵を、決して許さない」


 クロードシャリスは、己の胸に手を当てて告げた。


 ミレティアレーデは答えない。儀式を行う部屋に辿り着くまで、規則的な足音が響きつづけた。

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― 新着の感想 ―
クロさんの心情がだいぶ見えてきました。 信仰対象であり仲良しであり親友でもあり……。「大好き」に友情と信仰のどちらも入っている感じ。すごく複雑だけれど、読んでいてとても理解できてしまいました。 クロ…
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