163 ノクス流の特訓
『交渉』が成立してすぐ、ノクスは伝霊を飛ばした。
一行はすぐ、場所を移る。人の出入りがある公園から、人がほとんど来ない郊外の緑地へ。
ノクスは、気が立った猛犬のような空気を漂わせている。ヒワは鼓動が速くなっていることに気づきつつも、唇を引き結び、目もとに力を込める。臆していると思われては、いけない。
そこへ、ロレンスとフラムリーヴェがやってきた。ひりついた空気を察した少年は、挨拶を三分の二程度言えぬまま、後ずさる。
「こ……これは、なにごと……?」
「見習い。そこ、立て」
ノクスは、ヒワの右隣を杖で示す。ロレンスは困惑極まって目を回しているが、見えない力に押されるようにして、ふらふらと指定の位置まできた。
ヒワは思わず挙手する。
「あの。これはあくまでわたしのお願いなので、ロレンスは関係ないと思います」
「知るか」
青年は、ヒワのもっともな主張を一言で粉砕する。唖然としている後輩たちをねめつけた。
「俺から見りゃあ、てめえら二人とも『お荷物』なんだよ。あの巡視官に喧嘩売るつもりなら、『いねえよりまし』になってもらわねえと困る」
彼の体からにじみ出る炎のような威圧感は、つくりものか、本心が表れたものか。少年少女には判断がつかない。少なくとも、ロレンスは心底おびえていた。
「……どういう展開?」
「……これはどういうことですか、ヘルミ様?」
契約者と、遠くに立つ精霊人の問いが重なった。ヒワとヘルミが、それぞれの場所でそれぞれの相手に説明する。
ヒワの話を聞いたロレンスは、雨に濡れた犬のような表情で頬をかいた。
「つまり……巻き添え?」
「なんか、ごめん。本当に、そんなつもりじゃなかったんだけど」
ヒワは顔の前で両手を合わせ、精いっぱい謝罪の意を示す。ロレンスは、少しの間視線をうろつかせていたが、髪をかき混ぜてから、杖に指をかけた。
「まあ、俺たちもエルメルアリアの場所が特定できたら、乗り込むつもりでいたしね。フラムリーヴェの足手まといになるのは、確かに嫌だし」
「ロレンス……」
ヒワが名を呼ぶと、少年はくっと顔を上げて、しかめっ面の青年を見据えた。
「ついでのついでで。よろしくお願いします」
――まっすぐな挨拶に、ノクスは鋭い舌打ちを返す。少し離れた木の下で、戦乙女が、自分の体を縛するように腕を組んだ。
こうして、ノクスがヒワとロレンスをしごくこととなる。彼流の特訓の内容は、単純であった。――二対一で、戦う。試合の範囲で、手加減なし。指揮術はもちろん、霊薬の使用もありだ。
ヒワかロレンスが、ノクスに一撃でも入れることができれば、二人の勝ち。『体を明確に傷つける攻撃』のみを一撃と判定する。勝利条件であると同時、二人に課せられた目標でもあった。
はじめての特訓は、何の合図もなしに始まった。いきなりノクスが複数の詠唱を連ねる。指揮術の雷撃と、光線と、地鳴りが二人を襲った。ヒワは、どうにかこうにか動き出す。一度木立に逃げ込み、できる限り身を低くして走った。
ノクスは、とにかく詠唱が短い。捕捉されれば終わりだ。そう考えて、死角からの攻撃を試みた。
「『石の剣よ』――」
「『ドルファーダ』」
しかし、難なく対処されてしまう。
ヒワが暴風にあおられて後ろ向きに転んだ瞬間、ノクスのそばで魔力が弾けた。
「『バム・バム』!」
爆発。ノクスは眉ひとつ動かさず飛びのき、煙を裂くように杖を振った。
「『ルフ』!」
爆炎と煙を風が払う。その風に流された遊色の雫の群れが、ノクスを取り巻いた。彼の杖の握りに嵌めこまれた石が奇妙に明滅し、杖がひとりでに震え出す。ノクスが舌打ちすると同時、ロレンスがくるりと杖を回した。
「『レーネン・レーネン・ニュール』――」
「『グロート』!」
