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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第九章 均衡と友情のブレイクダウン
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141 波乱の兆し

『緊急要請。緊急要請。天外界へ参られたし。魔物の大移動および凶暴化を確認――』


 使い(どり)の機械的な声が、居間に絶えず響いている。人間と精霊人(スピリヤ)、総勢七人は呆然とそれを見ていた。


 やがてエルメルアリアが動く。飛び上がり、使い鳥の額をつついた。


「やかましい。すぐには決めらんねえから、ちょっと黙ってろ」


 彼がそう言うと、使い鳥はぴったりとくちばしを閉じた。しゃらしゃらと羽を鳴らして飛んでいき、窓辺にとまる。返事がもらえるまで帰りません、というふうだ。


 エルメルアリアは大仰に手を挙げてため息をついた。宙を蹴り、ヒワたちのもとへ下りてくる。


「――どう思う?」


 全体への問いかけ。人間たちは気まずそうに黙るか、真剣に考え込むかのどちらかだ。あまり悩まず口を開いたのは、フラムリーヴェである。


「今までにないことです。この状況で、内界(ないかい)での任務にあたっている精霊人を呼び戻すということは、相当な非常事態かと」

「だよなあ」


 エルメルアリアが髪をいじくる。本気で困っている精霊人たちを見て、ロレンスがおずおずと手を挙げた。


「とりあえず、ほかの二組にも話を聞いてみる? どっちみち、黙って天外界に行くわけにはいかないし」


 その言葉に、精霊人たちは固まった。緑と紫の視線がヒワに流れる。決断を求められていることに気づいて、ヒワはうろたえたが、実のところ答えは決まっていた。


「そ、それがいいと思う……」


 蚊の鳴くような声で答えると、エルメルアリアたちもうなずく。そこでシルヴィーが、よし、と呟いた。


「んじゃあ、今日のところはお(いとま)するわ。何か手伝えることがあったら、遠慮なく言って」

「なら、お家まで送るよ」


 コノメまでもがそう言って席を立つ。『一般市民』の二人は、互いに目配せしてにやりと笑った。共犯者の空気を漂わせる姉と友人に、ヒワの方が困惑する。


「あの、わたしたちが外に出るよ……?」

「何言ってんの。今日は寒いよ。寒いところで辛気臭い話をするもんじゃないって」


 コノメはぴしゃりと言って、からのカップを回収しはじめる。ヒワとロレンスは顔を見合わせたが、結局は説得を放棄した。コノメにせよ、シルヴィーにせよ、こうなったら考えを変えない。二人はそのことをよく知っているのである。



     ※



 楽しそうなコノメとシルヴィーを見送ってから、ロレンスが伝霊(でんれい)を飛ばした。相手は、大陸西部でヒワたちと同じ任務に就いている二組四人。


 うち一組――ノクスとゼンドラングは、取り込み中なのか連絡がつかなかった。そのため、もう一組に伝霊を飛ばす。緊張しながら待っていたところ、泡のような音と共に青く輝くイルカが現れた。


『こちら、ヘルミ・ライネ。どうかした、ロレンス?』


 怪訝そうな女性の声を聞き、ヒワとロレンスは顔をほころばせる。伝霊の持ち主であるロレンスが、代表して口を開いた。


「ヘルミさん。突然すみません。実はさっき、天外界から使い鳥が来て――」


 ロレンスは、使い鳥の言葉をそのままヘルミたちに伝えた。すると、素っ頓狂な声が返ってくる。


『天外界へ戻れって? そんな要請、こっちには来てないよー』


 ゆったりとした少女の声は、ヘルミの契約相手、リリアレフィルネのものだ。


「え……こっちにだけ来たってこと? なんで?」


 ひたすら目を回すヒワの隣で、ロレンスが契約相手を見上げる。


「あの鳥……本当に〈銀星の塔〉の使い鳥?」

「はい。間違いありません」


 フラムリーヴェは硬い表情でうなずいた。


 緊迫するスノハラ家。一方、イルカの向こう側――というよりリリアレフィルネ――は落ち着いていた。


『ボクからすれば、理由はわかりきってるけどねー』

「理由って……」

『そっちにだけ使い鳥を送った。ってことは、()()()()()()の力を借りたいんでしょ。それだけの話』


 リリアレフィルネの言う『二人』は、ヒワとロレンスではない。彼らに寄り添うエルメルアリアとフラムリーヴェだ。人間たちの視線を一身に浴びた彼らは、しかめっ面でイルカを見る。


「リリはそれでいいのかよ」

『んー。どっちかというと、あなたたちに同情するね。きっと、とてつもなくしんどい制圧戦になるから』

「……あ、そう」


 エルメルアリアが居心地悪そうに引き下がった。その後、イルカの話し手がリリアレフィルネからヘルミに交代する。


『それで、どうするの? 天外界に行く?』


 ヒワは返答に窮した。ロレンスを見てみたが、彼も困っているようである。自然と、彼らの視線は精霊人に向いた。答えたのは、フラムリーヴェである。


「本当に魔物の凶暴化が起きているのならば、戻った方がよいと存じます。現状、契約者のみを内界に残していくわけにはまいりませんので、ロレンスたちにも同行していただくことになりますが」

