166 杖の交わり
三日後。今日は学校が休みなので、ヒワとロレンスは朝早くから郊外の緑地に来ていた。むろん、フラムリーヴェも一緒だ。
低い声で話し合っているうちに、ノクスとゼンドラングもやってきた。快活に挨拶する精霊人と、いつも通りどこかいらいらしている青年。彼が契約相手のもとを離れ、杖を抜くと、ヒワたちも気を引き締めた。
いつも通り、対峙する。
最初にヒワが押しかけてから十日近く経過しているが、ノクスは再び押しかけずともここへ来る。厳しいことを言い、不機嫌を隠そうとしないながらも、匙は投げないのだ。その理由は、ヒワにはわからない。ただ、付き合ってもらえているうちは、全力でそれに応えるのみである。
三つの貴石が朝日にきらめく。誰からともなく息を吸う。
今日の戦いもやはり、合図なしに始まった。
「――『レヴレム』」
「『光華の砦、ここに建て』!」
ノクスとヒワの詠唱が、ほとんど重なった。ノクスがわずかに目をみはる。対してヒワは、雷撃が結界にぶつかると同時、ロレンスに目配せした。ロレンスは、すぐさま駆け出す。
「『イロ』『フラーネ』」
ノクスは欠片も動じず杖を振る。魔力の糸がヒワとロレンスの方にそれぞれ伸びて、そこに炎が乗った。そんな使い方があるのかと瞠目しつつ、ヒワは結界で炎の糸を防ぎ切る。
一方のロレンスも、走りながら杖を向けた。
「『ウィスカラ・ゼスタ』――」
水の刃が糸を裂く。瞬間、杖を右下から左上に、大きく振った。
「――『フィエルタ・ネスフィ』」
霧が広がる。それも、ただの霧ではない。ぼんやりと光を帯びていて、包み込んだ草木の姿をひととき歪めた。
ノクスはひとつ舌打ちして、視線をヒワの方へ向ける。当面の標的が自分になったことを察して、ヒワは小さく息をのんだ。
特訓を重ねる中で、ヒワとロレンスは何度も話し合い、戦法を微妙に変えてきた。そして、ふたつの決め事をした。
ひとつ、正々堂々戦わないこと。
ひとつ、霊薬を使わないこと。
低い声が、静寂を揺らす。
「『ミーレル』」
「『バム・バム』!」
ノクスが放った光弾を、魔力の爆発がのみこむ。それと同時、ヒワは駆け出した。体力のあるノクスにどこまで対抗できるかはわからない。それでも、全力は尽くすつもりだ。
うっすらと漂う煙の中を駆け、対戦相手の側面に出る。杖を杵のように振り上げ、下ろした。
「『精霊の息吹よ、示す大地を斑に穿て』!」
一瞬、若草色の貴石が星のように輝く。
次の時、無色の雨が二人の間に降り注いだ。静かな緑地の一角が、蜂の巣のごとき荒野へと変貌する。ノクスの足もとを悪くするためではあるが、それだけでもない。――そもそも、精霊指揮士相手にこのような小細工はさほど意味がない。
「『ルフ』――『フラーネ』『レヴレム』!」
煙が晴れ、赤と青の光が飛び出す。
「『光華の砦、ここに建て』!」
ヒワはとっさに結界を張った。雷撃と炎の雨がそれを揺さぶる。ヒワは、片足をじりりと引いて、ずらした。結界が軋みはじめると、また走り出す。硝子の砕け散るような音が耳を突いた。
それと同時、彼女の感覚が、ほんのかすかな魔力の動きを捉える。ヒワはちらりと唇を持ち上げ、冷然と杖を構える青年を振り返った。
ロレンスは上手くやった。――本番はここからだ。
「『ポド』!」
「『フィエルタ・アーハ』!」
虹色の弾丸が飛ぶ。結界で防ぐ。ヒワは、できるだけ足を止めない。ノクスが杖をぴたりと止めたままであるのを見て、次の手を予測した。
「『バム・バム』!」
予測通りである。ヒワは、相手の詠唱が終わるより早く、杖を高く掲げ、回した。
「『大気の龍よ、喰らえ』!」
結界にぶつかった弾丸が、その場で爆発する。だがそれを、巨大な竜巻がのみこんだ。自然の竜巻と違い、『大気の龍』は一瞬で消える。ノクスが大きく息を吸った。ヒワはまた、身構えた。――岩か土が、来る。
「『グロート』!」
「『あからしま風、吹き散らせ』!」
穴だらけの大地がめりめりとめくれ、その欠片がヒワのもとへ殺到した。暴風がそれを吹き飛ばす。しかしノクスは動じず、その場で小刻みに杖を振った。
「『ザクル・ザクル』」
「――っ!『フィエルタ・アーハ』!」
