↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第十章 奪還と決別のオペレーション
188/229

168 不可逆の二人

 暗闇に、じわじわと貪られていた。


 くぐもって響くうなり声が、あるかどうかもわからない心臓を、執拗に突き刺してくる。


 今の時は、知らない。どこにいるのかも。エルメルアリアは、かたく冷たい地面に、うずくまっていた。


 あたりを観察することも試みたが、何度目かであきらめた。両腕は後ろ手に縛られている。身じろぎするたびに、細かな金属のこすれる音がする。指一本も動かせないよう工夫されているようで、不気味な執念を感じた。足は縛られてこそいないが、まともに動かせない。闇の矢を受けた方の痛みは引かず、もう一方は、後から『彼』に合流してきたミレティアレーデに折られた。


 ご丁寧に応急処置をされたのが、腹立たしい。


 だが、些末な心の火は、あっという間に吹き消された。


 暗闇と、閉塞感。何年経っても色あせない恐怖は、ここでもエルメルアリアの理性をかき乱した。いっそ気絶するか、感情が麻痺すればまだ楽なのだが、体がそれを許さない。ふいに打ち寄せる痛みによって意識は保たれ続け、生ぬるい虚無と恐怖の狭間を漂っていた。


 どこかで、獣がひときわ大きく吠える。エルメルアリアは激しくえずいた。すでに何度も嘔吐していて、出せるものなど残っていない。それでも体が反応する。皮肉にも、これのおかげで、一応まだ『人』なのだと実感できていた。


 獣たちが静まる。靴音が、近づく。白い手が、プラチナブロンドを撫でた。


「ああ、またやっちゃったね、エラ。ちょっと待って」


 エルメルアリアにとって、何よりもなじみ深い声がささやく。まるでお茶の準備でもするかのように呟いた『彼』は、慣れた手つきで水を呼び出した。汚れを洗い流す。それからしゃがんで、懐から取り出した手巾で、エルメルアリアの口もとをぬぐった。


 仕上げとばかりに、また頭をなでる。


「ごめんよ。魔物までは置かなくていいって、何度も釘を刺したんだけど……ツェレグヴルムが面白がって、呼び寄せたらしいんだ。機を見て、どかすよう言ってみる。まあでも、あいつのことだし、聞いてくれないかも」


 エルメルアリアは、その清流のごとき語りに、ただ耳を傾けていた。穏やかな日々が戻ってきたように錯覚しかけて……しかしすぐに「そうではない」と本能が騒ぎ立てる。


 契約者を攻撃された時点で、エルメルアリアにとって『彼』は、友であっても味方ではない。


「ミレイはミレイで、エラの喉まで潰そうとか言うし……彼らの感性は、なかなか理解が難しいよ」


 だが、『彼』は嘘をついていない。ミレティアレーデと『彼』の口論は、エルメルアリアもぼんやりと聞いていたのだ。喉に手を伸ばした彼女を、『彼』は「そこまでやったらいざという時に使えなくなる」などと言って止めていた。


 本音なのか、建前なのか。どこから、どこまでが。


 エルメルアリアは、もう何も、わからなくなっていた。


「……ク、ロ」


 結果として、唯一自由が守られた口を動かす。久方ぶりに、親友の愛称なまえを呼んだ。『彼』――クロードシャリスは、エルメルアリアを見やる。ほんの少し目を丸くしている気がするが、暗闇の中に見出した錯覚かもしれない。