しかし、ノクスもすぐ動く。ロレンスが詠唱している間に身を屈め、杖で地面を叩いた。どう、と彼のまわりの地面が鳴動する。次の時、遊色の雫が一斉に散った。石の刃に貫かれたわけではない。風に散らされたわけでもない。見た目上は、ひとりでに。
だがロレンスは、自分の魔力と霊薬が、大地の魔力に『押し潰された』のだと理解した。
「そんなのありか……!?」
ロレンスは顔を引きつらせつつ、後退する。素朴な木の杖が、彼の鼻先を捉えた。
「『レヴレム』」
「『光華の砦、ここに建て』!」
雷撃が迸る。輝きの砦が、それを阻む。ロレンスが目をみはり、ノクスが即座に振り返った。そろりそろりと移動していたヒワと、彼の視線がぶつかった。
「『バム・バム』!」
ひゅうっ、と杖が風を切る。爆発は、ヒワから数歩分ほど離れた場所で起きた。それでも爆風に巻き込まれ、すぐ後ろの茂みに叩きつけられる。枝が体を打ち、葉が皮膚をひっかいた。ヒワは痛みにうめきつつも、無理やり体を起こす。枝葉を払いのけたとき、ロレンスの杖の周囲に魔力が集まった。
「ヒワ!」
「他人の心配する前に、てめえの心配しとけよ」
指揮術が発動するより早く、ノクスが動く。ヒワには何が起きたのかわからなかった。ノクスとロレンスの距離が縮まって、次の瞬間にはロレンスの杖が跳ね飛ばされていた。本人も、目と口を力なく開いて手首を押さえている。
ノクスは少年に一瞥もくれず、身をひるがえした。座り込んだままのヒワに、杖を突きつける。
「おら、どうした? もうおしまいか? 精霊人に守ってもらわなきゃ何もできねえ、素人以下の愚図がよ」
低い声は容赦なく、少年少女の胸をえぐる。だが、今の彼らにとってそれは、冷水ではなく燃料だ。
ヒワは、ざらりとした頬をぬぐって膝立ちになる。
「……終わりだなんて、一言も言ってませんよ……!」
――速く、速く。心のうちで唱えながら、杖を持ち上げた。
「『あからしま風、押し返せ』!」
ノクスが目を丸くする。若草色の石を起点に、風が吹き荒れた。
――結局のところ、この一撃もいなされてしまう。二人揃って文字通り完膚なきまでに叩きのめされ、ヘルミが制止する頃には、ぜえぜえと息をしながら草地に転がっていた。
ヒワは懸命に空気を取り込みながら、友人の様子をうかがう。泥だらけだった。さすがに血が出るほどの怪我はしていないが、腕や頬が点々と腫れている。おそらく自分も似たようなものだろう、と天を仰いだ。
そんな彼女のかたわらに、影が立ち現れる。榛色が、見下ろしていた。ヒワは、狼みたいだなあ、などと思った。
「話になんねえな」
ノクスは、無味乾燥に吐き捨てる。
「甘い。詠唱も、術の撃ち方も甘い。殺す気で来いよ」
「こ、殺すって……」
物騒な言葉に、ヒワは頬を引きつらせる。しかしノクスは、挑戦的な表情で胸を叩いた。
「いいか。素人に毛が生えた新米なんだよ、てめえは。相手を殺す気でなきゃ、精霊人と喧嘩なんざできねえぞ」
痛いところを突かれて、ヒワは唇を引き結ぶ。「やってみます」と答えを絞り出すと、ノクスは舌打ちした。だが、罵倒はせず、よそを見る。
「フラムリーヴェ」
「……なんでしょうか」
「あの巡視官、天地内界に来たことあんのか?」
ノクスが尋ねると、フラムリーヴェは困ったように「どうでしょう」と言った。
「私は、彼のことをそこまで存じ上げませんので、なんとも言えません。ただ、巡視官の仕事は天外界を巡ることです。我々ほど、内界へ出た経験は多くないかと」
「……隙があるとしたら、そこか」
ノクスはぼそりと呟いて、ヒワを一瞥する。ヒワは目を丸くして、そうっと体を起こした。
「どういうことですか? 隙、って?」
「説明だりぃ。てめえで考えろ。似たような話はヒューゲルでした」
にべもない。二の句が継げないヒワをよそに、ノクスはさっさと背を向けた。大股で歩いたのち、寝そべって力尽きているロレンスの肩を蹴る。力はまったく入っていなかったが、フラムリーヴェは眉をひそめていた。
