164 容赦のない人
それから数日、ヒワとロレンスはノクスと手加減なしの試合を行った。学校があるので、放課後、宿題などが落ち着いた後に、一戦交える形だ。
結果は、清々しいまでの連敗である。
「だめだ……。一撃入れるどころか……接近できない……隙がない……」
仰向けに倒れたロレンスが、半泣きでうめく。隣で呼吸を整えていたヒワも、ぐったりとうなずいた。全身を苛む種々の痛みが、彼らを地面に縫い付けている。
「隙を作れたと思っても、すぐ対応されちゃうんだよなあ。ノクスさんにしてみれば『わたしたちが遅い』んだろうけど」
ノクスは詠唱を最低限にしている分、手数が多い。ヒワたちは、指揮術の嵐に翻弄されることがほとんどだ。
ならば隙を作ろうと、目くらましなどを仕掛けても、魔力の動きで察知される。
さらに、杖や詠唱を封じてもあまり意味がない。相手は徒手でも戦えるすべを持っているからだ。その分野でヒワやロレンスに勝ち目はない。
ヒワは、これまでの特訓を思い出して顔をしかめる。隣で、ロレンスが気だるそうに起き上がった。
「今回の作戦は、いい感じだと思ったんだけどなあ」
頬をかいた彼に向かって、ヒワはうなずく。
二人も、無策で突っ込んでいるわけではない。
ロレンスはヒワの補助に徹する。これを基本として、遠距離攻撃で攻めてみたり、指揮術で罠を作ってみたりと、試行錯誤を繰り返した。
――結果は、お察しの通りだ。術の撃ち合いは押し負ける。罠はかわされるか粉砕される。術で動きを鈍らせようとしても、やはり押し負ける。目標の『一撃』は、二人にとってあまりにも遠かった。
「あの人、多分カティと歳変わらないよな……? どういう生活してるんだろう……」
ロレンスのぼやきに、ヒワは苦笑する。答えに困っていると、頭に何かが触れた。見上げれば、悪戯っぽい女性の顔が目に入る。
「二人とも、お疲れ」
「ヘルミさん」
「近くで面白いもの売ってたんだけどさ。食べる?」
少年少女をのぞきこんだヘルミが、茶色いかたまりを差し出してくる。包装紙にくるまれた、丸い物体だ。二人はいぶかりながらも受け取って、紙をがさがさ言わせながら剥がした。
現れたのは、球状に整えられたクレープ生地。中から焼き肉を思わせる香りが漂ってきて、ヒワの鼻孔と腹の虫を刺激した。お腹の小さな主張を聞き取って、さっとうつむく。
「い、いただきます……」
図らずも、ロレンスと声が揃った。ヘルミは「どうぞどうぞ」と言いながら、二人のそばに腰を下ろす。
甘辛ソースが絡んだ肉と葉物野菜のクレープ包みを、しばし黙々と食べる。最後の一口を食べたところで、ヒワはヘルミを見上げた。その拍子に、彼女がふっと笑う。
「ついてる」
あまりに自然な所作で、ヒワの口もとをぬぐった。
「ひゃ、すみません」
ヒワはうろたえて、手元の包装紙をぐしゃりと握る。それでも、ヘルミの指が離れると、訊きたかったことを口にした。
「あの……調査の方は、どうですか?」
「申し訳ないけど、成果なしだねえ」
ヘルミはひょいと肩をすくめる。その顔には、ほろ苦い笑みが浮かんでいた。ヒワは「そうですか」と答えて、うつむく。
ヒワたちがノクスにしごかれている間、ヘルミやカトリーヌはエルメルアリアたちの行方を探っていた。しかし、事が事だ。あまり大っぴらに触れ回るわけにはいかない。信用できる知り合いに、それとなく「精霊人らしき人物を目撃していないか」「大きな魔力の変動はないか」と尋ねるか、出来る限りの魔力感知を試みるのが精いっぱいだった。
アルクス、レグン、ヒューゲルの協会支部長には今回の件を報告済みだ。だが、情報提供はまだない。
「リリの魔力感知も、これ以上範囲を広げられないみたいだしね」
疲れたように語るヘルミを、ロレンスがじっと見つめる。
「……制限は、解いてないんですか?」
「一回だけ解いたよ」
ヘルミは、あっけらかんと答えた。
「大陸西岸からセレル山脈あたりまでを探ってみた。だけど、エルメルアリアの魔力も、クロードシャリスさんの魔力も拾えなかったって」
「ってことは、内界にはいないってことだよね。やっぱり……」
ヒワは、くしゃくしゃの包装紙を見つめて呟く。ヘルミが、自分のぶんの包装紙を丁寧に折りたたみながら「どうだろうねえ」と返した。
「マールさんが水底界に連絡してくれたらしいから、当面はそっちからの連絡待ちかな」
彼女の声に、いつもほどの張りはない。ヒワとロレンスも、続ける言葉を見失って、うつむいた。
それから少しして、ヒワはロレンスと別れた。どういうわけか、ヘルミはヒワの方についてくる。最初はどちらも無言だったが、やがてヘルミが口を開いた。