ヒワは反射的に詠唱する。彼女を覆った輝きの砦は、しかし降り注いだ砂塵にあっさりと砕かれた。よりにもよって今回、脆い結界が出てしまったのだ。
「『フィエルタ・アーハ』」
ヒワがどきりとした瞬間、ほんのかすかな詠唱が、別方向から届く。再び結界が現れ、今度は砕けた石の雨を防ぎ切った。
「見習い、そっちか――」
ノクスの瞳がきろりと動く。
ヒワは、共闘者に心から感謝した。口に出す代わりに、杖を掲げる。
「『閃光、弾けろ』!」
光が天地を埋め尽くす。かすかなうめき声が響く。目をつぶったヒワは、寸暇をおかず息を吸った。
「『ヒエサ・ルフ』!」
「『フィエルタ・アーハ』『フラーネ』『ドルファーダ』!」
ノクスの意識が『伏兵』へ向く前に、指揮術をばらまいた。しかし彼はそれすらしのぎ切る。ただ自分を守るためだけではなく、二人への攻撃も込みだ。感嘆はするが、のまれている場合でもない。ヒワは暴風になぶられる髪をそのままに、歯を食いしばった。
「『精霊の息吹よ』――『散れ』!」
叫びに、ノクスが目をみはる。風が渦巻く。竜巻の暴風とは違う、大きくかき混ぜるような、うねり。それに煽られてか、ノクスの体が初めて揺らいだ。
ノクスは踏みとどまろうとする。草地を踏みしめようとした左足が、ずむりと沈んだ。最初にヒワが穿った穴に嵌まったのだ。大きく沈み込むほどの穴ではなく、石畳にできる段差程度のものである。ノクスは眉をひそめたが、すぐに足を上げようとした。
――ヒワたちは、その瞬間を待っていたのだ。
「『グラッカ・コード』」
凪いだ少年の声が、詠唱する。穴ぼこから土がせり上がり、ノクスの足もとを固めた。思いがけない形で拘束された青年は、足にまとわりつく土を見る。時間にして、一秒ほど。しかし、今までで最大の隙だった。
「『フラーネ・ファラック』!」
ヒワはあえて大声で詠唱する。想定より強い炎がノクスに迫った。
「『カルヤ』!」
もちろん、彼が黙って燃やされるわけもない。氷雪の指揮術で相殺した。
雪が水となり、湯気が噴きあがる――
「『風の針よ、貫け』!」
――よりも早く、ヒワは詠唱を繋いだ。噴き出した湯気を突き抜けた風が、青年の頬をかすめる。
ノクスの杖が、少女の眉間を捉えた。ヒワは、杖をぴたりと固定する。
青年の足を覆う土が、崩れる。
互いの杖が、互いの急所を狙ったまま、無音の時が流れた。
「――そこまで!」
空隙に、女性の声が割り込む。フラムリーヴェが凛然と、そしてどこか嬉しそうに立っていた。
誰からともなく、息を吐く。ヒワもまた、吐息と共に杖を下ろした。肩ががちがちにこわばっていたと、初めて自覚する。
ヒワから一拍遅れて、ノクスも杖を下ろした。頬には赤い線が一本引かれていて、そこから血が流れ落ちている。彼はそれを拳でぬぐうと、地面のへこみを避けながらヒワとの距離を詰めた。
「……あのまま同時に詠唱してたら、てめえら二人とも死んでたぞ」
「……そうですね」
ヒワは、うなずいた。
姿勢を正す。そんなヒワを見るノクスのまなざしが、ほんの少し、やわらかくなった。
「けど、今回はそっちの勝ちだ。そういう条件だからな」
頬の傷を指さして、彼は言う。あまりにもあっさりしていたので、ヒワは呆気に取られてしまった。ノクスは途端に眉を吊り上げ、彼女の肩を小突く。
「いたっ」
「勝ちだっつってんだろ。おら、喜べ」
「なんですか、その強要……」
ヒワが目をすがめると、ノクスはさらに小突いてきた。
「同じだけ動ければ、あの巡視官からもちったぁ逃げれるだろ。お、な、じ、だ、け、動ければな!」
「ぐぬ……やってやりますよ! やらなきゃ死ぬか捕まるかですし!」
「わかってんじゃねえか。せいぜい頑張れよ」
二人が騒がしくやり取りしていたからか、ロレンスが木陰からまろび出てくる。
「ええと、特訓終了ってことでいいんでしょうか……?」
「そーだよ。つか、なんで大して動いてねえくせにへろへろなんだ、てめえは。もやし。のろま」
「ひどい……ノクスさんから隠れて時機を見計らうの、すごく緊張したんですけど……」
「精霊人戦はこんなもんじゃねえぞ。死ぬなよのろま」
ノクスは、けっ、とそっぽを向く。ロレンスは、しょんぼりと返事をした後、ヒワを見た。視線がぶつかる。