そんなことは知る由もないノクスが、少年を小突きつづける。ロレンスはめそめそしながらも起き上がった。
「てめえはさすがに、新米よりはましだな」
「えっと……どう、も……?」
「術はましだけど、喧嘩が下手すぎ」
流れるような駄目だしに、ロレンスは言葉を詰まらせる。ノクスは少し、目を泳がせた。
「つーか喧嘩向いてねえな、てめえ。……精霊人の前に立たせて、まじで大丈夫か……?」
後半のささやきには、珍しく不安の色がにじんでいる。縮こまっているロレンスが、ヒワに救いを求める視線を向けてきた。だが、ヒワも小さくなることしかできない。
ふいに、太鼓に似た音が響いた。それは一拍ごとに近づいてくる。果たして、大きな影が現れた。
「おう! 全員ここにおったか!」
褐色肌の偉丈夫――ゼンドラングが、気軽に手を挙げた。彼のそばには二人の少女がいる。
「やたら精霊共がはしゃいでおるので、何事かと思って来てみたが……どういう状況だ、これは?」
ゼンドラングは、その場をぐるりと見回して、首をかしげる。そばにいたフラムリーヴェが苦々しそうに口を開いた。
「色々あったようで……正直、私も状況をのみこめていませんが……」
「そうなのか? まあ、喧嘩や恐喝でなければなんでもよいが」
「おいゼン。契約者をなんだと思ってやがる」
ノクスがすかさず噛みつくが、契約相手は豪快に笑って受け流す。
黙って成り行きを見守っていたヘルミが、苦笑した。
「ゼンさんこそ、どうしたの? 両手に花じゃないか」
「途中で出会ったので、連れてきた!」
ゼンドラングは爽やかな笑顔で言い切る。二人の少女のうちの一人、カトリーヌ・フィオローネが、桜色の傘を傾けて手を振った。その様子を見たもう一人の少女が、若干頬を引きつらせる。
ヒワは、その少女――自分の姉を見て、首をかしげた。
「カティはともかく、コノメはどうしたの?」
「どうしたも何も。どっかの誰かが朝早くに出てって、なかなか帰ってこないから、探してたんだけど」
「あ、ごめん……? でも、探されるような時間ではないと思うんだけど……」
「そうだけど。最近のヒワ、気が付いたら樹海にでも行ってそうな雰囲気あったからさ。お母さんが若干動揺してて」
淡々としたコノメの発言に、その場の全員が――ノクスすらも――顔をこわばらせる。ヒワは思わず、自分の頬をぺたぺたと触った。
「……え。わたし、そんなやばい空気出してた?」
「出してた」
さっぱりとした断言に、ヒワは返す言葉を見つけられない。杖を抱いてうなだれる。色々落ち着いたら母に謝らなければ、と心に刻んだ。
「そうしたら、途中でカトリーヌさんと、こちらの大きなお兄さんに出会ったってわけ」
なぜか得意げに語ったコノメは、妹の惨状を見て一転、目をすがめる。
「樹海に行ってなかったからいいとしても。これはこれで何事だよ。ほんとに喧嘩じゃないの?」
「歩いて行ける距離に樹海はないかな」
ヒワは乾いた笑い交じりに言う。頬が引きつってしまうのは、どうしようもなかった。
「大丈夫。わたしがお願いした特訓だから」
コノメは釈然としない様子だったが、問い詰めもしなかった。周囲の人々を見て、「精霊指揮士ってわからんわ……」と呟いたのみである。
一方ヒワは、杖で腿をしきりに叩いている青年を見上げた。
「ノクスさん。二回戦、お願いします」
「やなこった」
ノクスは間髪入れず吐き捨てる。目を丸くしたヒワをにらんでから、町の方へつま先を向けた。
「んなことより、飯。腹減った」
契約相手にそう言ったかと思えば、さっさと歩いていってしまう。
呆気にとられているヒワとロレンスに、ヘルミがにやりと笑いかけた。
「休むのも特訓の内、ってね」
ヒワは、あ、と呟く。ようやくノクスの言動がのみこめた。
ロレンスと共に、少し慌てて青年の背を追う。妙に温かい視線がつきまとっていることに気づいても、気にはならなかった。