「そういえば、ヒワに訊いてみたいことがあったんだよね」
「なんですか?」
唐突な言葉に、ヒワは首をかしげる。ヘルミは、穏やかな表情で彼女を見下ろした。
「なんで、ノクスに特訓を頼んだの?」
ヒワは面食らって、ひととき黙り込む。ゆっくりと『あの日』のことを思い返して、頬をかいた。
「……正直、売り言葉に買い言葉、というか……かっとなった勢い、だった部分もあります」
「あ、やっぱり?」
ヘルミは、乾いた笑声をこぼす。ヒワも同じように苦笑した。
「でも、ほかにも理由はあって」
「へえ、なになに?」
ヘルミは紺藍の髪をかき上げ、愉快そうに顔を近づける。ヒワはたじろぎ、迷ったが、ほどなく意を決した。――きっと、彼女ならばわかってくれるだろう。
「みなさんの中で、ノクスさんが一番、速くて容赦がないだろうって思ったから……です」
ヘルミが目を丸くする。一瞬の空白に、町の喧騒が侵食してきた。
「速い?」
「ああえっと……体感、といいますか……手数が多い、って言った方がいいですかね」
「そういうこと」
ヒワが補足すると、ヘルミは指を鳴らした。
「確かに、ノクスの術は『速い』ね。精霊人との戦闘を、人間で再現するなら、あいつが適任だわ。ってか、あいつにしかできない」
「ですよね」
ヒワは、力強くうなずいた。
精霊人はほとんどの場合、詠唱を必要としない。手指の動きや声ひとつで、時にはそれすら用いず指揮術を発動する。そんな相手との戦闘を想定した訓練は、人間同士では難しい。それこそ、詠唱を極限まで圧縮するような精霊指揮士でもなければ。
「でも、それなら精霊人たちに頼むっていう手もあったんじゃない?」
ヘルミが、丸めた包装紙を折ったり結んだりしながら尋ねる。ヒワは「それも考えました」とうなずいた。
「でも、フラムリーヴェさんもリリさんも、手加減してくれそうじゃないですか。ゼンさんは……クロさんと戦い方が違いすぎるし」
「ははーん。それで『容赦がない』人に、ね」
包装紙を鳥かリボンのようにしたヘルミは、それをコートのポケットにねじこむ。
「カティでもなく、アタシらでもなく、ノクスに行ったのも、そういう理由か。納得」
からかい交じりの言葉に、ヒワの胸がどきりと鳴った。慌てて、顔の前で手を振る。
「あ……すみません! ヘルミさんたちを信頼していないわけじゃないんです」
むしろ、彼女やカトリーヌなら、丁寧に指導してくれるだろう。だが――今回は、それではだめなのだ。少なくとも、あの日のヒワは、そう思った。
ヘルミは、そんな少女の思考を読んだかのように、片目をつぶる。
「わかってる、わかってる。怒ってるわけじゃないよ。訊いたのだって、興味本位だし」
「は、はあ……」
「むしろ、いい人選だと思う」
両手に吐息を吹きかけながら、ヘルミはほほ笑んだ。
「アタシが知ってる精霊指揮士の中で、精霊人と正面切って渡り合えるのなんて、エリゼオ卿かノクスくらいだと思うよ。クロードシャリスさんを相手取るつもりなら、あいつくらいは負かせるようにならなきゃね」
最後の一言に、ヒワは顔を引きつらせる。
「今まさに、連敗記録を更新中ですけどね……」
「そりゃそうだ。簡単に勝てる相手じゃないよ」
ヘルミは爽やかに笑って、ヒワの肩を叩いた。
「ま、がんばれ」
「うー……。ヘルミさんなら、どう立ち回ります?」
しょぼくれたヒワは、ちょっとした反抗のつもりで、遠い先輩に尋ねた。彼女は、形の良い顎をつまむ。
「そうだねえ。あの坊ちゃん、割と力押しだから……あの弾幕みたいな指揮術から逃げ回りつつ背後を取って、霧か魔力攪拌で隙を作る。んで、水で口を一瞬ふさぐか、手足を凍らすかして、一本……ってとこかなあ。通用するかは、実際戦ってみないと、わかんないけど」
「えげつない上に、再現難しすぎる……」
それでもヒワは、ヘルミの言葉を頭に刻んだ。家に帰ったら何かに書き留めよう、と決める。
そのとき、二人の眼前がまだらに歪んだ。雫が揺らめく。雨だろうか、とヒワは思ったが、すぐに違うと気づいた。雨水ならば、空中にとどまりはしない。
雫は泡となり、石畳と空の狭間でぽこぽこと立ち昇る。一瞬後、その内から小さな人魚が現れた。泡が消えると、人魚は鮮やかな青色の髪を払う。
「ふう。やっぱり、ヘルミさんは辿りやすいわ」
清々しく笑う彼女の前で、ヒワたちは目を丸くする。
「マールさん!?」
「いきなりごめんなさいね。お二人とも」
「どうしたの? 緊急事態?」
ぎょっと後ずさったヒワをなだめつつ、ヘルミが尋ねた。マーリナ・ルテリアは、清廉にほほ笑む。
「ステアルティードさんが、みなさんとお話したいと仰っているの。来てくださると嬉しいわ」