何はともあれ、終了だ。二人は背筋を伸ばした。
「ありがとうございました!」
ノクスは、何も言わない。だが、ややぎこちない古式礼を返した。
はたで見ていた精霊人たちが歩み寄ってくる。ゼンドラングは、穴ぼこだらけの大地を涼しい顔で修復した後、ノクスの頭をばしばし叩いた。
「よい戦いだったぞ! 今回は一本取られたな!」
「見習い共の頭がやっと回るようになってよかったよ」
「がははは! おぬしがそれを言うか!」
騒がしい二人を横目に、フラムリーヴェはヒワとロレンスに一礼する。
「お疲れ様でした。攪乱に重点を置き、一撃必殺で決める戦法……お見事でした」
「ありがとうございます」
ヒワは、はにかみつつお辞儀をする。ロレンスも「ありがと」とほほ笑んだ。ふっと笑ったフラムリーヴェは、それから首をかしげる。
「ところで……なぜ、今回は霊薬を使わなかったのですか?」
「ああ。意味がないからだよ」
ロレンスはあっけらかんと言う。「意味がない?」と復唱した契約相手に、いつもの眠そうな顔を向けた。
「ノクスさん相手に妨害目的の霊薬をばらまいても、いなされるか逆用されるだけだ。余計な隙もできる。なら、無理に使わない方がいい――ヒワと二人で話し合って、そういう結論に至った」
「ふむ。なんとなくですが、言いたいことはわかります」
「精霊人だって、多分同じでしょう? まして、今回俺たちが想定している敵は――水と親しい精霊人だ」
「なるほど、確かに。いつかのように操った薬を、こちらに向けてくる可能性もありますね」
ヒワとロレンスは、戦乙女の言葉にうなずいた。
そのとき、彼女の背後から、ひょっこりと少女たちが顔を出す。
「へええ、そんなことまで考えて戦ってたの? 知らない間にえらい変わりようだわ」
「本当にね! 最初から観戦したかったわ!」
「シルヴィー!? カティも!?」
突然声をかけられて、ヒワは飛び上がってしまった。ロレンスも隣で固まっている。
「いつからいたの……」
「んー? すんごい爆発音がしたあたりから」
「心当たりが多すぎてわからない」
ロレンスは、幼馴染の言動に頭を抱える。一方のヒワとフラムリーヴェは、傘を差したカトリーヌを見た。
「それにしても……カティ様は、リリたちを手伝っていたのではありませんでしたか」
「そうそう! そのことで、みんなにお知らせがあって来たのよ!」
ヒワは思わず前のめりになる。明るい声に惹きつけられたのか、じゃれ合っていたノクスとゼンドラングも近寄ってきた。
カトリーヌは、それを一瞥して、告げる。
「エラちゃんの居場所、ほぼ特定できたそうよ!」
最初の答えは、沈黙だった。だが、それは確かに、歓喜の熱をはらんでいた。
ヒワは息を詰める。フラムリーヴェは姿勢を正す。ロレンスは「本当に?」と声を弾ませ、カトリーヌがうなずいた。ノクスは――にやりと笑う。
「やり方変えたら、早かったな」
「そうだな。詳しい話を聞きたいところだ。リリたちは……娘っ子の家か?」
ゼンドラングが、きらきらした目でシルヴィーを見下ろした。先日までローザ邸の留守を預かっていた少女は、得意げにうなずく。
「はい。うちの料理人が食事も用意してくれてますんで、ぜひ食べながら作戦会議してください」
「へえ、気が利くじゃねえか」
ノクスが目を光らせる。狼のような眼光に、しかしシルヴィーはまったくひるまない。それどころか、誇らしげに笑った。
「あ、両親帰ってきましたけど、見ないふりしてくれてる上に、今仕事中なんで。気にしなくて大丈夫ですよ」
「今さらだけどさ。お二人って、ほんとに仕事してない時あるの?」
「めちゃくちゃあるよ」
ロレンスが、顔を引きつらせる。そうしている間にもシルヴィーは身をひるがえし、「さあさ、行きましょー!」と呼びかけた。ヒワとロレンス以外は、さっさとそれに従って歩き出す。
「ヒワ、ロレンス!」
不機嫌そうな声が、彼らを呼んだ。
立ち尽くしていたヒワたちは、はっとそちらを見る。最後尾にいたノクスが、雑に手招きした。
「ぼさっとすんな。行くぞ」
ヒワたちは、面食らう。だが、驚きの表情はじわじわと笑顔に変わっていった。
「――はい!」
明るい返事が天を鳴らす。ヒワとロレンスは、杖を収めて駆け出した。




