170 星に溺れる(1)
エルメルアリアと初めて会ったのは、遥か昔のことだ。
そのとき、彼は巡視官ではなく、〈群青の里〉周辺の精霊の観察を任されていた。だからこそ、エルメルアリアの訪問に応じることができたのである。
「〈翠緑の里〉のエルメルアリアと申します。どうぞ、お見知りおきを」
里長同士の会合に同行してきたのだったか。初めて里を訪れた彼は、挨拶回りをしていた。
「クロードシャリスです。どうぞよろしくお願いいたします。ご滞在中、困りごとなどございましたら、なんなりとお声がけください」
クロードシャリスは儀礼的な挨拶をする。同時、誰に言われるまでもなく、かしずいていた。
目の前の精霊人には、それほどの威があったのだ。色の移ろう空、精霊の笑い声に満ちた大地そのもののようで。あるいは、それらから惜しみない祝福を受け取っているようで。精霊たちが魔力を吐き出しておらずとも、全身が輝いて見えていた。
これは――〈銀星の主〉と同じだ。クロードシャリスの奥深く、本能にほど近い感覚が、そう告げていた。
「ありがとうございます。〈群青の里〉のクロードシャリス。よい御名ですね」
彼は、変わらずほほ笑んでいる。〈銀星の主〉と違い、笑顔には確かなぬくもりがあった。
その日は、たまたま作ってあった菓子を振る舞い、形式的な会話をいくつかして、おしまい。エルメルアリアは別の精霊人のところへ行き、クロードシャリスは仕事に戻った。
それきりの関わりだと思っていた。たまさか遭遇した、奇跡のようなものだと。
だが実際は、奇跡などではなかった。
〈群青の里〉滞在中、エルメルアリアは毎日クロードシャリスを探し回った。里長たちの会合が終わってからも、たびたび里を訪ねてきた。
「あの、ですね。あなたとお話ししたいのです。ご迷惑でなければ……」
クロードシャリスが出迎えると、エルメルアリアは決まってそう言った。緑の瞳をうろうろさせ、うつむいて語る姿は、〈主〉とは似ても似つかない。最初こそ戸惑ったが、やがて好ましく思うようになった。
「僕も同じように思っていましたよ。ぜひ、お話ししましょう。――今日は、何をお供にしましょうか?」
この様子だと、里には対等に接してくれる相手がいないのだろう。自分の何が、彼の琴線に触れたかはわからない。ただ、気に入ってもらえているのなら……自分にしかできないことをやるのも、悪くない。
対等に、ただの精霊人として、友達になろう。クロードシャリスはそう思った。
しばらくは、よかった。
関係は続いて、深まった。クロードシャリスとエルメルアリアは、確かに友達だった。会えるときに会って、たわいもない話をして、傍から見れば馬鹿みたいな遊びに興じる。彼が思い描いたような友になっていった。
だから、いつの間にか錯覚していたのだ。友で在れていると。自分はほかの精霊人とは違う、エルメルアリアと対等になれた存在なのだと。
それが崩れた、最初のきっかけは――きっと〈幽闇隧道〉の一件だろう。
エルメルアリア含む精霊人の調査隊が、〈幽闇隧道〉へ向かった。そこで怪しい者と遭遇し、エルメルアリアが負傷した。最初、クロードシャリスが知らされたのはこれだけだった。
知らせてきたのは、〈雪白の里〉の里長である。〈雪白の里〉は、〈幽闇隧道〉からもっとも近い里だ。怪我人が迷い込むなら、そこしかあるまい。
クロードシャリスは里へ向かった。途中、色々と探りを入れて、同行者たちの裏切りを知った。
そのとき、クロードシャリスの胸に湧きあがった熱は、単なる怒りとは少し違うものだった。その熱の正体を知らぬまま、彼は里へ辿り着き、里長の家でエルメルアリアと面会した。
布団に寝かせられている彼の姿は、痛々しい。犬のような魔物に食われかけたという腕は、見た目上はきれいだった。だが、内部の損傷は激しいようだ。
そして、怪我とは別に、雰囲気が変わっていた。今までよりも地に足がついたように感じた。
彼はクロードシャリスに、泣きそうな声で尋ねた。
「メオとフィズが、どうなったか、知りませんか……? 振り返ったら、いなかったのです。生きているのか、わからないのです」
再び、熱が湧き上がった。
この子は、こんな状況でなお、愚かな裏切り者の心配をするのか、と。