「なんで、あいつらに、ついたんだ……? 里も、せかいも、大好き、なのに」


 問いを絞り出す。それだけで鼻がつんと痛んだが、泣くほどの元気はない。


 クロードシャリスは、目を伏せた。


「……『一緒に来てくれたら教える』って言ったもんね。言ったことは守らないとだ」


 そう言って、座る。エルメルアリアに背を向けて、膝を立てた。


 彼は再び、小さな精霊人(スピリヤ)の頭をなでる。ほとんど明かりのない部屋で、子守歌のように、語りだした。


「そう。確かに、天外界が大好きだった。〈群青の里〉のみんなも、大切だった。……ある時まではね」


 エルメルアリアは目をみはる。意志に反して、体が震えた。


「やっぱり……オレのせい……?」


 クロードシャリスはほほ笑んで、指で白金の髪をすくった。


「エラが責任を感じることはない。これは僕の問題だ」


 くるりと巻いて、戻す。戯れのようにそれを繰り返した。


「ミレイたちに力を貸すことにしたのは、単なる利害の一致だよ。僕には僕の目的がある」

「目的……」


 冷たさをはらんだ言葉を、エルメルアリアは繰り返す。その裏に隠れた問いを見透かしたのかどうか、クロードシャリスは戯れの手を止めて、親友を見た。


「……ただ、君と友達でいたいだけだったんだ。本当の意味での、友達になりたかった」


 エルメルアリアは、ゆっくりと目をしばたたいた。頭の中に薄い仕切りができたかのようだ。言葉がうまく入ってこない。


 クロードシャリスは、泣きそうに揺らぐ両目を閉じた。


「そのためには、今の世界では、だめなんだ。だから、世界を変えるために、ミレイたちと手を組むことにした。……もう言っちゃってもいいよね。隠す意味もないだろうし」


 最後、おどけたように呟いた彼は、(まぶた)を持ち上げて続ける。


「ミレイたちの目的は『世界をひとつにすること』。世界の境目の仕組みを解き明かし、事故なく他世界へ渡れるようにする。人間も、精霊人も、魔物も、水妖族も、雲上にて眠る古き竜すらも、自由自在に行き来できる世界。それが理想らしい。〈穴〉は理想への第一歩、というわけさ」


「そんなこと、したら――」

「うん。強力な天外界の魔物が無力な人間を食らい尽くすとか、逆に人間が他種族を狩るとか、そういうことも起きるだろうね。けど、ミレイたちは、大して気にしていない」


 さらりと語られた内容に、エルメルアリアは愕然とした。彼が何も言えないでいるうちに、クロードシャリスは熱っぽく続ける。


「もしそんな世界が現実になったら。〈銀星(ぎんせい)(あるじ)〉の権威も役割も、がらりと変わると思わない?」


 エルメルアリアはぶるりと震えた。体の中心を太い氷柱で貫かれたかのようだった。動いた拍子に走った痛みが、辛うじて彼を現実につなぎとめる。その上に、声が生ぬるい雨のように降り注いだ。


「精霊人たちに刻まれた信仰は、ほとんど無意味になる。そうなれば……エラは、〈主〉の投影から逃れられる。もう、頑張って()()なくてもよくなるんだよ」


 ひゅっと、息をのんだ。それが自分の立てた音だと、エルメルアリアは数秒遅れて気が付いた。頭を無理やり動かして、あどけなく笑う親友を見上げる。弱みを見せてはいけない、という理性の声に反して、顔がくしゃりと歪んだ。


「ごめん、なさ――」

「さっきも言ったけど、エラの責任じゃない」


 クロードシャリスは、謝罪をやんわりとさえぎった。振り返って、小さな親友に顔を近づける。


「僕の方こそごめんね、エラ。君のつらい決断を、心から応援できなくて」


 泣きそうなささやきを残して、彼は去っていった。


 エルメルアリアは、その姿を見ていることしかできない。銀と青が暗闇に溶けて、魔力の名残すら消え去ると、彼はかたい地面に突っ伏した。両腕が自由なら、頭を抱えていたところだ。


 歯を食いしばる。目を閉じる。やはり、涙は出なかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
うわぁああああああ!私の中の【クロさん好感度】がプラスとマイナスをものすごい勢いで行き来してます(; ゜Д゜) クロさんの目的が明らかになってビックリ!私利私欲でも怨みを晴らすでもなかった(; ゜Д゜…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。