「俺は……まあ、構わないけど」


 ロレンスが頬をかく。便乗して、ヒワも何度かうなずいた。だが、彼女の契約相手は苦虫を噛み潰したような表情である。


「ただ、オレたちがこぞって天外界に行くと、困ったことになる」

『カトリーヌのことだね』


 ヒワとロレンスは、あっ、と叫んで振り返った。それまでにこにこと話を聞いていたカトリーヌ・フィオローネは、目をしばたたく。


「言われてみれば、そうね。ジラソーレにいる意味がなくなっちゃう。かと言って、ヘルミさんやノクスさんのところに行くのは……」

『ひょいっと来れる場所じゃないよ。アタシたちはレグンにいるし、ノクスの奴はユースの〈穴〉をふさぎにいくって聞いた』

「ユース共和国かあ……確か入国審査が厳しいんだよね」


 ヒワは思わず頭を抱える。ロレンスも、うなって考え込んだ。気まずい空気が漂うが、それを破ったのもまた、ヘルミである。


『アタシらがそっちに行こうか』

「え、いいんですか?」


 人間たちが揃って身を乗り出す。さっぱりとした笑声が返った。


『飛べるぶん、カトリーヌに来てもらうより早いでしょ。ま、ひとつ〈穴〉をふさいでからになるから、今すぐにとはいかないけど。それでもよければ』


 使い鳥の来訪を受けているヒワたちに、厚意を拒むという選択肢はない。「よろしくお願いします!」と頭を下げると、ヘルミは爽やかに請け負った。カトリーヌが穏やかに伝霊へ語りかける。


「またヘルミさんのお世話になっちゃうわね。お会いできるのは楽しみだけど」

『アタシも楽しみだよ。一緒にジラソーレ観光でもする?』

「それなら、案内は任せて!」

『持ちつ持たれつ、ってやつだね。よろしく』


 娘と女性は、伝霊越しに笑いあう。存外に仲の良い二人の様子に、ヒワはひそかに安堵した。


「そうなると、あとは……ヘルミ様とリリがいらっしゃるまでの間をどうするか、ですね」


 フラムリーヴェが呟く。みんなが再び考え込んだ。ややあって、エルメルアリアが指を鳴らす。


「それなら、一組()()があるじゃねえか」

「え、誰?」


 きょとんとしたヒワの横で、エルメルアリアは手のひらに息を吹きかけた。輝きをまとった風が、窓をすり抜けて北東方向へ飛んでいく。


 顔を見合わせ、あるいはしきりに窓の方を見ながら待つことしばし。イルカの伝霊がにわかに震え出し、冬の空気がしゅわっと弾けた。悲鳴を上げてのけぞったヒワの前に、泡をまとった小さな人魚が現れる。


「ごきげんよう、エルメルアリア。何かお困りかしら?」


 水妖族(すいようぞく)のマーリナ・ルテリアは、青い髪をふわりと揺らしてほほ笑んだ。唖然としている人間たちと、納得したようにうなずいている戦乙女の前で、エルメルアリアが頭を傾ける。


「ずいぶん反応が早かったな。勝手に来てよかったのか?」

「ルートヴィヒにはお許しをもらったから、大丈夫よ。()()()雨の気配があって、すぐに飛んでこられたの」


 海原(うなばら)を写し取ったような瞳が、伝霊を見やる。一方、エルメルアリアは「それならいいか」と本題を切り出した。


「あんたの相方に、こちらのお嬢さんの用心棒を頼みたい。期間は、ヘルミたちがジラソーレへ来るまでの間――数日かな」


 彼は、踊るようにカトリーヌを振り返る。そちらを見たマーリナ・ルテリアは「まあ」と瞳を輝かせた。


「素敵なお仕事になりそうね。ルートヴィヒに相談してみるわ」


 小さな人魚の尾びれが左右に揺れる。盛り上がっているマーリナ・ルテリアに、しかしフラムリーヴェが声をかけた。


「ルートヴィヒ様は今どちらに? 場所によっては、到着までに時間がかかるのでは……」


 至極もっともな指摘に対し、マーリナ・ルテリアは鈴を転がすような笑声を返す。


「そのことなら、心配ご無用よ。とっておきの裏技を使うから」


 いつも通りの上品な佇まい。しかし、そこはかとなく悪童のような雰囲気がにじみ出ている。


 ヒワとロレンスはそれぞれに、初めて()()()ときのことを思い出して、知らず契約相手の方を見た。ついでに、伝霊の向こうからも『なんでボクを見るのさ、ヘルミ』という声が聞こえてきた。

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