クロードシャリスは、熱を吐息で殺した後、エルメルアリアに答えを告げた。二人は生きている。君を置いて逃げたから、ほぼ無傷だと。
彼に対して、言葉を偽ることは、さして意味がない。察してしまうのか、精霊たちが教えてしまうのか、この頃のエルメルアリアは嘘を見抜いてしまうところがあったからだ。だからせめて、なるべく声が鋭くならないように、気を付けた。
エルメルアリアは、目をいっぱいに見開いて、しばらく固まった。それから、さめざめと泣いた。思えば、久々に見る涙だった。
「……そう、ですか……。けがをしていないなら、よかった……」
泣きながら、彼は言った。
「でも……ああ……私は、二人の仲間に、なれなかった……みたいです……。おんなじ目線で、戦って、あげられなかった……。ごめんなさい……ごめんなさい。きっと君たちは……私のことばなど、聞きたくないと……思う、けど……」
今度は、クロードシャリスが愕然とする番だった。
エルメルアリアの言葉を、一切の誤解なくのみこむことは不可能だ。だが、自分なりに噛み砕いた。
きっと、エルメルアリアも、勘づいていたのだ。多くの精霊人が、意識的であれ無意識であれ、自分に〈銀星の主〉を重ねていることを。〈主〉となんの繋がりもない、ちょっと精霊に近いだけの精霊人でありながら、そうと見做されていないことを。
だから、彼なりに何とかしようとしていたのだろう。
〈主〉様と一緒だなんて、恐れ多い。私はみんなとおんなじなんですから。
クロ以外とも、少しずつお近づきになれるよう、がんばりましょう。
そう思って、本人なりに頑張った。
今回は、頑張りが報われなかった。
その結果が、今だ。
彼を裏切った二人は、おそらく当初、裏切ったつもりはなかったのだろう。『偉大なるお方』に怪しい奴らを何とかしてもらおうとした、それだけだ。
人間が精霊人や精霊へ抱く感情と、何も変わらない。
無自覚に捧げられる、清純で、身勝手な祈り。
それに翻弄されながら、同じ目線に立てなかったと泣く親友を見て、クロードシャリスは奥歯を噛んだ。煮え立つものをのみこんで、エルメルアリアに寄り添った。
二日後、動けないエルメルアリアに代わり、クロードシャリスが〈幽闇隧道〉の一件を報告しにいった。相手はもちろん〈主〉の側近をはじめとする、高官である。
クロードシャリスは、エルメルアリアから伝え聞いたことをそのまま報告した。
当然、お偉方の反応は、芳しくないどころの騒ぎではなかった。とんだ醜聞だ、大変なことだと苦々しく呟く者が多数。余計なことをしてくれた、と裏切り者を罵る声も多かった。そして――エルメルアリアに憤懣をぶつける声も、それなりにあった。
「エルメルアリアもエルメルアリアだ。あれだけの力を持ちながら、地下魔界のけだものに、してやられるとは」
「かような話が天外界に広まったら、どうなる。動揺で済めばよいほうだ。下手をすれば、〈主〉様の威光を穢すことにもなりかねんぞ」
クロードシャリスの中で、また、熱が渦巻いた。彼は、ひざまずいたまま口を開く。
「――では、筋書きを少々書き換えてはいかがでしょう?」
清らかな声が部屋を打つ。しん、と静まり返った。
そののち、〈主〉の側近がクロードシャリスを見る。
「どういうことだ、巡視官」
「そのままの意味でございます」
クロードシャリスは、しらじらしく続けた。
「起きてしまったことは、変えようがありません。しかし、どう伝えるかは、皆様次第です。今回の件について、外部に知らせる時は、よりましな筋書きを用意すればよい。例えば『調査隊は、〈幽闇隧道〉で邪悪なるものと遭遇した。しかし、〈天地の繋ぎ手〉がその力でもって邪悪なるものを追い払い、隧道を封印した』などといった具合に。これならば、〈天地の繋ぎ手〉の名も、〈主〉の威光も傷つかない」
部屋に、うめき声が流れる。高官たちはしかめっ面を見合わせていた。その中で、〈主〉の側近は淡々と続ける。
「どのような筋書きにするか、という点については、一度置いておくにせよ……提案自体には一考の価値がある」
「ありがとうございます」
クロードシャリスは低頭した。そうしながら、高官たちを冷ややかに観察していた。




